第四章 音
大井町の音楽スタジオにドン、バーミヤン、トビー、テイジー、ハイコがいる。
「よっしゃ、みんないい感じに仕上がってきたね!」
ドンが肩からベースを下げた状態で言う。
「シームレス遅いね、もうすぐ0時だよ」
テイジーが言う。
「あいつも忙しいからなぁ。でもそろそろ来るよ!」
バーミヤンが言う。
「トビー明日も四時起きなんだからシームレス待たずに帰って寝たら?」
テイジーがバイオリンの弓でトビーの肩をつつきながら言う。
「オレまだ全然うまくできないから、もう少しやる」
トビーがドラムスティックを眺めながら呟く。
「トビーが持ってるとお箸にしか見えない、ドラムスティック、チョップスティック!ハハハ!」
ハイコがトビーの方を見つめ、手を叩いて笑う。
「それにしてもハイコのバイオリンうまいな」
バーミヤンがボソッと言う。
「……バイオリンって何だっけ?ハハハ」
ハイコはいつになく低いトーンで応える。
「小さいころやってたの?」
テイジーが聞く。
「……バイオリンは友達だよ、ハハハ」
ハイコは少し俯きながら笑う。バーミヤンとテイジーはハイコの様子を見て顔を見合わせる。その時スタジオのドアが開く。
「遅れてごめん!」
シームレスが息を切らして入ってくる。
「お疲れ!まだ後1時間借りてるから大丈夫!」
ドンが言う。
「よし、それじゃ『マルミエーズ』本番近いから頑張ろう!」
ドンがベースの弦を弾き声を上げる。
「いくか!」
バーミヤンが声を出す。テイジー、トビー、シームレスが頷く。ハイコも笑顔で床に置いていたバイオリンを抱き上げる。トビーがドラムスティックで拍子を取り始める。
「1、2、1、2、3」
演奏を始める6人。スタジオから漏れた音が夜の静かな大井町の街に微かに響く。
マルミエール戸越103号室。
「ごめんね、別れよう」
リカがカーペットに正座をしたまま、落ち着いた声で言う。
「どういうこと?」
さとしはムスッとした表情でソファに座りながら言う。
「だから別れてください」
リカは淡々と言う。
「なんでだよ?理由聞かなきゃ無理だね」
「……さとし最近なんかいつも何かにイライラしてるし、大体私のこと本当に好きかもわからないじゃん。だから」
リカは俯く。
「なんだよそれ!相手が好きじゃなきゃ別れんの?」
さとしは怒鳴る。
「ほら、またイライラしてる。一緒にいたくないの、そんなさとしと。もう限界」
「お前そんなこと言って好きなやつでもできたんだろ!言い訳してオレのイライラしてるところとか使ってんじゃねーよ」
さとしは更に怒鳴る。
「ホントだよ!そんなさとしが嫌なのはホント。いい人がいるのもホントだけど……」
リカはさとしと目を合わさず、斜め下を見たまま言う。
「マジかよ。いいやついるのかよ……」
さとしは急に声のトーンを下げて言う。リカは黙って頷く。
「は、ははは。笑えるわ。オレだってお前が一番好きで付き合ったわけじゃねーのに。オレも結局一番じゃねーとは。笑える、笑わしてくれるわ」
さとしは作り笑いをしながら言う。目には涙が浮かんでいる。
「ひどい。一番じゃないのに付き合ったなんて言う必要あった?ホントもう無理。別れる、さようなら」
リカは立ち上がり大きな足音を立てて玄関へ向かう。玄関へと向かうリカに見向きもせず俯くさとし。
「バタン!」
玄関のドアが強く閉められる音がする。
「今は一番だけど……」
さとしはソファに座り俯いたまま呟く。103号室を静寂が包み、冷蔵庫のファンの音のみが響いている。
「ペタ、ペタっ」
バーミヤンがロンTにスウェット、サンダル姿で、マルミエール戸越の階段を上がっている。屋上の入口に付くとドアを開ける。
「お、ドラムセットなんとか入ったね!」
バーミヤンは威勢のいい声を出す。屋上にはドラムセット、バイオリン、ベースが置かれている。
「結構大変だった」
トビーが頭に白いタオルを巻いた状態で汗をぬぐいながら言う。
「野外ライブだね、もう10月だけどサマソニみたいだ!」
