四通目 待ち合わせ場所の柱時計の中




「いらっしゃいませ。あ、ミユちゃん……」


 私の心の中とは反して、ドアについている鈴がカランコロンと快活な音を奏でた。


「こんにちは、おじさん」



 ここは、駅前の小さなカフェで、私とタツキが社会人になって休日デートをするときに、待ち合わせ場所としてよく使っていた場所でもあった。


 アンティーク調の机や椅子に囲まれたシックなカフェで、小さいながらも毎日お客さんがたくさん足を運んでいた。



 オーナーのおじさんは高校時代の親友、麻美マミのお父さんだ。



「どうぞ、座ってください。ホットチョコレートでいいかな?」

「はい。ありがとうございます」


 まるで私を待っていたかのように丁度空いている、窓際の二人席。待ち合わせをするときは決まってタツキが私のことをここで待っていた。



「ミユ!?」


 話している声が聞こえたのか、奥の厨房からそう言って顔を覗かせたのは、マミだった。


「……大丈夫、そうには見えないね」


 マミは私の近くまできて、泣きそうな顔で私に話しかける。


「ちゃんと、食べてるの?」



 マミには、タツキが事故に遭った日にメッセージを送った。何度も電話が来たけれどどうしても出ることが出来なくて、今日になってしまったので、たくさん心配をかけているのだろうと思った。



「心配かけてごめんね、マミ。食べてるよ。大丈夫」



 本当は、ここ数日まったくと言っていいほど食欲が起きなかった。タツキと一緒に暮らしていた部屋で、タツキと一緒に料理をしたキッチンで、タツキと一緒にご飯を食べていたテーブルで、ひとりぼっちで何かをする気なんて到底起きっこなかった。


 タツキはきっと、私の体の一部だったんだ。知らないうちに、私とタツキは溶け合って一つになっていたんだ。だから今の私の心は、半分どこかへ行ってしまっているんだ。


 きっとタツキが私の楽しいや嬉しいの部分を作るパーツだったから、今の私にはマイナスの感情しか残っていないんだ。



「ミユ……無理しないでよ。お願いだから」

「大丈夫」


 そう言って私が口角を少しだけ上げると、マミは唇をぎゅっと噛みしめていた。


「ミユちゃん、どうぞ」

「ありがとうございます」


 机に置かれたピンクのマグカップに入ったホットチョコレートから、かすかにチョコレートの香りがする。


 ここで待ち合わせをするたびに、これを頼んでいた。



「あとこれ、サービスね。ミユちゃん好きだろう?」


 そう言っておじさんが机の上に置いてくれたのは、苺がちょこんと乗ったショートケーキ。


「あ、ありがとうございます」


 私の好きな、パティシエを目指して修行中のマミのお手製ショートケーキ。


 クリームがあんまり甘くないんだけど、スポンジの甘さと絶妙にバランスが取れていて絶品だ。


 ……あまり食欲はないけれど、これなら食べれるかもしれない。



「ゆっくりしていってね」



 おじさんも、きっとタツキと私のことを知っているんだろう。いつもよりも、微笑み方が数倍優しく、気を遣ってくれているのが分かった。

 きっとこのショートケーキも、そうだ。


「ちょっとケーキ作りかけだから、それ片付けてから来るね。待ってて!」


 マミはそう言うと一度厨房へ戻って行った。


 ぼうっと誰もいない向かいの席を見つめながら、一口ホットチョコレートを飲む。温かさがじんわりと胸に染み込んで広がった。



 なんで、私が一番そばにいてほしい人がいないんだろう。なんで、一番この温かさを分け合いたい人が、いてくれないんだろう。

 




