二通目 高校の教卓の落書きの隣
俺たちが出会った場所で会おう
それが意味する場所を、私はよく知っていた。
でも、ショックで暫く部屋から出ることができなかった。タツキの亡骸に会いに行くことすら、怖くてできなかった。
タツキの香りで囲まれているベッドで眠ると、今もタツキがそばにいるような気がした。ベッドの中で目が覚め、タツキが隣にいないことに気づいて、私もこのまま目が覚めなければいいのに、と何度思ったことか。何か食べる気力すら起きなかった。
……でも、タツキが残した手紙を読み返していたら、あと五回はタツキに会えるのかもしれない、と思った。だから私は今、ここにいる。タツキと私が出会った、ここに――。
*****
高校三年生になり、親友の
その席に座ると、隣にすでにいたのはちょっと日焼けをしたスポーツが好きそうな男の子。
黒板に書いてあった名前は確か……北川くん。
「おはよう!俺、隣の席の
「
北川くんも、私のようにきっと黒板で名前を知ったのだろう。
一学年三百人以上いる私の学校では、なんとなく顔は見たことがあるけれど、名前は知らないと言う人は少なくなかった。
「ねえねえ、立花さん!」
北川くんは、よく私にキラキラした笑顔で話しかけてくれた。
「うわー今日も国語の教科書忘れたー!……立花さん」
「ハイハイ」
そして、北川くんはよく教科書を忘れて、私に見せてと頼んできたから、その度に机をくっつけて、一緒に一つの教科書をわけっこした。
「うわ……なにこれ……!」
たまに私が黒板を必死に写している間に教科書に落書きをされて怒ったこともあったけど、隣でにんまりと笑っている北川くんを見ると、その笑顔を見るために、いたずらされてもいいのかもしれないとまで思った。北川くんが隣の席になって、純粋に楽しかった。
……次はいつ、教科書忘れてくれるのかな、と期待をしたりもした。
******
「席替えをします」
だから、二か月ほど経ってみんなが席替えをしたいと言い始めたときは、どうにかして席替えをやめることはできないかと画策してみたりしたけれど、結局いいアイディアは生まれず、なすがままに席替えに参加した。
「……俺は運に任せる!!」
「北川くんは、どこの席がいいの?」
「んー、立花さんの隣」
「え?」
北川くんの言葉の意味を考えていたら、北川くんはいつものようににっこりと私に笑いかけた。
……きっと、いつもの冗談に違いない。
そう思ったけれど、私の心臓は、ドキドキと高鳴っていた。
「北川―お前の番!」
「おー」
北川くんが、前に出る。そして、くじを引いた。私は、自分の手の中にある5番の札を見つめた。
――どうか神様、北川くんが私の隣に来てくれますように、と願いながら。
しかし、私の隣に北川くんの名前が書かれることはなかった。
「……残念だなあ」
早速、席を変える。私は、窓際の後ろから二番目の席だった。北川くんは、真ん中の前から二列目。隣の席になった女の子と、二人で喋っている。
せめて、二人が視界に入らない席だったらよかったのに。そうすれば、こんな黒いもやもやした気持ちを胸の中に感じなくてもいいのに。
「ねえ」
そんな中、私の後ろの席の男の子が声を上げた。
「俺、目が悪くて黒板見えないから、一列目か二列目の人たちに変わってほしいんだけど、誰か変わってくれる人いない?」
「だってー誰かいる?」
「はいはいはい!」
何人かの生徒が手を上げている。その中には、北川くんも含まれていた。
******
「じゃあこれで帰りのホームルーム終わりにします。きりーつ。さようなら」
「さようなら」
一斉に鞄を持って、みんなが部活や塾へと向かい始める中、私も荷物を整理していた。
「やっぱ俺、運いいかも」
じゃんけんを無事に勝ち抜き、私の後ろの席を勝ち取ったのは、北川くんだった。
北川くんにずっと後ろ姿を見られているかと思うと、授業中はいつもよりさらに気が抜けなかった。
「できれば、立花さんの隣がよかったけど、後ろ姿が見られるっていうのも、なんかイイね」
イタズラな笑みを浮かべる北川くんのセリフを、どういう意味か頭の中で必死に考える。
すると、北川くんはそんな私を見ながら優しく微笑んだ。
「立花さん、俺……立花さんのこと、好きだよ」
「えっ!?」
北川くんの言った言葉に、思わず大きな声で聞き返してしまった。
だって、今、私のこと好きって言った、よね……?
