第七章 それでも
マルミエール戸越屋上。雨が上がり水溜りが所々にできている。ビールやチューハイの空き缶が転がっている。古い茶色い革のソファーの上で一人眠っているバーミヤン。秋風が屋上を吹き抜ける。
「ん……?」
寝ぼけ眼で上半身を起こすバーミヤン。
「さぶっ!」
右手で左肩、左手で右肩を抑えた状態で小走りで屋上の扉へと向かうバーミヤン。
マルミエール戸越一階。二階へと続く階段から、肩を抑えたまま降りてくるバーミヤン。
「うー、さぶっ」
そう言いながら102号室のドアを開け中へと入るバーミヤン。
マルミエール戸越103号室。ベッドで眠っているリカ。その下の床にうつ伏せで眠っているさとし。さとしは微笑みを浮かべたまま眠っている。
薄暗い駅からマンションへの道をスーツ姿で歩いているさとし。
「あー疲れた。またこんな時間かよ、やってらんねー」
さとしはそう呟き溜息をつく。その時何者かがさとしの肩を叩く。
「さとし、やってられないの?そんなこと言ってもまた明日もやってられちゃうんでしょ?」
さとしが振り返るとシームレスがボソッと呟いている。
「うわ!びっくりした!」
驚くさとし。
「やってられないのにやってられるならやってやれば?一番になるかもよ」
シームレスは更にボソッと言う。
「いや、オレはもうやってられないんです!やりたいことを、一番を探してる途中だからやってられなくてもやってるんです!」
さとしは強い口調で言葉を返す。
「そっか、なら言うことないかもね」
シームレスはそう言うとさとしの前を歩き、マンションへと入って行く。
「素直?」
さとしはシームレスの後ろ姿を見て呟く。
マルミエール戸越103号室。さとしがエレキギターを抱え控えめに弦を抑えたまま弾いている。
「ドンドンドン!」
その時玄関のドアを叩く音がする。
「なんだ?こんな時間に……」
そう呟くと時計を見るさとし。深夜0時を回っている。玄関へと向かうさとし。ドアを開けるさとし。
「さとし!醤油貸そうか?」
バーミヤンが醤油を持って立っている。
「は?今何時だと思ってるんですか!」
さとしは大きめの声を出す。
「ごめんごめん、醤油貸すから塩麹貸して。どうしても塩麹が食べたくなって眠れないんだ」
バーミヤンが切なそうに言う。
「あの、塩麹って醤油ほどメジャーな調味料じゃないんで普通持ってないですよ!」
さとしは嫌そうな顔をして言う。
「そっか……」
残念そうな表情のバーミヤン。
「まったく、どのくらい塩麹食べたいんですか?」
さとしが尋ねる。
「そりゃ……すげー食べたい。塩麹が食べたいって想いにスーパーひとしくん出せるね」
バーミヤンは言う。
「分かりましたよ、ちょっと待っててください」
さとしはそう言うとキッチンへと向かう。
「さとし、一番は手に入れられそう?」
バーミヤンは玄関からさとしに話しかける。
「それは今探してますよ」
さとしはキッチンの下の戸棚に顔を突っ込みながら応える。
「そっか、早く見つかるといいね」
バーミヤンが笑顔で呟く。
「あった!」
さとしがキッチンの下の戸棚に顔を突っ込んだまま大きな声を出す。
「え?そんなとこにあったの!?」
バーミヤンは目を丸くして尋ねる。
「ほら!」
さとしは塩麹の袋を玄関のバーミヤンに向かって見せる。
「え?さとしの一番ってそれ?」
バーミヤンは驚いた表情をしている。
「そう、塩麹造りに人生を……かけないから!あんたが塩麹食べたいって言うから探してたんでしょ!こんなんが一番なわけないでしょ!」
さとしは大きな声でツッコむ。
「こんなんって……さとし、それは酷いな、塩麹に謝ってもらっていいかな?」
バーミヤンが少しムスっとする。
「え?何で謝んなきゃいけないんですか!」
さとしは言い返す。
「オレは塩麹に今この瞬間は全てを懸けたんだ、塩麹を使って料理をすることに全てを懸けたんだ、それなのに塩麹に失礼だよ、さとし!」
バーミヤンはいつになく大声を出し、さとしに掴みかかる。
「ちょっと!バーミヤンさんらしくない!」
さとしはバーミヤンに掴まれた肩を振りほどこうとして取っ組み合いになる。その物音を聞いてドン、テイジー、トビーが103号室の玄関に集まってくる。
「どうした!?」
ドンが片手に本を持った状態で声を出す。
「何もめてんの?」
テイジーがギターを肩に掛けたまま駆け寄ってくる。
「何があった?」
トビーが首からタオルを下げ洗面器を持って現れる。
「バーミヤンさんが……」
バーミヤンに掴まれたまま声を出すさとし。
「あー、バーミヤン、どんまいどんまい。人生山もあれば谷もあるし、川があれば海もあるし、元気があれば何でもできる、1、2、3、4、5、6!そう今日は10月6日だよ、ハハハ!」
そう言いながらエントランスから入って来るハイコ。
「ありがとう、ハイコ」
そう言うと大人しくなるバーミヤン。
「あー、そっか」
ドンもバーミヤンを見て頷いている。テイジー、トビーも同じく無言でバーミヤンに向かって頷いている。
「ありがとう、みんな」
そうボソッと言うと102号室へと戻って行くバーミヤン。不思議そうにその光景を見つめているさとし。
「え?何がどんまい?」
さとしは尋ねる。
「オーディション落ちたんだよ、たまにあるんだよ、あいつにも取り乱す時はね」
ドンは静かに呟く。
「でさ、さとしはどうなの?」
テイジーが真っ直ぐにさとしを見つめ尋ねる。
「え?」
さとしは聞き返す。
「そうそう、みんな気にしてる」
トビーも呟く。
「急かすつもりはないけどどうなのか心配だね」
ドンも言う。
「ホント。朝刊の一面飾れるくらいみんな大注目だよ、ハハハ!」
ハイコが笑う。
「そんなスグにまとまりませんから!しばらく考えさせてくださいよ!ほっといて下さい!」
さとしは怒鳴る。
「そっか、考えるのは大事だね」
ドンはそう呟くと手を上げ二階へと続く階段を上がって行く。
「楽しみにしてるよ」
テイジーもそう呟くと階段を上がって行く。トビーも無言で頷くと洗面器を持ったままエントランスを出ていく。
「楽しみだね!あ!まさかり磨かなきゃ!ハハハ!」
ハイコもそう言うと階段を駆け上がって行く。
「ふぅ」
溜息を付き玄関のドアを閉めるさとし。ドアを閉めるとその場に座り込むさとし。
「あの人たち……やっぱ人のプライベートにツッコみ過ぎで若干うざいわ」
複雑な表情で呟くさとし。
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