第14話『やっぱりゲームは、脱出不能?』

 ベリハムの村にある王子の自宅。広めのリビングは、中央にある大きなテーブルの席が埋まるほどの人ごみで溢れかえっていた。


 村長及び村の役員連中。そして半鐘の音を聞きつけて、駆けつけてくれた村の青年団の若者達。雑貨屋の夫婦、それにキシリトール教会の神父とシスターの姿もある。


 その時、扉を開けて数名の村人達が部屋に入って来た。部屋にいた大勢の瞳が一斉に彼らに注がれて、ごった返していた喧騒状態が一瞬で静まり返る。


「おお、ご苦労様でした」

「いえいえ、魔物の姿は見当たらなかったので、比較的楽でしたよ」


 労うように村長が声を掛けると、リーダーらしき若者が答える。どうやら草原の調査に出向いていた青年団の一行が、仕事を終えて戻って来たようだ。


「すると、もうあそこは安全のようですね。バリケードも外しますか……」

「いえ、それは止めた方がいいですよ」


 少し疲れた様子の若者が残念そうに首を横に振ると、一緒に帰ってきた青年達も彼に同意するように表情を暗くする。


「実は、魔物どもが一体どこから湧いて出たのか調べようと思って、草原中をしらみ潰しに調査してみたんですよ」


「おお、よく気が付いてくれましたね。それで、どうでした?」


「結果から言えば、最悪です。草原の一番奥にある岩山の裏側に、大きな洞穴が開いていました。近寄るだけで異様な臭気が漂い、耳を澄ませると魔物の叫び声が微かに……」


「何ですと! じゃあ、その中にまだスライムがいると? それは一大事。さっそくその穴を塞がないと!」


「ご心配なく。とりあえずの応急措置ですが、山間の狭路に作ったバリケードを流用して、洞窟の入り口を塞いでおきました」


「助かります。呪札はどうしました?」

「もちろん、残らず貼り直してきましたよ」


「ふぅ、それならばひとまず安心です。ただ……」

「ええ、今後の対応を村の役員会で協議すべきでしょうね」


「うーむ」


 思案顔で腕を組む村長に、村役の一人が声を掛ける。


「村長、いつまでも王子様の家に押しかけているのも何だ。村の公民館へ席を移してから、今後の対応を練った方が良くねえべか?」


「あたたた、これは迂闊でした。昨日からバタバタ続きで頭が回らなくて。王子様、昨日の今日なのに、あっという間に魔物を退治して頂き感謝の言葉もありません」


 王子の家に集合してから、もう何度も頭を下げた村長が再び感謝の言葉を述べる。


「お疲れの所、申し訳ありませんでした。我々はすぐに退散いたします」


「あー、俺は別に構わないぜ。あの半鐘のおかげで命拾いしたからな。こっちこそ見張り役だった二人には、いくら感謝しても足りないくらいだ」


 王子の言葉に、ちょうど部屋の隅にいた当の本人達がしきりに頭を掻く。


「いやぁー、あの時は“虫の知らせ”っつーか、嫌な予感がしただ。こいつと二人で草原の入り口まで見に行ったら、魔物どもが一斉に王子様達の方へ動き出しただ」


「んだ、んだ。こりゃいかん、と思って叫んだども、遠くて声が届かんくて」

「こうなったらって、大急ぎでバリケードまで戻って半鐘をジャンジャン叩いただ」


「あの音を聞いたから、僕はあの場に駆け付ける事が出来た訳っす」


 大柄な女戦士の姿をした、中身は藤堂の部下である酒田鉄平が口を挟む。


「今聞くと、私達って……。ホントにラッキーだったよね、剣一?」


 幼馴染のシスターが王子に問いかける。少し身震いしながら尋ねる彼女の胸元がたゆんと揺れる。それを横目でチラ見しながら王子が答えた。


「……全くだ。正直ギリギリの勝利だったからな」


「まさしくそれは、若様の人徳の成せる業でございます!」

「どわっ! ジジイ、どこから沸いて出た?」


 タニアに向けている藤堂のけしからんガン見を遮るように、真横から老執事がタニアとの間にカットインして来る。


 居間の床を流れる様にスライド平行移動するという、人間とは思えない特技を披露しながらチュートリアルが現れた。まるでアイススケート場のリンクを滑るようだ。


「しかも、これほど早くレベルアップもなされたようで。陛下より若様の後見人を仰せつかって十六年。爺は、今日ほど感動した日はございませんぞ!」


「だから、手を握るなって。鬱陶しいから」

「これは失礼致しました。つい喜びのあまり……」


(あんた、絶対に確信犯だろ?)


