第18話『寝ぼすけ弓兵、切歯扼腕!』

 黒いマント姿の男が宿屋の二階から飛び降りて逃走する現場を目撃した藤堂が、ようやく事情を説明し終えると、宿屋の主人は目を丸くして驚いた。


「片田舎の村で、今までこんな強盗まがいの事件が起きた事はないんですけどねー」


 妾腹とは言え、この国の第四王子の証言では疑いようもない。宿屋の主人が、申し訳なさそうに頭を下げて部屋を出て行く。


「ではお客様。とりあえず、ここは窓の修理をしなくてはなりません。お二人には別の部屋をご用意させて頂きます。準備が整うまで、今しばらくお待ち下さい」


 ワーシントン王国では、こんな小さな村には警察を置いていない。治安組織は村長を筆頭にした自警団や青年団といった自主防災組織がその役割を果たすことが多い。


 宿屋の主人から通報を受けた村長が、じきにおっとり刀で駆けつけて来るだろう。


 藤堂が改めて室内を見回してみる。女戦士の酒田とアーチャーのロビンが泊まっていた部屋は、ベッドが二つと机が置いてあるだけのシンプルなツインルームだった。


 張り出した出窓がごっそりと抜け落ちて、庭の木々がすぐ近くに見える。それ以外、室内には特に荒らされた様子や争った形跡は見当たらなかった。


 いったい何が起きたのか?


 だが、事件の当事者たる妖精は、宿屋の主人からの質問にもあまり多くを語りたがらなかった。典型的な人嫌いなエルフの定番といったところか。


 結局、一緒に泊まっていた酒田と藤堂、そしてタニアの証言。そして蹴り破られた部屋の窓という状況証拠だけで、宿屋の主人は引き下がるしかなかった。


 主人が部屋を去った後も、緑の髪を持つエルフは美の彫刻のように窓の外を見つめて立ち尽くしているばかりだ。


「ロビン、何があったんすか?」


 相棒の酒田が尋ねると、ヒューマンタイプの妖精はようやく重い口を開いた。


「面目ありません。一生の不覚です。貴女の帰りを待ちながら、ついうとうとしてしまって。気が付いたら黒マントの男が、目の前に立っていたのです」


 腰まで伸びた緑の髪が、緩やかなウェーブを描いている。酒田から聞いていなければ、このアーチャーが絶対に女性だと見間違えるほどの容姿だ。


「何か盗まれたのか?」

「貴方は……?」


「“初めまして”だな。えーっと、俺は藤堂剣一。こ、この国の第四王子だ」


(ったく、まさかゲームの中でキャラクターの自己紹介をやる破目になるとは。しかも自分で“第四王子”だなんて。畜生、……恥ずかしくて死にそうだぜ)


