第8話 「じゃあその願い、叶えてあげるよ」
ナヅキとアサは、黒い渦に飲み込まれると、そこは真っ白な部屋に繋がっていた。
その部屋は無機質で、何もないただの正方形だった。
「来た来た、はい、おやすみ~」
スピーカーから響くその謎の声が合図となり、部屋の壁からガスが噴き出し、ナヅキ達は気を失った。
目を覚ますと、また白い部屋の中で、診察台の上に仰向けに寝かされ、身体はしっかりと固定されていた。
横には、アサが同じように身体を固定されて眠っている。
反対側を向くと、銀の瞳を持ち、二の腕に髑髏の入れ墨をした男が腕を組んでパイプ椅子に座っていた。
「お前がルルか」
銀色に瞳に、髑髏の入れ墨。
何となく、この男がルルだということが感じ取れた。
少し、独特の雰囲気を持つ男だった。
「だったらなんだ?」
「タカシを、どこにやった?」
ナヅキは身体をよじって言った。
「ここにいる」
ルルは突き出した親指を下にして言った。
「無事かどうかはわかんねぇがな」
「タカシに何かあったら、絶対許さないからな」
「その状況でよくそんなデカい口が叩けるな」
ルルは立ち上がり、ナヅキの真上に来て、見下ろした。
「まぁお前も、すぐ同じ目にあえるから、安心しろ」
そして、アサの方を見た。アサは、長いまつ毛で瞳を隠したまま、無防備な子供の様な表情で眠っている。
「アサに何かしたら、殺す」
ナヅキの瞳の奥が、微かに赤色に光った。
「無駄だ。それは特別な拘束具らしいからな。ジェネレータでは壊せない」
ルルはそう言うと、壁際まで歩いて行き、横に着いているスイッチで扉を開けた。
「ツレを助けられないのも、女を助けられないのも、全部自分の力不足のせいだ。あの世で自分の弱さを悔いな」
扉が閉まり、ルルの姿は消えた。
ナヅキはオーラを全開にして拘束具を破壊しようとしたが、思う様に力が出なかった。
すると、ルルと入れ替わりに白衣を着た男性が2人、白い部屋に入って来た。白衣の2人は何も言わずに、ナヅキとアサが寝ている診察台を動かし、部屋の外に移動させた。
「どこに連れてくんだ?」
ナヅキが叫ぶが、白衣の男性達は何も答えずに診察台を押し、暗い廊下を歩いていく。
廊下も、白い部屋と同じで飾り気がないもので、一見すると病院のようにも見えるが、どうやら違うようだ。
そういえば、前に、同じような施設を見た事がある。
羅刹区の、ナヅキ達がジェネシスになる施術を受けた科学館である。ということは、ここもなにかの研究施設だろうか。
長い廊下を抜け、エレベーターで移動すると、広い部屋に連れて行かれた。
壁は同じように真っ白に統一されてある。
入って真正面の壁は、一面鏡だった。
ナヅキ達の診察台は、部屋の真ん中に設置されると、背中に面している部分が起き上がり、椅子のようになった。手足は拘束されたままだ。
ナヅキたちの後ろで、白衣の男2人、そして部屋の隅でルルが立っている。ルルは退屈そうにあくびをした。
「よく来たね、ナヅキくん、アサさん」
機械的な音声が部屋に響く。どうらや、喋っている者は音声を変えているようだ。
その声で、アサは目を覚ました。
「君たちは、羅刹区の科学館でジェネレータの能力を手に入れたそうだね」
「それがどうした」
「先の、僕が可愛がっていたモルモットを倒したのは、見事だったよ。ジェネレータの技術は、並みのジェネシスか、それ以上だ。実に興味深い」
「あの時のも、お前の仕業なのか?」
「あぁ、まぁね。このプロジェクトの責任者は僕だから。しかし、あれは参考になったよ。今回は邪魔者がいないから、たっぷりと好きなだけ実験できる」
「実験?」
「君たちは貴重な実験体だからね。そうそう、君たちの友達のタカシ君だけど、僕がちょっとやりすぎちゃって、壊れちゃったんだ」
その声と同時に、鏡だった部分が透けてガラスになり、隣りの部屋が見渡せた。
隣りの部屋には、変わり果てたタカシの姿があった。
肌は緑色になり、目は血走り見開かれ、筋肉は張り裂けんばかりに膨張している。
一見するとアメコミに出てきそうなモンスターのような容姿だったが、それは紛れもなく、タカシだった。
身体は、ナヅキ達と同じ拘束具で括り付けられていた。
「君たちはこうならないように、慎重に扱ってあげるからね」
「タ、タカシ……」
ナヅキの目に、涙が溢れて、こぼれた。アサは視線を逸らした。
「冗談だろ、おい……」
「冗談ではないよ。そうそう、これですごいデータが取れたのだ。見ておくれよ」
タカシのいる部屋の扉が開き、一体の巨大ネズミが入ってきた。あの倉庫で現れたのと同じネズミだ。その時、タカシの拘束具が解かれた。自由になったタカシは、ネズミに近づくと、拳でネズミを一突きし、粉砕させた。
「どうだ、すごいだろう? エヴォルヴにも、これだけのオーラの量を注入出来るのだ。同じ様にすれば、ジェネシスを強化できるかもしれない。そうしたら、マナのような化け物を簡単に作り出すことも可能なのだ。こんな技術を隠し持っていたとは、恐ろしいところだ、羅刹区は」
「お前達は……、なんの為にこんな事を?」
「それは、僕の雇い主の為さ。世界を手に入れる」
「じゃあそれなら、ドラスティ社やマナは邪魔なんじゃないか?」
「まぁそうだが。この技術が確立すれば、マナも脅威でなくなるさ」
「それならせめて、マナを倒すのは、俺の手でやらせてくれよ」
「ナヅキ、あんた何言って……」
アサは潤んだ瞳でナヅキを見たが、ナヅキはアサの方を見ずにただ真っ直ぐタカシを見つめていた。
機械的な声の主は、少し考えているようだった。