バーミヤンは満面の笑みを浮かべて言う。
「ついに解散ライブだね、ハハハ!」
ハイコがドラムスティックをくるくる回しながら言う。
「初ステージで解散かよ!」
バーミヤンがツッコむ。
「本当の結成はこれからだ」
トビーがいつになく渋い声で言う。
「だね!あれ?テイジーとシームレスは?」
バーミヤンが尋ねる。
「今キーボード運んでる」
トビーが言う。
「やべ、手伝わないとテイジーに怒られる!」
バーミヤンが焦った顔をして言う。
「もう手遅れ」
テイジーの声がする。バーミヤンの後ろの階段へと繋がる扉から、顔を真っ赤にしてキーボードを抱えるテイジーが顔を出す。
「あー重い」
テイジーが抱えている逆側でキーボードを持っているシームレスが呟く。
「ごめん!寝てた!」
バーミヤンが後頭部を掻きながら言う。
「あんたいいから今手伝え!」
テイジーがバーミヤンを睨む。
「おう!」
バーミヤンはそう言うとキーボードを真ん中から持ち上げ、スタンドの上に置く。
「よし、揃った」
テイジーが息を切らしながら言う。
「まだ揃ってないよ、ハハハ!」
ハイコが言う。
「そっか、さとしが来て初めて揃うんだもんね」
バーミヤンが言う。
「このメンバーにプラスさとしでマルミエーズだもんね」
シームレスが言う。トビーとテイジーも頷く。
「おーーーい、ちょっと待ったー!」
屋上の入口からドンが顔を出す。
「オレを、オレを忘れてないか?リーダーのオレを!」
ドンは片手をドアに掛け、キメ顔で言う。バーミヤン、トビー、ハイコ、テイジー、シームレスはドンを見つめる。しばらく見つめると後ろに向き直り、全員楽器へと向かう。
「やろうか!」
バーミヤンが声を出す。トビー、ハイコ、テイジー、シームレスは頷く。その光景を茫然と見つめるドン。
「よし、やろうって、無視ですか!?」
ドンが大きい声でノリツッコミする。
「いいから早くベース持ちなさい、リーダー!」
テイジーが強い口調でドンに言う。
「はい!テイジー!」
ドンはそう言うとベースへと駆け寄る。
「軽くリハいくよー!」
ドンがそう言うと、トビーがスティックを叩き、小さめの音で演奏が始まる。
演奏が終わる。
「よし、これで今日の本番頑張ろう!」
ドンがそれぞれのメンバーの顔を見て言う。全員頷く。
「それじゃさとし呼びに行くよ!」
バーミヤンはそう言うと階段へと向かう。
「私も行く!ハハハ!」
ハイコはそう言うとバイオリンの弓を屋上に置いてあるソファに投げ、バーミヤンの後を追う。
「うまく行くかな」
二人の背中を見つめながらトビーが呟く。同じく二人の背中を見つめるドン、テイジー、シームレス。秋の穏やかな風が屋上に吹く。
「ピンポーン」
バーミヤンが103号室のチャイムを鳴らす。
「さとしー、鼻見だよ!」
バーミヤンが大きめの声を出す。
「さとしが世の中で50番目に好きな鼻見だよー!ハハハ!」
ハイコがハイテンションで言う。
103号室の中。ベッドで横になっているさとし。
「うるせーな……」
寝返りを打つさとし。玄関の外から声が聞こえてくる。
「さとし、いないの?」
バーミヤンの声が聞こえる。
「さとし、いないなら返事して!ハハハ!」
ハイコが言う。
「いなかったら返事できねーだろ」
さとしがボソっと言う。
「あー!」
ハイコが甲高い声を出す。
「え?聞こえたかな……」
さとしは上半身を起こし玄関の方を見る。
「ほら、返事ないからやっぱりいるよ!ハハハ!」
「ホントだ!返事ないからいるな!さとしの気を感じるし」
バーミヤンの嬉しそうな声が聞こえる。
「なんだあいつら?バカなの?」
さとしは呟く。
「さとしー、早く開けてよ!」
バーミヤンが甘えた声を出す。
「さーとーしーくん。あーそーぼー!ハハハ!」
ハイコが子供のようにおちゃらけて言う。さとしはため息をつき、再び上半身をベッドに倒す。
「さとし、泣いてるの?大丈夫か?」
バーミヤンが心配そうな声を出す。
