第八章 輪廻

 マルミエール戸越103号室。カーテンが開かれた窓から朝日が注ぎ込んでいる。開けてある窓から爽やかな秋風が吹きこむ。秋風を体に受けながら、ベッドに座りエレキギターをかき鳴らしているさとし。

 「だいぶ勘が戻ってきた」

そう言うと少し微笑むさとし。

 「土曜の朝ってなんでこんなに気持ちいいんだろー、そうか!まだ酔いが冷めてないからか!うわ、気持ち悪……ハハハ!」

 「大丈夫かハイコ!そこで吐いちゃだめだよ、さとしんちのベランダだよ!」

ハイコとバーミヤンの声が窓の外から聞こえる。ギターを放り投げると立ち上がり窓に向かい、窓を開けるさとし。

 「って人んちのベランダで何してるんですか!」

さとしは思いっきり窓を開ける。すると塀の向こう側にハイコとバーミヤンが立っている。

 「あれ?なんでそんなとこに……」

ベランダにいないことに驚くさとし。

 「え?普通にここ国が作った道だよね?いちゃいけない?税金もまともに払えてないオレはいちゃいけない?」

バーミヤンが言う。

 「え?い、いやそんなことないっすよ」

さとしは少し焦って否定する。

 「どうせ音楽も、社会の一員としても中途半端だよ。いいんだ、オレなんて。この前なんて見ず知らずの人に手で×を書かれたんだ。ダメってことなんだ。こうやって×を……」

そう言うとバーミヤンは十字架を作るジェスチャーをする。

 「それ×じゃなくて十字架ですよ!むしろ人が罰から逃れるためにやるやつです!」

さとしはベランダから外に向かってツッコむ。

 「え?そうなの?」

バーミヤンはきょとんとしている。

 「そうですよ!だからバーミヤンさんは凄いんですよ!」

さとしは大きい声を出す。

 「伊達に紀元前から生きてないね!ハハハ!」

ハイコがバーミヤンの背中を叩いて笑う。

 「お、おう!よっし、やる気出てきた!」

バーミヤンは空に向かってガッツポーズをする。

 「てか外にいるなんて珍しいですね?どこ行くんですか?」

さとしが尋ねる。

 「ゴルゴタの丘!ハハハ!」

ハイコが笑う。

 「ってそこ一番行っちゃだめなとこ!」

さとしはツッコむ。

 「え?そこ楽しいの?」

バーミヤンが相変わらずきょとんとした顔で言う。

 「楽しくないです!だからどこ行くんですか?」

さとしは再度尋ねる。

 「かきね寿司だよ!」

バーミヤンは言う。

 「え?かきね寿司ってマンションの外にあるあのかきね寿司ですか?」

さとしは尋ねる。

 「そうだよ、あそこの寿司はこのマンションのクソ大家がやってて高すぎるから滅多にみんな行かないんだけど、今日はハッピーデーだからね!ハハ」

ハイコが笑顔で言う。

 「マルミエール気に入ってるのにクソ大家って!」

さとしはハイコにツッコむ。

 「マンションと住んでる人は好きだけど、大家はクソなんだもん、ハハハ!」

ハイコが笑顔で暴言を吐く。

 「さとしも来なよ!調度今呼ぶところだったんだ」

バーミヤンが言う。

 「あ、じゃあ行きます。でも何がそんなハッピーなんですか?」

さとしは不思議そうに尋ねる。

 「今日の午後ね、新しい仲間が引っ越してくるんだ!二階のテイジーの隣の部屋空いてるでしょ?あそこ!だからクソ大家からどんな人が来るのか聞こうと思って!」

バーミヤンが嬉しそうに言う。

 「だからバーミヤンさんまでクソって!大家さんかわいそう!会ったことないけど!新しい人か……とにかくオレも行きます」

そう言うと窓を閉めるさとし。


 マルミエール戸越一階のエントランスの右側の小さな寿司屋。『かきね寿司』と書かれたのれんがかかっている。


 寿司屋の中の座敷席に座っているさとし、バーミヤン、ハイコ、ドン、テイジー、トビー、シームレス。

 「半年以上住んでますけど初めて来ました」

周囲を見回しながら呟くさとし。

 「まあ来ない方がいいよ」

ドンがいつになく低いトーンで言う。そこへ寿司屋の店員のおじさんが伝票を持ってやってくる。

 「おうお前ら!めずらしいじゃねーかこんにゃろう!早く注文しやがれこんにゃろう、べらんめえ!」

江戸っ子口調で話かける店員のおじさん。

 「大家さん久しぶりです」

ドンがボソッと言う。他の面々は何も言わない。

 「マンションライフはどうだこんにゃろう!べらんめえこんちくしょう!」

激しく江戸っ子口調の大家。

 「楽しくやってます。とりあえず梅のセットを人数分ください」

低いトーンで注文するドン。

