第17話『誰でもいいから、握髪吐哺!』

「くそっ! 忌々しい」


 執務室に戻った王弟ガスバルが、部屋の中を行ったり来たりと忙しい。苛立たしそうに、豪奢な調度品で溢れかえる室内を歩き回る。


 巨体の向きを変える度に、腰に携えた大刀もガシャンガシャンと刺々しい音を立てる。扉の前で直立する小姓が、その音に反応して何度もビクッと肩を震わせた。


「エドモンドは、まだ来ぬか!」


 雷鳴が轟くような声を張り上げ、ガンッと椅子をけり倒す。頑丈な執務机がビリビリと震動するような罵声に、部屋付きの従者は死を覚悟しながら答えた。


「は、はい! す、すぐに参られるかと……」


 軽装備で細面の小姓の脳裏に、田舎に残してきた母親の顔が浮かぶ。知性と残忍さを兼ね備えた主君の怒りが、自分に向けられない事を祈るばかりだ。


――ガチャリ――


 その時、王弟殿下が無駄に贅を尽くした執務室の扉が、物々しい音を立てて開く。まるで蛇が滑り込むような足運びで、一人の小柄な男が入ってきた。


「遅い! 何をしておった、エドモンド。この愚か者め!」

「申し訳ありません。殿下」


 逆上しているのがひと目で分かる主人の態度にも、その男は顔色一つ変えずに一礼するばかりだ。青白い肌と一重瞼の薄い目が、彼を見るもの全てに爬虫類を連想させる。


 エドモントと呼ばれた背の低い騎士は、言い訳する素振りも見せずに後ろ手を組んで“休め”の姿勢のまま巨漢の上官を見上げていた。


「ちっ、相変わらずな奴め。まあいい。一つ聞くが、死神は今どこにいる?」


「ギシュベルの事でございますか? 彼奴は現在、南部戦線に展開する我がガーネット騎士団の中の一小隊を率いて、敵国の砦に対する監視並びに牽制を行っています」


「ふん。物は言いようだな、エドモンド? 南方の国境沿いにある敵の領地で山村を焼き払い、略奪と虐殺の限りを尽くしていると言った方が早かろう」


「御意」


「今すぐ呼び戻せ!」

「は? ギシュベルをですか?」


「ふん、小隊全員に決まっておろうが!」


「味方からも“冷血部隊”と恐れられている者達です。私の手にも余るような彼奴らを使って、今度は一体誰を殺やるおつもりで?」


「ぐはははっ、人聞きの悪い事を申すな。ワシは兄王より頼まれて、仕方なく甥である第四王子に手を貸して差し上げるのだ」


「ほほう、藤堂王子を……。物は言いようですな、殿下」


 蛇のように瞳孔を細め、冷たい笑みを浮かべながら先ほど主に言われた台詞をそっくりそのまま返して寄こす。


「畏まりました。それで妾腹の王子様は、今どこに?」

「ベリハムだったか? 片田舎の小さな村だ」


「これはまた……。我が国の北の外れですね。今から南部戦線の砦に使いを出すとしても、国境沿いで暴れまわるギシュベルを捕まえるには少々時間が掛かるかと?」


「構わん。今日、明日の事でもない。出来損ないの王子が、多少なりとも遊撃隊の戦力を拡充した頃合いを見計らってから叩き潰して……、いや援助してやれば良い」


「遊撃隊……?」


「さよう。と言ってもそのメンバーは、今のところ王子の他にシスターと戦士の僅か三人だけだがな」


「ほう、殿下らしくもありませんね。そんなヒヨッコ共を相手に、わざわざ冷血部隊を投入なさるとは。何なら私めが今から行って、この手で捻り潰して参りますが?」


「出来るか? 貴様に。遊撃隊に入ったシスターは、ジョナサン伯爵の愛娘だぞ?」


 粘着質の厭らしい目付きで腹心の部下に問う。先ほど兄王から聞かされたばかりの情報を、さも最初から自分が知っていたかのように振舞う。


「なっ! 真実まことですか? 我が国の武の要とまで謳われるサファイア騎士団を指揮するあの貴族が、第四王子の後ろ盾になると?」


「それだけではない。知ってのとおり、既に伯爵は第三王子のマックスと共同戦線を張っている」


「となると、そこへ妾腹とはいえ第四王子が加わるとなれば……」


「さよう。ワシと第二王子がせっかくタッグを組んでいても、これでは王国内の軍事バランスが崩れてしまうわ」


「殿下とジョナサン伯爵を両天秤に掛けて軍事バランスを見極めようとしているアンドレ第一王子も、これでは向こう側に回るやもしれませんね」


「出来損ないの甥を我が陣営に取り込み、あわよくば第一王子も味方につけるというワシの計略が、このままでは水泡に帰す事になる」


「殿下の謀略が逆に仇となりましたね。しかし、伯爵はいつの間に第四王子の元へ娘を送り込んだのでしょう? 彼の性格から言えば、このように手の込んだ術策は……」