「さとし?さとし?まさかさとしに何かが?やばいよ、やばいって!」
ハイコが真面目な声を出す。
「もしかして殺されてるのかも!さとしー!」
バーミヤンが焦った感じの声を出し、玄関のドアを強くたたく。
「一分一秒を争うよ、蹴破ろう、それしかないよ!」
ハイコがまたもや真面目に言う。
「やばい、ハイコそこの消火器とって!」
バーミヤンがまたもや焦った声を出す。
「消火器よりこっちの斧の方がいいよ!」
ハイコが真面目な声で応える。
「まずは消火器から試そう!」
バーミヤンが焦り続けた声で言う。
「せーの……」
バーミヤンとハイコの声がした瞬間、さとしは玄関に走っていく。
「ちょっと待て!ドアが壊れる!!」
さとしは大声を出す。
「……」
ドアの外からは何も声がしない。
「あれ?静まった……」
さとしは玄関の外の様子を見ようと、ドアスコープを覗く。
「いないぞ」
玄関の外には誰も見えない。その瞬間バーミヤンが長髪を前に垂らした状態で、ドアスコープの中に下から這い上がるようにして映り込む。
「うわ、出た!」
さとしは一歩後ずさる。
「さとし、いたね!」
バーミヤンがドア越しに話かける。
「脅かさないでくださいよ!それにうるさ過ぎます!近所迷惑ですよ!」
さとしは怒鳴る。
「さとしー、近所は私らだから迷惑じゃないよ、近所が迷惑なのかも!ハハハ!」
ハイコが笑う。
「だからこのマンションだけじゃなく近所迷惑でしょ!」
さとしは不機嫌そうな声を出す。
「鼻見いこうよ!」
バーミヤンが言う。
「そんな気分じゃないんで」
さとしはドアに向かって言う。
「じゃあどんな気分?ハハ」
ハイコが優しい声で尋ねる。
「だから行く気分じゃないんです!」
さとしは強めに言葉を発する。
「だからどんな気分?」
ハイコがまた尋ねる。
「どんなとかじゃなくて、そんな気分じゃないって言ってんでしょ!しつこいな!」
さとしが怒鳴る。
「さとしー、どんな気分か分かってないならとりあえず行こうよ!ホントは行きたいけど行くのがちょっといやなだけかもよ!それでどちらかというと行く気分じゃないのかも!」
バーミヤンがささやくように言う。
「そこは完全に行きたくない気分ですよ!」
さとしははっきりと言う。
「そうかな?でもどんな気分かわからないってことはだよ、どんな気分か自分でも知りたいよね。一緒に考えるから行こうよ!」
バーミヤンが言う。
「だから自分がどんな気分かなんて分かってるから行かないんですよ!」
さとしが言う。
「その気分のままでいいの?私はやだ!ハハハ!」
ハイコが笑いながら真面目に言う。
「オレはいいんですよ!この気分で!」
さとしは言う。
「だーかーら、私はやだ!さとしがその気分でいるのが!ハハハ!」
ハイコが笑う。
「オレもやだよ、さとしがその気分でいるのは、どの気分かは知らないけどやだね」
バーミヤンが言う。
「どんだけ自己中なんすか!オレはいやじゃないんでほっといてください!」
そう言うとさとしは玄関からベッドへと戻る。
「さとし、じゃあ気分は変えなくてもいいから行こうよ!」
バーミヤンが更に話かける。
「気分そのまま、着の身着のまま行こう!ハハハ!」
ハイコが言う。
「……」
さとしはベッドで横になりながら聞いている。
「しつこっ」
さとしはそう言うと布団を頭から被る。
マルミエール戸越屋上。トビーがドラムの椅子に座り、ドンとテイジーはソファに座り、シームレスはキーボードを弾いている。
「遅いなぁ……」
ドンがボソっと言う。
「そうね、もうすぐ一時間……」
テイジーがスマートフォンの時計を見て言う。
「トン」
トビーがスネアドラムにドラムスティックを軽く落とし音を出す。
「……」
シームレスは無言で鍵盤を叩いている。
103号室。さとしが布団を被っている。
「それでさ、オレその客に言ったんだよ、やっぱり胡椒ってすごいですよねって」
バーミヤンが何やら出来事を話している。
