第6話 星の胃袋亭


 時計が午後八時半を差す。

 台所に、鏑矢家の三男、キョウジが現れた。

「結局、エンジュは起きなかったのか」

 彼は上の兄同様に、身長も高くてごつごつとした骨格をしているが、手足は細く、伸びた髪を後ろで一つ縛りにして、丸眼鏡をかけ、猫背でのそっとしている。兄弟一、穏やかな性格をしており、体よりも頭を動かす作業に秀でているため、人類連合の支部では表向きは存在しないことになっている諜報部に所属している。この日は非番だった。

 夕食の食器を拭きながら、この家の女中であるフミが、

「何度もお呼びしたんですけど、ぐっすり眠っていらっしゃるようで……」

「そっか」

「お起ししようと思って、一旦お部屋に上がったんですが、仰向けのバンザイですやすや寝てらっしゃいました」

「仰向けのバンザイで。あいつそんなに寝相悪かったっけ」

「ええ、珍しいですわ。それに、お手々も大分ぽかぽかしてらっしゃったので、これはしばらく起きないなあと。お布団をかけておいたので、お風邪をひかれないと良いのですが」

「何だかあいつ、ますます猫っぽくなってきたな」

「ですが最近、エンジュさまはご飯もたくさん召し上がるようになりました。前までは、ごはんを四合炊いてたんですが、今では六合は炊いても足りないくらいです。お弁当も残さないようになりましたし、エンジュさまは前よりぐっと、健康になられましたわ」

「そうだな。エンジュが夜中に起きた時のために、おにぎりでも作っておいてくれるかい」

「ええ、もう出来てます」

「本当だ」

 テーブルの上には、きちんとラップのかかった大きなおにぎりの皿が置いてあった。

「フミさんが、変わらずエンジュのこと気にかけてくれてるようで、助かるよ。『亜人』になったとはいえ、エンジュはエンジュだ。本人が一番ショック受けてるみたいだから、おやじも俺もセツ兄もタツ兄も、あんまり構わないようにしてるけど」

「まあ、それじゃエンジュさま、お寂しいんじゃありません? せめて心配してることくらいは、ご本人にお伝えしてもよろしいのでは?」

「ははは、そうしてやりたいのも山々だけど、俺たちは……エンジュに嫌われてるだろ。歳だって離れてるし、なんていうか……今更、どう接したらいいか、分からないんだよ。あいつが生まれた時は、セツ兄もタツ兄も微妙な年頃だったしさ」

「あら、そうなんですの?」

「うん。そっか、あの頃はまだフミさんうちで働いてなかったんだっけ」

「ええ、そうですね。わたくし今年で二十八ですが、雇っていただいて八年くらいですので」

「そっかよく考えてみればそうだったな。セツ兄と同い年だし。じゃあ、あれはキヌエさんがいた頃か。そう、よちよち歩きのエンジュに剣の稽古を邪魔されて、セツ兄が苛立ってた時期があってね。

 タツ兄は逆に構おうとして、エンジュが泣いて嫌がっても無理やり高い高いやって池に落としたりなんかしてたんだけど。おかげで、エンジュは未だに二人に対してビクビクしてる。タツ兄も、何事にも一直線――っていうと聞こえが良いけど、すぐ手が出る性格だしな。

 それで俺は、いてもいなくても変わらない、みたいな感じでずっとスルーされてたし。険悪だったわけでもないけど、こうなると、かえって今から仲良く、ってのも難しいんだ」

「きっとエンジュさまが、お忙しいお兄様方に遠慮する気持ちもあるんだと思いますわ。でも、そうですわね……例えば、キョウジさまがエンジュさまにお勉強を教えて差しあげれば宜しいのでは?」

「あいつ、学校の成績トップだからなあ……」

「まあ」

「そんなわけで、俺たちがあいつにしてやれることって、あんまり無いんだよ」

「わたくしは、そうも思いませんけどね」

「?」

「『家族だから』という理由で仲良しこよしを無理強いする気は毛頭ありませんが、それでも家族である以上、エンジュさまが可愛いのでしたら、もっとその気持ちを大事にして、お互い歩み寄っても良いような気がしますわ。エンジュさまももう、泣いているだけの小さな子供ではないのですから」