「ふん! そんな事は、どうでも良いわ。肝心なのは、奴の娘が第四王子の遊撃隊のメンバーだと言う事だけだ。だからこそ、死神ギシュベルだ。後は言わずとも分かるな?」


「畏まりました。私自ら、ただちに南部国境沿いの砦に赴き、ギシュベル率いる第十三小隊に命令を伝えます。第四王子を……、支援するようにと」


 無表情の白い相貌が尖った顎を僅かに引いて会釈する。まさに魔王の腹心と言った矮小な騎士が、王弟の顔色を伺いながら言葉を続ける。


「遊撃隊の藤堂王子とシスター。この戦乱の最中、不幸な事故で命を落とすのは、一般兵士だけではない。運が悪ければ、王族や貴族もそれは同じ事ですね、殿下?」


「エドモント、口が過ぎるぞ!」

「おっと、失礼致しました。今のは、単なる独り言ですので……」


 そう呟きながらクルリと踵を返して扉の前へと足を運ぶ。部屋付きの小姓が何も聞かない振りを装い、ガチガチに身を強張らせたまま姿勢を正す。


 王弟の執務室のぶ厚い扉がガチャリと閉まる。小柄な騎士は入室した時と同様に、蛇のように抜け目のない動きでその姿を消していた。


「国葬の準備をしておくか……。くくくっ、しかも二人分だ。わははは」


 藤堂が立ち上げたばかりの遊撃隊に、敵味方ともに情け容赦のない攻撃を信条とする“冷血部隊”の魔の手が伸びる。


――■――□――■――


 藤堂が、幼馴染の入浴シーンを覗き見した罪で、二度目の撲殺を喰らった翌日。


 今まで取るに足らない存在であった第四王子の存在が、王宮でにわかに注目されつつある事実を知らないまま、彼はベリハムの村の自室で目を覚ました。


 遊撃隊のメンバーであるシスターのタニアと女戦士に身をやつした酒田の三人で軽い朝食を取った後、リビングルームでティブレイクを楽しんでいる。


 部屋の中央にある十人掛けの大机の周りには、紅茶の甘い香りがほのかに漂う。それぞれ椅子に腰を降ろした三人が、老執事の淹れた琥珀色の液体を絶賛する。


「うはっ! この紅茶、美味しいー。爺やさんってば、すっごーい。ねぇ、剣一?」

「うーん。俺はどちらかと言うとコーヒー派だけど、確かにこれは旨いな」


 甘味と渋みと苦味が絶妙のバランスでテイスティングされた一品。タニアと藤堂が、二人揃ってティーカップを受皿ソーサーの上に戻すのも忘れている。


「そうっすね。僕もこれは好きな味っす。独特のフレバリーさは若干抑え気味にして、芳醇でふくよかなメロウ感を醸し出しているっす」


「おお! 酒田様は中々のご見識ですな、恐れ入ります。よろしければ、おかわりもご用意致しておりますので、ご遠慮なくお申し付けください」


 三人の称賛に少し得意げな表情になったチュートリアル老人が、自慢の白髭を親指と人差し指でつまみ上げる。


 遊撃隊のメンバーがモーニングティを楽しんでいる最中、藤堂は二人に向かっておもむろに切り出した。


「さてと。とりあえず、これからどうするか? みんなの意見を聞きたい」

「タニアはやっぱり、大陸全土に渡るこの戦乱を何とかしたいなって思うの」


「お前、戦争には反対なのか?」

「まさか! キシリトール教はね、そんな柔やわな教えじゃないもん」


「でも確か、神父は『人を慈しみ、人を愛する』が身上って言ってなかったか?」


「嬉しい! 剣一、よく覚えていたわね。そのとおりだよ。でもね、それは道に迷った人が、助けて欲しいって手を伸ばしてきた場合なの」


 彼女の信仰するキシリトール教の教義。王子がそれをサラッと口にした事に感激したのか。ティーカップを運ぶ彼女の口元に、バラ色の微笑みが浮かんだ。


「僕もあっちこっちの町や村で、キシリトール教の神父やシスターを何度も目にしたんすけど、みんな戦闘の最前線で回復役としてバリバリ活躍していたっすよ」


 このゲームに一緒に飛び込んだ筈の藤堂を探し、アメリア大陸のあちこちの村や町を渡り歩いた女戦士ならではの言葉だ。


「うんうん。『慈愛の精神こころ』は伊達じゃないから。その代わり、人を害するモノには断固として闘うのが、私達キシリトール教のモットーなの」


 相変わらず修道服なのか、コスプレ用のコスチュームなのか区別がつかないほど際どい格好をしたタニアが胸を張って答える。


「分かった。じゃあ遊撃隊は、これからメンバーを補充して戦力をアップさせていく方向でいいな?」


「OKっす。ゲームの完全クリアを目指して、僕は先輩の指示どおりにガンガン敵を倒せばいいっすよね?」


(だから、お前は空気を読めよ……。そんなリアルの話をしたって、ゲームキャラのタニアと爺さんには、意味が通じねえだろ)