「すごい!これは胡椒に免じてさとしも行くしかないね!ハハハ!」
ハイコが笑う。布団を思いっきりめくるさとし。
「なんなんだよ……もう一時間もよく諦めないな、あいつら……バカだな……」
さとしは上半身をベッドの上に起こし、困り果てた顔をする。
「じゃあ次はうさぎどんの話をしよう!ハハハ!」
ハイコが笑いながら言う。
「あ、中華丼の話もあるよ!」
バーミヤンが言う。さとしは玄関のドアまで歩いて行く。
「『どん』違いだから!分かりましたよ、負けましたよ!」
さとしはそう言うと玄関の鍵を開けドアを開ける。
「さとし!元気で良かった!」
バーミヤンはさとしを抱きしめる。
「ちょ、ちょっと!」
さとしは嫌悪を表情に表す。
「じゃあドンどんとこ行こ!ハハハ!」
ハイコも嬉しそうに笑う。
「ドンドンってドラムじゃん!ネタバレするから!」
バーミヤンがハイコに小さい声で言う。
「ドラム?」
さとしがバーミヤンに聞き返す。
「え?あ、コラムのネタバレね。最近さっきの胡椒の話でコラムを書こうかなっと!」
バーミヤンは焦った表情で苦笑いしている。
「とにかくレッツ鼻見!今日は十五夜じゃないけど月が出てないかもだけど屋上は気持ちいいよ!ハハハ!」
ハイコはそう言うとさとしの背中を押す。
「歩きますから押さないでくださいよ」
さとしは困った表情で、ハイコとバーミヤンに背中を押されながら二階へと繋がる階段を上がっていく。
マルミエール戸越屋上。ドン、テイジー、トビー、シームレスが依然として黙ったまま待っている。とその時、屋上のドアが開く。ドアが開く音に反応し、ドン、テイジー、トビー、シームレスは一斉にドアの方を見る。ドアからはさとしの姿。その後ろからさとしの背中を押しているバーミヤンとハイコの姿が現れる。
「だから押さないでくださいって!!」
さとしは嫌そうな顔でバーミヤン、ハイコの方を振り返りながら言う。
「お!さとし来たね!」
ドンがソファから立ち上がり、満面の笑顔で声を掛ける。シームレスがキーボードを鳴らし、その後トビーがドラムを軽く叩く。
「あれ?バンドやるんすか?」
さとしがその音と屋上の様子を見回し呟く。
「そうだよ!皆でマルミエーズってバンドを始めようと思ってね!」
ドンが言う。
「はあ、もの好きですね」
さとしは軽く頷きながら呟く。
「とにかく一曲聴いてみる?」
ドンが言う。バーミヤンとハイコはさとしの後ろからバンドセットへと小走りで移動する。
「はあ、聞いてみたいです」
さとしは低いトーンで言う。
「それじゃ早速行こうか!」
ドンが振り返りトビーを見つめ頷く。トビーがスティックを叩き始める。
「1、2、1、2……」
「ちょっと待って!」
トビーがドラムを叩こうとした瞬間、テイジーが大きな声を出す。
「その前に、さとしが眠れてない理由を教えて」
テイジーは言う。
「いやいや、そんな大した話じゃないんでいいじゃないっすか」
さとしは苦笑いをしながら言う。
「さとし、テイジーはさとしと約束したからギター弾いてないよ、ギター弾かせてあげてよ」
バーミヤンがセンターマイク越しに声を発する。
「え?」
さとしはテイジーの持つバイオリンを見る。
「マジでギター弾いてないんですか?あれから?」
さとしは驚いた顔でテイジーの方を見つめて言う。テイジーは黙って頷く。
「……」
黙り込むさとし。
「……分かりましたよ、話しますよ」
さとしは斜め下を見たまま言う。さとしの言葉にみんな黙って頷く。
「正直みんな大したことないと思うと思いますよ、きっと」
さとしは言う。
「さとしにとっては大したことなんでしょ?だから眠れてないんでしょ?」
テイジーが言う。
「大したことないかは本人が決めることだよ、さとしの気持ちの話だからね」
シームレスがさとしを見つめて言う。特に反応せずに斜め下の地面を見つめているさとし。
「オレ、何ていうか、人生いつも諦めてきたんです。むしろそういう星の元に生まれたって言うか……」