「ほう、どうやって?」
「俺を、タカシの様に強化してくれよ。マナを倒せるくらいのオーラを持った、狂ったバーサーカーのように。どうせ、最終的には、俺も殺されるんだろ? だったら、最後の願い、叶えてくれよ。エヴォルヴとして、あいつは許せねぇんだ」
「ははは、面白いね。だが、ああなってしまったら意識はもうないよ」
「構わないさ。その代わり、マナを倒せるくらいたっぷりオーラを注入してくれよ」
「あぁ、じゃあその願い、叶えてあげるよ。それでは、早速やってみようか。ナヅキ君にレベル1から注入してくれ」
その声を合図に、部屋が揺れた。
どうやら、部屋自体が大きなエレベーターになって下降しているようだった。
下降してついた先は、広い空間になっており、そこには、見た事のある巨大な装置があった。科学館で、ナヅキ達がジェネレータの力を与えられた、あの装置だ。
「これって……全く同じものじゃないか」
「そうだ。設計図があれば設備はいくらでも作れる。だが、肝心の核がなかった。それは、魂が入っていない人間のようなものだった」
機械的な声が話す。
「しかし、その核となるものが手に入った。羅刹区が必死に隠し持っていた、ゼラだ。これで、やっと、僕のプロジェクトを進める事ができる。あぁ、実に長く感じたよ」
「そんなことどうでもいいから、早くやれよ」
「……やれやれ、若い子は気が短いからいけないね。やれ」
声の指示で、1人の白衣を着た男が、ナヅキを椅子に座らせたまま運んでいき、設備へセットした。
そして、身体に数本のケーブルを取り付けると、10本の注射器が入ったケースを取り出した。
「タカシ君は、レベル3で自我を失った。君は何本まで耐えられるかな?」
「ナヅキ、逃げて!」
アサが必死に身をよじって叫んだが、注射の針はナヅキの皮膚に刺さり、謎の液体が注入された。そして、白衣の男性が離れると、ナヅキの身体に電流のようなものが流された。
「うわあああああああ」
設備の起動音と、ナヅキの叫び声が広い部屋にこだまする。
アサは、目を背けた。
施術自体は科学館で受けてものと似ていたが、それとは比べものにならないくらいの苦痛を伴うものだった。
機械が止まると、ナヅキは息を切らし、ぐったりしていた。全身から汗が吹き出している。
「気分はどうだね、ナヅキ君?」
「全然効かねぇな」
ナヅキは、床に汗を垂らしながら言った。
「そうか、じゃあ引き続きレベル2にいこう。休憩は与えないよ」
白衣の男性は、2本目の注射器を取り出し、同じようにナヅキに注射すると、また機械が動き出し、ナヅキの身体に電流のようなものが流れ始めた。
ナヅキは、身体を左右によじらせ、叫び声を上げた。
「ナヅキ……」
アサの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
マナは、右手でペンを無意識に回していた。
考えているのは、どうやったらペンを上手く回せるか、ということではなかった。
頭に浮かんでくるのは、弱いくせに生意気にも突っかかってくるナヅキ、無表情で卵焼きを突き出してきたアサ、少し困った表情で世話を焼くタカシ、ワタ、フーカ、海坊主――みんなの顔だった。
マナは、生まれてから今まで、このような感情にとりつかれたことがなかったので、自分の胸の奥から湧いて出て来るこの感情の意味を理解出来なかった。
この謎の感情を、理解しようと、また打ち消そうと、頭の中で思案していた。
サカグチは、このマナの感情の動きを察知していた。この感情は――
――危険すぎる。
あるいは、私がその思考を阻止しなければならなくなる。
そう眼鏡を光らせながら、マナの様子を伺っていた。
バチン。
その時、マナが回していたペンを床に落とした。
マナがペン回しを失敗したのは、初めてだった。
その床にポツンと佇むペンを暫く見つめた後、マナはゆっくりと席を立った。
「どちらに行かれるのですか?」
サカグチが、マナの前に立ちはだかった。
「星を見に行くだけだ」
「マナ様に天体観測の趣味がおありだとは、初めて知りました」
サカグチは、人差指でクイッと眼鏡を持ち上げた。
「この件には東山区のシャバーニ社が関わっていると思われます」
「分かっている」
「ならば、お座り下さい」
マナは、座らない。
「下手に手出しすると、シャバーニ社との関係が崩れます。もう少しお待ち下さい」
「最早、シャバーニ社が裏で違法な研究をしているのは明白だろう。しかも、その研究は我々の脅威となるものだ」
「おそらく。しかし、まだ確定的な証拠がないうえ、準備が不十分です。上手く事を収め、我々の利益とするには、動き出すには時期尚早と言えます」
それでは、ナヅキ達が――と、心で思った。
「ふぅ、マナ様らしくありませんね」
「そこをどけ」
「会長から、動くなという絶対命令が出ています」
「クソオヤジが」
「それほど、お友達が大切ですか」
「友達ではない。あんな奴ら、どうでもいい」
「ならば、何故ですか?」
「わからん。わからんが――」
――ほかっておけない、気がする。
マナは、生まれて初めて、自分の気持ちに素直になろうとしていた。
「マナ様、もしあなたが暴走するような事があれば、私と8人の部下達が止めに入らなければなりません」
「サカグチ、本気でやりあうのは、初めてだな」
マナは無表情で言った。
「はい。実に悲しいです」
サカグチは、真っ黒なオーラを身体全体に纏った。
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