「ほう。それは、それは。私の名はロビンと申します」


 淡々と自分の名を告げる。目の前の剣士が王子だと名乗っても、新緑の瞳を僅かに細めただけだ。中性的な美貌のアーチャーは、特に驚いた様子もない。


「王子は、僕の昔からの知り合いなんすよ。だから話をしても大丈夫、保証するっす」


 そう言いながら、女戦士のキャラになった酒田が豊かな胸をドンと叩く。だが、残念ながら女戦士の豊かな胸といっても、タニアのようなセクシーさには程遠い。


 酒田はリアル世界で、元は柔道のインターハイチャンプだ。アバターの女戦士は、巨乳というよりはどちらかと言えば、ぶ厚い胸板と呼ぶに相応しい。


「そうですか。酒田さんがそう言うのなら信じましょう」


 輝くばかりの美貌を誇る妖精の顔に苦渋の影が落ちる。


「実は、王子の仰ったとおりです。お恥ずかしい話ですが、ちょっと油断した隙に【妖精の石】を奪われてしまいました」


「妖精の石?」

「はい、はーい。マスター、その説明役はフェアリーにお任せだピョン」


 タニアと一緒になってボーっとロビンに見とれていたウサギ妖精が、ハッと自分の役目に気がついて、張り切って声を上げる。


「妖精の石は非売品のアイテムだピョン。妖精界に通じる異次元の扉を開ける時に使うピョン」


「へぇー、道具屋じゃ売っていないんだ。異世界への鍵って事は、ソレを使えば誰でも妖精の国へ行けるのか?」


「ううん、その種族にしか無理だピョン。例えばウサギ妖精はウサギ妖精界、ネコ妖精はネコ妖精界。ヒューマンタイプのエルフは、人型妖精界と分かれているんだピョン」


 そう言いながら、フェアリーが黒のバニースーツでサポートされた胸の谷間から、親指の爪くらいの大きさの光る石を取り出した。


 ネックレスの銀の鎖の先に、ルビーのように赤く煌く宝石が揺れている。


「これがフェアリーの妖精の石だピョン」

「ああ、そうか。お前が異次元の巣穴から出て来られるのはソレのおかげか?」


「むぅ! 巣穴じゃないピョン。ウサギ妖精界にあるフェアリーのお部屋だピョン!」


 小さなバニーガールが、口を尖らせながらぴょんぴょんと跳ね回る。


「ところでロビン。君はその盗まれた妖精の石を、コイツみたいに肌身離さず身に付けていなかったのか? 大事なアイテムなんだろ?」


「本当に迂闊でした。正直、アレを盗む者が居るとは思わず……」


「非売品だって言うし、誰でも使える鍵って訳じゃないんだろ? そう思うのも無理ないさ。でも、賊はどうやって侵入したんだろう?」


 簡単な構造だが、宿屋の部屋は中からちゃんとロックができる仕組みになっている。王子が首を捻りながら、カギ付のドアに異常がないことを確かめた。


「それはきっと、盗賊の特別スキル【開錠】だピョン。他の職業ジョブだとカギの掛かった扉を開けるためには、所持品に【鍵】がないと無理ピョン」


(いわゆるピッキングっていうテクだな。そうか、このゲームじゃ扉にカギが掛かっていると、俺や鉄平がいくら剣や斧でガンガン叩いても、中には入れないんだな)


