第5話『シミュレーションRPGは、暗中模索?』

【前回までのあらすじ】

――ひょんな事からバーチャルリアリティゲーム『アメリア大陸の戦乱』へと意識を飛ばされたサラリーマンの藤堂。可愛い案内役も登場して、この先どうなる?――


【本文】

「違うピョン。フェアリーはバニーガールじゃなくて、ウサギ妖精だピョン」


 五百ミリリットルのペットボトルぐらいの身長しかない。ピョンピョンと飛び跳ねながら、生意気そうな表情で頬を膨らませる。


「本来ならこの爺が若様に付き従い、戦場を駆け巡るのが本位。ですが、何分この歳でございます。代わりといっては何ですが、この者をお付けいたします」


「私の名前はフェアリー、頑張ってマスターのお役に立つピョン!」


 そう言いながら、バニーガールの妖精はTシャツ姿の藤堂の肩へちょこんと腰を降ろす。さすがに妖精なのか、体重は感じさせない。


(うーん。ゲーム案内の爺やの名前がチュートリアルで、妖精がフェアリーか。時代背景の設定やキャラの仕様は神なのに、ネーミングセンスはバリバリ手抜きなんだな)


 藤堂は頭に浮かんだ疑問は横に置いておき、首を捻って妖精に質問をぶつける。


「お前、何が出来るんだ?」

「ハイハーイ。マスター、よく見ていてね。せーのっ、エイッ!」


 可愛らしい掛け声がリビングにこだまする。パチッと片眼を閉じてウィンクすると、突然王子の目の前にデジタル化されたデータ画像がポップアップしてきた。


「ウオッ!?」


 思わず仰け反って藤堂の腰が引ける。キョロキョロと辺りを見回すが、半透明の画像は、彼が視線を向ける全ての方向について来る。


 上下二段に分かれた画面表示。まるで折りたたみ式の本体を開いた部分に、それぞれ液晶画面を持つ、あの携帯型ゲーム機のようだ。


 上段スクリーンには、四角いマス目で仕切られたMAPが表示されている。よく見ると、どうやらこの建物の平面図だ。


 壁に仕切られた各部屋の形状や床面積に合わせて、扉などの間取りが四角いマス目に沿って描かれている。


 先ほどまで王子が眠っていた個室の向かい側には、このリビングルーム。ご丁寧に大きなテーブルまで描写されている。


 大きなその机の隣には、彼と爺やの似顔絵で表示された、キャラクターアイコンが並んで見える。


 画面上で王子が見つめる先には、四角いカーソルが点滅している。王子が視点を移動させると、カーソルもマス目に添って上下左右に自動で動いた。


「何だ、コレ! 眼の動きだけでカーソルが動くじゃねえか。十字キーは、不要ってか? おお、すっげぇ! 二回瞬きしたら、画面が開いたぞ。決定のAボタンも要らないぜ」


――さあ、スタートボタンをクリックしてみて下さい。うふふ、マウスなんて必要ありませんわ。ただ念じるだけ……――


 藤堂の脳裏に、昨晩インターネットカフェの受付美女の言葉が浮かんでは消える。


「落ち着いてピョン! これが基本画面だピョン」  


【基本情報】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ 氏名:藤堂剣一

 ❙ 役職:王子

 ❙ 職業:剣士

 ❙ 年齢:16

 ┗━━━━━━━━━

【ステータス】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ LV:0

 ❙ HP:18/20

 ❙ 直攻:0

 ❙ 直防:0

 ❙ 魔攻:0

 ❙ 魔防:0

 ❙ 必殺:0

 ❙ 回避:3

 ┗━━━━━━━━━


 下段スクリーン画面の左側にはキャラクターのイラストが描かれ、誰のデータなのか瞬時に判別できる。もちろん今は、藤堂の若い頃の絵が表示されている。


「ふんふん、なるほど……。ゲッ! 俺、弱っ! レベル0って何だよ? オイ爺さん。今どきの設定なら、『主人公は俺最強』っていうのが常識だろ?」


「は? 若様は、今まで一度も戦闘の経験がございません。よって、レベルが最低なのは仕方がないと……」


(くそ、ゲームキャラのジジイに文句言っても仕方がないか。それにしても畜生、せっかく職業の剣士が泣くぜ。これでも現実世界じゃ、俺は中丞流の免許皆伝なんだぞ!)