全員がさとしを見つめている。
「正直小さいころから本当に欲しいものがあってもそれに近いもので我慢して諦めてきたんです。ガキの頃から駄菓子屋で本当は300円の金券の当たる50円のチョコが食べたくても、当たらなかった時が怖くて、50円の金券の当たる10円のスナックで我慢してました。高校受験も本当は遠いけど勉強のできる高校に行きたかったのに、家から近い学力的にも安全圏の高校に入りました。大学も同じでそうやって一番望んだもを得ることなくやってきたんです。結局今の仕事も行きたいところに行けなくてなんとなく始めた仕事だし……」
さとしは淡々と話す。
「でもさとしはそんな生き方がいいんでしょ、ならそのやり方でいいんじゃない?その安定した普通のやり方で」
シームレスが言う。
「……そのはずなんですよ。それが正しいと思って、親にもそう言われて生きていたのに何かイライラするんですよ、何でですか?教えてくださいよ!」
さとしは語気を強め、顔を正面に上げる。
「じゃあそれは間違ってるんじゃない?」
ドンが言う。
「そんなはずはないです、間違ってはない!」
さとしはドンの言葉に被せるように即座に語気を強めたまま言う。
「さとし、オレは思うよ、やっぱり欲しいものは絶対に諦めないで手に入れようよ!」
バーミヤンが強い口調で言う。
「そんな簡単じゃないでしょ!」
さとしが返す。
「でもやろうよ!簡単じゃなくてもやろうよ!」
テイジーが言う。
「そうだよ、やってみたら以外と難しくないかもよ!ハハハ」
ハイコが笑いながら言う。
「じゃあさ、あんたらは人に言うほどやってきたのかよ?簡単に言わないでください!人の気も知らないで!」
さとしは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「知らないよ!だからみんな知りたいし、訊いてるんだよ!」
バーミヤンも語気を強めて言う。
「それを知って何の意味があるんですか!?何か変わるんですか!?」
さとしが怒鳴る。
「変わるよ!」
トビーがいつになく大きな声で言う。
「そんな簡単じゃないでしょ、人間は!」
さとしは更に怒鳴る。
「そうかな、簡単でも難しくもないんじゃないかな……」
ドンが言う。
「……」
さとしは黙り込むとそのまま振り返り、屋上の入口のドアへと向かう。そしてドアを出ると思いっきり屋上のドアを閉める。ドアの閉まる音が屋上に響きわたる。面々は暗い表情を浮かべ、誰も言葉を発しない。トビーがスネアドラムに両肘を付き頭を抱える。スネアドラムの音だけが寂しく響く。
「またあの時みたいになっちゃうのかな……」
テイジーが弱々しい声で呟く。
103号室。顔を真っ赤にしたさとしが玄関に入りドアを閉める。そのままドシドシと足音を立て部屋に入り、ベッドにうつ伏せに倒れ込む。棚の上に置かれたペンギン、くま、恐竜のぬいぐるみの内、恐竜のぬいぐるみがさとしの歩く振動で床に落ち、転がる。
103号室。昼なのにカーテンを閉め切っている部屋。外からは爽やかな鳥の囀りが聞こえる。さとしがベッドに座りスマートフォンで文字を打込んでいる。スマートフォンの画面には宛先に「鈴木理香」と書かれたメール作成画面。
(返事くらいして欲しい)
スマートフォンに打込んだ文字をじっと見つめるさとし。大きく深呼吸をするとメールを送信する。さとしはスマートフォンをベッドに置くと仰向けに横になる。仰向けになったまま棚に置かれたペンギンとくまのぬいぐるみを眺めるさとし。恐竜のぬいぐるみは床に転がったままの状態。
「そういえばあれから一週間か、マンションのやつら会ってないな……」
さとしはそう呟くとボーっと天井を見つめる。
103号室の2階上の303号室。ドン、バーミヤン、ハイコ、トビー、テイジー、シームレスが集まっている。
「もう一週間だね」
テイジーが言う。
「そうだな。こうしてる間にもさとしはもっと落ち込んでるんだろうな」
バーミヤンがボソっと言う。
