宇宙の章

第9話

 衛星巨神決定から打ち上げまでずっとガラはクラウン社で缶詰となっていたため、誰にも別れの挨拶ができなかった。せめてドミニク医師には挨拶したかったな、と思っていたが、しかし、打ち上げ式の時に、自分の乗っているロケットの窓の外から知りあいたちがたくさん集まっているのが見て安心した。もちろんドミニク医師が見えたし、ジョーストやメラマなどかつて心を通わしたライバルもいた。今やすっかり足も元気なメラマが手を振ってるので、道化姿のガラ・ステラは手を振り返そうとしたが、身体が動かない事を思い出した・・・


「打ち上げ時のコストを削減するために、君の身体は”圧縮”される。」

 打ち上げより以前、ゴブルグ社長は言った。

「つまり君の身体に、ビルより高い衛星巨神の部品の全てが詰め込まれる。部品は極度に軽量化するために多くを融合し、身体と一体化する。」

「打ち上げるまでは人間の大きさのままという事ですね。」ガラは言った。

「・・・そうできたら理想的だが、実際は4mほどになってしまう。それでも十分軽量化されている。打ち上げの際、ロケットが目標距離まで着いたら、衛星の軌道に乗せるよう君を発射し、”圧縮”されていた君を”解放”するのだ。」


 ・・・社長は確かにそう言っていた。思い出したガラは窓の外を再び眺める。車椅子のデルブを連れた父ゲルミーがいた。デルブは悪い事をして精神が破壊されたみたいだけど、もう戻らないのかしら、とガラは思った。デルブは惚けた様子である。その隣に、なんとベンもいた。真顔でガラ自身の飛ぶロケットを眺めている。ベンの隣にはセリーシャがいた。同じく決然とベンに似た表情で。いつの間に二人は仲良くなっていたのね・・・と、ガラは妙な物寂しさを感じた。ロウジェベールの姿は無かった。ガラは知らなかったが、この日はどうしても出なければいけない用事があったのだ。

「発射まで残り30秒。」

 アナウンスが流れる。窓が塞がれる。ガラはゆっくり目を閉じた。

「残り20秒。」

 ベンは窓からガラの姿が見えなくなるのを確認してセリーシャを頷きあい、その場を去る。

「10、9、8、」

 ゲルミー社長はずっと真一文字の口でロケットを見つめ続けていた。

「7、6、」

 ジョーストは決然とした微笑を浮かべていた。

「5、4、3、」

 メラマは両手を組んで期待でワクワクしたように目に光を浮かべていた。

「2、1、」

 ドミニク医師は常に代わらぬ冷たい表情でロケットを見ていた。ただ、目の端に涙が一滴、滴り落ちようとしていた。

「発射。」

 足元が不安定になり、これから、飛んだ分の重力が自分の身にふりかかる、とガラは身構えていたが全く平気であった。(もう私の身体は特殊合金がうめこまれているからね。) ロケットに積み込む前の自分を思い出す。圧縮工事が終わって4mの動かぬ姿になったガラにとっては、その背丈の半分も満たない数人の屈強な男五人に運搬機に運ばれる事に、何だか恥ずかしさを覚えていた。打ち上げ時は自分よりも巨大なロケットの窓越しだったので、 最後に知ってる人たちを見るとき、ただ目が写っていたおかげで、身長差が気にならずにすむのはよかった、 とガラは思った。友達の前で4mの姿をさらすのはさすがに恥ずかしいからだ。

 友達・・・ベン・アドラはどうしたのだろう。ずっと前、セリーシャに騙されたとか言ってたから、てっきり仲違いしていたのかと思っていた。しかも自分の印象では彼は弱弱しそうだったのに今や精悍な顔立ちになっていた。セリーシャにまた騙されおだてられ自信でもつけたのだろうか。そうには見えない。なぜならばセリーシャの方が萎縮しているように見えたからだ。それに今更何を企もうがガラの知った事ではない。

 そしてガラはドミニク医師の事をも思い出す。ドミニクと話したのは3次試験の朝の検診だ。相変わらず無表情でガラを検診した彼。メガネの反射がまた冷たさをかもし出す彼。しかし本当のところ、彼は何を考えているのかしら、とふとガラは思ったの。

「もしかしたら今日で、最後かもしれないですね。」

 眼を検診するドミニクの手が止まる。「ああ、そうだね。」ドミニクはボソボソと 返した。「もしも試験がうまくいったら、そのまま会社の方に収容されて、手術される。それで君と僕は終わりだ。君の事を永らく見ていたが、ずっと健康のままだったよ。きっと私がいなくても大丈夫。」

 再びドミニクはガラの目を見て、「よし」と言って器具を頭から外す。

「あの、変な質問ですが・・・」ガラは言った。「ドミニク先生は今までもずっと私を検診していましたが、私の事をどう考えていましたか?」

 ドミニクはフッと笑って微笑んだ。「ガラ、私はエドマン・ステラ・チームとして検診している君の医師だ。それ以上でもそれ以下でもないよ。それにもし、君に対して特別な親愛の情を自覚したら・・・」ドミニクは口ごもった。「仕事に支障が来る、からな。」