 藤堂は心の中でゲームの仕様を確認した後、みんなとの会話に戻る。


「恐らく賊は、部屋に誰もいないと思って押し入ったんだろう」


「こんな辺鄙な村の宿に泊まるのは、冒険者と相場が決まっているっす。この時間ならクエストに出掛けるか何かで、部屋を空けていると思うのが普通っすよね」


「しかも、ちょうど村中がスライム騒ぎでごった返していたからな」

「スライム……ですか?」


 今まで盗賊の話をしていたのに、突然魔物の話題になったので、ロビンは戸惑ったように首をかしげた。


「そうっす。村外れの草原で、僕達がスライムを退治したんすよ。ひょっとしてロビン、僕と別れてからずーっと寝ていたとか? あの半鐘の音でも起きなかったっすか?」


「そんな事があったのですね。ええ、まったく気が付きませんでした。基本的に眠りが深い性質たちなので」


「ほとんど丸二日っしょ。ロビンは眠りが深いんじゃなくて、単なる寝過ぎっすよ」


 相棒の爆睡ぶりに、呆れたような顔で酒田が肩をすくめる。


「返す言葉もありません。何者かの気配に気が付いた時には、すでに賊は部屋の中でしたから。その机に置いてあった妖精の石を、奴がちょうど掴んだところでした」


「フェアリーの話だとその石には持ち主以外、使い道がない気がするんだ。賊はそんな物を盗んで、一体どうするつもりなんだろう?」


「まったく分かりません。このアメリア大陸という世界では、妖精の石について誰でも多少の知識があるはずなんですが」


「珍品を趣味で集めている奴に、こっそり売るとか?」


「えー? 剣一ったら本当に知らないの? どんな宝石コレクターとか好事家も、エルフを敵に回してまで妖精の石を欲しいとは思わないんだよ」


 タニアの言葉を聞いて、今度は女戦士の酒田が口を挟む。


「そうだ、ロビン! 何かの理由で他のエルフが、妖精の石を失くしちゃったっていうのはどうっすか? で、あの賊を使って、こっそり君の鍵を盗ませたとか?」


「酒田さん、貴女もご存じないようですね? 先ほどウサギ妖精が石について説明してくれましたが、実は間違っている部分があるのです」


「え? 何、何? フェアリー、何か間違っていたピョン?」


「アニマルタイプの妖精と違って、ヒューマンタイプのエルフが持つ石は、同じ種族でも使えないのです」


 まるで運命を甘受するかのように、悲壮感を漂わせて首を振る。


「エルフの石はエルフを選びます。一人に一つ。生涯でただ一個の石。だから他のエルフが、邪な考えでアレを奪おうとする事などありえません」


「なるほど、それだと確かに使い道がないな。油断したのはそういう訳か」

「はい。賊にもアレがエルフの石だと、何度も言ったのですが……」


「その時、盗賊はどんな様子だった?」


「様子ですか? フードで顔を隠していましたので何とも。しかし、妖精の石という言葉にも、特に反応はなかったようでした」


――妖精の石は、他人には価値がない――


(あの盗賊は、この世界じゃ常識ともいえるこの事実を知らなかったのか? つまりそれは俺や鉄平と同じように、奴も本当はこの世界の住人じゃないって事じゃ……?)


 ロビンの話を聞いて藤堂が腕組みをする。考えを廻らせようとする時の癖で、俯き加減になり視線を宙に彷徨わせる。


「ね、ねえロビンさん? わ、私、タニア。み、見てのとおりキシリトール教会のシスターなんだけど。えーっと。えーっと。な、な、何を言っているんだろう」


 ロビンの美貌に見つめられて、しどろもどろになりながら自己紹介を始める。


「私、ちょっと考えたんだけど、妖精の石って他人には価値がない宝石なんだよね? だったらソレを盗む目的は、貴方を困らせる事しかないんじゃないかなって?」


「私を?」


 眉を顰めて憂う表情さえも、まるで美術品のようなアーチャーだ。切れ長な瞳にロックオンされただけで、シスターは息をする事さえ忘れてしまいそうになる。


「私が妖精界を飛び出して、はや一年近くになります。ちなみに故郷を追われた訳ではありません。しかし、二度とあそこへ戻るつもりはないのです」


 やはり森が性に合っているのだろうか? 破壊されて用を成さなくなった出窓の外へ、エルフは視線を再び向ける。そして、何かを吹っ切るかのように振り返った。


「実を言うと、あの石はいつか捨てようと思っていたのです。だから今回の事は、ちょうど良い機会だったのかもしれません」


「だ、駄目よ! そんな簡単に諦めちゃ! 大事な石なんでしょ?」

「あの石にはもう使い道がありません。他人だけでなく持ち主の私にとっても……」


「そんなのキシリトール様は、絶対にお許しにならないんだから! 剣一もそう思うよね? 遊撃隊で何とかしてあげようよ!」


 まっすぐな瞳で幼馴染のシスターが王子を見つめてくる。だが、腕を組んだままの藤堂は、何か閃きそうでまとまらない考えに頭を悩ませていた。


(今の話だと、どうやらロビンに対する個人的な恨みでもなさそうだ。それだと盗賊やつが妖精の石という言葉に反応しなかった事とも話の筋が通る。とすると……)


