第10話『教会なのに、食欲旺盛?』

【前回までのあらすじ】

――藤堂の部下、酒田の手がかりが得られない王子とシスターは、仕方がなく装備を整えに雑貨屋へと向かう。そこには、昨日スライムから救った幼女が店番をしていた――


【本文】

「大事な娘の命を助けて頂いた方に、うちの旦那が拾ってきたこんなガラクタを売りつけるような真似が出来ますか?」


「あ、いや。その……」


「店の場所ばっかり取って、邪魔で仕方がなかったんですよ。遠慮なさらずに、好きなだけ持って行って下さいな」


「キャッホー。良かったね、剣一」

「ああ。軍資金があるに越したことはないからな」


 王子とシスター。それに雑貨屋の奥方と妖精のフェアリーも加わってワイワイガヤガヤ、ああでもない、こうでもないと全員で店に置いてある装備品を見繕う。


 現在のレベルで装備できる武器と防具をようやく調えた二人。最初の村で行える初期装備としては、これが精一杯の内容だった。


 雑貨屋を出た二人。太陽はまだ高い。村の中央を抜ける道路にも、何人かの村人達が行き来している。王子とシスターの顔を見ると、誰もが立ち止まって会釈する。


「で、隊長さん? 装備は整えたけど、これからどうするの?」

「ちっ、よせよ。変な呼び方するのは」


「うふふ。ごめん、ごめん」

「そうだな。せっかく雑貨屋の奥さんが奮発してくれたんだ。有言実行といくか?」


「ボススライムとのリターンマッチ? 今から行くの? きゃいいーーん。でもでも、『酒田』さんだっけ? もう一人隊員を揃えなくても大丈夫かな?」


 シスターが大きな瞳をまさに目一杯開いて王子を見つめる。彼女の大好きな草原のあの場所を取り戻す。そう考えるだけで、タニアの身体中からエネルギーが溢れ出す。


 それでも、たった二人で魔物に立ち向かう事に多少の不安が生じたのだろう。未だ姿を見せない藤堂の部下が気になったようだ。


「何とかなるだろ? 所持品に薬草も目一杯詰め込んだからな。俺が倒してお前が回復。この連携で、一匹一匹倒していけば、今日中にはボススライムを撃破できるさ」


「そうだよね。じゃあ早速、行動開始ー!」


 片手を挙げて、“オーッ!”と叫びながら歩き出すタニア。内心それを見た藤堂が苦笑を浮かべながら、先を急ぐ少女に声を掛ける。


「村外れの草原は、そっちでいいのか?」


「うん。この道を真っ直ぐ行くの。そんでもって、教会を右に曲がればすぐだもん」

「教会?」


「ほら、あれよ。とんがった塔みたいな建物。知っているでしょ? タニアは、あそこで神父様ご夫婦と一緒に暮らしているんだから」


 そう言ってシスターが指差す方へ目を向ける。二人で歩く田舎道の向こうに、教会と思しき建物が見えた。片田舎でよく見かけるような教会は、支所といった風情だ。


 尖塔の先には古びた十字架が掲げられている。教会が建てられた時分は、恐らく金箔で輝いていたであろう。だが、今では青銅がむき出しになって所々サビが浮いている。


「へえ。こんな田舎にも教会があるんだな。キシリトール教だっけ? この世界じゃ、結構メジャーな宗教なのか?」


「うーん。どうかな? アメリア大陸には五十近く国があるじゃない? だから国によっては、私達のワーシントン王国みたいに、国教にしている場合もあるけど……」


「場所によっては目の仇にされて、邪教扱いしている地域もあるってか?」

「うんうん。この近隣には、キシリトール教を弾圧している国がないから安心だけど」


 狭い村なので、二人で話している間に教会の前に着く。そのまま通り過ぎようとした時、礼拝堂の大きめな扉が開いて、ひょっこり姿を見せた神父と目が合った。


 四十代前半だろうか? 神父としてはまだ若い。首に掛けたネックレスの先には十字架のペンダント。太陽の光を反射してキラキラと光っている。


 修道服に身を包む体型は中肉中背。モミアゲから顎にかけて、黒々とした髭を生やしている。年齢の割に良く似合っており、神父としての威厳を湛えている。


「おや、王子様。良いお天気ですね。何でも遊撃隊を組織なさって、早速貴方も魔物を退治されたとか? いやー素晴らしい」


 タニアが着ているシスターの制服は、エロ満載のとんでもないコスチュームだが、幸いな事に神父が身にまとった会服は、質素を絵に描いたような墨染めの黒一色だ。


 首から膝の下まですっぽり覆い隠す修道服は、どこから見ても神父に間違いない。

 それを見た藤堂は、胸の内でホッと胸を撫で下ろしていた。


(ぶるぶる。思わずマッチョな神父を想像しちまう所だった)