「ふんぬっ! ふんぬっ!」


 相変わらず大ボケをかます酒田が、女戦士の姿で俄然張り切る。椅子から立ち上がったと思うと、いきなり大斧をブンブン振り回して演舞を始める。


「ったく、危ないから止めろ。それよりも、お前。このゲームを俺より三ヶ月も長くやっているんだろ? 遊撃隊に参加してくれそうな奴に、誰か心当たりはないのか?」


 ゲームに関してこんな事を平気で口にする藤堂の方も、とても空気が読めているとは言い難い。


「そうっすねー。あっ、そうだ。僕、今クエストを受けてこの村に来たんっすけど。実は、相棒がいるっす」


「何だ、お前誰かとチームを組んでいたのか?」

「ええ。クエストの中には、一人ソロじゃ厳しいモノが結構あるんすよ」


「へえー。そいつも戦士なのか?」


「いえ、アーチャーっす。基本的に同じ職業でパーティを組むよりも、いろんなジョブを混ぜ合わせたチームの方が効率的っすから」


「アーチャー……。弓兵か?」

「ハイハーイ! こんな時こそ、フェアリーの出番だピョン!」


 軽やかな音と共に次元に開いた穴から、ピョコンとウサギ妖精が顔を覗かせた。ブロンドの髪がキラキラ光り、長いウサ耳がピンと立っている。


 その姿は、いわゆるバニーガールそのものだ。


 だが、身長は五百ミリリットルのペットボトルくらいの手の平サイズだ。蒼いカフス付の短い袖口を着けた片手を、シャキンッと高く上げて発言を求める。


「アーチャーは“間接攻撃”のスペシャリストだピョン。戦闘MAP上で、一マス離れた場所から相手を攻撃できるピョン」


「へぇー。便利だな」

「しかも、相手が直接攻撃しか出来ない職業なら、反撃は受けない特典付きだピョン」


「マジか? じゃあ剣士の俺や戦士の鉄平にとって、天敵みたいな職業じゃねえか!」

「うーん。でも、弓兵は直接攻撃が出来ないんだピョン」


「つまりっすね、先輩。アーチャーから狙われると、確かに僕らには厳しいっす。弓矢で攻撃されたら、もう避けるしかない訳でしかも反撃は不可能だし」


 元柔道チャンプだった部下が、女戦士の顔で話しかけてくる。どうにも違和感があるが、『女言葉厳禁』を命じた藤堂は、仕方がなく聞き耳を立てる。


「けど、良い事もあるんすよ。弓兵のすぐ隣のマスへ張り付いていれば、今度は逆にこっちが殴りたい放題で、しかも反撃が来ないっす」


「なるほど! 一長一短があるジョブだな。で? そいつは信用できるのか?」

「えーっとレベルは、確か四だったかな……」


「いや、ソレはいいんだ。俺もタニアも、まだ他人をどうこう言えるレベルじゃないし。それよりも、人柄って言うかどんな性格なのか知っておきたいんだ」


「そうっすね。普段はアイツ、寝てばっかりっす」

「何それ! ひっどーい。それじゃあ遊撃隊の戦力ならないよ、鉄平ちゃん」


 タニアがほっぺたを膨らませて怒り出す。


 だが、サラリーマンの先輩としてずっと部下を見てきた藤堂は、酒田の何気ないセリフの違いに気が付いた。


「お前『普段は』って言ったな。じゃあ、戦闘になったらどうなんだ?」


「さすが先輩! 実はアイツ、寝ぼけた顔をしている割りに、結構いい腕なんすよ。アイツが僕の後ろに居る限り、ほとんどの敵陣を楽に突破できるっすね」


「そうか。近接戦闘でお前が暴れる後方から、反撃不可能な弓矢攻撃が雨あられと降ってくる。そんなチームを相手にするのは、想像しただけでもうんざりだな」