 頭に血が昇ってチュートリアルを睨みつける。すると、ついつい言わなくてもいいセリフまで、口から飛び出してしまう。


「あ、そうか! レベルがゼロだから身体の動きは悪いし、切れも無いって事か。分かった! だからあのコスプレ女の平手打ちが、避けられなかったんだな。うんうん」


「おやおや、どおりで。タニアの一撃で、若様のHPが減っておりますな」

「ホントだピョン。MAXから二つも減っているピョン」


 王子の基本画面を覗き込むように、左側から老執事が割り込んでくる。そして頭の上からは、フェアリーが上下逆さまになって盗み見している。


「あ、コラ。お前達、プライバシーの侵害だぞ! やめろ、見るなってば」


「コレは、恐らくクリティカルヒットですな。はてさて、一体何があったのやら……」

「シスターなのに、痛恨の一撃? タニアってば、凄いピョン!」


(畜生、この世界で個人情報は保護されていないのか!)


 ムスッとした顔に不満の表情を浮かべる藤堂の頬には、まだクッキリとビンタされた跡が残っている。


 基本情報の右には、【パラメータ】と【所持品】の欄があった。

 一覧表の形で個人の基本情報や各数値が、分かりやすくまとめられている。


 【パラメータ】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ 腕力:4/4

 ❙ 魔力:0/0

 ❙ 技術:2/2

 ❙ 速度:2/2

 ❙ 幸運:2/2

 ❙ 移動:5/5

 ┗━━━━━━━━━

【所持品】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ 0   バーツ

 ❙ ナイフ

 ❙ 薬草

 ❙ 運命の鍵

 ┗━━━━━━━━━


 さらにその隣には、キャラクターが現在どんな武器や防具を装備しているか、ひと目で分かるように表示されている。


【直接武器】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ 片手:なし

 ❙ 両手:なし

 ┗━━━━━━━━━

【防具】

 ┏━━━━━━━━━

 ❙ 頭部:なし

 ❙ 頚部:なし

 ❙ 腕部:なし

 ❙ 手首:なし

 ❙ 身体:なし

 ❙ 足首:なし

 ┗━━━━━━━━━


「どうなさいます? HPを回復なさいますか?」

「怪我を治すには、シスターが唱える癒しの呪文か薬草を使うしかないピョン」


「シスター? あ、あの娘か。フェアリー、タニアの情報って出せるか?」

「それは、無理ピョン」


「彼女は若様の幼馴染ですが、まだ遊撃隊のメンバーではございません。王子の視野に入れば、シスターのアイコンをクリックして基本情報が分かりますが……」


「なるほど。この場にいない限り、隊員以外のデータ表示は出来ないって訳だ」

「何か、彼女についてお知りになりたい事でも?」


「……ん? まぁ、ちょっとな。遊撃隊の隊員第一号は彼女にするつもりだ。攻略するにしても、下準備というか根回しというか、あの娘に関する情報は必須だろ?」


「はぁ? 攻略ですか。しかし、タニアは若様の幼馴染では? 砦を落とす訳でもなし。彼女に一言申せば、二つ返事で遊撃隊に加わって貰えるのでは?」


(ぐっ、それが出来れば苦労はしねえ……。彼女の胸を触りまくって、引っぱたかれたなんて口が裂けても言えるか!)


「あー、えーっと。その何だ。そ、そうそう。と、とある事情でシスターは現在、な、難攻不落の要塞に変わっているんだ。うん」


 老執事の【砦】という例えに、【要塞】で切り返すのが精一杯のサラリーマン。


「おやおや。それは困りましたな。私が知っている事と言えば、彼女がジョナサン伯爵家のご令嬢だというくらいでして」


 気を利かせるチュートリアルが、王子の頬に残るピンクの手形を見ないようにして、藤堂の知りたい情報を伝える。


「あの暴力女が令嬢だと! ん? ジョナサン伯爵家って、確か……」

「さようでございます。王弟殿下と玉座を争うワーシントン王国有数の貴族です」


「そんな大物の娘が、どうしてこんな辺鄙な村に暮らしているんだ?」

「はて? それはあの娘と幼馴染である若様の方が、よくご存知なのでは?」


(だから……。ゲームを始めたばかりで、こっちはそんな設定なんて知るか!)