 キョウジははっとする。

「フミさん、俺たちのことよく見てるね」

「ええ、もちろん。この家の一切を任されている身ですもの」

「フミさんの言うとおりだね。それで具体的に、どうしたらいいだろう? 俺にはその手段が思い浮かばないんだ」

「そうですね。手始めに、明日のお仕事帰りにプリンでも買ってきて差し上げたらいかがでしょう? エンジュさまの好物ですし。更に、わたくしの分もありましたら、お仕事がもっと捗ります」

 キョウジは、笑い出した。

「はは、さすがフミさんだ。分かった。そうしてみる」





 閉店時間を迎え、レストラン『星の胃袋亭』の看板を下げようと外に出た鈴野森ジンカのもとに、眼帯の男が近づいてきた。

「久しぶり。元気かい?」

「エンヤ……!」

 エンヤと呼ばれた男は、右目に黒い眼帯をしていた。眼帯の下には、眉から頬にかけて大きな火傷が走っている。袖と革手袋の間から見える手首には、ざっくりとした古い刀傷があった。

「この間は、強盗をぶちのめしたんだってな。君、だいぶ有名になってるぞ。お手柄メイド強盗撃退、なんて」

「私メイドじゃないし、それに強盗にトドメを刺したのは店長だわ」

「まあ、メディアなんていい加減なものさ。露骨な書き方した方が、儲かる。いつの時代でも」

「ふん、そのお陰でこっちはいい迷惑だわ。あちこち記者が追い回してくるようになって、プライバシーなんてあったものじゃない。最悪の毎日を送ってるのよ」

「はは、それはそれは可哀想に」

 エンヤは煙草に火をつけた。

「それで、何の用かしら? からかいに来たのなら、帰りなさいよ。もうお店閉めるから、なにも出せないわよ」

「まあそうツンケンするな。すぐに済む」

 エンヤは声をひそめる。

「――『荼毘』の調子はどうだ?」

 彼は、ジンカに『燃える馬』を授けた男だった。

「どうもこうも、相変わらずよ。ずっと、私の中で唸ってるわ」

「出せ、奔らせろ、と? ヒトの悪意に反応して、罪を喰い回る凶暴な駿馬。どうにか制御できてるようで安心したが、それでも気を付けろ。人類連合は、『馬』の捜索を強化している。君ももう、このアリノヒフキ区を離れる頃合いかもしれない。覚悟はしておくんだぞ」

「覚悟なら常にしてるけど、引っ越すとなるとすぐには無理だわ。いまお金無いし」

「それならいくらでも都合してあげよう」

「結構よ。一応、足がつかないように、他の区に出向くようにしてるし」

「まさか、この店の居心地が良くて、離れたくないのか?」

 その瞬間、ジンカの身体を包むように、炎が舞った。

 炎は馬の形をしたが、瞬きするともう消えていた。

 エンヤの咥えていた煙草だけが灰になってぼろりと地面に落ちる。

「くだらないこと言うなら、もう帰ってよ。私、まだ仕事中なのよ」

「分かった分かった。そうカリカリするな」

 エンヤが新しい煙草に火をつけようとして、ジンカに睨まれる。ジンカは煙草が嫌いなのだ。

 エンヤは話題を逸らそうとして、

「近頃、何か変わったことあるかい?」

「変わったこと? ううん、まあ変わったことって言ったら、この間の強盗事件が一番変わってるかしら。そういえば、あの日ちょっと変なお客がいたわ」

「変なお客?」

「そう。うちのお店、すこし前から店長の思いつきでジャンボオムライス始めたのよ。制限時間内に一人で食べきったらお代はタダな上、こっちが賞金出すってやつ。でも、量があまりにも多くて誰もクリアできないから注文も滅多に来ないし、来たとしてもネタ扱いで全然食べきれなかったり、大人数でシェアしたりって感じだったのよね」