 その言葉にかつてのガラは首を傾げたが、今になってもその意味は分からなかった。



 青空を作っていた空気が薄れ、徐々に光と闇の分かれた宇宙へと向かってる事をガラは実感した。このロケットはクラウン・ジョークを使っているのかな、 とガラはふと思った。


「クラウン・ジョークは」ゴブルグ社長はかつて言っていた。「本質的にマイナス のエネルギーを応用したものだ。」

「マイナスエネルギー・・・。」

「負の質量を持った物体がもつエネルギーを奪う性質があるエネルギー。冷凍光線や効率的な宇宙移動を可能とする。負の質量と正の質量の持った物体とをうまくかみ合わせ、引力や斥力のみで宇宙内を移動することができる。ふざけた性質だろう?・・・まさにジョークだ。」

「あの、変な質問なのですけど、なぜ道化なのですか?」

「それは道化でなければ勤まらないからだ。ガラ・ステラくん。」


『本当に道化みたいな娘だな。』ゴブルグ社長の言葉からジョーストのその言葉も思い出した。よくわからないけど、私は道化なのだ。そうだ。

『ガラ・ステラくん。』ゴブルグ社長の声がロケットの中から聞こえた。『まもなく衛星巨神発射に入る。ロケットから射出される。体勢を整えてくれ。』

 ゴウウウウウと激しい機械音と共にロケットが開きだす。空気が一瞬で奪われた ので音も呼吸も失われ、真空の抑圧があたかも自分の周りを充満するかのように感じた。『まもなく、発射する。』背中に機械を繋がれた自分の体が宇宙空間の中に押し出される。足下に青い地球が広がるのが見える。遥か前の方に小さな衛星がある。これから自分は地球の上に永遠に投げ出される。『発射!』物凄い速度で地球の上を滑り行く。衛星がどんどん迫り来るので速い速いと思う間に、何かが頭から手足先へと迸るような感触と共に、手足が伸びているように感じた。それはとても気持ちよかった。とてもとても気持ちがよくて、手足と胸がじんわりと熱く感じた。そして自分に迫り着ていた衛星がクルミ大になっていた事に気づいて、ああ、自分は大きくなっていたのか、”圧縮”が解かれ たのか、という事にガラは気づいた。もっともっと大きくなりたい、とガラは思った。まだまだ体は伸びきろうとしていた。それが、徐々に弱まるのを感じて、ガラは物寂しさを感じた。そしてその膨張が完全になくなった時、始めて自分は衛星になったのだ、 という事に気づいた。地球の周りを永遠に回り続ける存在。軌道に乗った無機物。 私はもう、人間ではなくなったのだ、という事実にガラは何とも言えぬ虚無感を抱いた。

 『おや、とうとう来たか新入り!』という声が聞こえてきた。見ると、目が真っ黒の王子の格好をした衛星巨神が空ろな笑いを浮かべてガラにゆっくり手を振った。

『俺は、衛星巨神”王子”。歌番組の放送を担当している。俺は歌が上手いんだぜ、ほら。』王子は後ろに通り過ぎながら歌っていた。『♪アラーラ、アララー、アーラ ララー、アラー・・・アア・・・・・・』

 王子は過ぎていく。会話を一言もしなかったな、とガラは思いながら地球をゆるやかに廻っていた。 自分は探査衛星との事だが、任務をまだ一つも貰っていない。今はゆっくりとこの宇宙を堪能すれば良いのか、とガラは寝そべるような格好で先を行く。

『あら、久しぶりじゃない。』と呼びかける声がした。振り返ると薄紫の山高帽と紫色のドレスを着た衛星巨神だ。王子と同じく目は真っ黒だ。

『あなたは・・・』ガラが聴くと衛星巨神はニコリと微笑む。

『私は”魔女”よ。』

『あ、メラマちゃんのお祖母さまですか!』

『ふふふふ。私はあの相談を頂いてからずっと見守っていたわ。ガラ・ステラ。』魔女は答えた。『衛星巨神はね、お互いの本名を知ってても普通は魔女や道化とコードネームで言うものなの。でも私はあなたに親しみを感じるから、名前で呼ぶわ。』

『ではわたしこそ。』

『サブレナ・ブルーチェットよ。』

『よろしくお願いします、サブレナさま。』

『ふふふ。』魔女は笑った。『ここ、最初は寂しくてつらい仕事だと思うわ。そん な時はいつでも話を聴く。それが衛星巨神”魔女”としての努め。』魔女は胸に浮かんでいる水晶に両手を翳す。『あなたが何のためにここに来たのか、その情熱を忘れな ければきっと何かが得られるわ。』

 魔女はそのまま去っていった。メラマの祖母というからに結構な歳のはずだが、 針のように長身で絹のような優しい色気をガラは感じた。不思議な人がここには沢 山いるのかもしれない、とガラは思った。