「あ、待てよ? 爺さん、あんた今回の命令書の黒幕は王弟殿下に違いないと決め付けたよな? でもよく考たら、それはジョナサン伯爵にも当てはまるんじゃないか?」


「それはいかがでしょうか? 伯爵の実直な性格は、国中の者が知っております。このような回りくどい策略を巡らすのは、あのお方らしくありません」


「それで、今回の茶番劇の裏で糸を引いているのはガスバル王弟殿下だと考えた訳か?」

「はい。何か納得いかない点でも?」


「宮廷の現状をもう一度整理するぞ。第二王子と王弟殿下のペアと第三王子とジョナサン伯爵のペアが、病弱な国王の王位継承権を巡って水面下で争っているんだよな?」


「はい。第一王子のアンドレ様がどちらに味方するかで、この国の明暗が分かれるでしょうな」


「そんな切れ者の第一王子。そして今回、俺を巻き込むようにして、こんな手の込んだ策を弄する王弟殿下。二人とも、恐ろしいほど知略に長けた人物って事だよな」


「おっしゃるとおり。それに比べて国王からの信頼も厚いジョナサン伯爵は、一本気な性格でございます。ですからこの爺も、今回の黒幕は王弟殿下だと考える次第で」


(まさか……、ジョナサン伯爵という貴族。宮廷の現状を予期して、あらかじめ自分の娘を第四王子の傍に張り付かせておいたって事はないよな……。俺の考え過ぎか?)


「意表をついて、第一王子が裏で糸を引いているって言う線もなさそうだしな」

「アンドレ様が若様と組まれても、もう一組ワンペアが増えるだけでしょう」


 王子が思わず腕を組んで天を仰ぐ。藤堂は忌々しそうに首を振りながら、一癖も二癖もあるキャラが入り乱れるこのゲームのクリアが、いかに難しいかを痛感した。


「クソッ! とりあえず今やるべき事は、タニアを仲間に加えるのが先決だな。誰かさんの策略どおりに動くのは癪だが、曲がりなりにも遊撃隊を結成してみせないとな」


「はい。それがよろしいかと」

「しかし、タニアはどこへ行ったんだ? 居場所が分からないと話が進まないな」


「泣きながら出て行ったタニアの行き先ならば、爺に心当たりがあります。この小さな村で、誰にも涙を見せないで一人になりたい時は、村外れの草原が一番かと」


「さすがは爺さん、年の功だな」

「それ程でもございません」


(あっ! ゲームのシナリオライターが、神なだけか?)


 王子のアバターとなってこの世界を動き回っている藤堂は、ついつい彼の意識までもが現実世界と混同してしまいそうになる。


「よし、気が重いが仕方がない。ちょっとあの娘のご機嫌伺いに行ってくるか」

「もうっ! さっきから二人で喋ってばかり! 早く行くピョン」


 彼の脳裏にナイスバディのシスターが、アッカンベェーをしている記憶が鮮やかに蘇る。頭の上では小さなバニーガールが、急かすように飛び回る。


(これがイベント発生っていう奴か。ゲームクリアには、避けて通れない道なんだろうな、きっと。だが、タニアに話しかけるきっかけが難しいな。どう攻略する?)


 そんな内心の葛藤を繰り返す藤堂が、ようやく重い腰を上げようとした時、リビングルームにベリハムの村長が、真っ青な顔で飛び込んで来た。


「た、た、大変です! チュートリアル様。あわわわ」

「これこれ、村長。王子の御前ですぞ。まずは落ち着いて」


 右へ左へ、まさに右往左往する小太りの老人を執事がたしなめる。


「あ! これは失礼致しました。剣一王子様、ご機嫌麗しく……」

「そんな挨拶は抜きでいいから。それより一体、どうしたんだ?」


「ま、ま、ま、魔物です。む、む、む、村に魔物が現れました!」


 目を剝いて村長が唾を飛ばす。パタパタと両手を無意味に上げ下ろし、口を詰まらせながらも何とか執事と王子に緊急事態を伝える。


「何ですと! 若様と共に長年このベリハムで暮らして参りましたが、私の記憶では今まで村に魔物が現れた事など一度もなかった筈では?」


 あまりの驚きに、チュートリアルの眼窩から片眼鏡が外れて落ちた。


「はい。十年ほど前、南の山のそのまた向こうで魔物を見たという話以外、この近隣にモンスターが現れたなんて、聞いた事もありませんでした」


「これは一大事ですな、若様! ですが、考えようによっては逆に好機と捉えるべきかもしれませんぞ。王城で呑気に構える者どもに、王子の力を示す良い機会では?」


「ああ、そうだな」


(ふぅ。どうやら幼馴染との仲直りイベントは後回しか。取り合えずは、シミュレーションRPGのバトルを初体験させるのが先みたいだ)