 万一、男性神父のコスチュームもシスターの服と同様に、切れ込み一杯の危ない制服だったら、ワーシントン国は直ちに国教の指定を取り消すだろう。


「いや、タニアが傍に居てくれたおかげで、何とか追い払う事が出来ただけさ」

「そうですか、彼女は足手まといになっていませんか?」


 神父として人を惹きつける魅力十分なスマイルを浮かべてニッコリ微笑む。


「え? まぁ、その……」


「ひっどーい! 神父様ったら。タニアが居なかったら、剣一なんて今頃ボススライムにボコボコにされて、ケチョンケチョンのパァーだったんだから!」


(“ケチョンケチョンのパァー”ってお前……。今時の十六歳がそんな単語を使うか?)


 藤堂は内心、タニアが時代遅れなセリフで抗議するのを呆れ返って見つめている。


どうやら彼女は、神父様から実家のジョナサン伯爵へ、『彼女のシスターとしての資質に疑問あり』などと連絡されるのが、相当怖いようだ。


 伯爵から娘の養育を仰せつかるほど信頼の厚いこの神父。

彼女としても親同然の彼に……


『今日タニアってば、幼馴染の王子を撲殺しちゃいました、エヘッ』


 などとは口が裂けても言えないのだろう。


「あー、やられたのはボススライムじゃなくて、こいつ……」

「剣一! 心の中じゃなくて、セリフが口から出ているわよ!」


 またしてもタニアが、地獄モードに突入しそうな目つきで王子を睨む。


(げっ! しまった)


「あははは。お二人は仲が良くて羨ましいですね。お互いの背中を預けて闘う者同士、そうでなくては! この戦乱の世を乗り越えて行く事は出来ませんからね」


「……はい」


 しおらしい表情に戻ったタニアが、神父の前で両手を組みながら祈りを捧げる。この時ばかりはセクシーな修道服姿の彼女も、一人の見習いシスターに戻る。


「私も神父として、魔物から村人達を守る立場にある身。タニア、この村の事は、私達夫婦に任せなさい。そして、これからは心置きなく王子様のお手伝いをするんですよ?」


「はい、神父様。タニアはキシリトール様の教えを忠実に守り、剣一の背中を守って戦い抜きます。そして、いつかこのアメリア大陸全土に平和の礎を……」


――グー、グー、グー!――


 その時、タニアのお腹の虫が盛大に鳴き出して、せっかくの名場面をぶち壊す。真っ赤になったシスターが、お腹と顔を交互に両手で覆う。


「や、やだ!」


「おやおや。見習いシスターは王子の背中を守る事より、自分の背中とお腹がくっつくのを心配するのが先のようですね」


 まるで自分の娘を見つめる実の父親のように、神父がタニアに声を掛ける。


「ああ、ちょうどいい。王子様。もし食事がまだお済みでなければ、一緒にお昼ご飯をいかがですか? 貧しい教会なので、お口に合うようなご馳走はございませんが」


(そう言えば、昨日から水一滴口にしていないな。この身体はゲームのアバターだから、食事なんか必要ないと思っていたが、言われてみれば確かに腹が減ったな)


「妻のシスター真由美は、結構料理が得意なのですよ。ちょうどタニアを呼びに行こうかと思っていた所です。是非とも彼女の手料理を召し上がって下さい」


「ありがとう。じゃあタニアが飢え死にする前に、遠慮なく頂くことにするよ」

「むぅ、剣一ったら! 待てー!」


 むくれるシスターから逃げるように、王子は笑いながら教会の中へ飛び込んで行った。


――■――□――■――


「もう、タニアったら急に王子様をお連れするなんて。先に言っておいてくれれば良かったのに」


 困った表情で見つめる女性も、シスターの修道服を身に着けている。驚いた事にその制服は、タニアのそれよりもかなり際どい。


 言うなれば、エロさ全開!


