後編:サーキットの追う髪

 俺は正直、ジェット・コースターが嫌いだ。

 怖いというのもあるが、一番の理由は髪の毛がすべて吹き飛ばされそうなあの勢いと風圧にある。


 いや、以前に乗った際、俺のケラチン・たんぱく質で出来た金の延べ棒よりも貴重な多くの髪の毛たちが犠牲になったことだろう。

 

 後ろに傾く背中を座席に預けて、強制的に空を見上げながら俺は思った。

 その隣では鷹山が既に頭を抑えながら少しばかり目力を入れている。


 俺たちを乗せたジェット・コースターは、チェーンと滑車が絡み合った音を放ちながら少しずつレーンを上昇している。


 席は幸いにも一番後部であり、後ろを気にしなくていいのは助かる。


「まるで果てしなく遠い、何かの坂を昇っているようだ」


 俺はなるべく犠牲が少なく済むように頭を押さえながら呟く。

 実際はらくだの背中に例えてキャメルバックという構造名らしい。


「ジェット・コースターの柱って骨みたいですね。がしゃどくろの背中を登っているようです」


 上手い例えに俺は思わず心の中で拍手を送る。鷹山のボキャブラリーセンスは意外と侮れないと俺は密かに感心していた。やはり天然の発想は違う。


「ところで鷲頭くん」

「ん、なんだ?」


 俺は鷹山の方を向くと、様子が変なことに気付く。

 まるで、この前のクラブ活動紹介のときのように蒼白の表情を見せていた。


「どうした?まさかカチューシャに何か不具合か!?」

「い、いえ、そうじゃなくて、今って高さ何メートルくらいでしょう?」


「高さか?ええと…60m地点みたいだ」

「ろく…じゅう…」


 俺は近くのレール傍に掲げられた高さプレートを読む。


「鷲頭君。私、高いところは大丈夫って言いましたよね?」

「ああ、言ってたな俺は苦手だから羨ましい」


「ごめんなさい。私、20mくらいの高さは大丈夫ですけど…それ以上は駄目みたいです…」


 そう言いながら、鷹山は頭を押さえていた両手をブラリと落とす。

 そして、ガラスのマスクのような白目をこちらに向けていた。


「おい鷹山?鷹山さん?たーかーやーまーさーん?」


 返事がない。ただの気絶のようだ…って、冗談じゃねえぞぉおお!!

 そ、そうだ、緊急事態だ。


 何とか係員に知らせて停止させることはできないだろうか。

 俺は緊急の停止ボタンやそれを知らせるマイク周りを見渡す。すると俺の視界に【高さ80m地点】というプレートが目に入った。

 

 あ、最高地点の高さに到達した。

 背中に感じていた重力が徐々に反対側に移るのを感じる。


「寝るな鷹山…おい、鷹山!寝たら死ぬぞ!」


 俺は隣で意識を失う鷹山の耳元に向かって一生懸命語りかける。

 それに加えて、頬を軽く何度か叩くが反応はない。


 駄目だ。万事休すだ。だから俺は、あれほどやめておけと…


「言ったんだぁあああああああああああああああああああ!!」


 俺の絶叫が周囲に響き渡るが、それを気にする者は誰もいない。

 悪夢の始まりである。思えばあの時、最初から断っておけば良かったと俺は激しく後悔した。


 ひと呼吸も経たぬうちにコースターは最高速度で急降下する。

 俺は自分の頭を抑えながらただ絶叫するしかなかった。


 目を閉じれていれば恐怖も和らぐが、俺は何とかして目を開く。そして隣に顔を向ける。


「たかや…まぁあおおおおおおおおおおお!?!???!!?」


 高速による風圧とその車体を揺らしながらの絶望的な状況下。俺の目に飛び込んだのは、短い紐を引っ張る凧のようにたなびく鷹山のカツラだった。


 久々に俺の目の前に姿を現した、隙間を交えてのスキンヘッド・バージョンの鷹山。今日はさらに、白目という特別オプション付でのお披露目だ。


 カチューシャのアゴ紐で、何とかカツラとは頭の皮一枚が繋がっている状況だが、非常にまずい。

 

