第2話 「俺は、貧乳も好きだぜ」



翌日。



「いってきます!」


「気をつけてねー!」



 母に見送られると、ナヅキはいつものように家を出て学校に向かった。


 いつもの変わらない朝だが、身体は全然違っていた。

 身体が軽く、そして力がみなぎっている感じがする。

 軽く跳躍してみると、2メートルほどある塀の上に軽々と上れた。塀の向こう側にいる大型犬が、塀の上にいる不審者の姿を見つけて警戒の鳴き声を上げている。



「コラ、そこのお前、何をしている」



 声色を変えて話しかけてきたのは、アサだった。

 塀の下から、人差指をこちらに向けてピシっと立っている。



「なんだ、アサか。お前も来いよ」


「嫌だ。スカートがめくれちゃう」



 アサは制服の青いスカートを抑えた。今どきの女子高生らしく、短くしている。



「誰もお前のパンツなんて見たくないよ」



 ナヅキが揶揄うように言うと、アサはムスッとして、人差指をパン、とやった。



「うわぁ」



 何かに足を払われたようにバランスを崩し、塀から転げ落ちた。



「いてててて、お前なにしたんだよ」


「昨日あんたが研究所でしたのと同じことよ」



 そう言って、アサは人差指の先にふっと息を吹きかけた。



「でも、オーラが見えなかったぞ?」


「だって、ごく少量にしたもん」


「そんなことできるの? お前って本当に起用だよな」


「こらこらこら」


「あ、タカシおはよ」



 制服姿にスポーツバックを背負って現れたのはタカシだった。



「お前ら、そんなにあからさまにジェネレータを使うなよ、誰かに見られたらどうするんだ?」


「もう、タカシはビビりすぎなんだよ。よっこいしょっと」



 ナヅキはぴょんと飛び上がって起き上がった。



「昨日サカグチっていうおっさんが言ってたじゃないか、君たちには監視がつく、ヘタなことはしないようにって」



 ナヅキとアサはあのキリッとした眼鏡を思い浮かべた。



「大丈夫だって。それより、明日から山籠もりしようぜ」


「なんで?」


「もちろん、鍛えるんだよ。バリバリ鍛えて、あのマナって奴を倒して、とりあえず羅刹区から変えていくんだ」


「わたしはもちろんパス」


「なんでだよ?」


「学校があるもん」


「学校なんかどうでもいいだろ?」


「俺も部活があるからダメだな」


「もうお前ら、学校や部活より大切な事があるだろ? このまま勉強やスポーツ頑張ったって、ジェネシスが威張ってる世の中じゃ意味ないだろ?」



 そうなのだ。エヴォルヴがどれだけ努力しても、例えば必死に勉強して大学に進学できる学力を身に付けたとしても、高額な学費を突き付けられ進学すら出来ない。就職も、同じ事だ。努力してもなにも変えられない、それがこの世界なのである。



「あんたこそ、現実見なよ。そんな急いで鍛えたからって、今の今にこの現状を変えられるわけないでしょ?」


「ナヅキ、気持ちはわかるけど、あのマナってやつ相当強いぜ? 一朝一夕じゃ勝てっこないよ」


「うぬぬ……。今すぐ動き出さなきゃ、何も変えられないんだよ!」



 そう言って、ナヅキは走り出した。



「もう。タカシ、あんたナヅキがヘタな事しないように見張ってなよ」


「なんで俺が?」


「昔からそうでしょ? 3バカトリオ」


「3バカトリオって……お前も入ってるぞ?」


「あ……」








「あぁー!?」



 教室。

 朝のホームルームで、3バカトリオは叫んでいた。

 3人は同じクラスで、担任の先生は若くて熱血漢で人気のあるマツオカ先生だったのに、今教壇の前に立っているのは、白髪で怪しげな笑い声が特徴の、まさかのハギワラだった。



「えぇ、マツオカ先生ですが、どこか南の島の学校に赴任になりました。代わりに今日から私が皆さまの担任になります。ハギワラです。よろしく、ククク」



 南の島って――つまり、ジェネシスの権力という見えない力によって何の落ち度もないマツオカ先生は無情にも南の島に飛ばされたってことか? 