「で?」

「それ一人で注文して食べきった奴がいたのよ。まあ、その直後の強盗騒ぎで有耶無耶になっちゃって、賞金とか店長も忘れてたから普通にお会計したんだけど」

「店としてそれはどうなのかといったところだが、そんなに変わった話には聞こえないな。その客がどんな大男だったかは知らないが、大食いくらい珍しいものでもないように思える」

「大男なんかじゃないわ。細くてなよっとした男の子よ。見かけによらず、っていうより、あの量は異常だったわ。絶対に残すか吐くかタッパー欲しいって言われると思ってたのに、ぼけーっとしたまま、いつの間にかぜんぶ食べきってたのよ。しかもそいつは、一緒にいた子の寄越したから揚げまで食べてたの」

「それはそれは……というか、よく君もそんなとこまで見てたな」

 ジンカは、エンジュのことを考えていた。

 儚そうな風情をして、過去の挑戦者たちに米の暴力と言わしめた量のオムライスを平然と腹に収めた青年のことを。

「そうか……。まあ、君がその男の子になにか感じるものがあったのだとすれば、きっと彼には何かあるのかもしれないな。君の勘はいつも当たる。まあ、今日のところは僕も帰ることにしよう。それでは」

「さよなら」

 エンヤが消えると、ジンカもさっさと店の中に引っ込んだ。

 すると、カウンターの中から女将が顔を出して、

「随分時間かかったんじゃない、ジンカ」

「外で、変な人に話しかけられました」

 嘘は言っていない。

「またぁ?」

 女将は口をあんぐりと開けて、

「んもう、いい加減イヤになるわね。強盗やっつけてから、お客さんどっと増えてお店の宣伝にはなったけど、こう毎日時間も弁えずにマスコミに来られたら、ストーカーと同じじゃないの。一発ぶん殴ってやったらどう?」

「はは、そんな事したら、あっという間に暴力店員だの何だのって記事にされちゃいますって。適当にあしらっておきました」

「ふん。警察も警察よ。こっちは被害者だってのに、奪った銃をちょーっと撃ったくらいで過剰防衛だなんて怒るんだもの。細かいことなんていいじゃないの、ねえ」

「そうですね」

 警察や人類連合が、無能であればあるほどジンカには都合がいい。

 そして彼女は、『燃える馬』として夜の世界を荒らし始めてから、小さな犯罪が少しずつ減ってきていることを知っていた。

 しかし、『燃える馬』が凶悪犯罪の抑止になればなるほど、犯罪者は警戒し、成りを潜める。「罪」を食べられなくなった荼毘は、鬱憤を溜めてジンカの中で暴れるようになっていた。

「それよりジンカ、今日もごはん食べていくでしょ? いつもの通り、残り物ばっかりになっちゃって悪いけど、いま用意するから着替えて待っててね。あなたァー! 夕飯の支度おねがーい!」

「今やってるよ!」

「あ、ありがとうございます」

 ジンカが頭を下げる。

 仕事は忙しいし、レストランでの接客はあまりジンカの性格には向いていなかったが、店長夫妻はぶっきらぼうでろくに愛想笑いすら作れないジンカにも面倒見が良く、また、彼女の能力を大いに買っていてくれた。ジンカは過去にも、無銭飲食をして逃亡しようとした客や、ウェイトレスにセクハラをした酔っ払いを捻り上げたりしていた。

 店長夫妻は、それを怖がらなかった。

 ジンカは、子供のいないこの夫婦に、可愛がられていた。

 ジンカは天涯孤独である。あまり人に頼らない生き方をしてきたために、プライドが邪魔してなかなかそれを認められなかったが、素直に人に甘えるというのは、案外心地の良いものだった。

 だからこそ、この環境から引き離されたくなかったし、切り捨てたくないとも思った。

 しかし、ジンカの思いとは裏腹に、両腕に刻まれた刻印が熱を持つ。


 今日もまた、荼毘が奔れと騒いでいる。



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