 少女のソレよりもさらに大きく開いた胸元からは、今にもこぼれ落ちそうな二つの迫力ある膨らみが、雄大な絶景の谷間を形成していた。


 さらに、下着が見えそうなほどウェストカットされたワンピースの裾は、膝上何十センチというよりも、股下数センチと表示した方が早いだろう。


 普通の健全な男性なら、こっちが逆に恥ずかしくなってしまい百人が百人全員、目を逸らしてしまうだろう。無論、本人の欲望を無理矢理捻じ曲げながらではあるが。


 アメリア大陸において、キシリトール教の信者が絶えないのは、ひょっとしてシスター達が身に着けている、このけしからんコスチュームのおかげなのかもしれない。


「いいえ。シスター真由美。剣一を連れて来たんじゃないよ。たまたま教会の前を通りかかったら、神父様が外へ出ていらっしゃって、そこで……」


「タニアのお腹の虫が鳴いたのね?」

「ち、違うもん!」


「ハイハイ分かったわ。貴女もお昼ご飯の準備を手伝ってね」


 そう言いながら、真っ赤になって反論する少女に同意する。熟女の色気を振りまくシスターが、腰を振ってキッチンへと姿を消す。


「王子様。こちらの席へどうぞ」


 机の上に人数分の皿や食器を並べ終えた神父が、わざわざ椅子を引いて声を掛ける。真由美と呼ばれたシスターは、どうやらこの神父の妻のようだ。


「なぁ、タニア。ちょっと聞いてもいいか?」

「うん? 何?」


「キシリトール教のシスターが着ている制服ってさ、全員がその……、何て言うか。そんな感じなのか?」


「うん? そんな感じって?」


「いや、ほら。神父の奥さんの格好も、結構派手って言うか……」

「ああ! シスター真由美は、私みたいな見習いじゃないからね」


「見習いの制服がソレで、ベテランのシスターがアレ?」


 どうしても視線を持っていかれるタニアの眩しすぎるコスチュームから、自制心を総動員して顔を背ける藤堂が、納得いかないように尋ねる。


「そうだよ。シスターだってレベルが上がれば、防御力も上がるじゃない?」

「まあな」


「すると上がった分だけ、修道服の表面積も小さく出来るわけよ」

「へ?」


「もう。察しが悪いわねー、あなた剣士でしょ? いい? 修道服の表面積を小さくするって事はイコール、制服がそれだけ軽くなるって事じゃない?」


「た、確かに……」


「装備が軽くなるって事は、イコール素早さが上がるって事よね?」

「ま、まあな……」


「そうなったら相手の一撃を、まさに紙一重でかわせる訳よ」

「そ、そうだな……」


「攻撃をヒラリと避けてサッと回復! きゃーん。タニアも早くシスター真由美みたいに、アップグレードされたあんな修道服が似合うシスターに成りたーい」


 そう言いながら、豊満な胸の前で両手をグーに握り締め、目を閉じながら身体を左右にスイングする。まるで振り子のような動きで、二つのバストが逆方向へ揺さぶられる。


(ち、違うだろ! 何かもっともらしい理由をこねくり回しているみたいだが、こいつの言う戦闘時の防御理論は、絶対にどこかおかしくないか?)


 そんな藤堂の心の中の絶叫をよそに、神父の妻が料理を運んでくる。


「ハーイ。王子様、お待たせー。シスター真由美の特製……


【地鶏と山のキノコのオイスターソース添え、ベリハム田舎風。香味野菜はお好みで】


の出来上がりよーん」


 大皿に乗せられた地鶏が、こんがりと狐色に焼けて、なんとも芳しい香りを放っている。ソレを両手に二皿ずつ、器用に運んできた神父の妻が満面の笑みで登場した。


「デ、デカイ!」


 思わず王子が唸る。その視線の先には胸元で皿を持ったまま、シスター真由美が女優のようにポーズを決めていた。


「でしょ、でしょ? 普通のニワトリよりも大きな品種なんだって。実は教会の裏庭でね、たっくさーん飼っているの。タニアが面倒見ているんだよ。 じゅるるー」


 大好物の料理なのか、彼女の目が爛々と輝いて今にも涎が落ちそうだ。


「あ? ああ、ニワトリね。ああ、確かにニワトリもデカイな」


 王子の視線、というか藤堂の意識は、シスター真由美が両手で持つ大皿の鶏料理ではなく、彼女の胸の谷間に集中していた。


(なんだアレは? タニアの胸も凄いと思うが、アレと比べたらまだまだ子供だな)


 料理を運ぶために両腕を肘の部分で直角に曲げて、ギュッと大胸筋に力を入れている。そのせいか、神父の妻が身に付けた修道服は悲鳴を上げるほど雄大に盛り上がっていた。


(ぜ、前言撤回だ。シスターの制服は、敵の攻撃を回避するためにギリギリまでその重量を減らさなくてはならない! そうたとえ1ミリグラムでも!)