 「梅かよこんにゃろう、べらんめえ!了解したよこんにゃろう、べらんめえ!」

そう江戸っ子口調で言うとカウンターへと向かう大家。

 「ホントあのクソ大家、まともに話もできない、はぁ」

真面目な表情で溜息をつきながらハイコが言う。

 「えええ?確かに江戸っ子過ぎたけど、ハイコさんが話できないって、そんなことあるんすか!?」

さとしが目を見開いて驚いている。

 「あいつはクソだよ、悪い人じゃないけどクソなんだよなぁ。戸越って江戸を越えたところってのが由来だけど、あいつは江戸超え過ぎなんだよなぁ」

ドンも言う。テイジー、トビー、シームレスも頷いている。

 「あ、お茶……じゃなくてあがりもらいたい」

シームレスが呟く。

 「オレ頼みますよ。すみませーん!」

さとしがカウンターに向かって手を挙げる。

 「なんだべらんめえ!」

大家が大きい声で聞き返す。

 「お茶もらえますか?」

さとしが大声で頼む。

 「……」

無言の大家。

 「お茶!ください!」

さとしは更に大きい声を出す。

 「……」

聞こえてないのか無言で魚をさばいている大家。

 「お茶ください……あがりください!」

さとしは渾身の大声を出す。

 「あ?あがりな!始めっからあがりって言えべらんめえこんちくしょう!お茶とか専門用語使ってんじゃねーぞてやんでい、なんでんかんでん!」

湯呑を取り出しながらブツブツと言い続ける大家。面々の方を振り返るさとし。

 「なんでんかんでん……あれは……クソですね」

大きく頷く面々。


 かきね寿司の外。さとし、バーミヤン、ハイコ、ドン、テイジー、トビー、シームレスが店から出てくる。

 「結局新しい仲間のこと一つしか聞けなかったな……」

ドンが憔悴した顔で言う。

 「男……ってことだけ」

トビーもボソッと言う。

 「その百倍は『べらんめえ』って聞いた気がします……」

呟くさとし。

 「さとしが来る日もかきね寿司行ったんだよ。そして103号室に入るという情報しか貰えなかった」

シームレスがボソッと呟く。

 「土曜の朝が台無しだよ、べらんめえ……ハハハ。笑えない」

ハイコが暗い表情で無理して笑う。

 「まあ気を取り直して鼻見の買い出し行って来るよ!」

テイジーはそう言うと歩き出す。その時面々の前、マルミエール戸越のエントランスに一人の若者が立っている。中肉中背でこれと言った特徴がない若者。

 「お、新入り!?」

バーミヤンが手を挙げる。その声に面々の方を振り向く若者。一度合った目を逸らしエントランスへ入って行く若者。

 「おーい!」

エントランスに向かい走り出すバーミヤン。


 マルミエール戸越エントランス内。二階へと続く階段を上がって行く若者。そこへバーミヤンが勢いよく自動ドアから入って来る。

 「新入り!ちょっと待って!」

バーミヤンが笑顔で大きな声を出す。肩をビクッとさせ振り返る若者。

 「……」

無言で驚いた表情を浮かべバーミヤンを見つめる若者。

 「あ、ごめんいきなりでかい声出して」

バーミヤンは頭を掻く。バーミヤンの後ろに続いてドン、さとし、ハイコ、テイジー、トビー、シームレスが入って来る。

 「……ジーザス」

若者は胸の当たりに手を当て立ち尽くしている。

 「え?201に引っ越してきた人だよね?」

バーミヤンが尋ねる。

 「あ、はい。今日からお世話になります二階堂です」

若者は小さい声で言う。

 「二階堂?だから二階に行こうとしてたの?ハハハ」

ハイコが笑う。

 「201号室だから二階行くんでしょ!」

さとしがハイコにツッコむ。

 「……し、失礼します」

そう言うと逃げるように二階へと上がって行く若者。

 「あ……行っちゃった」

シームレスが呟く。

 「まあまあ、今日は鼻見もあるし後で異文化コミュニケーションしよう!」

ドンが笑顔で言う。

 「じゃあ今度こそ買い出し行くよ!」

そう言うとテイジーがエントランスから出て行く。

 「オレも手伝う」

そう言うとトビーもテイジーの後に続く。


 マルミエール戸越屋上。夕日が差し込んでいる。シームレスがクーラーボックスにビールやチューハイの缶を入れている。屋上に置きっぱなしになっているバンドセットの中からバイオリンを取り出し、古い茶色い革のソファに置き眺めているハイコ。ソファに座り読書をしているドン。サバの切り身が山盛りに盛られた皿を運んでいるさとし。七輪に火を付け団扇で仰いでいるトビー。その隣で腕を組み立っているテイジー。その時バーミヤンが屋上のドアから入って来る。

