五通目 実家の卒業アルバムの間 - 1 -

五通目 実家の卒業アルバムの間



 タツキと一緒に住み始めるまで、私はずっと実家暮らしだった。

 別に、仕事場である小学校から電車を使って数駅でそこまで遠いというわけではなかったけれど、タツキが同棲しようと言ってくれたのをきっかけに、家を出たのだった。



「ただいま」



 久しぶりの実家だった。

 別に、帰れない距離ではない、いつでも帰ってこられる、そう思うと、なかなか帰らなくなるのはなぜだろうか。



「おかえり」



 持っていた合い鍵を使って入ろうと思ったら、連絡しておいたからか鍵はかかっておらず、そのままドアを開けた。するとパタパタとスリッパの音がして、母がリビングから出てきた。


 母は、タツキが死んでしまったことを聞いて、父と一緒にタツキと住んでいた家へ一度訪ねてきて夕ご飯を作ってくれた。その時、ご飯を食べる気は全く起きなかった。けれど、母が心配して作ってくれたのだからと、無理やり胃に押し込んで食べたのだった。


「ミユ」


 私を見ながら母はポツリとつぶやいて、今にも泣きそうな顔をした。




 ……なんで、みんなそんなに簡単にタツキの死を受け入れられるのだろう。




 私はまだタツキがいなくなってしまったことを信じることなんてできないのに。全部の手紙を読み切ったあと、タツキが「全部どっきりでした~!」って、いつものように目じりを下げ、いたずらな笑みを浮かべて出てきてくれることを、未だに期待しているのに。


「とりあえず、夕ご飯の準備できてるから。一緒に食べましょう」


 いつものピンク色のスリッパに履き替えると、母は私の背中を押して、リビングへと誘った。




******




「あー。緊張する」

「うちにご飯食べに来たこと、あるじゃない」

「それとこれとは別!」


 スーツをびしっと身にまとったタツキと駅前で待ち合わせをして、私たちはとある場所へと向かっていた。


「だってあの時はお父さんもいらっしゃらなかったし……」

「いらっしゃるとか……そんなに尊敬語を使わなくても」


 タツキの言葉から、タツキが本当に緊張していることが分かって、少しだけ笑ってしまった。



 そう、今から私たちは、私の実家へ行くのだ。同棲の許可をもらうために。




******




「ミユ……一緒に住まない?」


 ちょっと背伸びをして、記念日を祝うために夜景の見えるレストランでフルコースを食べた後、テーブルに座ったまま綺麗な夜景を眺めていたら突然、タツキが私の目を見てそう言った。


 付き合い始めて何年経ったかすぐに思い出せないくらい、私たち二人はたくさんの時間を共にしてきた。


 結婚という言葉を、意識していないと言えばウソになる。周りの友達だって、結婚第一波とかいうのが来ているのかぽつぽつと結婚し始めたし、早熟な中学の友達にはもう子どもだっている。友達と集まった時だって、いつも話題に上るのは仕事、そして結婚の話。