「そして、その表面積を1センチでも小さくするのは、まさしく神の御意思だ!」


 藤堂は、最後の一言がまたしても王子の口から発している事に気が付かない。


「へ? 何が神の御意思なの、剣一?」


 大好物の鶏料理に気を取られ、横を向いていたタニアが王子に尋ねる。

 妄想に身を任せていた藤堂は、危うく難を逃れて苦し紛れの言い訳に走る。


「え? あ、キシリトール教は、まさに神の教えだなって思っただけさ」

「でしょ、でしょ? いいよね、キシリトール教って。うんうん」


「おお、王子様! なんと、ありがたいお言葉でしょう。実際のところ最近の若者は、無神論者が増えて困っているのですよ」


(まあ、どこの世界でもソレは同じだからな。俺だって実家は仏教だが、毎日仏壇に手を合わせる訳じゃない。せいぜい、葬式や法事に顔を出した時ぐらいだしな)


 向かいの席に腰を降ろした神父が弱った顔をしながら話しかけるのを耳にしながら、藤堂が内心でそう思う。


「でも、この村の教会は大丈夫だろ? なにせジョナサン伯爵の信頼も厚い有能な神父と敬虔けいけんなシスターが二人もいるんだから」


「これは、これは。以前お会いした時の王子様とは、まるで別人のようですね。その仰り方は、とても十六歳になられたばかりとは思えません」


「生まれ変わったのかもしれないぜ?」

「もう、剣一ったら。カッコ付けちゃって」


「ハイハーイ。ほらタニア! 王子様の傍から離れたくないのは分かるけど、貴女も残りのお料理を運んできてね」


 うふふと笑いながら、シスター真由美が机の上の皿に湯気の立つ料理を小分けしていく。テキパキと取り分けるその姿は、シスターと言うよりも、主婦そのものだ。


「もうっ! け、剣一の横にいたい訳じゃないんだから!」

「へぇーそうなの? じゃあ、私は王子様の隣に座っちゃおうかしら?」


「べ、別にいいもん。タニアは、どこで食べてもいいんだから……」


 そう言いながら、ツンとすまし顔で残りの料理を取りにキッチンへ急ぐ。


「あらら、無理しちゃって」


 シスター真由美が、まるで母親のようにクスッと笑いながら神父の隣の席に腰掛ける。


 両手一杯に皿を持って戻って来たタニアが、王子の隣に空いた席を見て安堵したように一息ついた。そして椅子に座って見上げる王子に、少女はドギマギしながら釘を刺す。


「な、何よ。か、勘違いしないでよね、剣一? もう、ここしか空いてないから、仕方がなく座るんだからね!」


 手早く手にした料理を皆の小皿に配り終えたタニアが、誰彼となく言い訳するように、ミニのワンピースの修道服に包まれた腰を王子の隣の椅子に降ろした。


「全能なるキシリトール様。今日のご飯が食べられるのも、貴方様のおかげです……」


 神父が厳かな口調で、食事に対する感謝の言葉を述べる。頭をすっぽりと黒いヴェールに包む二人のシスターが、胸元で両手を組んで静かに頭こうべを垂れる。


(へぇー。日本じゃ食事の前は、両手を合わせて『いただきます』しか言わないのが普通なのに。同じ食事を取るにしても、さすがに宗教が違うと雰囲気も変わるな)


 そんな事を考えながら、藤堂も両手を組んで目を閉じる。


“郷に入っては郷に従え”

 サラリーマンの藤堂は、いつでもどこでも臨機応変に周りと順応する事が出来た。


 一分ほど続いただろうか。神に感謝する神父の祈りがようやく終わる。


「今日の食事が出来る事を、キシリトール様の御名みなにおいて共にお祈りしましょう。では、皆さんご唱和下さい、いいですか?」


(へ? 今、神父さん。“ご唱和”って言った? アーメンとかじゃないのか?)


 王子が両手を組んだままチラッと薄目を開けて、回りを確認する。

 だが、二人のシスターは何事もなかったように背筋を伸ばして瞑想している。


 厳粛な聖なる儀式を執り行うように、教会の主が神々しい声で告げる。


「では、ご一緒に!」


「いただきます」


――ズダンッ!――


 神父と二人のシスターが両手を合わせて見事にハモる中、一人王子だけがずっこけて椅子から転げ落ちていた。


「くーっ、痛ててて」


(あれだけ前振りしておいて、最後は仏教かよ! 何だ、このゲームは? 世界観は結構しっかりと構築しているのに、宗教観はグダグダじゃねえか!)


