第13話『お前いつから、驚天動地?』
――ジャンッ! ジャンッ! ……ジャンッ! ジャンッ! ジャンッ!――
まるで葬送曲のように半鐘が打ち鳴らされる。不吉な鐘の音が草原に響き渡ると、王子とタニアを取り囲む魔物達が怨嗟の雄叫びを上げる。
――グギャギャッ!――
「タニア、絶対に諦めるなよ!」
「うん!」
背中合わせで待機する。ピンと糸を張り詰めたような緊迫感が、空気の比重を増していく。
(くそっ、喉が焼けるぜ。何だ、この感覚? 剣道インターハイの決勝でも、こんなに緊張したことはなかったのに)
お互いに荒くなる呼吸。ビートを刻む鼓動。絶体絶命の危機に立った二人を、どうしようもなく熱くしていく。
ボススライムには王子。そして雑魚スライム達にはタニアが、それぞれ正対して魔物の群れを迎え撃つ。
「来るぞ!」
【ボススライムのターン】
青紫色に揺らめく腹の部分がボコリと盛り上がり、粘液状の触手が伸びる。
「そう何度も、同じ手を食うか!」
王子が待機するマス目“岩山”の地形効果で回避率はアップしている。ボススライムが繰り出した槍状の触手を難なくかわす。
だが!
槍術の“二段突き”とでも言えばよいか? 一本目の触手に隠れるように、そのすぐ下を別の触手が奔っていた。唸りを上げる凶器が、避けきれない王子の左肩を捉えた。
「何だとっ? 二本目か! グハッ!」
思わず左肩を押さえる。皮の盾を持つ左手に力が入らない。ダランと下がりそうになる防具を必死で持ち上げ、それでも藤堂は果敢に反撃を試みる。
【王子のターン】
「クソッタレ! シャアア!」
正面のマス目にへばりついているボススライムのど真ん中。腰溜めに構えた体勢から、ショートソードをねじ込むような必殺の一撃が決まる!
王子の身体が眩くフラッシュした。
だが、相変わらずぬるっとした感触。手応えなく短剣の柄の部分までめり込む刀身。
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
【戦闘情報】
┏━━━━━━━━━━━
❙ 氏名:ボススライム
❙ 役職:リーダー
❙ LV:5
❙ HP:14/18
❙ ■■■■■■■■■■
❙ ■■■■□□□□
┗━━━━━━━━━━━
「クソッ! クリティカルヒットでも、ダメージはたったこれだけか!」
特殊能力【融合】で雑魚スライムを吸収し、レベルアップしたボスモンスターは、HPだけでなく防御力まで上昇していた。
【タニアのターン】
「主よ、彼の者の御霊みたまを回復させ給え。ライファ!」
短い杖を振り上げ、聖書を抱え持つ左手に力をこめる。茶褐色の魔物に囲まれて袋叩きになりながらも、シスターはひたむきに王子の怪我の回復を続ける。
【雑魚スライム達のターン】
――グギャギャッ!――
正面、そして左右から続けざまの先制攻撃が、タニアに襲いかかる。デュアルモードによる王子の“身代わり”そして“岩山”の地形効果による回避にも限度があった。
「キャンッ! 痛ーい」
スライムの体当たりを避けきれず、がっくり膝から崩れ落ちる。それぞれの魔物に対する反撃にも力が入らない。スカッと空振りばかりして、彼女の反撃が終わる。
「大丈夫か? 待ってろ、すぐに回復してやるから!」
【王子のターン】
「フェアリー! 【所持品】だ!」
「了解だピョン」
ウサギ妖精がデータ画面をポップアップする。だが、いつもの愛らしいウィンクによる情報操作にも、どこか悲壮感が漂っていた。
【所持品】
┏━━━━━━━━━