「分かった。村長、モンスターはどこから沸いて出たんだ?」

「ハイ、村の外れにある草原かと。そこからスライムが数匹、村の中へ侵入した……」


「何と! そこは先程私が申し上げた、タニアが居そうな場所ではありませんか!」

「ええ。そのシスターは今、村人達の回復のために公民館の方へと……」


(おいおい、仲直りイベントと同時に初バトルも一緒にクリアしろってか? ちょっと難易度上げ過ぎだろ。ゲーム開発者め、もう少し考えてくれよ。ったく)


 真剣な表情で妾腹の王子を見つめる爺やと、あたふたとパニックのまま状況説明してくれる村長の二人を、中身がサラリーマンの王子は冷静に見つめる。


(大体、俺はこういったゲームに慣れていないんだぞ。昔やったRPGぐらいが関の山だしな。畜生、鉄平の奴なら楽勝なんだろうけど……)


「アーッ! 忘れていた。大事な事はコレだ。そうだ、鉄平。あいつは、どこに居るんだ? 確か俺と一緒にゲームマシンに乗せられていた筈だが……」


 心に引っ掛かっていた疑問を氷解させた藤堂が、リビングに響き渡るような大声を出した。巨漢の部下も必ずこのヴァーチャル世界のキャラとして、行動しているはずだ。


「なあ、村長。この村に酒田鉄平っていうキャラクターはいないか? 俺よりもデカイ大男でさ。たぶん職業は、戦士か何かだと思うんだが?」


「若様? どうなさいました? こんな緊急時に、何を呑気な事を!」

「剣一王子、早く魔物を倒して村をお救い下さい」


 プログラムの進行上、藤堂の部下を探すイベントは順番が逆なのか。二人の老人は、王子の質問には一切答えず、ひたすら魔物退治を要請してくる。


「ちっ、仕方がない。アイツを探すのは後回しだ。よし、村長行くぞ!」

「はい、ご案内いたします」


「若様! 先ほど申しましたとおり、残念ながら私はバトルには加勢できません。どうぞ戦闘方法については、そのフェアリーにお尋ね下さい」


「まっかせてピョン! 早く行こうよ、マスター」

「頼りにしてるぜ、バニーちゃん」


「違うピョン。フェアリーは、バニーガールじゃなくて、ウサギ妖精だピョン」

「はいはい」


 透明な羽をパタパタ動かして、鼻先に飛んできた小さな妖精の抗議をそっと手で押しのける。リビングルームを飛び出す藤堂が、初めての戦場へ向かう。


――■――□――■――


 ここで時間は、少し前に遡る。


 今朝、藤堂に突然胸をタッチされて、泣きながら彼の家を後にしたシスターのタニアは、老執事が予想したとおり、ベリハムの村外れにある草原に一人で来ていた。


 緑の大海原の所々に白い巨石の頭が顔を出している。大地を渡る心地良い風が、まるで波のように生い茂った若草を前後左右へと寄せては返す。


 幼い頃、王子と二人でワーシントン王国の王城からこの村に連れて来られて以来、草原にある一番大きなこの岩の上に座って感情を吐き出すのが、彼女の不満解消法だった。


「剣一の馬鹿……。いきなりあんなコトされたら、誰だって怒るじゃない。引っぱたかれても、文句言えないんだからね!」


(私だってホラ。心の準備っていうか、もう少しムードっていうか……。二人の雰囲気が盛り上がったら、考えない事もないっていうか……)


「駄目駄目! 甘やかすと、アイツはすぐにツケ上がるんだから。昨日だって私とのデートをすっぽかして、勝手に飲みに出掛けたりして! もう、最低じゃないの!」


(でも……。頬に私の手形がクッキリ付いていたよね。痛そうだったなー。HP減っちゃったんじゃないかな? 癒しの呪文を掛けてあげようかなー)


「ちょっと? どうして私の方から、折れてあげなくちゃイケナイの? 剣一が先に謝るのがスジってもんじゃないの? プンプン!」


(でもなぁー。様子が変だったじゃない? 私の顔を忘れたなんて、冗談にしてはすっごく真剣だったし……。昨日の夜どこかで頭を打って、記憶が飛んじゃったとか……)