「なあ鉄平、ちょっと来い」


 宿屋の廊下へと後輩を連れ出し、肩に手を回して耳打ちする。


「お前、さっきあの盗賊が窓から飛び降りた時、あいつの顔を見たか?」

「うーん。チラッと一瞬だけっすけど?」


 二人はリアル世界で高校時代、剣道と柔道のインターハイチャンプだった。その動体視力は、人並外れたものがある。


「俺、あいつの面つらをどこかで見た気がするんだけど。お前はどうだ?」


「うーん。何とも言えないっすね。この世界へ来て、僕はそろそろ三ヶ月。どこかの街で見かけた気もするけど?」


「いや、現実世界の方でだ」

「え? 東京で見たか? という事っすか?」


「ああ。お前と違って、俺がゲームにインしたのは数日前だ。だから間違いなくあの盗賊とは初対面だ。けどな、どこかであの顔を見た気がするんだ……」


「そうっすか。でも今、僕の顔ってホラ、現実世界とまったく違うっすよ。いわゆるアバターってヤツだから。先輩の勘違いっすよ。偶然、誰かに似ていただけっしょ?」


 そう言いながら、酒田が自分の顔を指差した。斧を振り回す厳つい顔だが、女性には違いない。化粧っ気のない日焼けした素顔と長い髪が印象的だ。


 だが実際には、中身は岩のような大男なだけに、その言葉には妙に説得力がある。


「そう言われるとなあ。確かに俺のこの顔も、十年前の高校時代に戻っているからな」


「先輩、顔だけじゃなく肉体からだの方もっしょ? 魔法通信でタニアの裸を見た時、鼻血をぶわぁーって噴いていたじゃないっすか。がははは」


「やかましい! アレは不可抗力だ。大体、あの場面で突然アレを見たら……」

「ちょっと? タニアがどうかしたの? アレって何?」


 馬鹿笑いを始める後輩の胸ぐらを掴んで頭をぶん殴ろうとした時、シスターが二人を追って部屋から出て来た。どこか不審そうなジト目で王子を見つめている。


 相変わらずギリギリのラインまでカットされた彼女の際どい修道服。深い谷間を形作る迫力満点の二つの果実に思わず藤堂が息を呑む。


 先日の入浴シーンが、彼の脳裏に鮮やかな色彩を伴ってフラッシュバックした。


(や、やばい。また鼻血が……)