 それでもギュッと握り続けるチュートリアルの白手袋の両腕を邪険に振り払う。


「タニア、私達も今日はそろそろお暇いとましましょうか?」


 彼女がお世話になっている村の教会の神父も声を掛ける。

 王子達が魔物を排除してから時は過ぎ、すでに陽は山の端に隠れようとしていた。


 リビングの窓から見える景色も、夕闇に染まりつつある。カラスの鳴き声が山林に木霊して、ベリハムの村を包む空気も徐々にその温度を下げていく。


「うーん。でもタニア、今度新しく遊撃隊に入ってくれた“鉄平ちゃん”と色々と話がしたいな」


 大柄な女戦士を横目で見ながら、キラキラ光る大きなグレイの瞳で元気一杯に答える。絶体絶命のピンチを切り抜けてまだ間もないが、そこは若さ所以だろう。


「そう? じゃあ、私達は先に帰っていますから。ねぇ、あなた」

「そうですね。久しぶりに夫婦水入らずで、夕飯を食べましょうか?」


 シスター真由美がそう言うと、夫の神父が嬉しそうに相槌を打つ。

 ベリハムの村随一のいちゃいちゃカップルが、またベタベタし始める。


 しかし、ここでタニアの顔色が激変した。どうやら神父が不用意に漏らした『夕食』の一言に反応したようだ。


「やっぱり、私も一緒に帰る!」

「え? 今、鉄平と話がしたいって言わなかったか?」


 タニアの急変ぶりに藤堂が驚いて尋ねる。すると、胸を張った若いシスターは、自信満々な態度でこう答えた。


「“腹が減っては、戦は出来ぬ” だもん」


(あ、そう。やっぱりな。教会でご馳走になった昼飯が、アレだったからな。夕飯はもっと凄いんだろうな……)


 藤堂が胸の奥で納得する。

 幼馴染のシスターは、どうやら色気よりも食い気らしい。


「よく言いましたね、タニア。それでこそキシリトール様にお仕えする神の巫女です」


 キリッとした表情でシスター真由美が褒める。まさしく神に仕える聖女の言葉だ。


 だが、彼女の制服は、ほとんどボンテージファッションと言った方が早い。タニアの格好もかなり際どいが、神父の妻のコスチュームは目のやり場に困るほどだ。


 色気も食い気もタニアを大きく上回る先輩シスターが、大きくドカンと飛び出した胸の前で両手を組み、神に祈りを捧げるポーズで目を閉じる。


 それを見習ってタニアも同じく瞑想に入る。神父を間に挟み、二人のシスターが祈りを捧げる姿は、無機質だったリビングルームに荘厳な雰囲気を醸し出していった。


 だがその時、この神聖な空気をドタバタ喜劇に変える音が部屋に響き渡る。


――ぐぎゅるぎゅるぎゅる!――


 聞き違いようもない空腹を告げるお腹の虫が、一斉に鳴り出した。瞑想を中断したタニアがパッと顔を上げてキョロキョロと辺りを見回す。


「おやおや。タニア、またですか?」

「ち、違うもん! シスター真由美のお腹だって鳴っているんだから!」


(……ったく、お前の腹だって鳴っただろうが! お昼にアレだけ食っておいて、もうスッカラカンなのか?)


 開いた口が塞がらない王子をさらに愕然とさせる音色がリビングに流れる。


――ぐぎゅるぎゅるぎゅる!――


 またしても盛大に健康のバロメーターが鳴り響いた……。

 神父のお腹から!


「コレはいけませんね。早く帰って晩御飯を食べないと!」

「そうですわ、あなた。人々を導く筈の私達が、先に飢えてはなりません」


(あ、あんた達なぁー!)