「そうだピョン! それもバトルの基本だピョン。剣士や戦士などの防御が高いいわゆる硬い職業が前衛を務め、その後ろからアーチャーが弓で間接攻撃するといいピョン」


「お互いの長所短所をフォローした戦術って事だな。よし、鉄平が認めるくらいの奴なら、是非とも仲間にしたい」


「たぶん、まだ宿屋で寝ている筈だから。何でしたら先輩、今から一緒に行って会ってみます?」


「ああ、そうだな。その弓兵の寝ぼけた顔でも見に行くとするか」


 思い立ったが吉日とばかりに、藤堂が腰を上げる。すでに立ち上がっていた酒田は、気が早いのか、もう部屋を出ていた。女戦士に続いて、王子もさっさと後を追う。


「え? え? あーん、剣一ったら、待ってよー」


 置いてけぼりにされたタニアが、慌てて椅子から立ち上がり出口へ駆け出す。だが、何を思ったのか、もう一度大きな机に駆け戻って来きた。


「はい、おかわりをどうぞ。まだ熱いので、気をつけてお飲み下さい」


 何事にも気が利く優秀な老執事がニッコリと微笑む。戻ってきたシスターに、スッと新しい紅茶のカップを差し出した。


「ありがとう。フゥフゥー。フゥフゥー」


 王国でも一、二を誇る貴族の令嬢らしく、陶器製のカップを優雅に摘まんで持つタニアの姿は絵になる。火傷しそうなほど熱い紅茶を冷まそうと、懸命に息を吹きかけた。


「ちょっと剣一ってば! もう、タニアを置いて行ったら許さないんだからー」


 二人が姿を消した廊下に向かって、声の限りにそう叫ぶ。

 焦る彼女は、一気に琥珀色の液体をズズズーッと飲み干した。


「熱ちちち。ひゃにゃーん! し、舌が痛ひよー。でも、美味ひいよー」


 タニアが真っ赤になった舌を口から出し入れする。


「こらー剣一、待ちなさいっへばー」


 泣き、笑い、そして怒りのごちゃ混ぜになった表情を浮かべて、藤堂達の後を追いかけて行った。


 その姿は、父親のジョナサン伯爵が見たら間違いなく卒倒するだろう。さっきまでの深窓の令嬢が、もはや台無しである。


「なあ鉄平、クエスト自体はどんな物なんだ?」


 リビングで何か叫んでいるタニアが部屋から出て来るのを待ちながら、王子が尋ねる。サラリーマン時代からの部下は、相変わらず呑気に大斧を振っている。


「えーとっすね。これは隣街の【クエスト屋】で受けた物っす」

「クエスト屋? ひょっとして、RPGの定番【ギルド】とかもあるのか?」


「あー。そんな便利な組合組織は、このゲームにはないっすね」

「ふーん。ギルドがないから、クエスト屋って訳だ。この村にもあるのか?」


「あるんじゃないっすか? クエスト屋の儲けって、結局は依頼する側と受ける側の両方がいれば成り立つ商売っしょ? 僕が今まで回った村や町にも必ずあったから」


「そうか。手数料業務って奴だな。なあタニア、お前どこにあるか知ってる?」


 リビングから飛び出すように、ようやく二人に追い付いた幼馴染のシスターに問い掛ける。熱い紅茶をがぶ飲みしたせいか、美少女の顔がほんのりと赤い。


「もう剣一っれば、一緒に行っらじゃない。ホラ、この村に一軒しかない道具屋さんらよ! ひゃーん。舌が痛ふて、上手く喋れなひよー」


「あ、お前が助けたあの少女の家か。あそこってクエスト屋も兼業しているのか?」

「そそ。武器屋に防具屋、そしれ道具屋にクエフト屋。守備範囲が広ひよね」


「まさに雑貨屋か。田舎のコンビニとは、よく言ったもんだな」

「ねえ、鉄平ひゃん? 今回は、どんなクエフトを受けらの?」