 あのマナという男をなめていた。3人は青白くなった。



「えー、ナヅキくん、タカシくん、アサさん、ちょっと化学室に来なさい」


「は、はい……」






「なんで化学室なんですか?」


「こんな申し訳程度の実験器具でも、囲まれていると落ち着くのだよ」



 そう言ってハギワラは丸椅子に腰かけた。



「しかし、エヴォルヴの学校はこんな器具しか置かれてないのか」



 ハギワラは机の上に置かれてあったビーカーをくるくると振った。



「あの、俺たちの監視役ってまさか……」


「そうだ、私だよ。自ら志願したんだ。実験としても、興味があるからね、ククク」


「俺たち、やっぱり実験の材料にされたってことですか?」



 タカシが言った。



「いや、あれは完全にマナ様の気まぐれだろう。私としては良い研究材料が入ってラッキーだったがね」


「ちっ、あいつの暇つぶしかよ」



 ナヅキは空を蹴った。



「いや、私はそうとも言えないのではないかと思うがね」


「どういうこと?」


「マナ様は、この現状を変えたいんだよ。ナヅキくん、君と同じ考えを持っていると、私は考えている」


「じゃ、なんで実行しないんだよ。あれだけの力を持っていながら」


「まず、本人はその気持ちに気付いていない。現状を変えたい、という気持ちにね。もう1つ、それに気づいたとしても実行出来ない」


「なんでだ? 社長だから、自分の思い通りに出来るだろ?」


「確かに、マナ様は、世界で5本の指に入るほどの力を持っている。頭も良い。世界を滅ぼそうと思えば、それも出来る。それ故に、マナ様には強力な監視が付いている。


「あ、サカグチ」



 壁にもたれながら、アサが言った。



「そうだ。アサさんは勘が良いね」


「だって、ずっとぴったりマナに付いて回ってるんだもん。あんだけ強かったら、執拗なボディガードもいらないだろうし」


「その通りだ。しかし、マナ様が本気を出したら、サカグチでも敵わない。だから、サカグチの下に更に8人の監視役がいる。彼らも相当の使い手だ」



「そんなに強かったんだな、あいつ」



 タカシは、今になって足が震えてきた。



「そうだ。それにマナ様はとても冷酷非道だ。普通なら、君たちを助けたりしなかっただろうし、返答を間違えばすぐに殺されていた。それなのに今こうしているということは、そういうことなのだろう。君たちに何か期待している」


「ふん、なら、あいつの期待に応えてやろうじゃねぇか」



 ナヅキはグローブを叩くように拳をバチンとやった。



「ハギワラさん、俺たちを鍛えてくれよ」


「ここでは先生、と呼べ。いいだろう。ただし、私はスパルタだぞ? ククク」


「望むところだっ!」



 ナヅキがガッツポーズをして言った。

 ハギワラも腕を組んで嬉しそうにしている。


 このハギワラという男、何が目的なのだろうか。科学館の研究者がわざわざエヴォルヴの高校に派遣されるなんて、それなりの大きな理由、企みがありそうなものだが、ハギワラを見ると単に自分の研究を楽しんでいるだけのようにも見える。



「なんか、俺たちも巻き込まれちゃう感じだよな」


「うん。ってか、たぶんもう引き返せないくらい巻き込まれちゃってる」


「俺、部活が……」



 タカシは、サッカー部の主将でありエースだった。背負っているものも大きい。責任感の人一倍強いタカシだから、余計にである。

 

 







 化学室でハギワラの説明が終わると、ナヅキ達は教室に戻って授業を受けた。しかし、当然のことながら、授業なんて頭に入らない。

 ナヅキが授業を聞かないのは平常運転だったが。



「ナヅキ」


「あ、はい」



 案の定、教師に当てられるナヅキ。その場で立つ。



「この学校の名称は?」


「うーん、えーと……」



 わかりません、と答えようとした時、頭の中の複雑な回路を一筋の光が走り回り、1つの映像を見つけ出した。世界史の教科書の1ページの映像だった。



「ナーランダー僧院」


「おぉ、正解だ。座っていいぞ」


「なんだこれ」



 それは、今まで感じたことのなかった感覚だった。





 次の体育の授業は、サッカーだった。


 タカシは、相手キーパーまで抜いて伝説の11人抜きを軽く披露した。



「くそぉ、エース強すぎだぞ」


「エースエース!」



 クラスの男子達のエースコールが起きていたが、当の本人は茫然としていた。



「なんだこれ」






 放課後、3人は再び化学室に集まっていた。



「全然違うだろ? これがエヴォルヴとジェネシスの能力の違いだよ」


「こんだけ違いがあったのかよ、こんなのチートだし」


「本当だよな、サッカーでも勉強でも、エヴォルヴが勝てるはずがないよ」



 タカシは、自分の脚を見つめていった。



「そもそも、なんでエヴォルヴとジェネシスなんていう違いが生まれたんだ? 大昔は殆ど俺たちみたいなエヴォルヴだけだったんだろ?」


「その通りだ。ではまず、エヴォルヴとジェネシスの歴史から話さないと行けないな」



 そう言うと、ハギワラはおもむろに黒板の前に立ち、黒板に書いてあった元素記号を消した。



「げ、まさか授業?」


「そうだ、まずは基礎知識を身に付けないとな」


「そ、そんな……」



 アサは大人しくノートと筆箱を鞄から取り出した。







 結局、今日はジェネシスの講義だけで終わった。

 ハギワラの熱心な抗議は20時まで続き、帰る頃には真っ暗だった。



「もうくたくただよ」


「なんにもしてないじゃん、座ってハギワラさんの話し聞いてただけ」


「それが疲れるんだよ」



 どっちかというと体育会系の2人は、講義は苦手だった。

 出来れば、身体を動かしたい。しかも、身体に力がみなぎっているのだから、余計にであった。



「ってかさ……」



 3人が振り返ると、すぐ後ろでハギワラがトボトボと歩いていた。



「なんで先生着いてくるんですか?」


「当たり前だろ、私は君たちの監視役だぞ。ククク」


「もう、リラックスできねぇじゃねえか」


「安心したまえ。スタバにも寄ってくれて構わないし、カラオケだって大丈夫だ。そうそう、私はカラオケというものに1度行って見たくてな。丁度良い、今度カラオケに行こうではないか」