❙ 1000バーツ
❙ 薬草
❙ 薬草
❙ 運命の鍵
┗━━━━━━━━━
王子が【所持品】画面の薬草にタッチすると、“誰に使いますか?”という子画面が別に表示される。叩きつけつるように『タニア』の名前を選択した。
次の瞬間、地面にへたり込んだシスター身体がポワッ光る。顔を歪めて苦しそうな息をついていたタニアのグレイの瞳がうっすらと開いた。
「あ、ありがとう、剣一。でも、薬草が残り少ないんでしょ? 大事に使わなきゃ……」
「馬鹿野郎! お前以外の、誰に使うって言うんだ!」
王子のセリフを聞いてタニアの大きな瞳が潤む。薬草一つでHPが全快した訳ではない。だが、全身に力を込めてその身を起こし、大きな胸を張って立ち上がる。
「あたしったら、もう。回復役が、逆に回復してもらってどうすんのよ!」
コンコンッと握った杖で自分の頭を叩きながら、ペロッと小さく赤い舌を出す。
「もう、大丈夫だよ。剣一は、ボススライムに集中して、お願い!」
(コイツ、無理しやがって……)
すでに限界近いタニアが、強がりを言って浮かべる笑顔。彼女が必死でやせ我慢をしているのが、藤堂には痛いほどよく分かった。
シスターが使う低位な回復魔法に使用回数の制限はない。
だが、実際の体力はそうはいかない。
アバターと言えども、肉体はあるのだ。呪文を唱えれば疲労は蓄積する。剣を振るえば腕がだるくなる。このゲームは、単なる画面上でデータのやり取りだけではない。
疲れが溜まれば溜まるほど身体の切れは悪くなり、敵に与えるダメージは減ってしまう。逆に、敵から受けるダメージは大きくなり、回避率にも悪影響を及ぼす。
(だが、このままじゃジリ貧だ。タニアの言うとおりボスを何とかしないと、雑魚スライムでまた【融合】されたら、正直終わっちまう。ここは短期決戦しかない!)
背中合わせの状態で、半分以上HPが減ったままの二人。お互いに感じる息遣いと肌の温もりが、ボロボロになって崩れ落ちそうになる身体を支え続ける。
【ボススライムのターン】
――グギャギャッ? グギャギャッ?――
「何だ? どうして攻撃してこないんだ?」
青紫の軟体が、二人に対する攻撃の手を休め、伸び上がるように周囲を警戒する。ボススライムのただならぬ咆哮に、雑魚の魔物たちもピタリとその動きを止めた。
草原に一陣の風が吹く。いつの間にか、あれほど打ち鳴らされていた半鐘の音が止んでいた。
その時、不安を煽り立てるような葬送曲の替わりに、甲高い女の声が響き渡った。
「助太刀するよ!」
ベリハムの村から続く山間の狭い通路から、一人の戦士が飛び出して来た。草原の波を掻き分けて、長い髪の女戦士が疾走して来る。
歳は王子やタニアと同じくらいだ。だが、化粧っ気のない日焼けした素顔には、ある種の凄味を感じさせる。レベルゼロの二人とは違う、本物の戦士の顔つきだった。
【女戦士のターン】
「ふんぬっ!」
――グギャギャッ!――
両手で握った大斧が唸りを上げて振り回される。クリティカルヒットでもないノーマルな一撃。それだけで、雑魚スライムは反撃する間もなく、シュワシュワと溶け出す。
王子達の退路を塞ぐ形で、草原MAPの左半分から押し寄せた雑魚スライム達。ボススライムとの連携で絶好の左右挟撃態勢だったが、思わぬ加勢で戦況が一転した。
今度は雑魚スライムの方が挟み撃ちに晒される。しかも、相手はレベルの高い女戦士。たった一人だが、茶褐色の魔物が繰り出す先制攻撃を全て回避してしまった。
さらに、その大斧で殴りつけるような反撃が強烈だ!