 いつかは私もタツキと――、そう願っていたことは、確かな事実だった。


 だからと言って、結婚ではなくて同棲だけれど、なんの前触れもなくこんな風に切り出されるとは思っていなかったので、思わずぽかんとした顔でタツキを見てしまった。



「ハトが豆鉄砲くらったような顔、してる」

「いや、だ、だって……!いきなりすぎて……!これが、青天の霹靂ってやつ?」



 私がそんな風に狼狽えていたら、タツキは目じりを下げてククっと笑った。



「ねえ、俺今結構勇気だして言ったんだけど……答えは?」

「も、もちろん!」



 びっくりしすぎて、返事をするのを忘れていたけれど、私の答えは一つしかなかった。


 驚きのあとから、嬉しさがじわじわとこみ上げてきて、目いっぱい口角を上げてしまった。



「よかった」


 タツキは息を大きく吐きながらそう言って、テーブルに突っ伏した。


「断られたらどうしようって思ってた」

「断るわけ、ないじゃん」



 大好きなタツキとご飯を一緒に食べて、おいしい瞬間を分け合える。一日の最初に目を合わせることができて、一日の最後に言葉を交わせる。


 そんなに幸せなことを、なんで断るなんて考えるのだろう。そんなこと、するわけがないのに。



「いや、わかんないよ?絶対なんて、この世に存在しないんだから」

「私がタツキを好きなことは、きっと、一生変わらないよ」

「……それ、反則。こんなテーブルが邪魔してなかったら今すぐ抱きしめるのに」



 タツキの言葉に私が顔を赤くしていたら、タツキも嬉しそうにはにかんでいた。



******



「こんにちは、タツキくん」

「ご無沙汰してます。これ……ロールケーキです。もしよかったら皆さんで」

「あら、気を遣わせちゃったみたいで。ありがとう、みんなで食べましょう」


 母はタツキと会ったことがあったから、にこやかに出迎えてくれた。


 ……問題は、リビングに座る父だ。別に怖い人ではない。けれど、テレビドラマの影響か、こういう時の父親は機嫌がよくないのではないか、と勝手に想像してしまって、私もなんだか緊張してしまう。


「初めまして、いらっしゃい」



 私の心配はよそに、ソファーにタツキと向かい合うようにして座る父は、温厚な表情で微笑んでいた。



「初めまして。ミユさんとお付き合いさせていただいている北川達樹です。ご挨拶が遅くなってすみません」


「そんなにかしこまらなくてもいいのよ、タツキくん。お父さんね、あなたが来るのを楽しみにしてたのよ。一緒にお酒が飲みたいって。うちには男の子がいないから」


 父はそんな母の言葉を聞いて小さく咳払いをした。そんな二人の様子を見て、タツキは優しく微笑む。


「いつも娘からお話しを伺ってます」

「なんて言われてるのか……少し怖いです」



 タツキが少しおどけてそう言うと、その場のみんながふふふと小さく笑った。



「お茶でも飲みながら、ゆっくり話しましょう」


 そう言って母が立ち上がると、合わせたようにタツキがスッと立ち上がった。


「手伝います」

「いや、タツキくんは座ってて!ミユ、お願い」


 二人だけ残すのは心もとなかったけれど、まあいいかと深く考えず、キッチンへ向かう母について行った。


「本当はね、お父さんとっても緊張してるわよ。タツキくんに負けずとも劣らずって感じね」


 お茶を入れながら、お茶目に笑う母。


「でも、今時きちんと挨拶に来るなんていい男だなって昨日の夜言ってたし、タツキくんも人当りがいいから心配なさそうね」

「そうだね」


 私はタツキが持ってきてくれたおいしそうでふわふわなロールケーキを箱から出して、母と一緒に小さく笑った。





 リビングでは、二人で楽しそうに談笑していた。どうやら、父の趣味であるゴルフの話に華を咲かせているようだった。


「ありがとうございます」


 差し出されたお茶に、にっこりとそう返したタツキ。ロールケーキを置いたら、タツキが私の目を見てまるで心配はいらないよ、とでも言うように優しく目じりを下げた。



 母と私がソファーに座ったタイミングで、タツキが改めて背筋を伸ばして座り、姿勢を正した。



「それで……本日伺ったのは、ミユさんと一緒に住むことを許して欲しくて来ました」


 空気がぴりっと張りつめたのがわかる。


 私はなんだか映画のヒロインにでもなったような気持ちで、その場を俯瞰していた。こんな日が本当に訪れるなんて……なんだか心がむず痒くてしかたない。


 タツキの真剣な瞳を見て、父は柔らかな笑顔を見せる。



「私はミユが幸せならそれでいいんです。……ただし、泣かせたら許しませんよ」

「ありがとうございます!」



 タツキが立ち上がり、勢いよく頭を下げた。



 あまりにもあっけなくて正直びっくりしたけれど、横で微笑んでいる母を見たら、もしかしたら母が事前に話していておいてくれたのかもしれない――そんなことを感じた。




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