「えーっと、今回僕が引き受けたのは【秘薬草の採取】っすね」


「あ、そう言へば、この村の近くに秘薬草が地生してひる場所があるって、神父様が仰ってはよ。秘薬草っへ、普通の薬草の二倍の効果があるんらって」


「それって、簡単な“お使いクエスト”だろ? お前とその相棒のアーチャーがパーティを組まないと難しいモノなのか?」


「実は秘薬草の群生地に山賊が出るらしくて。クエストのレベル自体も上がってるっす。最近じゃ、依頼を受けた冒険者が何人か挑戦したのに、軒並み失敗しているんすよ」


「で? その【秘薬草の採取】っていうクエストは、もう達成したのか?」


「いえ。山賊が出る群生地に秘薬草を摘みに行こうとした時に、ちょうどあの半鐘の音が聞こえたんす。そこでスライムと戦闘中だった二人に会えたって訳っす」


「そう言う事か。ところでお前。相棒のアーチャーを放っておいてもいいのか?」

「ロビンは……。あ、相棒の名前っす。アイツは基本的に寝るのが好きだから」


「あ、そう」

「うふふ、ねえ、その人ってどんな顔? ハンサム?」


 酒田の返事に肩をすくめる藤堂が生返事をすると、ようやく舌の火傷が治まったのか、タニアがウキウキと会話に加わる。


「そうっすね。顔は好みがあるから。どっちかと言えば……」

「そうだね。寝ぼすけのボーっとしたアーチャーだもんね」


 ワイワイガヤガヤとそんな話をしながら、遊撃隊の三人がベリハム村の田舎道をのんびり歩く。舗装もされていない、地面がむき出しの歩道の脇に雑草が揺れる。


 朝の日差しが、ようやく強さを増し始めた頃、藤堂たちは中央にある公民館の横を通り過ぎ、酒田が宿泊している宿屋の前にたどり着いた。


「へー。田舎の宿屋にしては、洒落た造りじゃないか。それに結構広そうだ。何人くらい宿泊が出来るんだろうな?」


 藤堂が西洋風な二階建ての建物を見上げながら呟く。間口の広いエントランスを中央に、一見しただけでも左右両側に五つずつ部屋の窓が見える。


「三、四十人は楽に泊まれるっす。でも、今は僕と相棒のロビン以外、お客の姿は見た

事がないっすね」


「うんうん。そうなんだよねー。この村ってさ、近くに名所旧跡がある訳じゃないし。しかも王国の最北じゃない? 特産品とか名物もないから、観光客も呼べない……」


――ガシャン!――


 その時! 甲高い音と共に宿屋の二階のガラス窓が砕け散った。キラキラと乱反射する破片が、朝日を浴びながらタニアに降り注ぐ。


「くっ!」


 いち早く察した藤堂が、シスターを背中に庇う。辺鄙な村を憂う言葉を途切れさせ、呆然と上を見上げたままのタニアがようやく叫ぶ。


「何? 何なの?」

「あそこは、僕達の部屋の窓っす!」


 同じように二階を見上げる女戦士の酒田が指を刺した。その窓から黒いブーツを履いた脚が伸び、ガンッと窓の木枠を蹴り飛ばす。


 宿屋の庭にある小さな花壇に落下した白木の残骸が突き刺さると、二階の窓の奥から透き通る様な声が聞こえてきた。


「お待ちなさい!」


 制止を振り切るように黒いフードがついたマントに全身を包んだ痩身の男が、蹴り破られた二階の窓から姿を見せた。


 その時、頭を隠す黒いフードを掠めながら一本の矢が飛び去った。宿屋の敷地の一角にある林の大木に、その矢がカツンと乾いた音を立てて突き刺ささる。


 黒マントの男は、室内から矢を射た相手に向かってチラリと一瞥をくれると、身を翻して空中へ身を躍らせた。