女戦士の隣にへばりつくスライムを一匹、また一匹と土へと還していく。
「誰だ? あの戦士?」
「ひょっとして神父様が、村の宿屋で見かけたっていう戦士かも?」
「誰でもいいか。このチャンス、一気にいくぞ!」
「うん、剣一。いっちゃえぇぇぇぇえええ!」
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
女戦士の出現に手を止めていたボススライムが、遅まきながら王子に触手の二段突きを放った。
だが、上体反らしと盾防御で見事回避した藤堂が、さらに一歩踏み込んで斬り掛かる。
【王子の反撃】
ショートソードを上段に構えたまま、岩場で右足を踏ん張った。そのまま勢いを殺さず左足を持ち上げて、青紫色にうごめく魔物の腹の部分へ突っかける。
ブヨブヨした斜面を駆け上がるように登り詰めると、一気にボススライムの頭頂部に渾身の力を込めて白刃をぶち込んだ。
「シャアアアアア!」
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
巨大な魔物の上で刀を差し込んだまま、仁王立ちする王子の身体が七色に輝く。
「キャッホー! マスターってば、ダブルクリティカル炸裂だピョン!」
真っ白な肩がむき出しになったバニースーツ姿のウサギ妖精が、片手を振り上げて絶叫する。ヒュンヒュンと王子の頭上を飛び回る透明な彼女の羽がキラキラ光る。
【戦闘情報】
┏━━━━━━━━━━━
❙ 氏名:ボススライム
❙ 役職:リーダー
❙ LV:5
❙ HP:6/18
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❙ □□□□□□□□
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知能の低いスライムの本能か? レッドゾーンまで打ち減らされたボスのHPを
案じるように、女戦士の手を逃れた雑魚スライムが一匹、ボスに近付いて来る。
【タニアのターン】
「させないんだから!」
そう一声叫んだシスターが、魔物の上から飛び降りたばかりの王子の背後から移動する。弱ったボススライムの横に張り付いて、にじり寄る雑魚との間に割り込んだ。
「タニア、ナイスだ! それで【融合】を防げる!」
「でしょ、でしょ? それともう一つおまけだよ!」
――主よ、我の御霊みたまを回復させ給え。ライファ!――
杖をかざして呪文を唱えると、天使の輪のような光が彼女の上に舞い降りてくる。ボロボロだった彼女のHPが回復していく。
ボススライムはまだ生きている。王子よりもタニアの方が防御力は高い。とは言え、次のターンで敵の直接攻撃のターゲットが彼女に移る可能性がある。
それを見越してタニアは、万一に備えて自分のHPを回復させたのだ。
【王子のターン】
「くたばれ!」
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
藤堂の一撃で腐臭と共にジェル状の身体を周囲に撒き散らす。
【戦闘情報】
┏━━━━━━━━━━━
❙ 氏名:ボススライム
❙ 役職:リーダー
❙ LV:5
❙ HP:2/18
❙ ■■□□□□□□□□
❙ □□□□□□□□
┗━━━━━━━━━━━
「くそっ! さすがに、しぶといぜ」
だが、すでに女戦士の活躍で、雑魚モンスターは全滅していた。ボススライムが、自らのHPを回復させる特殊能力【融合】は使えない。
【ボススライムの反撃】
巨大な身体が、最後の足掻きで王子に圧し掛かってくる。
だが、トンッとバックステップを踏んだ王子の鼻先でわずかに届かない。
【女戦士のターン】
「どうやらあたしの手助けは、これ以上必要ないみたいだねぇー」
王子よりも上背のある女戦士が、タニアの後ろからのんびりと声を掛けながら最後の雑魚スライムを料理する。逞しい腕が、使い込まれた大きな斧を肩に担いでいた。
そこら辺りの野郎が束になっても敵いそうもない。男勝りの女戦士が、王子の闘いぶりを面白そうに見物する。
肩まで伸びた赤い髪。そして、なめし皮の鎧を下からグッと盛り上げる豊かな胸のラインが、かろうじてこの戦士が女性である事を示していた。