「い、いや。何でもない」


「もう、剣一ったら怪しいわね。鉄平ちゃんと何を二人でコソコソ話しているの? ロビンさんが盗まれた妖精の石。みんなで取り返しに行くんだよね?」


 つかつかと藤堂の隣に歩み寄り、ぐいっと王子の方に身を乗り出す。たゆんと揺れる豊かな胸が、有無を言わせず迫ってくる。ワザとやっているとしか思えない。


「わ、分かったから落ち着けって!」

「ねぇ、どこを見て返事しているの?」


 タニアの指摘にハッと気が付き、下向きの視線をグッと上げて彼女の顔を見る。


「だ、だから今。その石を取り返すって話をしていたところだ。なっ、鉄平? あれ?」


 幼馴染に見とれている内に、サラリーマンの部下はちゃっかりと姿を消していた。辺りを見回してみるが、宿屋の狭い廊下には藤堂とタニアの二人しかいない。


「鉄平ちゃんは、部屋に戻ったよ!」

「ゲッ! あいつ! よくも一人だけ……。グギギギ」


 歯軋りしながら拳を握り締めるが、時すでに遅し。とばっちりを食う事を恐れた元柔道チャンプは、いち早く危険区域から撤退を完了していたようだ。


 さすがこのゲーム世界で、藤堂より三ヶ月も早くインして、経験を積んだ女戦士だけの事はある。まさに“機を見るに敏”といったところか。


 幼馴染のシスターに怒りをぶちまけられる前に、王子もそそくさと部屋に戻る。


 神秘的な瞳で藤堂を見つめるエルフに、あの盗賊から妖精の石を取り返すために協力することを伝えた。


 しかし、ロビンから意外な返事が返ってきた。


「せっかくのお言葉ですが、このお話はお断りさせて頂きます」

「え? どうして!」


 てっきり彼が喜んでくれると思っていたタニアが驚きの表情で叫ぶ。


「第一に、妖精の石を盗まれたのは、自分の不注意によるものです」

「でも、盗賊なんて想定外じゃない、仕方がないよ!」


 シスターの言葉にも心を動かされないロビンが続ける。


「第二に、私自身がもうあの石に価値を見出せない以上、アレを取り戻すために皆さんのお力をお借りするのは無意味です」


「そんな!」


「ありがとう、タニア。でも、私はエルフなのです。先ほど言ったとおり、あの石は捨てるつもりでした。今回の事は良い機会。その運命を受け入れるのが妖精なのです」


「違うよ! 貴方が自分の手で石を捨てるって言うのなら構わない。でも、あんな盗賊に奪われて、それを“運命”の一言で片付けるなんて、絶対に駄目だよ!」


 必死になって言葉を紡ぐシスターに、ロビンの表情が一瞬変化した。それを目の端で捕らえた王子が、ゆっくりとした口調で語りかける。


「なあ、ロビン。君は妖精界を出て来たんだろ? それも君が言う運命なのか?」

「そ、それは。きっと、そうなのでしょう」


「仮にそれが君の運命だとしても、この人間界で生きていく事を決めたんだろ? だったら、もうエルフという種族のしがらみに縛られる必要はないんじゃないか?」


「えっ?」


「君の故郷で何があったかは知らない。ただ、せっかく妖精界という枠からその身体が抜け出せたんだ。次は、縛られたままの魂をエルフの枠から解放してやればいい」


「縛られたままの魂……ですか?」


 藤堂の言葉を噛み締めるように、アーチャーが宙を見つめる。妖精界を捨ててきたエルフが、妖精の運命を未だに引きずっている事に自問自答する。


 部屋の中に束の間の沈黙が訪れた。壊れた窓から木々の間を吹き抜ける風の香りが、殺風景な部屋へ流れ込んでくる。


 と、その時。タオルで汗を拭き拭き、一人の老人が扉を開けて中に入ってきた。


「失礼します」


 ベリハム村の村長が、まるで事件現場を検証するように破壊された窓枠を凝視する。


「……おやまあ、コレは酷い。出窓が綺麗さっぱり無くなっているじゃないですか」

「やあ村長、ご苦労さん」


 おっかなびっくり壊れた窓から下を覗き込んでいる老人に藤堂が声をかけた。すると村長は、一礼しながら王子の傍へ歩み寄る。


「宿屋の主人から話を聞いて、飛んで参りました。実を言うとこの宿屋は、村人みんなでお金を出し合って建てたのですよ」


「へえー。村営の宿泊施設って事か。なるほどな、道理で村長が来るのも早い訳だ」


「はい。宿の主人も村役場の人間ですから」

「なるほど」


「実は村の財政難を何とかしようと思い【秘薬草の採取】クエストに挑む冒険者達用にと考えて、この建物を造った訳です。ただ、最近めっきりと客足が減っていますが」


「ああ、そうか! 小さな村にしては、規模の大きな宿屋だと思ったよ」


「それにしても、次から次へと頭の痛い問題が続きます。スライム騒動がまだ根本的に解決していないのに、今度は宿屋に盗賊だなんて。とほほ……」


 村外れの草原に突如開いた洞穴から出現したスライムの群れ。藤堂達の遊撃隊がかろうじて退治したものの、洞窟の奥にはどうやらまだ魔物が潜んでいる。


「村長さんって、何から何まで対応しなくちゃいけない、本当に大変な役職だよね。スライムの駆除でしょ、遊撃隊の支援でしょ。あ、そうだ、村興しもあった」


 指折り数えるタニアが気の毒そうに言うと、恰幅の良い老人はニッコリ笑って首を振る。


「いいえ。この村に住んでいるからには、自分達の事はあくまでも自分達で面倒を見る。当たり前の事ですよ。いわゆる【自助共助】ですよ」


「へにゃ? 剣一、【自助共助】って何?」


 シスターが頭の上に疑問符をいっぱい並べて、王子に向かって可愛く小首をかしげる。


「あー、例えばだな。大きな地震が起きて、この国全体に被害が出たとする。当然この村の家屋もほとんど倒壊している。そんな時、食糧が底をついちゃったらどうする?」