 山のようにあった昼食を少ししか食べなかった藤堂が、神に仕える食欲権化の二人に呆れ返る。さらに幼馴染のシスターが、とんでもない事を言い始めた。


「うんうん。ご飯は、人間にとって基本中の基本だもん! しっかりと夕飯を食べて、まずはキシリトール教会が率先して、皆に手本を見せるべきだよね」


(そ、そんな手本が、あるかぁああああああ! ハァハァハァ……)


 藤堂が心の奥底から魂の慟哭ツッコミを炸裂させるが、神父と二人のシスターはすでに心ここにあらずといった様子で、そそくさと席を立っていた。


「では、王子様。失礼致します」

「じゃあね、剣一。また明日―」


 それを見た村人達も良い機会とばかりに、一斉に腰を上げる。


「じゃあ村長、我々も引き上げましょうか」

「そうですね。役員の皆さんは、午後七時から公民館で打ち合わせをしますから」


 村長が役員会の連絡を伝え終えると、村人達は三々五々と王子の家から頭を下げながら去っていく。


「若様、私は夕飯の仕度に参りますので。何か御用がございましたらお呼び下さい」


 老執事も腰を折って挨拶した後、部屋から出て行った。


 人並みで溢れていたリビングルームが、急にシーンと静まり返る。

 さっきまでなんとも思わなかった部屋の広さが、藤堂には痛いほど感じられた。


 今、王子の前にはサラリーマン時代からの部下がただ一人いるだけだ。女戦士のアバターに心を移した酒田に、ようやく声を掛ける。


「鉄平。お前に会えて良かった。正直言って今、俺はホッとしているんだ」


「僕もっすよ。最初は感動したりドキドキしたりして、一人でこの世界を楽しんだっす。でも、共感できる人が居ないと楽しさも半分だし、不安になってくるし……」


「だろ? 同じ境遇の奴が一緒に居ないと、この感覚は分かち合えないよな」

「ゲームのキャラクター達に、リアル世界での話をしても通じないっすからね」


「それだ! この目で見ている世界。耳から聞こえる音。自由に動かせる身体。コレがすべてゲームなんだからな。なんて言うか……口に出せないもどかしさ?」


 部屋の中央にデンッと据え置かれた大きな四角いテーブル。年代物のクッションもない木製の椅子に深く腰を掛けた藤堂が、心の底から呟いた。


「そうっす。こういったネットゲームは、結構な数をやってきたつもりなんすよ、僕も。でも、正直こんな世界は初めての経験っす」


「俺もこれほど最先端のゲームは聞いた事もなかったよ。3Dなんて目じゃないだろ? さすがにこれはヤバイと思って本気でビビッたぜ」


 廊下の向こうから微かに良い匂いが漂ってきた。老執事が腕によりを掛けて料理を作っているのだろうか。


 リビングルームに再び静寂が訪れる。


「なあ、鉄平。とりあえず、ネットカフェに一度戻るぞ。歌舞伎町のヤクザも、そろそろ引き上げただろうからな」


「そうっすね。結構面白かったから、次の休みにまたやりたいっすね」

「ああ、俺も時間があれば付き合うぞ」


「じゃあ、ログアウトっすね? でも先輩、やり方を知っているんすか?」

「知る訳ないだろ! 俺はお前に聞けばいいと思っていたからな」


「それが、この世界に来てから僕、色々試したんっすけど……」


 どうしていいか迷っている素振だ。学生時代、柔道のインターハイチャンプだった格闘家にしては、珍しく決断力が感じられず口も重い。


「実は……、リアルの世界に戻る方法が分からなくて困っているっす!」


「な、何だと! じゃあ俺達、どうやって帰るんだよ」

「それが知りたくて、先輩を探していたっす」


「な、何だと!」


(どういう事なんだ、いったい……。誰かに嵌められたのか? いや、それはないか。新宿のヤクザを振り切るために、適当に飛び込んだネットカフェだったからな)


 歌舞伎町での出来事が、藤堂の胸をかすめる。


店はありきたりな漫画喫茶だった。ぼったくりバーでのトラブルから、サラリーマン二人が身を隠すにはもってこいの場所に違いなかったのだ。


 店の受付嬢は、とんでもない美女だった。腰元でキュッと絞ったタイプのジャケットを着こなした、ショートカットのクールビューティが鮮明に蘇ってくる。


 柔らかくてしなやか素材で出来たピンクのブラウス。首に巻いた碧いスカーフとタイトなミニスカートから長く伸びる美しいラインの素脚。


 だが、何故か藤堂の意識下では、彼女の顔だけが霧の向こうだ。類まれなる美女だという覚えはある。しかし彼女の目や鼻や口元、輪郭などはおぼろげで思い出せない。


「俺はロールプレイングゲームには詳しくないんだが、普通ならどこかのポイントで【セーブ】とか出来るんじゃないか? で、その後で電源を切るっていう流れだろ?」


「いえ、最近のMMORPG(多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム)は、自動で【セーブ】されるっす。常にデータは上書きされているっす」