「でもまたあの時みたいになったら……」
テイジーが小さめの声で言う。
「そうだね、二度とやだね」
シームレスもテイジーの顔を見て言う。
「難しい……」
トビーが呟く。
「笑えない……ハハハ」
ハイコが作り笑いを浮かべ呟く。
「ソボク……」
ドンがそう呟いた瞬間、全員がドンの顔を見つめる。
2年前の夏、マルミエール戸越。屋上で鼻見が開かれている。
「ソボクが来てもう半年だね、正確には六か月だね!ハハハ」
ハイコが笑い、ソボクと呼ばれる坊主頭で長身の男の背中を叩く。
「そうだね」
ソボクと呼ばれる男は低いトーンで呟く。
「ソボクは大人しいからね、言いたいことがあるなら何でも言ってよ!」
バーミヤンが言う。
「大丈夫」
ソボクと呼ばれる男は一言だけ呟く。
「ソボクとオレらは仲間だからね、ただ口数少ないだけで何でも言ってくれてるよね」
ドンが笑顔でそう言う。
「ホントに?」
トビーがソボクの浮かない表情を見て聞く。
「う、うん」
小さく頷くソボク。
「思ってることありそうだね、言えばいいのに」
シームレスが淡々と言う。
「何?」
テイジーがソボクに対して質問する。
「……正直」
ソボクと呼ばれる男は呟く。
「何?言ってみて!」
テイジーが聞く。
「正直、オレあんたらの仲良しごっこみてると反吐が出そうになるんだよな。人の気も知らないでいいことしてるかのようにオレのプライベート詮索してきてよ。オレ友達なんていらないんだよ、むしろいない方が楽なんだよ。だからお前ら独りよがりなだけで結局オレのこと何も知らないんだよ。ほら今だって驚いた顔してんだろ」
ソボクと呼ばれる男は淡々と低い声で話す。ドン、バーミヤン、ハイコ、トビー、テイジー、シームレスは茫然と聞いている。
「だから言うよ、表面上だけの『仲良しごっこ』なんだよ」
ソボクと呼ばれる男は続ける。
「そんなことないよ!」
バーミヤンが言う。
「それがそうなんだよね」
ソボクと呼ばれる男は不適に笑う。
「お前、そんなこと思ってるなら早く言ってくれれば」
トビーが言う。
「あのな、オレはお前らを仲間だと思ってないから言わないだけだよ。理解しろよ」
ソボクは嘲笑を浮かべる。
「ひどい……」
テイジーが呟く。
「ほらな。ちょっと不都合なこと言われたらそうやって思うだろ。オレなんてもう仲間じゃないってホントは言いたいんだろ。安心しろよ、オレ元々仲間じゃねーから」
ソボクと呼ばれる男は尚も淡々と言う。
「……ハハハ」
ハイコが力なく笑う。
「ごめんな、ソボク。オレらお前のことちゃんと分かってなかった」
ドンが呟く。
「これからもっと知っていくよ!仲間だと思ってもらえるように!」
バーミヤンも大きめの声で言う。
「遅い遅い。それでは皆さんオレは明日引っ越しますんで、さようなら」
ソボクと呼ばれる男はそう言うと手を頭の上で大きく振り、ドアへと向かって歩き出す。
「ソボク!待って!逃げるの?」
シームレスが怒鳴る。
「引っ越しの準備してることも知らなかっただろ?」
ソボクは面々を見回す。皆茫然と立ち尽くしている。
「じゃあね」
そう言うとソボクと呼ばれる男は屋上のドアを出ていく。
現在のマルミエール戸越303号室。ドン、バーミヤン、ハイコ、トビー、テイジー、シームレスが浮かない表情を浮かべ座っている。
「ソボク……ごめん」
ドンが呟く。
「同じ想いをさせたくない……さとしには」
ドンが小さい声で言う。
「そうだね……」
バーミヤンも頷く。
「でもどうしたら……」
テイジーが呟く。
「悲しい鼻見はもういや……ハハ」
ハイコが呟く。
「うーん……」
頭を抱えるトビー。
「怖いね……正直」
シームレスも呟く。303号室を静寂が包む。外からは爽やかな鳥の囀りが聞こえている。
それから一週間後の103号室。外は小雨が降っている。昼なのに薄暗い部屋の中で、ベッドに座りスマートフォンに文字を打込むさとし。スマートフォンの画面には宛先に「鈴木理香」と書かれたメール作成画面。