「ハギワラ先生の歌、聞いてみたい」



 アサは真顔で言った。



「そうか! アサさんは本当に物わかりが良くて素晴らしい女性だ。ククク」


「アサ、お前気に入られてんぞ」


「悪い気はしない」


「そうかよ」



 そうこう話しているうちに、年代もののボロアパートの前でハギワラは立ち止まった。

 エヴォルヴの住居は1世代前の古いタイプのものが殆どだが、ここまで古いのは珍しい。



「では、私の部屋はここだから、これで失礼する」


「ハ、ハギワラ先生こんなボロアパート借りたのかよ? 給料沢山もらってんだろ?」


「住居の質など、問題ではない。研究は、どこでも出来る。それでは、気を付けてな」


「家まで監視しなくていいのかよ?」


「付近で不自然なオーラが発生すればすぐにわかる、とくに、ここはエヴォルヴの住宅街だから分かりやすい。それでは、おやすみ」




 そう言うと、ハギワラは201号室のポストを確認し、錆びて穴が開いてそうな階段をカンカンと音を立てて上ると、右端の部屋に消えて行った。


「うーん、不思議な人だ」



 そのボロアパートから少し歩いた所が、いつも3人が分かれる場所だった。



「それじゃあ」



 そう言ってアサは手の平を上げると、



「家まで送ってくよ」



 ナヅキとタカシはいつものように帰らなかった。



「なんだ、急に色気づいたか?」



 アサはファイティングポーズを取った。



「バカ」



 ナヅキはポンとアサの頭を叩いた。



「俺たちは、もう普通じゃねぇんだ。ジェネシスの奴らに狙われるかもしれない。これからは、3人で協力していかねぇとな。とくにお前は女だから、俺たちが守る」



 アサはクリクリした瞳で2人を交互に見つめた。



「ありがとう」



 そう言ってくるりと背中を向けた。



「やっぱ色気づいてんじゃん」


「バカ言うんじゃねぇよ、俺はもっとグラマーでセクシーな女が好みなんだよ」


「誰が貧乳だって?」



 振り返って、アサはナヅキの頬をつねった。



「いてててて、誰も貧乳なんて言ってねぇよぉおおいてて」



「お、俺は貧乳も好きだぜ」



 タカシが照れながらそう言うと、もう片方の手でアサがタカシの耳を引っ張った。



「いてててて、なんで俺まで」


「ロリコンは、悪!」


「そ、そういう意味じゃないって、いててて」



 その3人がじゃれ合う姿を、ボロアパートの窓からハギワラが眺めていた。



「いいねぇ、青春だ。私も早くカラオケに行きたいものだ。ククク」



 ハギワラが高校生3人を覗き見ている窓から約5キロ先、ユニバーサル・ドラスティの本社が入っている巨大なビル、ミッドナイト・ガルが聳え建っていた。舞台をそこに移す。





社長室。


「ハギワラ所長から、報告はありませんでした」



 サカグチは相変わらずのピシッとした姿勢でデスクの前に立っていた。



「あいつのことだ、遊んでるんだろう」


「よろしいのですか? 自由にさせておいて」


「構わないだろう」



 マナは、興味なさそうに言い捨てると手元にある書類に目を通した。



「東山区のプロジェクトだが……」


「順調に進んでおります」


「今度、現場を見に行きたいな。ゼクウとも話しをしたい」


「かしこまりました、ではゼクウ社長に連絡を」


「ふぅ」



 マナは、社長室の窓から夜空を見上げた。









 その深夜――



 奈名屋科学館。



「お、おい、これはどういうことだ?」



 ナヅキ達がジェネシスへの改造施術を受けた更に下の階、エリア49では、地獄のような光景が広がっていた。

 研究員たちが数人、血の海に伏していた。

 その光景を見て、マッシュルームカットに丸眼鏡をかけた特徴的な容姿をしている科学館の副所長ヒカリは立ちつくしていた。



「ヒカリ副所長、エリア49の職員が全員殺害されています」


「早く本社と所長に連絡だ。他に被害は?」



 奥の方から、年配の研究員が、まるでトイレを限界まで我慢しているかのように、顔面蒼白で滝のような冷や汗を流しながら走ってきた。



「副所長! ゼ、ゼ、ゼラが、ゼラがありません!」


「な……、バ、バカな……」



 ヒカリはその場で崩れ落ち、マッシュルームヘアーに両手をズボっと突っ込んだ。



「マナ様に殺される……だけじゃない……羅刹区が……世界が終わるぞ……」



 ヒカリは、そのまま血の海に突っ伏し、うつ伏せのまま固まった。



「副所長、死んだふりしてもダメかと……」



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