 このままでは、いずれカツラのゴム紐がネジ切れるかもしくは、カチューシャと毛を繋ぐクリップが風圧で外れるかもしれない。


 例えカツラが無事だとしても、撮影ポイントで鷹山のスキンヘッドが激写されてしまう。


 俺は何とか鷹山の頭を押さえようと手を伸ばすが、次々と左右に振られながらの走行に手が風圧に勝てずに届かない。何より安全カバーが邪魔で思うように動けない。


 コークスクリューでは、その都度に右にビヨーン。左にビヨーンとカツラが未確認飛行物体のような不規則な動きを見せる。


 だが俺は諦めなかった。目まぐるしく動く背景の中、何度も鷹山のカツラだけに神経を集中させてロックオンとキャッチングを繰り返す。だが届かない!


 しかし、宙返りとなる垂直ループの下りにて、俺は運良くようやくして、鷹山のカツラのてっぺんを取ることができた。


「おらぁああああああ!」


 そして俺はダンクシュートのように鷹山のスキンヘッド目掛けて、カツラを思い切り叩きつけた(多少のダメージは許せ)。


 ようやく元ある形に戻った鷹山の頭。あとはこのまま、ラストの直滑降まで押さえていれば何とかなるだ……パンッ!


「がはっ!」


 カーブに差し掛かった際、その反動と勢いでブラブラしていた鷹山の手の甲が裏拳のように襲い掛かり俺の顔面にヒットした。


 思わず俺はカツラを押さえる手の力を緩めてしまった。

 当然コースターの速度で生じる風圧とGは、俺の一瞬の油断を見逃さない。


 またしても鷹山のカツラは宙にたなびく。振り出しに戻ってしまった。


「ちくしょおおお!俺は何と戦ってるんだぁあああ!」


 俺は叫び声をあげながら再度、鷹山のカツラを掴もうと手を伸ばすが先ほどの裏拳が少し瞼に当たったらしく、上手く目が開けられない。


 尼の隣で開眼ができないという、筋金入りの落語レベルな状況の中、コースターは遂に、ラストの直滑降に突入した。


 真上に浮く鷹山のカツラ。俺はそれを押さえようと手を伸ばすが角度と位置があまりに悪すぎる。


 頼む、カメラよ動かないでくれ!


 「届け届け届け届け届け…!届けぇええええ!」


 俺は格闘ゲームだったら連打技が発動するのではないかと思うほど、何度も何度も手を伸ばして振り回すが、その願いもカツラへも届くことはなかった。


    ◆


「……ここは、どこですか?」

「ようやく目を覚ましたか…」


 ジェット・コースターが悪夢の激走を終えて終着点にたどり着いてしばらくして、鷹山はようやく目を覚ました。


 遅かった…。俺は今どんな目で鷹山を見ているのだろうか?


「鷲頭くん…泣いているんですか?」

「すまなかった。鷹山…俺…俺…」


 カツラこそ何とか無事だったが、カチューシャのアゴ紐はしばらく曝された風圧で伸びてしまい、カチューシャ本体のクリップも破損していた。


「…いいんです。ありがとうございます。それと…ごめん…なさい」

「ちょっと、あんたら泣いてるの?」


 俺たちの様子が心配になったのか、鶴見と他の奴らも駆け寄る。


「いや…大丈夫だ。行こう、鷹山」

「はい…」


    ◆


 クローズ・コールの出口前。入口の反対通路を通る俺たち。

 もうすぐ、直滑降で撮影されたコースターの様子の写真を映し出す液晶モニターの前を通る。

 

 鷹山はもちろん、俺の足取りも重い。

 俺たちはカメラの不具合などで写真が撮れなかったことに最後の望みを託していた。頼む…!頼む…! 


「えっと、私たちの写真っと…あ、これだこれだ!」


 鶴見が俺たちの走行で撮影された写真を発見した。

 もう駄目だ。最後の望みを絶たれた鷹山はフラフラと俺にもたれ掛かるように倒れそうになる。


「え…ちょっと、何これ?みんな見てよこれ、鷹山さんの頭!」

「ん?美桂の頭がどうかしたの…って、えええええええ!?!??」


 俺たちを除くメンバー全員が声をあげる。

 そして、他の乗客たちも俺たちの写真を見て目を疑う様子を見せた。


 終わった…。 


 (つづく)

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