第4話 ピンクのレッスン

 早朝練習は走り込みが中心だ。

 昨夜の騒ぎで寝不足ぎみだが朝から全力疾走を繰り返している。

 野分がさんざんからかわれたのは言うまでもない。


 午前はフットワークで足腰をさらに鍛える。

 心蔵と野分はサウスポースタイルだ。


 昼食後、午後の練習は打ち込み。

 プロテクターとマスクを着用して、互いの胸に突きをいれる。


 順調に練習をこなし夕食タイム。

 白鴎寮の食堂はにぎやかだ。


「もぐもぐ、夜間練習はファイティングだったか、もぐ」

「電気剣…試合形式…」

 ガツガツと貪り食う心蔵とは対照的に、その横では野分がげっそりとしていた。


「悟道め、輝美ちゃんに話しかけるんじゃない!あとで必殺剣をくらわせるぞ!」

 輝美にお茶を注いでもらっている悟道を睨み、ひそかに雪辱を誓っていた。

「かなうわきゃないだろ」

 丹治があっさり否定した。


「おれには剣道殺法がある。それに相手が強ければ強いほど燃えるんだ!」

「はやく燃えつきてくれよ」


「おい野分、食わんのか」

「食欲があんまり……」

「脱走してもいいんだぜ」

 野分は目をつむって首を振った。

「よしよし、心配無用。きみの分はぼくが食べてあげよう」


「なんの解決にもなってねーぞ」

 バカにしながらも、丹治は野分の皿からトンカツをつまむ心蔵の、健啖ぶりがうらやましくもあった。


~~~~~


 遊蛾灯に明かりがともった。


「海正学園のキャプテンは誰?」

 ユニフォーム姿の宮崎教諭が見おろす。

 心蔵たちは体育館の端でナマズを開け、用具を準備しているところだった。

「おれです」

 ユニフォームの下だけはいた心蔵が立ち上がる


「そんなこと誰がいつ決めた?」

「方便だよ、方便。おれに合わせろ」

「これだ」

 首をすくめる丹治。


「海正学園のみんなはファイティングじゃなくレッスンになったわ。基礎がまだできてないみたいだから」

「えーっ!おれたちだけレッスン?」

「河合先生がまだ早いって。それでわたしが教えることになったの」

「ちょっと抗議してくる」

 言うより早く駆けだす心蔵。


「宮崎先生、バカはほっといて、さっさと始めましょう」

 丹治は淡々としたものだ。



「しかし心蔵、まだケガが完治していないだろ。最終日の総当たり戦まで待て」

「片手でじゅうぶんって言ったじゃないか!おれは悟道とやりたいんだ!」

 顧問の河合に執拗に食い下がり、心蔵は駄々をこねた。


「一回だけならこっちはいいですよ」

ピスト上から、不敵な面構えの悟道が言い放った。マスクは頭にはね上げている。

「それ以上は時間の無駄でしょうから」


