六通目 二人の部屋の写真立ての後ろ ‐1‐
「ただいま」
扉を開け、誰もいない薄暗い部屋にポツリとつぶやくと、ぐっと寂しさがこみ上げてくる。
「おかえり」
いつもそう返してくれたあなたは――もういない。
*****
二人で悩みに悩んで決めた部屋はこじんまりとしたアパートの角部屋で、日差しがたくさん降り注ぐ十分満足できる部屋だった。
家具も二人でそろえた。もちろん、実家から拝借したものもある。
私のお気に入りは、二人で寝てもまだスペースが余る大きいベッド。マットレスが柔らかく、それに加えて一緒に寝るとタツキの身体が温かいので一瞬で眠りにつけた。
朝、一日の始まりはタツキを起こすところから始まる。寝起きのいい私とは対照的に、タツキは朝にめっぽう弱い。
私はケータイのアラームが鳴るとすぐに起きることができたので、ちょっと早めにセットした、枕元に置いてある時計のタイマーが鳴り始めたらそれをすぐに止めて、まだ寝ているタツキの顔を少しだけ見ることが私の朝の日課だった。
タツキが幸せそうに寝ているのを見ると、私も幸せな気分になった。
「起きて……起きて、タツキ」
「ん……もうちょっと」
一緒に横になりながら私が声を掛けるとタツキは決まって寝ぼけながら私を抱き寄せて、眠たそうなまぶたを一瞬だけ開いて私の唇にキスを落とした。
またすぐに寝てしまうのだけれど、そのキスが愛おしくて、私は毎日タツキを起こすのが楽しみでもあった。
「仕事、行かなきゃでしょ?」
「んー、行く。行くけどもう少し……」
「だーめ」
私が自分の身体を起こそうとすると、腰にぎゅっと抱きついて、眠そうな目で私を見上げた。
永遠にこのまま二人でベッドの上にいたい――。
そう思ってしまうほど、タツキのまなざしが愛おしかったけれど、仕事があるんだからと自分に言い聞かせて、心を鬼にしてタツキの足の裏に手を伸ばしてくすぐる。
「や、やめ!ちょ……!」
これが一番効くことを、タツキと長い時間を共有してきた私は知っていた。
*********
「私、やるよ?」
「いい」
タツキは、料理をすることが好きだ。
社会人になってから、タツキは自律するためにと一人暮らしを始めた。そしてそれから自炊をするようになったらしい。始めたら凝り始めてしまったと言っていたので、どれほどの腕前なのかと思ってみたら……私よりもはるかに料理の腕が立った。
ずっと実家暮らしだった私は、たまに母が作る料理を手伝ったりしていたけれど、そこまで上手いというわけではなかった。そのことをタツキも知っていたので、料理を二人でするときは、なかなか手伝わせてくれない。こまやかな作業が求められる料理は特に。
「……私だってできるのに、料理」
そこまで壊滅的に下手なわけではない。少し大ざっぱなだけなんだ。タツキは、いつもは靴下だって穴が空いているものも平気で履くくせに、料理の時になるとずっとなぜか几帳面になって、きっちりやらないと気が済まなくなるスイッチが入る。
そういう一面もあるのに、洗濯や掃除は好きじゃないんだから、少しは料理の時のきちんとした性格を他のものにも応用して欲しい、と思ったりしてしまう。
「じゃあミユは卵混ぜて」
いつもタツキが決めた料理を作るときは、こういった簡単なパートしか任せてもらえない。だから、ひそかに料理教室に通おうと思ったりしている。
「はーい」
ちょっと不満げに返事をしたけれど、タツキはそんなこと気にせずに、フライパンの中身に味付けをしていた。
もちろんタツキが遅いと私が料理を作る。私たちのルールは、仕事終わりが早かった方が夕ご飯を作る、というものだった。
「ただいま」
「おかえり」
ドアが開く音がすると、私は玄関までタツキを迎えに行く。もちろん、私が帰って来たときもタツキは玄関まで迎えに来てくれた。そして、必ずタツキは出迎えた私に一つのキスを落とした。これが、私たち二人の習慣だった。
「ねえ、お風呂にする?ご飯にする?それともわ・た・し?って新婚さんの定番のヤツ、いつやってくれるの?」
「新婚さんじゃないからやりません!!」
ふざけてそんなことを言うタツキに、毎回ドキドキさせられているのを、多分タツキは分かってやっている。私の反応を楽しんでいるに違いない。
……いつか、不意打ちでこれをやってタツキをドキっとさせてやる、と心の中で思いながらも、私の心臓はまだそれをできるほど強くはなさそうなので、いつの日か実行できるように願っておこうと思う。
「お、なんかいいにおいがする」
「今日はドライカレーに挑戦してみました!」
私がそう言うと、タツキは目じりを下げた。
「腹ペコなんだ。食べよう」
「うん!」
タツキが部屋着に着替えている間に料理を温めなおしてテーブルに並べる。着替え終わったタツキは、準備を手伝ってくれた。
「おいしそう!いただきます」
「いただきます」
二人で向かい合って食べるご飯は、どんな料理だってごちそうになりうることを私は知っていた。
「おいしい」
「よかった!」
その日一日のことを二人で話しながらご飯を食べる。この時間は、私にとってとても大切なものだった。
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