 まさにヒラリといった身のこなしで、男が庭の地面に着地する。


 風をはらんだ黒いフードが、一瞬めくれ上がり素顔が露わになる。まだ年端もいかない少年の横顔に、藤堂は何故か心に引っかかるものを感じた。


「アイツどこかで……?」


 記憶を辿ろうとする王子の耳に、琴線をくすぐる様な声が上から降ってきた。


「返しなさい! それは貴方が持って行っても仕方がない物です。忠告を聞かなければ、この弓で容赦なく貴方の身体を射抜きます」


 小型の弓を構える青年が、大破した窓から階下を見つめてそう叫ぶ。内に秘めた静かな怒りを乗せて、ターゲットに狙いを付ける手に力を込める。


 アーチャーの警告を無視し、眼下を逃亡して行く黒いマントを目掛けて次々と必殺の矢を放った。


――ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ――


 だが、背中に目があるかのように黒いマントは間接攻撃を避けた。右へ左へ蛇行しながら走り去る。ジグザグに逃げる男の足元の地面に、虚しく木の矢が何本も突き刺さる。


「酒田さん、奴を逃がさないで! 追い掛けて捕まえて下さい」


 階上の窓から身を乗り出しながら、弓を引き絞るアーチャーが庭先でこちらを見上げる女戦士の相棒に懇願する。


「え? ああ、いいっすけど。どっちに行ったっすか?」

「ああ、しまった。何と逃げ足の速い……」


 どうやら弓を構えるアーチャーは、黒マントを見失ったようだ。階下から彼を見上げる相棒に捕獲を依頼しようとして、一瞬視線を移したのが致命的なミスになった。


 消え去った男の姿を求めて視線を彷徨わせたまま、糸が切れたようにがっくりと手にした武器を下ろす。


「鉄平、あれがお前の相棒なのか?」


 あまりに突然のアクシデントに、何も対応出来ずにいた藤堂がようやく口を開く。

 その隣でタニアは、なぜかアーチャーの顔を見つめたままボーっとしている。


「そうっす。珍しく起きていると思ったら……。今日は特に、寝相が悪いみたいっす」


「そんな訳あるか! どう見ても部屋に賊が押し入って、何か盗られたに決まっているだろ! タニア、この村に警察とかはないのか?」


「ふぁー! すんごい美形。鉄平ちゃんてば、どこがボーっとしたアーチャーなのよ」


 シスターの見つめる視線の先。壊れた二階の窓には、モスグリーンの髪をそよ風になびかせた一人の妖精がいた。まさに美の女神が気まぐれで創り上げた端正な相貌。


 涼しげな瞳は、髪の色と同じく若葉を思わせる深い緑。スッと通った鼻梁にばら色の頬と淡いピンクの唇。細い顎のラインも中性的な美に溢れていた。


「だぁぁぁぁ! タニア! 聞いているのか、お前?」


 王子の言葉にも、フゥッとタメ息を吐くばかりで返事が返ってこない。


「クソッ! そうだ、フェアリー! さっきの黒マントを探してくれ。上空からだったら、何とか見つけられるんじゃないか?」


「はぁーっ! あの人、本物の妖精さんだピョン。ヒューマンタイプはアニマルタイプの私達と違って、この世界では滅多に姿を見せない筈なのに……」


 タニアと同じく二階の窓を見上げるウサギ妖精が、この場面では全く必要のない情報を呟きながら、ロビンという名のアーチャーをうっとり見つめている。


「お、お前らなぁぁぁぁぁ!」

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