「そうか、そう言えばタニアが暮らしている教会でも、神父は【セーブ】について一言も口にしなかったな」


「僕が今日まで旅して回ったアメリア大陸には“冒険の書”なんてなかったっす。もちろん“電源を切る”や“ログアウト”のボタンも見あたらないっす」


 先輩の話に合わせるように、一昔前に大流行したRPGソフトの【セーブ】方法を引き合いに出しながら、女戦士になった酒田が答えた。


「クソッ! 一体どうすりゃいいんだ?」


「僕、先輩に会ったら一度試そうと思っていたんすけど。バトルモードで、HPをゼロにしてみたらどうかなって?」


「おっ、そうか……。その手があったか!」


 藤堂の頭上に現れたLEDのランプがピカッと光った気がした。

 だが、すぐにその方法をすでに彼は身を持って試している事に思い当たる。


「いやいや、駄目だ。それは一回やってみた。って言うか、やられたっていうか」

「え? 先輩、死んじゃったんすか?」


「……タニアに撲殺された」

「うぷぷぷ。モンスターじゃなくて、シスターにやられたんすか? おほほほ」


「てめぇ、女口調になっているぞ!」

「ギクッ! いや気のせいっす。僕は男ッす」


 無意識に片手を口に当てて高笑いしていた女戦士が素に戻る。


「ふんっ。まあいい。そういう訳でHPがゼロになっても、俺の意識はネットカフェに戻れなかった。次の朝この家のベッドで目が覚めたんだ、もちろんこの姿のままでな」


「そうっすか。じゃあ僕のHPがゼロになっても一緒っすね? いや、まてよ……」

「どうした?」


「このゲーム。僕が思うに、主役は先輩っすよね?」

「そうか? 一人一人が主役じゃないと、ゲームにならないんじゃないか?」


「普通はそうっすよね。でも、先輩は王子で、僕はただの戦士っす」

「王子になりたいんだったら、いつでも替わってやるぞ」


「まさか。せっかく先輩が一緒にいるんだから、そんな役回りはお任せするっす」

「ちっ。“そんな役回り”じゃなくて、“損な役回り”じゃねえか!」


「とにかく、僕は脇役に徹するっす」

「あ、そう。で? 主人公と脇役の違いがどうかしたのか」


「もしこの世界で主役以外のキャラが死ぬと、たいていのシミュレーションゲームでは、復活が出来ないってパターンがほとんどっす」


「なっ! 生き返れないって事か?」


「ええ。だから、もしこの女戦士のHPを例えわざとゼロにして死んじゃったりしても、ひょっとしたら僕は戻って来られないかもしれないっす」


「おいおい。歌舞伎町のネットカフェで、目が覚めるだけだろ?」

「先輩は、HPがゼロになっても新宿に戻れなかったんすよね?」


「それは、たまたま俺のキャラが主役だったからなんだろ?」

「じゃあ、脇役だけ元の現実世界に戻れるっすか?」


「……ないな。それはない。そんな方法でしかログアウト出来ないゲームなんて、欠陥だらけのソフトは有り得ねえ」


 まっすぐ見つめる女戦士の質問に、藤堂は社会人として常識的に答えた。


「そうっすよね。もし、さっきの方法で僕だけあの漫画喫茶に戻ったら、絶対に店の従業員を締め上げるっす」


「そりゃそうだ。逆の立場なら俺だってそうする。隣で妙なマシンに繋がれているお前をみすみす放っておく訳がない」


「となると、店側からすればトラブル必至っすよね?」

「言われてみれば確かにそうだな。って事は……?」


「もし僕の女戦士アバターがこの世界で死んだとしても、リアル世界でサラリーマンの酒田鉄平が目を覚ます確立は限りなくゼロに近いって事っす」


「くそ、お前に会えれば何とかなると思って、ろくに考えもせずにゲームをここまで進めてきたけど。これは参ったな、いったいどうすりゃいいんだ?」


 その時、藤堂の深層心理の奥底から、顔すら定かでないネットカフェの受付美女の声が響いてきた。


――制限時間はございません。ストーリー中の行動は貴方達の思いのまま。選択次第では、驚くようなエンディングが……。自由度はマックスに近い設定です。仲間と一緒に、戦乱の続く大陸統一を目指すも良し。また、王国の玉座を奪って屍の山を築き、一人覇者の道を突き進むのも良し。何より無事にゲームをクリアなされることを、心から期待しておりますわ。藤堂剣一様。そして、酒田鉄平様――