 椅子に手を掛けて、何とか床から身を起こす藤堂が内心で毒づく。


「ホラホラ、剣一。ボーっとしていると、料理がなくなっちゃうわよ。もふもふ……」

「え? なくなるって……? お前、そんな口いっぱいに詰め込んで」


 先ほど神父は、

「貧しい教会なので、お口に合うようなご馳走はございません」

 と謙遜して言っていた。


 だが、どうしてどうして。テーブルの上には、様々なご馳走が並べられていた。白いテーブルクロスが見えなくなるほど多種多彩な昼食の数々。


 メインの鶏料理と共に肉や魚の一品料理。その他に煮物・焼き物・揚げ物から、瑞々しい野菜のサラダやホクホクと湯気の立つコーンスープまで。


 大きなテーブルが見えなくなるほどの……皿、皿、皿。

その上に様々な種類のパンやライスに麺類も盛り付けられていた……筈だ?


 だが!


「さあ、二人とも。今日は飛び入りで王子様が昼食バトルに参戦して、料理が一人分少ないのです。張り切って食べないと、晩御飯まで持ちませんよ? あははは」


 先ほどの厳かな雰囲気を一気にかなぐり捨てるように、神父が高笑いする。


 しかもその間、大きなライ麦パンとクロワッサンを頬張った口に熱々のコーンスープで喉の奥へ流し込んでいる。どうやって喋っているのか不思議でならない。


「もちろんですわ、あなた。まだまだ、私も現役ですから。おほほほ」


 神父の妻、シスター真由美も右手のフォークを突き上げる。その先にはまるでスズメバチの巣のように、ミートソーススパゲティがグルグルと巻きつけられていた。


「あーんむ。もふもふ。うーん、美味しいー。自分で言うのもなんだけど、最高!」


 上品な婦人の口がカパッと開かれ、一口でパスタが消える。


 二刀流! 間髪入れず、何と左手にも持ったフォークが、芋の煮っ転がしを――刺す、食う。刺す、食う。刺す、食う!


 それを見たタニアも、負けじとばかりに大食いバトルへ参戦中だ。


「あ、あたひだって……もきゅ、もきゅ。ま、負けないもん――むしゃ、むしゃ」


 ガッツリと好物の鶏料理にかぶりつき、貪欲に咀嚼して喰らい尽くす。はっきり言って、目つきが恐い。獲物を次々に狙い定める若い雌豹が、ナイフを振りかざした。


「そこよ!」


 豚肉をふかふかのパイ生地で包んで焼き上げた料理が、彼女の白刃で切り刻まれる。


 直方体の厚焼き玉子を斜めにカッティングしたような出来栄え。タニアがナイフを入れた切り口から、湯気と共にジューシーなソースが流れ出ている。


「神の御名において、それは、私が頂くとしよう!」

「いえいえ、あなた。私が作った料理ですわ。まずは私から……」


 タニアの剣技? でスライスされた料理に、テーブルの向こうから神父とその妻の手が一斉に伸びた。迫る二本のフォークが、まるで熟練の騎士が突く槍の先に見える。


 二人の狙いは、無論テーブルの中央の大皿にそっと置かれた、豚肉のパイ生地包み焼きだ。食べやすい大きさに切り分けた少女を差し置いて、大のおとなが火花を散らす。


 だがその時!


「やらせないってば!」


スライスに手間取った分、料理を狙う神父夫妻に遅れを取った少女が、想像を絶する妙技を炸裂させた。


「えいっ!」


 何と、大きな机の上に敷いてあった真っ白なテーブルクロスの端をギュッと握り締め、掛け声一発、グイッと手前に引き寄せたのだ。


「う、うわっ!」


 タニアの隣で料理に手を付ける事も出来ずに呆然と戦闘状況を眺めていた王子が、ここでようやく我に帰る。机からずり落ちそうになる小皿とスープ皿を慌てて押し留めた。


「剣一、ナイスフォロー!」

「あ、あのなぁー」


 さっきまでパイ包み料理が存在した机上には、場所が入れ替わるようにクロワッサンが山盛りになった大皿が滑り込んできた。


その刹那!


