ワカハゲ・メモリアル

鯨武 長之介

作者は最近、急に頭がハゲてきたので、この物語を考えたらしい。

第一話:俺は今年の七夕も短冊には『ふさふさの髪の毛が欲しい』と書くつもりだ。

 前編:ああ…それにしても髪が欲しいっ…

 地球の砂漠化。それは現代人であれば誰もが知っているだろう環境問題のひとつだ。豊かな緑が砂と荒野と化すその勢いと面積は年々増している。それは俺の頭も同じだった。


「つ、ついに、14センチ台に突入してしまった…!」


 朝の自宅の洗面所で俺は震えるような声で呟く。そして、何かの間違いではないかと、もう一度、柔らかいテープ巾素材で作られた巻尺を額に当てて、上へと伸ばした。


 眉間から静かに1センチずつ、途中からは丁寧に1ミリ単位で、鏡に写された巻尺の数字を目で追いながら、ひたいを指でなぞる。


 そして無情にも、指に伝わる毛髪の生え際の感触を示す数字は、ジャスト14センチだった。間違いなかった。


 現実を受け入れられない俺は、巻尺のフックを摘むと、ビッという音とともにそれを両手で勢いよく伸ばす。


「この巻尺、途中で数字や目盛りが一本抜けたりしていないだろうな?」


 最後の希望と言わんばかりに巻尺を検品するも、そこには印刷ミスや不良品の欠片すら見当たらず、がくりと肩を落とす。


「おい。朝っぱらから暗いオーラ出してんじゃねえぞ」


 多分、死んだような目をしてるであろう俺は後ろを振り向くと、そこには親父がいた。俺の平均高校生級とは異なり、がっちりとしたガタイの40過ぎのおっさんだ。


「そこにいたら顔が洗えねえだろう。早くどけよハゲ」


 鋭い眼光で舌打ちしながら見下すような態度で親父は言った。

 言われたくないひと言に、親父譲りの俺の鋭い眼光に怒りと生気が宿る。


「な……ん…だとぉ!? 親父の方が禿げてるだろうが!」


 俺は自分のまだまだ希望が残された、『3時の10分前』もしく『あるべき西の反対方向』の名前の芸能人と同じ、U型の頭部を指さしながら反論した。


「ふん。どう足掻いたって、あと何年かすりゃ俺と同じになるんだ。現実逃避してる暇があるなら、現実頭皮を認めろ。そして諦めろ」


「う、うるせえ!俺は絶対に親父みたいにならないからな!大体それに、あんたは左右にはまだ、たっぷり残ってるじゃねえか!本気出したモーゼの十戒じゃあるまいし、説教たれたいならスキンヘッドで出直してきやがれ!」


「て、てめえ…それが父親に向かって言うことか、こらぁああ!」


 この春、高校二年生となった俺の朝は、親父との不毛な争いで幕を開けた。 


    ◆


 先日、テレビの健康番組で、男性の頭部が禿げる年齢割合なるものが放送されていた。その内訳は、およそ50歳代で5割、40歳代が3割、30歳代で1割、20歳代では1割未満らしい。


 では16歳にして、ここまで禿げる割合はどれほどなのだろうか?

 俺は家から徒歩15分ほどの通学の最中、考えていた。


「よう鷲頭。今日もテカってるな」

「おう」


 クラスメイトの男子が自転車で俺の後ろを通過しながら挨拶をしたので、それに答えた。


「やっほー。眩輝げんき、今日も元気してる?」

「朝っぱらから、くだらん洒落を言ってんじゃねえぞ」


 同じくクラスメイトの女子が小走りで、俺の肩を軽く叩きながら追い抜く。

 人の名前で遊ぶな。


 そもそも、俺はこの鷲頭 眩輝(わしず げんき)という名前からして呪われているのではないだろうか。すべての文字に『ハゲ』という言葉に適している。


 自分のいまわしき名前とその顕在化を実感したのは、中学一年生のときだ。

 学校の遠足で撮ったクラスの集合写真で、明らかに俺のおでこだけが他の奴らに比べて広かった。最初はただの前髪の長さ、もしくはその有無だと思っていた。


 ある日、みんなとの何気ない会話で「朝起きたときだけど、枕元の抜け毛って掃除するの面倒だよな」の俺のひと言に、全員が沈黙して目を逸らした。


 俺は自らタブーに触れたらしく、初めて周囲から気を使われていることと、自分の髪が普通ではないと思い知った。


 俺の頭部の砂漠化は、成長期に比例するように順調に進行…いや侵攻していった。12歳以後、年に1~2センチほどの距離で生え際が塵と化した。


 そして今朝、ついに俺の生え際は眉間から14センチに到達した。新たな敗戦記念日の誕生である。


 さて、この戦況にどう立ち向かっていくか考えている内に、俺の足は学校の門を潜ろうとしていた。ふとその時、十数メートル先にいる一人の女子生徒に気付く。


「あれは、鷹山…」


 俺は思わず声を漏らしながら一瞬、足を止める。

 

 鷹山 美桂(たかやま みか)は、俺と同じくこの高校に通う二年生で一緒のクラスに在籍している。


 一年の三学期に転校してきた彼女は、瞬く間に全校の注目の的となった。

 かいつまんでいえば、容姿端麗、品行方正、お高くとまってないお嬢様。この三言に尽きる。誰もが憧れるアイドルというやつだ。


 体は弱いのか、体育こそは休んだり見学しがちだが、学校始まって以来の優秀な成績と模範的な態度は教師からも一目置かれていた。まさに絵に描いたような圧倒的逸材である。


 俺も鷹山にはいつも見とれていた。いや、正確には彼女の背中まで届いた長くて美しい黒髪にだ。


 羨ましい。心からそう思う。もちろん髪があるだけでも恵まれていると思うが、鷹山の髪は次元が違い過ぎる。


 ヘアースタイルにこだわる年頃の他の女子生徒と比べても、その美しさと質は、例えるならば黒真珠のような輝きを持つ繊維で構成されたカーペットのようだ。


 それに比べて俺の髪は何と酷いことか。まるで枯葉剤を散布した荒地のようだ。


 鷹山は静かにゆっくりと歩きながら、挨拶してくる生徒たちに微笑みと細い手を振りまきながら返事をしている。俺はそんな彼女を悠々と追い越しながら「よお」と声を掛けた。


「あ、鷲頭君。おは…よう」


 鷹山は俺の顔を一瞬見るなり、顔を少し逸らす。

 …気のせいか。鷹山は誰にでも愛想がいいのに、俺に対してだけは、妙によそよそしいというか、反応が硬い気がする。もちろん、まだクラスメイトになって一週間ほどであり、特に絡みがあったり親しいわけでもない。


 嫌われているのだろうか?それとも同情されているのだろうか?

 だが、俺は若ハゲながら哀れみを受けるのは大嫌いだ。こんな頭になってからも、人前でそれを隠したり腐ることなく堂々と過ごし、誰であろうと同じような態度をとっているつもりだ。


 新しい出会いの場では、こんな俺に慣れてもらうまでに少々の時間は掛かるが、同級生たちはみんな普通に接してくれる。気を使われたくはない。だが、ひと言だけ声に出せるなら俺は叫びたい。


 「同情するなら髪をくれ!同情するなら髪をくれ!」と。

 親父がまだ若かった頃に流行ったドラマの名台詞だったような気がするが、違ったかもしれない。

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