 「みんな、新入りがいくら呼んでも反応してくれないんだ……」

バーミヤンは悲しそうな顔をしている。

 「そうなの?まさかり貸すからドアぶち破っちゃいなよ!ハハハ」

ハイコがドアの方を振り返り満面の笑顔で言う。

 「そっか!その手が……」

バーミヤンが頷いている。

 「いや無いから!そんな力ずくでドア開けちゃだめでしょ!らしくないっすよ」

さとしがツッコむ。

 「そうだね。北風と太陽の話もあるしね」

ドンが言う。

 「北風と太陽なら私は南風に吹かれたい」

シームレスがボソッと言う。

 「それは気持ちよさそうだ」

トビーが言う。

 「南風の話は出てきませんから!」

さとしは大きな声を出す。

 「何で来ないのかな、遠慮してんのかな」

テイジーが言う。

 「何か理由があるんですよ……オレが行きます」

さとしが言う。

 「お、さとし!じゃあ一緒に行こう」

バーミヤンはそう言うとドアを出て行く。屋上の入口のドアへと小走りで向かうさとし。


 201号室前。バーミヤンがドアをノックする。

 「おーい!いないのー?いないならいないって言ってくれ!」

バーミヤンは大声で呼びかける。

 「二階堂さん、いないんですかー」

さとしも大きめの声を出す。

 「まさかりしかないか……」

バーミヤンは決心した顔でボソッと言う。

 「いやいや、まだ早いっすよ!時間がかかっても呼び続けましょう」

さとしはそう言うとノックをする。


 一時間後。

 「で、オレもそんなサバ好きじゃなかったんですけど鼻見で食べてからうまいな~って思ったんですよ」

さとしがドアに向かって語りかけている。

 「そうなの?さとしサバ好きじゃなかったの?」

バーミヤンがさとしに話しかける。

 「いや、嫌いじゃないですけどね、特別好きでもなかったです、って今二階堂さんと話してるんですよ!」

さとしは言う。

 「いいじゃん三人で話せば」

バーミヤンがすねた表情で言う。

 「そろそろ開けて下さいよ」

さとしが言う。

 「さとしの時はもっと時間かかったな~、楽しかった」

バーミヤンが言う。

 「オレの時って……そうか!まさかりでドアを開けるフリをすればビックリして出てくるかもしれませんよ!」

笑顔で呟くさとし。

 「そう言うと思ったよ」

バーミヤンはズボンの中からまさかりを取り出す。

 「えええ?そこに入ってたんですか?」

目を見開き驚くさとし。

 「はい!」

まさかりをさとしに渡すバーミヤン。

 「開けてくれないとまさかりでぶち破りますよ!」

そう言いながらまさかりを振りかぶるさとし。

 「何してんすか?」

とその時、さとしの背後から声がする。

 「何って、まさかりでドアを……」

まさかりを振りかぶったまま振り返るさとし。若者が冷たい目で見ている。

 「え?あれ?」

そう言うとさとしは若者と201号室のドアを交互にキョロキョロと見る。

 「犯罪ですよ」

若者はボソッと言う。

 「ち、違うんですよ、今から鼻見をやるから誘いに……」

焦るさとし。微笑みながらその光景を見ているバーミヤン。

 「花見?今秋ですよ?バカなんすか?」

若者はボソッと言う。

 「え……バカ……?」

さとしは唖然としている。

 「とにかくさ、今から上で鼻見って名前の飲み会やるからきなよ」

バーミヤンがさとしのまさかりを下におろしながら、上を指差して言う。さとしはまさかりを下ろすように窘められた感じに、怪訝な表情をしている。

 「それってまさか菜の花ですか……ジーザス」

胸のあたりに手を当て茫然とバーミヤンを見つめる若者。

 「菜の花の季節じゃないよ。今日は収穫祭だよ、秋サバの」

バーミヤンが言う。

 「収穫祭……ちょっとなら行きます」

そう言うと階段の方へと歩き出す若者。微笑みながら眺めているバーミヤン。まさかりを握り立ち尽くしているさとし。

 「……って家にいなかったのかよ!」

バーミヤンに手の甲でツッコミを入れるさとし。痛がるバーミヤン。

 「古傷が痛む……」

バーミヤンがボソッと言う。

 「いつのだよ!」

大声でツッコむさとし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る