*****





 ドアを開けると、カランコロンと、今日もいい鈴の音がお店の中に響いた。冷たい空気がぶわっと流れ込んでくる。外は、とても暑い。


「いらっしゃいミユちゃん」

「こんにちは、おじさん!」


 カウンターにいるマミのおじさんに挨拶をすると、おじさんはいつものように優しく微笑んだ。


「ミーユ!」

「タツキ!」


 窓際の陽がたっぷりと差し込む席に座りながら、タツキは私に手を振っていた。

 約束の時間である午後3時10分前。いつも早めに着こうと思って来るのに、いつもタツキは私より先に来て、読書を窓際の指定席で本を読んでいる。


「今日は何読んでるの?」

「北野先生の新作ミステリー。もうちょっとでキリがいいとこまでいくから、ちょっと待っててくれる?」

「わかった。すいませーん!」


 タツキは読書が好きで、一度読みだしたら止まらないタイプだった。そんな読書をしているタツキの顔をこっそり盗み見るのが私の習慣だった。


「あ!ミユじゃん!来てたんだ!」

「マミ!今日もお手伝い?」


 私たちは高校一年生のころ同じクラスになり、仲良くなった。なんでも話せる友達だ。パティシエを目指しているマミは、修行をしつつ、このお店の手伝いもたまにしている。


「うん。あ、今日ミユの好きなショートケーキあるよ!」

「ホント?じゃあアイスティーと一緒にもらえる?」

「はいよー!」


 マミはそう言うと、厨房の方へと戻って行った。


「海に向けてダイエットする!って宣言してたの誰だっけ?」

「い、いいの!マミのケーキは特別だもん!」


 タツキが本から目を離して、ふふっと笑った。


「どうぞ」


 お盆にケーキとアイスティーを乗せて戻ってきたマミが、机に慎重にそれらを置いた。

 真っ白なクリームに、ちょこんと乗る真っ赤な苺。相変わらず、とってもおいしそうだ。


「うわ~!ありがと、マミ!」

「ごゆっくり」



 まず、ケーキのてっぺんに乗っている苺を指で取って口へ入れる。ケーキの苺は先に食べる派だった。前に、タツキに残しておいたら食べられてしまったことがあったから。

 そしてひとかけらフォークで切り取ってそれを食べると、甘さ控えめのクリームとスポンジの絶妙なバランスの取れたおいしさが口の中に広がる。



「ん~!おいしい!」


 やっぱり、マミのケーキはおいしい。お世辞でもなんでもなく、私が今まで食べてきた中で一番だ。


「おいしそうに食べるよね」

「だって本当においしいんだもん!」

「食べてるときの幸せそうなミユの顔、好き」

「な、なに!いきなり!」

「赤くなってる」


 私は照れをごまかすようにもうひとかけらケーキを口に入れた。


「俺にも一口頂戴」

「はい」


 フォークを差し出しても、受け取ってくれない。


「本、持ってるから手は使えません」

「なっ……!」


 こういうたまに仕掛けてくるいたずらが、私の心を今もドキドキさせていることを、タツキは分かってやっているのだろうか。


「あーん」


 口を開けて待っているタツキに、ちょっと周囲を気にしながら私は大きなかけらをすくって口に押し込んだ。


「あーうまっ!」



 私のちょっとした反抗はタツキの大きな口にはなんの効果もなかったらしく、満足そうに微笑んでいる。



 そんなふうにしていたら、そばにあった柱時計が三時を告げる音を奏で始めた――。




******




 時計のかわいらしいメロディーを聞いて、ハッと我に返る。

 待ち合わせの時によく流れていたこの優しい柔らかな音。



「この時計の音、好きなんだよな」


 タツキの言葉が、頭の中にぱっと甦った。


「もしかして……」



 私は立ち上がり、柱時計の方へと向かう。

 ガラス越しに内部の構造が見えるようになっているその時計を、そのガラスの小窓から注意深く覗いてみる。

 すると、中に見覚えのある、おそらく空色の封筒の一部であろうものが見えた。


 取っ手を持ってその小窓をそっと開けると、やはりタツキの手紙だった。




*****


ミユへ


3通目は、マミのカフェでした。

マミとミユ、仲よかったよな。

高校の時からケンカしたらよく助けてもらってさ。マミがいなかったら俺らが今一緒にいることはなかったかもしれないなって思うくらい、お世話になったよね。

ミユもマミになにかあったら、俺のことなんか放ってマミのところに行っちゃったりしてさ。ちょっとうらやましいと思うときもあったなあ。

でも、そんなミユの友達を大切にできるところも、俺は好きだよ。

あと、甘いものを食べてるミユの幸せそうな顔も大好き。


じゃあ、また次のところでね。

タツキ



******




 タツキの手紙を読み終わって鞄にしまい、マミの作ったケーキを一口食べた。



 もう、苺を奪ってきた私の大好きないたずらっこはいない。



 だからクリームの部分から食べると、ふわっと甘さが口の中に広がった。でもなんだかさみしくなって真っ赤な苺を食べたら、思いのほか酸っぱかった。



「ミユ」



 マミが来て、私の向かいに座った。


「あ、マミ。ケーキ、今日もおいしいね」

「ありがとう」


 マミのケーキはおいしい。だけど、タツキと分け合って食べたときはもっとおいしかった。確かに、もっともっとおいしかった。

 そんなことを考えながらケーキを見つめていたら、マミが私に声を掛けた。


「ミユ……バカなこと考えないでよ?」

「なに?バカなことって?」

「……なんでもないよ」


 私がそう言うと、マミは悲しそうなさびしそうな表情をしてかすかに微笑む。


「……伝言。だって」



 また、タツキが残してくれた言葉を人伝いに聞く。


 私は、タツキの言葉を考えて、それがどこなのか思いを巡らせていた。



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