まだ、教室には人がいる。数人でがやがやとおしゃべりをしていたせいか、こっちの会話は聞こえてはいないようだった。
「立花さんが、好きです。付き合ってください」
私の目を真剣な表情で見てそう言う北川くんの瞳に、射抜かれる。
「私も……北川くんが、すき、です」
人に聞かれないようにと思って言葉にしたら、語尾が消え入りそうになってしまった。
それでも、私の言葉を聞いた北川くんは、ぱあっと目を輝かせて笑顔になった。
「ほんと、に?」
「う、うん」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんと、に」
「や、やったー!!」
北川くんが万歳して大声でそう言うと、クラスのみんなは一斉にこちらを振り返った。
「あ、ごめん。嬉しくてつい」
はにかむ北川くんの笑顔が、とても好きだと思った。
「俺だけがこんなに好きなのかと思ってたから、嬉しい。超嬉しい」
「北川くんだけじゃ、ないよ。私もまた隣になりたいなって、思ってたもん……」
北川くんは、少し顔を赤くして照れているようだった。
「うわ、だめだ……可愛い」
「か、かわ……!?」
可愛いなんて男の子から言われたことなんてなかったから、顔に熱が集まってしまうのを感じた。
「ミユ」
「う、あ、ハイ!」
しかも名前でいきなり呼んでくるなんて……反則だ。
「慌てすぎ」
「だって、北川くんが……」
「タツキ」
「え?」
「タツキって呼んで」
「た、タツキ……?」
「よくできました」
そう言うとタツキは、私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
******
「なあなあ!せっかくだしさ、どっかに俺たちがいたって証、残そーぜ!」
無事に同じ大学に合格した私とタツキは、卒業式の余韻が忘れられずに、誰もいない教室に二人残っていた。
「えっ、でも、怒られるんじゃ……」
「大丈夫だって!ばれないばれない!」
タツキがイタズラっこのような笑顔をするときは、私が何を言っても聞く耳を持たないのだということを、この一年間の付き合いで知っていたから、止めてもしょうがないなと思った。
それに……卒業式だからか、ちょっとタツキのアイディアに賛成している自分もいた。
卒業したら、この思い出が消えてなくなってしまいそうだったから。
「どこがいいかな~」
「机の裏、とか?」
「でもさ、机だと案外ひっくり返したりするからバレるんじゃない?それに、机買い替えたりとか、あるだろうし」
「確かに……」
「あ!」
タツキは何か閃いたらしく、にいっと笑った。
*****
「懐かしい……」
3-8と書かれた教室に一歩足を踏み入れると、ふわっと懐かしい香りが鼻を掠めた。自分たちがいたときよりも机が一回り大きく、新しい物に変わっていたことを除けば、あとは一緒だった。
「ここの席だ」
廊下側から四列目の、一番後ろ。それが、一番最初の私の席だった。その隣が、いたずら好きのタツキだ。
ここで、何度タツキと一緒に笑ったことだろう。一緒に勉強して、一緒にお弁当を食べて、一緒にふざけて……。高校時代の思い出が、ぶわっと頭に甦る。
「ミユ!よく来れたな!」
そんな声が前から聞こえた気がして、思わず教卓の方を向いた。
「……そう言えば」
卒業式の日、教卓に二人で落書きしたことをふと、思い出す。
「あ」
教卓の裏を見ると、そこにはタツキと一緒に書いた私とタツキの名前が、薄くはなっているがそこに確かに残っていた。そして、その隣にはアツヒコくんからもらったものと同じ空色の封筒が貼ってあった。
*****
ミユへ
これを見てるってことは、無事にアツヒコから手紙を受け取って、俺たちが最初に出会った、3年8組の教室にいるってことだな!まずは一通目、お疲れさん!
でもあと4通あるからな!油断するなよ~笑
俺が初めてミユを見たのは一年生の頃で、廊下ですれ違って、「この子めっちゃかわいい!」ってずっと思ってた。つまり、初めて見たときからおれ、ミユにピンと来てたんだ。
で、三年生までまったく接点がなくって、話しかけるチャンスもなかったから忘れてたんだけど笑、神様のいたずらか、まさかの隣の席になってさ。
正直、めっちゃチャンスだと思った。だから、たくさんわざと忘れ物して、ミユと喋れる機会無理やり作ってたんだ。知らなかっただろ?優しいミユは、しぶしぶ文句いいながらも、俺に毎回机をくっつけて見せてくれてさ。
そんなミユが俺、すっごい好きだった。今も好きだけど!
さあ、次の手紙は、どこにあるでしょう?ミユなら、わかるよね?
じゃあまたあとで。
タツキ
*****
「先生、ありがとうございました」
九年前、私たちの担任だった工藤先生は、まだこの学校で教師として働いていた。三十代で若めの男の先生だったのに、もう髪の毛にはちらほらと白髪が混じっている。
私はあまり行ってなかったけれど、同窓会をやるために友達がアドレス交換をしていたので、その子に連絡を取って教えてもらい、今回学校にいれてもらったのだ。
「誕生日より、ちょっと早めに来たんだな」
「ハイ。……先生、タツキもここに来たとき、先生に?」
「ああ。お前らがまだ付き合ってたなんて、知らなかったよ」
そう言って微笑む工藤先生は、高校時代の時からよく私たち二人を気にかけてくれた、とてもいい先生だった。悪いことをしたらきちんと怒り、いいことをしたらきちんと褒めてくれる。そんな当たり前のことを当たり前にしてくれる先生だった。
「お前たちの卒業した年はな、俺がこの学校に赴任してきて、初めて三年間を通して担当した学年だったから、思い入れがあったんだ。巣立っていった時、寂しくてな……」
「確か先生、卒業式の時泣いてましたよね?」
「あれは……涙ではない。汗だ」
体育教師のいいそうな発言に、思わず少し笑みが零れた。
「……やっと笑ったな、立花。さっきから、体調が悪そうだったから、少し心配してたんだ。腕も細いし、ちゃんと食べてるか?筋肉をつけないと、老後老いるのが早くなるぞ?」
「先生、それ生徒時代の時も同じこと言われました」
工藤先生は、やっぱり変わってない。
「ハハ、そうか。そう言えば北川から伝言だ。ミユの歌声が好きだ。よく一緒に歌った場所で会おうって言ってたぞ」
工藤先生は、アツヒコくんが私に伝えてくれたように、タツキからの私への言葉を口にした。
私はタツキが死んでしまったことを先生に言おうか迷って、結局伝えるのをやめた。
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