(オレが悪かった。もう一度会って話がしたい。お願いします)
文字を打込み終わるとすぐに送信する。さとしはスマートフォンを閉じる。と次の瞬間スマートフォンの着信音が鳴る。慌ててスマートフォンを開くさとし。
(MAILER-DAEMON)
画面には宛先不明の送信不可メッセージが表示されている。
「……マジか」
ボソっと呟くさとし。スマートフォンがさとしの手から床に滑り落ちる。
「もう二週間、マンションのやつらも全然話に来ないな……」
その時玄関のドアの外から声が聞こえてくる。
「……ハハハ」
「もう少しだ」
ハイコの笑い声とバーミヤンの声が聞こえる。その声を聞くと、さとしは咄嗟に玄関の方へと走って行く。玄関のドアスコープから外を覗くさとし。103号室に見向きもせず、2階へと繋がる階段を上がって行くコンビニの袋を持ったバーミヤンとハイコの姿が見える。しばらくドアスコープ越しに二人の様子を見つめるさとし。
「……諦められたのかな、オレ」
そう呟くと玄関に座り込み俯くさとし。
「結局いいこと言ったってあいつらだって諦めてんじゃん。人間なんてオレも世の中のやつも同じで、変わることなんてできないんだよ。結局諦めて生きてんだよ」
俯いていた顔を上げ、虚ろな目で斜め上を見るさとし。玄関の棚の上に放置されていた『問題解決プロフェッショナル』と背表紙に書かれた本が目に入る。さとしは無言で本を掴み表紙をしばらく見つめる。無言のまま表紙をめくり目次を眺める。目次のあるセンテンスが目に入り、一点を見つめるさとし。『第一章ゼロベース思考』と書かれた章の第一節の辺りを見つめている。
「自分の狭い枠の中で否定に走らない……」
さとしはそのセンテンスを声に出し呟く。
303号室の前の廊下。バーミヤンとハイコがコンビニの袋を持って歩いている。303号室の前に着くと傘をドアの横に立てかけ、ドアを開く。
薄暗い303号室。ソファには眉間を抑えた状態で座っているドンと腰を深く落とした状態で座っているトビー。ソファの前のガラステーブルに突っ伏しているシームレスとホワイトボードマーカーを持ったまま窓辺で項垂れているテイジー。そしてソファの正面には文字や図形で埋め尽くされたホワイトボードがあり、丸められたメモ書きが床に散乱している。皆一様に憔悴した表情で玄関の方を見つめる。
「お疲れだね、朝から何も食べてないから腹ごしらえしよう」
バーミヤンが笑顔を浮かべコンビニの袋からおにぎりを取り出す。
「甘いのもあるよ!ハハハ」
そう言いながらハイコがコンビニの袋から柿の種を取り出す。
「ありがとう」
力なくドンが言葉を発する。
薄暗い303号室でおにぎりやサンドイッチを黙って食べるドン、バーミヤン、ハイコ、トビー、テイジー、シームレス。
「いくら考えても同じ結論にしかならない」
ドンが静寂を破って言う。
「そうね、結局答えのないことをいくら考えても同じなのかも」
テイジーが疲れた声で言う。
「それなら思った通りに行くべきだね。思わない方で行くってこと自体おかしいけど」
シームレスも言う。
「やっぱり遠慮っていう諦めをしたくない」
トビーも力強い声で言う。
「楽しくないと思われるかもな事も笑うためには必要、ハハ」
ハイコも真剣な眼差しで呟く。
「よっしゃ、結局知恵熱いくら出したってさとしには伝わらない!ホントのさとしを知ることを諦めないってことだね!」
バーミヤンが立ち上がる。
「そう!それと自分たちのことをさとしに知ってもらうことも大事!」
ドンも立ち上がる。
「マルミエーズになるために!」
テイジーも立ち上がる。
「見せる」
トビーも立ち上がる。
「しつこいの大好き、ハハハ!」
ハイコも立ち上がる。
「絶対に逃がさない!」
シームレスも立ち上がる。小雨が止み、薄暗かった部屋に日差しが差し込む。
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