彼女の接近に気が付かない王子が、長かった戦闘に終止符を打つべく吼える。
「これで終わりにしてやる。さあ、かかって来やがれ!」
【ボススライムのターン】
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
耳障りな雄叫びを上げて威嚇する。尽き掛けたHPを物ともせず、王子の攻撃で一回り小さくなったスライムのボスが、再び気味悪く蠢いている触手を伸ばす。
その様子を見た藤堂が、フッと笑みを浮かべる。
そして何と! 左腕の盾を外して地面に放り出してしまった。
自由になった左手が、ショートソードを握る右手にそっと添えられる。両手で剣を持って静かに構えるその姿は、剣道で言うところの右青眼。
短い白刃の切っ先が、揺れ動く魔物の触手をピッタリと追尾する。
「あ、あの構えは……。ま、まさか?」
女戦士の脳裏に、新宿歌舞伎町のボッタクリバーでの記憶が蘇る。カウンターの奥で拳銃を構える熟女ママに、一本の銀のマドラーだけで立ち向かう勇姿。
熱い怒りを冷たい闘気に変えて吐き棄てたその強烈な一言。
――ババア! それは洒落にならないぞ?――
インターハイで柔道チャンプだった自分を常に『勝てない』と感じさせる男。
幼い頃からの付き合いだった。社会に出てからも面倒の掛けっぱなしで、いつまでたってもずっと頭が上がらない。
このゲームに意識を飛ばされてから、ずっと捜し求めていたその姿。ようやく見つけた彼の容姿は、想像していた以上に若かった。
だが、間違いない。中丞流で剣を構えるあの態勢。彼以外にありえない。
雑魚スライムをあっと言う間に片付け、余裕十分で見物に回った女戦士が確信する。
藤堂の独特な構えを見て、うれし涙が溢れ出す。思わず凶悪な得物を手から取り落とし、どさっと草原の地面に突き刺さった大斧に気が付きもしない。
「せ、先輩―――――――!」
たまらず口を突いて飛び出した女戦士の叫びが草原に響き渡る。まるでその声を合図としたかのように、ボススライムが死に物狂いの反撃に転じた。
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
ぬらぬらと蠢く不気味な動きの触手が伸びる。王子との距離を一瞬でゼロにする、まさに槍の一撃! さらにその死角を突くように、追撃する二の槍が空を奔る!
魔物の触手を追尾するように白刃を揺らめかせていた藤堂。青眼の構えを取る彼の姿が一瞬希薄になる。ボススライムの触手二段突きが、王子の胸と腹を易々と貫いた。
「剣一!」
ヒッ! と口に両手を当てて、息を飲むタニアの叫び。
だが、不気味な触手が突き刺さったままの藤堂の姿が、揺らめいた残像になって消えていく。次の瞬間、そこには絶妙なステップインで魔物との間合いを詰める王子がいた。
「マスター! 気をつけるピョン! 三本目が来るよ!」
中空を舞うウサギ妖精が、ボススライムの頭部から伸びる、鞭のような触手に気がついた。唸りを上げて伸びる触手を紙一重で避けながら、藤堂が裂ぱくの気合を放つ。
「往生際が悪いぜ! シャアアアア!」
【王子の反撃】
周りの草木が、彼の放った怒涛の一撃で舞い散る。
次の瞬間、視界を覆い尽すほど土煙が、タイムラグを伴って巻き上がった。
もうもうと立ち込める砂埃の中、目にも留まらぬ閃光の銀線が走る。降り注ぐように落ちてくる、数え切れないほどの青葉。
一陣の涼風が立ち込める粉塵を吹飛ばしていく。ゆっくりと視界が広がり、王子とボススライムの姿が浮かび上がってきた。
「け、剣一?」
王子の立ち位置が逆転していた。ボススライムの背後で、剣を振り切った姿勢のまま藤堂が固まっている。その姿は、まるで半透明な魔物の巨体をすり抜けたかのようだ。
――ボトン、ボトン――
二段突きの触手が、魔物の根元から断ち切られて草原の地面に転がって落ちる。
一瞬の間をおいて、ボススライムが咆哮する。断末魔の叫びを撒き散らすように。
――グギャギャッ! グギャギャッ!――
さらに次の瞬間、青紫色をした魔物の巨体に一本の線が走る。頭頂部から縦に一直線の白い筋。包丁で大きな玉ネギを縦に切ったように、スライムのボスが二つに割れた。