 現実の声と心の想いが、背中合わせで交互に表現される。腹を立てては心配し、ヘソを曲げては胸を痛める。二役を演じるシスターの一人芝居がいつまでも続く。


「ふぅ……」


 大岩の端に腰掛けたミニのワンピース仕立ての修道服が風に揺れる。頭を覆う黒いケープがバタつくの軽く手で押さえ、綺麗に両脚を斜めに揃えて横座りしている。


 その時、彼女の視界の隅を何かが横切った。吹き抜ける薫風が、打ち寄せる緑の波間に浮かんでは消える。大きな瞳を凝らすと、何か得体の知れない黒い影を捉えた。


「な、何。今の……? まさか!」


 シスターとしては、まだまだ未熟で見習い中のタニア。だが、さすがに聖女を職業としているだけあって、魔物に対する反応は村人などよりは遥かに敏感だった。


 巨石の上で思わず立ち上がる。良く見ると一匹、二匹、三匹……と茶褐色をしたゼリー状のモンスターが、ぶよぶよとした動きで村へ向かって来るところだ。


 緑の大海原に点在する岩々の影が、まるで白い墓標に見えた。ベリハムに来襲したこの災厄が、村人達の命を危険に晒そうとしている事は間違いない。


「ス、スライムだわ! 早く、みんなに知らせないと!」


 トントンッと大岩の上から駆け下り、脇目も振らずに草原を後にした。

 背後から不気味な咆哮が聞こえる。魔物の脅威がゆっくりと村へと迫る。


 ベリハムは小さな村だ。外れにある草原から走れば、すぐに五十戸ほどの家並が見えてくる。彼女は一本の短い杖を握り締めて、村の中央を抜ける通りをひた走る。


 ぴったりと彼女の身体にフィットしたシスターの修道服。杖を忍ばせるポケットがあるようには見えない。いったいどこから取り出したのか?


「嘘! 村の中まで、もう魔物が!」


 すでにヘドロのような悪臭を放つモンスターが数匹、通りや家の庭に侵入していた。ぶるぶると半透明な身を震わせる、いわゆるスライムと呼ばれる魔物だ。


 幸いな事に、この魔性の軟体動物は足が遅い。日中であれば簡単に逃げ出す事はできる。戦闘力の低い村人でも、数人がかりならタコ殴りで倒すことは可能だろう。


 だが、深夜に寝静まったところを襲われたら、非常にやっかいなモンスターだ。


 攻撃力こそ弱いが、いざとなれば熊や鹿などの大型の哺乳類でさえゼリー状の体に取り込んでしまう。獲物の養分を吸収して、分裂と繁殖を繰り返すのだ。


 無論、その獲物は人間とて例外ではない。低レベルの魔物に知性などはない。邪気を放つ本能の赴くまま、手当たり次第に飲み込むだけだ。


「アワワワ……。ま、魔物? こ、これは、いったいどうした事か?」


 タニアが通りの角を曲がると、ベリハムの村長がオロオロ立ちすくんでいる処に出くわした。この異様な光景に気が動転してあたりをキョロキョロ見回すだけだ。


「危ない、村長さん。後ろよ!」

「へっ? うわっ、いつの間に!」


 タニアの叫びと同時に、茶褐色の醜悪な魔物が村長の背中から飛び掛る。濁りのある半透明なモンスターが、老人の背後から体当たりを掛けた。


「痛っ!」


 ドンッと魔物の体当たりをまともに受けた村長が、道端に投げ出される。ムニュムニュと不気味にうごめくスライムが、次の攻撃準備に入る。


「主よ、彼の者の命を回復させ給え。ライファ!」


 右手に小ぶりな杖。左手には聖書。シスターが呪文を唱えると、天から光の輪がいくつも降りて来た。次の瞬間、魔物の一撃で減ってしまった村長のHPが回復する。


「村長さん、早く立って! チュートリアル様の所へ! 王子を呼んで来て下さい」

「わ、分かった。タニア、君も一緒に……」


「駄目よ。私はシスターだもん。村のみんなを助けなきゃ。村長さんは早く応援を!」

「待つんじゃ、タニア! 一人では危険じゃ」


 老人の制止を振り切り、彼女は身を翻して村の中心部へと駆け出して行った。


「ああ、何と言うことじゃ。まさか、よりによってワシが村長を務める内に、こんな日がやって来るとは……」


 両手を胸の前で握りしめ、神に祈るような仕草で呟く。


 その向こうで、またスライムが動き始める。ブルブルと蠢く魔物が、再び攻撃態勢に入るのが目に入った。


「うわっ! いかん、こうしてはおれん。急がねば!」


 シスターに回復してもらったおかげで身体に異常はない。なんとか動きの遅いモンスターをやり過ごし、通りの向こうにある王子の家へと走り出す。

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