「鉄平。お前、このゲームをどう思う?」


 現在の状況の核心に迫る質問を、王子がようやく口にした。


「正直、よく分かんないっす。 少なくとも僕が今までにプレイしたゲームじゃないっす。もう、操作性とか完成度とかそんなレベルじゃ表現できないっすね」


「全くだ。まるで昔見た映画そっくりだしな。もうゲームを通り越して、第二のリアル世界そのものって気がするぜ」


「そうっすね。このアバターも慣れるまでは結構時間が掛かったすよ。さすがに最近は減ったけど、三ヶ月経った今でも、朝起きて鏡を見るとギョッとする事があるっす」


 中身は巨漢の柔道インターハイチャンプだった酒田が、赤い髪の女戦士の顔でそう口にした。


「な、何? 今、お前なんて言った?」

「へ? 朝起きて鏡を見るとギョッとする事が……」


「違う! その前だ」

「さすがに最近は減ったけど、三ヶ月経った今でも……」


「何だと! お前、もう三ヶ月もこのゲームやっているのか?」


 ガタンッと堅い木の椅子を倒して、藤堂が立ち上がる。血相を変えたその表情は、鬼気迫るものがある。女戦士の姿をした部下の前に近寄り大声をあげた。


「そんな、バカな!」


「本当っすよ。アッチの街からコッチの村まで、先輩を探してそこら中を歩き回ったっすよ。誰に聞いても手がかりないし、参ったっすよ」


 藤堂よりも上背のある女戦士が、ベッドの脇の小さなパイプ椅子にお手上げのポーズを取る。そしてデニム地のショートパンツから伸びるカモシカのような脚を組んだ。


「いくら探しても先輩はいないし、ひょっとして【別鯖】を選んだんじゃないかって、もう諦める所だったっす」


【別鯖】

 別サーバーの意味。MMORPG(多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム)では、膨大な数のユーザーに対して一つのホストコンピューターだけで処理する事が容量的に困難なため、いくつかのホストコンピューターに分けてそれぞれ同じ内容のゲームを提供している。

 よって、例えば、友人同士で同じタイトルのゲームを遊ぼうとしても、選んだサーバーが違えば二人のキャラはゲーム内で出合うことはない。


「でも、ようやくめぐり合えたのね! まさに運命の出会い。二人は赤い糸で結ばれていたんだわ! おほほほ」


 ヤクザから身を隠すために新宿歌舞伎町のネットカフェに飛び込んだあの日から、三ヶ月間もこの女戦士のアバターで、この世界を彷徨っていた酒田がつい調子に乗る。


 片手を口に当てた厳つい顔が、しなを作って高笑いする。


「装着!」


 それを見て鬼の形相になった藤堂が一言叫ぶ。彼の手元が金色の粒子で覆われた瞬間、具現化されたショートソードが右手に握られていた。


 その刹那! 銀色に煌く凶刃が、空気を焦がしながら大柄な女戦士の首を掻き切る。


――キンッ!――


 全身全霊を込めて抜き放った短剣を間一髪で大斧が防いだ。ギリギリと甲高い金属音をリビングルームに響かせながら、二人の鍔迫り合いが始まる。


「ど、どわっ!」

「ちっ! さすが三ヶ月もやっていると斧を出すタイミングも結構早いじゃねえか!」


「い、今。死んでたっす! 僕のレベルが上がってなかったら、絶対死んでたっす!」

「忘れたのか? 女言葉で喋ったら殺すって言っただろ! 俺は嘘が大嫌いなんだ!」


 阿修羅のごとく藤堂が白刃をねじ込んでいく。リアル世界の日本でならまだしも、このゲーム世界のアバターで比較すると、体格差もレベルも圧倒的に酒田に分がある。


 だが、それをものともしない王子の迫力。


 グイグイと圧し掛かるように刃が大斧を押し込んでいく。女戦士の首筋まであと三センチ……二センチ。


 藤堂の過去に何かあったのだろうか? “ニューハーフ”や“おかま”などは彼にとって黒い歴史のようだ。


「この世界に来てからずっと三ヶ月もこんな口調だったっす。だから、つい……。もうしません。もう言わないっす」


 白銀の刃が首の皮まであと五ミリまで迫った時に、ようやく酒田が降参する。と言うか防戦一方で、口も聞けない状態だったのだ。


 部下の謝罪を聞いて、藤堂がスッと剣を引く。本気で涙ぐんだ酒田が、斧を掴んだままパイプ椅子からズドンと転げ落ちる。


「ヒドイっすよ、先輩ー」

「やかましい。空気を読まないお前が悪い!」

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