「えー! 駄目駄目駄目。一日に三回の食事は、キシリトール教の基本理念だもん」

「ふぅー、それが基本なのか? まあいい。で、どうする?」


「うーん。とりあえず王宮に援助申請だよ。だって、村人さん達は、税金をちゃんと納めているんだもん。そんな時のためのワーシントン王国じゃない?」


「ブッブー。不正解! そんないつ来るかもしれない救援を、ただ待つだけなんていうのは愚の骨頂だ。それに税金なんて、この村だけが納めている訳じゃないだろ?」


「それはそうだけど……。じゃあどうするの?」


 食事に関しては譲れないキシリトール教のシスターが、頬を膨らませて詰め寄る。


「いいか?“誰かがやってくれる”とか“それは国がやる事だから”なんて考えている暇があったら、“まず自分で、そして自分達で何とかしろ”って事さ」


「あ、そっか【自助共助】って、自分の事は自分で守る。そして周りの人達と一緒に困難に立ち向かうって事なんだ」


「地震の例で言ったけど、今このアメリア大陸は戦乱が続いている。この村だっていつ戦渦に巻き込まれるか分からない。決してオーバーな話じゃないんだ」


「そうだね」


「他人任せじゃ、何にも始まらないだろ。それにお前、さっきロビンに言ったじゃないか?」


「え? 何だっけ?」


「『“運命”の一言で片付けるなんて、絶対に駄目だって』言っただろ?」


「あっ!」


「村長も同じさ。だからスライムの件や村興しの問題にも、真っ向から取り組んでいるんだ。すぐに解決するのは無理かもしれない。だが、背を向けて逃げたら終わりだ」


「王子様! この村を代表してもう一度お礼申し上げます。」


 そう言いながら、村長が膝をついて臣下の礼を取る。


「今のお言葉を聞いて、私は貴方様にこの村の未来を託した事が、間違いなかったと確信いたしました。村民一同、生涯この村は藤堂王子を支持いたします!」


「よしてくれよ、堅苦しいのは苦手なんだ」


 柄にもない事を口にして、しきりにテレながら頭を掻く藤堂。

 その時、それまで沈黙して藤堂や村長の話に耳を傾けていたロビンも話し掛ける。


「いいえ! 私も同感ですよ、王子。村長が口にされた“自助”って、素晴らしい言葉ですね。ちょうど今の私には、それが必要なんだって気がします」


 何かがふっ切れたように、色白の美貌がさらに輝きを帯びる。


「運命を甘んじて受け入れるなんて、他人任せにも程がある。さっきの言葉『背を向けて逃げたら終わりだ』あれは私に向かって言ってくれたのですね、王子?」


「さあ? 偶然じゃないか?」


「うんうん。そうだよ、ロビンさん。あんな盗賊にやられっぱなしじゃ腹が立つでしょ? まずはアイツを探し出して、大事な石を取り戻すことが先決だもん」


「そうさ。そして、俺達の遊撃隊が“共助”になる」

「本当によろしいのですか? 見ず知らずのエルフに力をお貸して頂いても?」


「エルフに手を貸す訳じゃない。ロビンという名のアーチャーに手を貸すだけさ」


 また少し照れたように、藤堂が頭を掻く。


「それに鉄平の相棒なら、俺の相棒も同然。もう、見ず知らずじゃないだろ?」


「はい。舌の根も乾かぬ内に前言を翻すようで申し訳ありません。王子、どうか妖精の石を取り戻すためにご協力をお願いします」


 故郷を捨てて人間界へ出てきたエルフの新緑の瞳に力強い意思がみなぎる。全てを運命のせいにして、投げやりに過ごしてきたアーチャーは、もうここにはいない。


「任せてくれ」

「やったね。よろしく、ロビンさん」


「タニア、ありがとう。君の言葉で目が覚めましたよ。妖精の石をどうするか? それは確かにあの盗賊が決める事じゃない。私が決める事です」


 緑の髪をなびかせてエルフがシスターの手をギュッと握り締める。月も恥らうような美形に見つめられて、タニアの顔がへにゃーと溶け始める。


「ウォホン。遊撃隊はこれより、ロビンが盗まれた妖精の石の奪還を目標とする。まずはあの盗賊を探し出す必要があるが、何か意見はあるか?」


 幼馴染のタニアがデレデレしているのを横目で見ながら、藤堂は咳払いをして話を元に戻す。自分では気が付かないようだが、何故だか言葉に少し棘がある。


「ロビン、もう一度確認するけど、賊に見覚えはないんだな?」

「はい。フード越しでハッキリしませんが、初めて見た顔でした」


「先輩、僕が思うに盗賊って山賊の親戚みたいなもんでしょ? 何か関係があるんじゃないっすか?」


「山賊? ……あっ! お前達が受けたクエストか」

「なるほど。【秘薬草の採取】を邪魔している奴らの事ですね?」


 相棒と一緒にクエストを受けていたロビンも、酒田の言葉を聞いてすぐにピンときたようだ。


「いいぞ、鉄平。そういえば宿の主人も、こんなふうに言っていたよな?」


『片田舎の村で、今までこんな強盗まがいの事件が起きた事はないんですけどねー』


「つまりだ、少なくともこの村の住人の誰かが、あの盗賊と関係していると考えるよりも、秘薬草の群生地の近くで最近活動し始めた山賊共を疑う方が理に適っている」


「当たり前ですよ、王子様! 村人を疑うくらいなら、まず私からお調べ下さい!」


 とんでもないとばかりに村長が抗議の声を上げる。老人の大きな身体からは、村人に対する断固とした自信と揺るぎ無い信念が溢れていた。


「分かっているって村長。ところで、秘薬草の群生地と例の山賊について、知っている事があれば教えてくれないか?」

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