――カキーンッ!――


 食欲魔神と化した神父夫妻のフォークが交差し、大皿の上で乾いた金属音を立てた。


「ほう!」

「やるようになったわね、タニア?」


 神父とシスターが少女を褒める。引き戻したフォークに突き刺さっているクロワッサンを、両者ともモグモグと口の中で頬張りながら……。


「もう、子供じゃないもん!」


 親代わりの二人に、そう言ってタニアが胸を反らす。目の前には、卑怯な裏技でゲットした料理の皿が、ガッチリと両手でキープされている。


(ま、まぁ確かにそのデカイ胸は、子供には見えないけどな……)


 隣の席からちょうど見下ろす視線の先に、昼食バトルで豊かに息づくバストが揺れている。だが残念な事に、愛らしい彼女の口元は料理の油とソースでギットギトだった。


「おや王子様、食が進みませんね」

「あら? 私の料理がお口に合わないのでしょうか?」


 神父夫妻が心配そうに声を掛ける。だが、もちろん両手に持ったナイフやフォーク、そして口の咀嚼はせわしなく動かし続けていた。


「い、いや別にそういう訳じゃないんだが」


(……って言うか、突然食欲バトルを始めやがって! 誰がこんなノリについていけるかって!)


「ほらほら、タニア。王子様がご遠慮なさっているじゃありませんか?」

「そうよ。せっかく隣に座っているんだから、食べさせてあげたら? うふふ」


(ダァァァ! 気取ってないで、あんたらこそ早く口の周りを拭けって!)


 よく見ると、タニアだけでなく神父とシスター真由美の顔もひどい状態だ。


 神父の髭は、ケチャップ、マヨネーズ、ドレッシングの三国連立状態で綺麗に色分けされており、威厳もへったくれもなくなっている。


 一方彼の妻も鼻の頭にホワイトクリーム、両頬にはオイスターソース、口の周りが刻み海苔という、ピエロも逃げ出すような相貌になっている。


「しょうがないわね。もう、剣一ったら。本当に子どもなんだから!」


(お前に! いや、お前達全員から、絶対に言われたくねえ!)


 心の中で藤堂が、全力のツッコミを入れる。


 だが、他の三人は王子が、初めて訪れた教会の食卓に遠慮気味なのだと勘違いして、穏やかな眼差しを彼に向けている。


「はい。アーンして」


 確保した豚肉のパイ生地包み焼き。まだ美味しそうに湯気を立てるその料理を、タニアが一切れフォークに刺して王子の口元へ寄せる。


「や、やめろよ。じ、自分で食うから」


 これは本当に藤堂が遠慮する。

 女の子にからっきしな男が、迫るフォークから仰け反るように赤らめた顔を背ける。


「駄目、駄目。ほら、もっと口を大きく開けないと! あん、せっかくシスター真由美が作ってくれた料理が、冷めちゃうじゃない!」


 彼女のすぐ隣という逃れようのないポジション。そして、神父の妻の手料理が台無しになるという、心理的な追い込みをかけられてしまった。


 さらには、セクシーなコスチュームを雄大に持ち上げる胸元が、王子のすぐ目の前で揺れている。


 次々と退路を封じられた藤堂の目の前に、フォークに刺さった料理が迫る。


 進退窮まった彼が選択する手段は最早一つしかない。それは、ひな鳥のように大きく口を空けて、美味しそうな料理を待ち受ける事だった。


「あ、あーん」

「うふふ。はい、お待たせ」


「ふー、ふー。はふ、はふ。熱っ! あむ、あむ。うはっ! やっべえーなコレ。めちゃくちゃ美味いじゃないか!」


 パイ生地と豚肉が絶妙なハーモニーを醸し出していた。ジューシーな焼き汁が外へ流れ出さず、包み込んだパイ生地へと存分に染み込んでいる。


 サクサク感のある歯ごたえと、ミンチ状に焼き上げた豚肉の食感。熱々の料理が王子の口の中一杯に広がって、驚くほど大量の唾液が出てくる。


「でしょ、でしょ? タニアね、シスター真由美が作ってくれるこの料理が大好きなの。うふふ。もう一口、食べる?」


 そう言いながら、もう一切れ料理を刺したフォークを近づける。


「うっ」


 テーブルの向こうで神父夫妻が、若い二人のやり取りをにこやかに見つめている。


 だが、それが気になったのは一瞬だけだった。

 目の前には幼馴染が差し出す美味しい餌……。


 心理的葛藤に呆気なく白旗を掲げた藤堂は、他人目ひとめを気にせず、自分からパクリとそれに食いついた。 

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