切断面から、ドロリとゼリーの中身が流れ出る。腐臭を放つ青黒い粘液が噴出し、シュワシュワと白煙をたてながら、ボススライムの身体を溶かしていく。
「ふぅー」
決めポーズを解いた王子が、手に持ったショートソードでヒュンヒュンと二度空を切った。白刃にこびりついた魔物の体液を吹飛ばした所へタニアが駆け寄ってきた。
「キャッホー! やったね、剣一!」
「どわっ!」
大きくジャンプして飛びついてきた、エロティックな修道服のシスターを何とか抱き留める。すると同時に、二人の身体がピンクの淡い光に包まれて、傷が塞がっていく。
王子とシスターの耳には、まるで祝福の合図をつげるような黄金の鐘の音が聞こえたような気がした。身体中に精気が漲り、少しだけ身体が軽くなったようだ。
「な、何なの?」
「お?」
「レベルアップだピョン! 二人とも、おめでとうだピョン!」
ウサギ妖精のフェアリーが、王子とシスターの頭上を行ったり来たりしながらパチパチと手を叩く。
「うっそ? ボスをやっつけた剣一はともかく、タニアのレベルも上がったの?」
「あ、そういえばそうだな」
「デュアルモードのおかげだピョン。パートナーにも経験値が山分けされるピョン!」
「やったー! ありがとう、剣一。これからも一緒にレベルアップしていこうね」
真正面から王子の首に両手を絡めて抱きつくタニア。当然、両足は草原の地面から離れているので、藤堂がおっかなびっくり彼女の細い腰を抱きしめている。
ちょうど頭一つ分上から見下ろした態勢で、タニアが満面の笑顔で話しかける。
だが、そのセリフを藤堂はほとんど聞いていなかった。
普段であれば二人の身長差が物を言って、藤堂の顔の位置は彼女の胸の谷間を見下ろすアングルばかりだ。
だが、今はそれが逆転している。タニアが抱きつくこの態勢からだと、ちょうど王子の顔の前に、柔らかな果肉の渓谷が広がっていた。
レベルアップがよほど嬉しかったのだろう。タニアが王子の首に巻きつけた腕にギュッと力を込める。
年齢を無視して成長を遂げた彼女の豊かすぎる胸の谷間に、王子は顔の半分以上を取り込まれていた。
(ふ、ふご? い、息ができねぇ! お、お前! 俺を【融合】してさらにレベルアップするつもりか!)
まさか、シスターにもボススライムと同じ特殊能力があるのか? そう考えたほど、藤堂は追い詰められていた。酸欠になり、チアノーゼで唇の色が紫色に変わってくる。
王子の口と鼻をぴったり塞ぐ脂肪の乗った双丘から、ねじ切るほど首を曲げて脱出を試みる。胸の谷間に出来た隙間から僅かな呼吸を確保し、息も絶え絶えに答えた。
「ぷ、ぷはぁっ! ああ、こっちこそ。よろしく頼むよ」
「ウォホン。もういいかしら? お二人さん」
呆れたような口調で女戦士が声を掛ける。スライムにやられそうな二人を間一髪で救った筈の恩人が、一人だけ蚊帳の外だった。
「あ、悪い悪い。助かったよホント。あんたのおかげで、何とか切り抜けられたよ。礼を言わせてもらうよ、ありがとう」
「何言ってるの、先輩。お安い御用でしょ」
「せ、先輩って……? お、お前まさか!」
「じゃーん。どう? このボディ、結構イカシテルと思わない?」
「お前……。さ、酒田なのか?」
「大正解よー」
そう言いつつ、仁王立ちするヒグマのように両腕を振り上げた女戦士が、王子に抱き付こうとする。
「ケッ!」
一言吐き棄てる藤堂が素早く体をかわすと、進撃する女戦士の足取りが乱れる。ヒョイと差し出す王子の右足に躓き、バランスを崩しながら地面へと頭から突っ込む。
「い、痛ったーい。どうして? そっちのシスターはガッチリ抱きとめたのに、あたしにはこんな仕打ちなんて……。ひどいわー」
精一杯女性らしく声を上げ、腕をくの字に曲げてイヤイヤと駄々をこねる。だが、残念ながらやっている本人が厳つい顔の女戦士では、さすがにドン引きだった。
「やかましい! 一つだけ言ってもいいか?」
「いいわよ!」
「その言葉遣い……。今すぐ止めないと、――殺す!」
「うっ! わ、分かったっす。もうしないっす、だからその短刀を外して下さい」