 しばらく廻っていると何かぶつぶつと喋っている声が左側から聞こえた。『・・・ であるからして人口はただいま2人増えてまた1人死に住居が一つ建ってニンジャ 社の株が3上がり人が3人死んで』金髪の少年の衛星巨神が紙を見ながら喋っていた。『さらに2人、いや3人増えて、ああ、忙しい忙しい!』

『こんにちは!』ガラが話しかけた。『お忙しいところすみません!私は先ほどから衛星巨神してます道化です!』しかし金髪の少年はガラをジロリと黒い目で見るなり『よろしくお願いします私は”学者”です』と答えたきりまた何か呟き始め、そのまま右に流れていった。無愛想である。つまらないなあとガラはふくれっ面をする。



 そして前の方から実に豪華で煌びやかなドレスを着た女性の衛星巨神が廻ってきた。こちらも皆に同じく目が黒い。

『こんにちは!』ガラは再び話しかけた。『道化です!先ほどから働き始めました!よろしくお願いします。』しかし衛星巨神はツンとした顔でガラを見つめるだけで何も答えなかった。『あの!お名前を!伺ってもよろしいでし ょうか!』しかし衛星巨神は答えない。

『あれは、”女王”だ。ニュース放送の衛星やるからって気取ってやがる。』と後ろから声が聞こえてきた。一見して黒くて厳つい人型ロボットの格好で、ロボットであることにガラは少し懐かしさを覚えた。顔は無い。『あなたは?』ガラは訊ねた。ロボットの格好をしたそれは答えた。『俺は軍事衛星”忍者”だ。衛星巨神は普通廻っているだけなのだが、 俺はお前と同じ、軌道から逸れて自由に動ける衛星巨神だ。だが、お前のクラウン・ジョークみたいな高等な動力源じゃなく、旧式の燃料を消費するジェットだけどな。。』

 忍者はそういって手を広げた。手からこぼれ落ちた小さなものを見てガラは驚いた。『それは私の乗っていたロケッ ト・・・』忍者の顔は穴が開いているだけで表情が見えないが笑っているように思えた。『これは以後使われない廃棄物だ。そして俺はこの宇宙のゴミを食って燃料にしている。』 そういって忍者はロケットを顔の穴に入れる。

『お前は、探査衛星だろう?道化。』とジェットを吹かしながら忍者が聞いたので 『はい。そうです。』とガラは答えた。『探査衛星も軍事衛星も基本的に任務がなか ったら暇だ。時々会ったら仲良く話そうぜ。』忍者は答えた。『ありがとう。ずっと寂しいかなと思ってたから嬉しい。』ガラは言った。



 その時ケタケタケタと何かが笑うのが聞こえた。南瓜である。黒く靡くマントの上に彫られた南瓜かぼちゃが乗っかっているという奇妙で単純なデザインの衛星巨神はひたすらケタケタと笑いながら『12、それは宇宙の真理、そうです、僕は生き物なのです、それがどうしたというのでしょう、それがどうしたというのでしょう』と意味の無い言葉を連呼していた。



『あれは・・・?』ガラが聞いた。

『あれは南瓜だ。何をするのか俺でもわからねえ。』忍者は答えた。

『そんなものもあるんですか。』ガラは驚いた。

『ああ。よほど酔狂な道楽で作られたんだろう。維持にこき使わされるパンプキン社の人たちは気の毒だな。まったく。』

『そういえば同じぶつぶつ言う衛星がありましたね。』

『ああ、金髪の少年なら学者、スカラー社だ。地図とか戸籍とかを管理している。』

『それでいつも人口がどうのとか言っているのね。』

『ああ。』

『忍者さん。』

『なんだ?』

『なんというかあなたの姿だけなんだか人間らしくないからか、親近感を感じるというか』

『人間らしくない親近感?』

『あ、しまった、ロボットのような姿だったので・・・』

『ロボットに親近感を抱くのか。』

『ええ、まあ。』ガラは少し恥ずかしくなった。

『そりゃ作られた人間だもんな。』忍者はうなづきながら言った。

『え、』ガラは驚いた。『私をご存知で?』

『そりゃ公開審査会の情報をキャッチしてればすぐに分かる事さ。』忍者は言った。

『だが公開審査会はあの魔女ばあさんで始めてだ。だから俺の正体を知る奴はおそらく居ないだろう。ふっふっふ。』

『名前は何て言うの?』

『教えない。』

『えー、これからも仲良くしていこうって言ってたのに。』 ガラは不満気である。

『親しいやつに名前を教える風習、誰かに聞いたのか?』

『魔女によ。』

『さすがお節介ババア。』忍者は鼻笑いしながら言った。『じゃ、そろそろ軌道離れそうだからここでお別れな。』

『・・・じゃあね。』ガラは、忍者が魔女をぞんざいな呼び方をしたのでちょっとふくれ面で返事をした。しかし同時に、忍者の本名も気になってしまった。一体彼は何者なのだろうとのんびりと考えながら地球の上をゆっくりと滑っていった。

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