~~~~~


 ごり押しで対戦することになった心蔵と悟道。


 審判は釜谷。ピスト上には審判から見て左手に左利きの心蔵、右に悟道だ。

 この配置でないと細かい剣のやりとりが見ずらいのだ。

「エト・ヴ・プレ?」

「ウイ」

「なんだって?」

 心蔵が聞き返した。

「用意がよければ、ウイと答えるか無言だ。だめならノン。審判がアレイと言ったら始めで、アルトで止め。わかったか」

「わからんが、なんとかなる」

 心蔵は胸を張って答え、釜谷は頭を抱えた。



「アレイ!」

 釜谷の合図とともに二人は激突した。


「お面ーっ!」

 心蔵の奇声が響きわたった。


 驚いて振り向く顔、顔、顔。


 面打ちを決められ凝然と動かない悟道と、駆け抜けたのち残心をとる心蔵。


「心蔵!フルーレで面打ちする奴があるか!突きだけだ!突きだけ!」

 心蔵は釜谷にピストから蹴り出されてしまう。


「ほう」

 悟道はマスクの金網の傷を見て感嘆する。


~~~~~


風呂上がりで食堂にたむろす心蔵ら三人。


「フェンシングにはフルーレ、エペ、サーベルの三種目あって、切りつけていいのはサーベルだけとある」

 丹治が広げたフェンシングの参考書を囲んでいた。

「よーし、あしたはサーベルで勝負だ」

 心蔵の辞書に退却の文字はなかった。


「むちゃだよ」

「なんだと」

 珍しいく野分が意見した。

「たとえばフェンシングの選手が剣道の試合を挑んできて、自分が負けると思う?」

「絶対に負けねぇ。かならず勝つ!」

「どうして?」

「そりゃ……お前……」

 言いかけて口をつぐんだ。

「うむむむむ」

「まだルールとかもよく知らないし」

うなる心蔵に丹治が追い打ちをかける。


「あら、熱心ね」

 洗い髪もつややかな輝美が輪に加わった。

「輝美さん」


 ビンク色に上気した肌が健康的な色気をふりまいていた。

(ああっ、シャンプーのなんていい香りなんだ。合宿に参加したおれの判断は間違っていなかった)

 心蔵ワールド全開だった。



「さいしょに覚えるのは攻撃権ね」

輝美のレクチャーが始まった。


「逃げながら突くのと、追いながら突くのとでは、相打ちでも攻めていたほうが強いのよ」

「ふんふん」

 うわの空であいづちを打っているような心蔵だった。


「腕を伸ばして突くのと、曲げたまま突くのでは、伸ばしているほうの勝ち。先に仕掛けたのと、後から合わせたのとでは……心蔵くん?」

 輝美は優美に長い指をそろえて伸ばし、たおやかに心蔵の左腕と自分の右腕を交差させた。


「えーと、先のほうが勝ち」

 触れ合っている部分に全神経を集中させながら、適当に答える。

「正解」

 にっこりとする輝美。


「攻撃権は相手の剣を払ったりすることで、奪うこともできるのよ」

 輝美の手の甲が心蔵の掌に触れた。


「う、奪っていいんですかぁ?」

 ドキドキして握りしめてしまう心蔵である。


「勘ちがいしないの。ほら、やってごらんなさい」

 輝美が手を突き出した。それを払う心蔵の手。しかし、輝美の手は弧を描いて下をすり抜け、心蔵の眼前で止まった。


「うっ!」

「いまのがデガジェ。フェイントにだまされちゃだめよ」




 食堂の入口にもたれかかり談笑している悟道は、あるかなしかの微苦笑を浮かべそんな彼らを眺めていた。


~~~~~


「おーい、食器はならべたか」

 厨房で丹治は西瓜を切り分けて呼びかけた。

「おわったよー!」

 野分はテーブルに配膳を完了したところだ。


「よっしゃ、秘密特訓を始るぞ」

 心蔵ははりきってマスクを抱え剣をとった。


「食事当番のときぐらい、のんびりしたらどうだ」

「お前らもやるんだよ」

「はあ?」

 心蔵の中では決定事項なのだと、丹治はあきらめるしかなかった。




 庭先でマスクとプロテクターを装備し、剣を激しく交差させる心蔵と丹治。

 剣身のぶつかりあう金属音が響く。


「遅い、遅い!おれに合わせろ!」

「これ以上は……ククッ!」

 ひときわ甲高い音がして丹治の剣が飛ぶ。


「決められた動作は速いくせに、アドリブになると反応がとろいな」

「ハァ、ハァ……」

「つぎ!野分、間合いの練習だ!」


心蔵と野分は土埃をあげて前後移動した。

「蹴りだしが弱いんだから、間合いをつめて鋭く踏みこめ!これじゃ簡単に見切られてしまうぞ」

 スウェイバックして攻撃を伸びきらせる。

 さらに剣を払って喉元に突き返す。

「ゲホッ!」


「パラード、リポスト、トウシュ!」

 丹治は審判を気取った。

「そんなややこしい言葉、覚えたのか」

「いかにも」

「タコにも」

ポカンとしている野分をうながす。

「ほれ、野分もつづけ」

「えーと、えーと……ナマコにも!」


 爆笑する心蔵と丹治。

「ナマコだって!」

「ひーっ、苦しいー!」

 笑いの発作でひとしきり悶絶した。

 野分はマスクの中で汗といっしょに涙をぬぐった。

(フェンシング部にはいってよかった……やっと本当の友だちができた)



「ん?心蔵。あれは輝美さんと悟道じゃないか」

丹治が坂を駆け上がってくる二人を指ししめした。

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