いつの間にか女戦士の喉に白刃が突きつけられていた。よく見れば、彼女の太い猪首に薄っすらと血のラインが滲んでいた。
「ったく、鉄平! なんだ? お前のその姿は! 誰だか分からねえだろ、それじゃ」
「いいでしょ? コレ。僕、インターネットゲームじゃ、いつもこんなアバターっす」
武器と防具一式が原子に分解され、光の粒となって消えていくのを横目で見ながら、藤堂が手を差し出す。
草原の地面に横たわる赤毛の女戦士が、その手を取って立ち上がった。どうやら、やはり彼女は、藤堂の部下でサラリーマンの酒田鉄平のようだ。
彼女(彼?)の装備も王子のそれと同じように、淡い光を放ちながらデータへと変換されて空中へと消えていった。
「ああ、そうかよ。それにしても、今までどこをほっつき歩いて居やがった?」
「えぇー! そりゃないっすよ、先輩。 僕がどれだけ探し回ったか……」
「ねえ、ねえ。剣一ってばー」
じれったそうに王子のTシャツの袖口をタニアが後ろから引っ張る。“早く、私に紹介しなさいよ”とグレイの大きな瞳が拗ねたように見つめていた。
「あ、コイツが前に言っていた“酒田鉄平”俺の後輩なんだ。よろしく頼むよ」
「……でも、どうして女の人なのよ? たしか男の戦士じゃなかった?」
胡散臭そうに女戦士の豊かな胸囲に眼を向けている。
“負けないわよ”と言わんばかりに両腕を組みギュッと力をこめると、シスターの大きく前が開いた制服から、溢れ出すように大きな果肉が突き出される。
(ゲッ? そうか。どうする? この世界はゲームだなんて説明しても、タニアに判る筈もないしな。やべぇー、あのグレイの瞳。何だか凄く怒っている気がするぞ……)
藤堂が内心、嫌な汗をかき始める。その時、助け舟とばかりに、女戦士の口からとんでもないセリフが飛び出した。
「実は僕、小さい頃から“性同一障害”だったんす。誰にも相談できず、ずっと悩んでいたっす。身体は【男】、でも……心は【女】」
(はああ? 鉄平、お前は相変わらず空気が読めない奴だな! そんなバリバリのリアルな言い訳が、このゲームの世界で通じる訳がないだろう……)
藤堂の膝から力が抜け、がっくりと崩れ落ちていく。思わず頭を抱え込んで、この場をどう取り繕うべきか、必死に考えを巡らせる。
「先輩と離れてすぐ、僕はついに思い立ったっす。今の自分は、自分じゃないって。あるべき姿に帰らなきゃ。偽りの姿を捨てて、【女】に戻るんだって……」
――ビュゥゥゥーーー!――
またしても、草原を疾風が吹きぬける。女戦士の意味不明な激白に、フィールドの時間がピタッと止まる。
「ううっ! そうなんだ。ごめんね、タニア何も知らなかったから。初対面なのに……。命の恩人さんなのに……。なんて酷い事! シスター失格だよ。びえぇぇぇん!!」
大きな瞳をうるうるさせたかと思うと、全てを悟った(と勝手に勘違いしている)タニアは、他人目もはばからずに、わんわんと声を上げて泣き始めた。
(え? 信じちゃうわけ? こいつの嘘八百を。って言うか、“性同一障害”とか、お前理解できるの? この世界ってさ、基本的にファンタジーだろ?)
「アメリア大陸の極東にあるどこかの国で、そういう『特殊な魔法』があるって聞いた事があるよ。おめでとう! 酒田さんは、やっと自分を取り戻せたんだね!」
両手で涙を拭うシスターが自分勝手に盛り上がる。それを見た藤堂は、顎が外れるほど大口を開けながら、心の中でツッコミを炸裂させた。
(おい? 性転換手術を『特殊な魔法』の一言で済ませるつもりなのか? 何、涙ぐんでいるんだよ? 嘘に決まっているだろ! シスターが、そんなに気安く信じるな!)
「私の事はタニアって呼んで。見てのとおり、キシリトール教のシスターだよ。タニア、酒田さんの味方になってあげるよ。貴女の事、全部信じるから!」
(コラッ! 子供か、お前は!)
「僕は、酒田鉄平。“鉄平”って呼んでくれれば、嬉しいっす」
「うん、分かった。よろしくね、鉄平ちゃん!」
もはや何も言う事がなくなった王子が、草原に吹く風をたった一人で見つめていた。
(もう、どうにでもしてくれー。はぅー)
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