第6話 クライマックス:ここにはいない誰か(ノーネーム)
「――――。ぁあ、やってしまったか」
悔いる。
遂にやってしまった。
正夢が発現した。
俺は、もしかすると、このまま――
戻ってしまうかもしれないと思った。
俺の知らないどこかで止まった時計の針がまた刻み始めてしまったんじゃないかと思った。
そう思うと、俺はもうここで終わるべきではないのかと思ってしまう。
ここで、じっとしていれば、必ず訪れる死。
俺は。
「まだだ」
でも。それでも。
まだ死んでやるわけにはいかなかった。
俺は知らなければならない。
馬鹿げた話だが、15になって俺は未だに探している。自分自身という奴を。
――名前なんかどうでもいいと思っていた。
それは変わらない。
名前は呼ばれることによって意味をなす。
斉藤桂一。
偽名だ。
本当の名前はどんなものなのか俺は知らない。
だけど、俺はこの名前を呼ばれて幸せに思っている。
妹の里子に呼ばれ、姉の静香に呼ばれ(まぁ、妹に桂一だなんて呼ばれないけれど)。
そして、加子ちゃんに苗字だが、確かに斉藤さんと。
俺の存在が、他者に必要とされている。
他者に認識されている。
呼ばれることで、俺は他者との繋がりを実感する。
たったそれだけのことだが、俺は嬉しいと感じた。
だから、
「もう少し死んでやれねーよ」
もう少しこのままでいたかった。
本心だった。
嘘偽りのない心の形だった。
心だけはどんなに言い繕っても、どんなに形を変えようと、真は全てココに存在する。
だから、今は、ただその心に従って、俺は――――
「……っ、」
無茶した。
早くこの空間から脱出しねえと。
意識が――
「チェックメイト」
瞬間、鼓動を失った心臓のぬくもりが手元から消え失せた。
「――っ」
俺はここで遂に動揺した。
今ので、完全に終わったはず。
終わったはずだろうが。
じゃなかったら、俺は――
「最初に言ったじゃないですか。無音暗殺(サイレントキル)。知っているんですよこちらとしては。だから、わざわざ目の前に姿を顕した……フリをしました」
男はにっこりと笑った。
素顔は、蛇のような細長い体躯に、切れ長の糸目。
そして、次の瞬間、それは一変する。
「ククク、先程までの事は全て私が作り上げた幻術の範疇でしたが、今度は本当に殺しちゃいましたね。ハハハハハハハ、その肉塊、君と同じで幻術に惑わされただけの一般人ですよ。判断を誤りましたね、斉藤桂一君」
高ぶりと同時に、瞳が開眼される。
ギラリと光るその眼は、喜びに満ち溢れていた。
「――――」
男の言っていることは間違いじゃない。
どのみちあの見知らぬ男子生徒は死んでいただろう。
魔素(マナ)に冒されていた。
幻術に冒されていた。
だが、俺は、俺は。
俺が、殺したんだ。
くそったれが!!!!!!
無関係の人間をこの手で殺しちまったのかよ俺は!!!!!!
「おお、怖い怖い。今度こそ本当に、おお、怖い怖い」
男は今度こそ勝利を確信したようにくつくつと笑った。
そして、次の瞬間。
「ああ、楽しみだなぁ」
歌うように、軽やかに声を発した。
それは今までと本質が全く違った。
「これから君の大切なモノを一つずつ奪っていくんだ。一つ一つ。感情を与え、感情を拠り所とした時間も経験も存在全てが無に帰すんだ。ああ、楽しみだなぁ。だから殺しは止められない」
あの丁寧な言いぐさは張り付けられた面で、これが本性であらんと言わん限りの陶酔感で綴られる言葉の数々。
狂信的で陶酔的な破壊者。
これが同じ界隈に住まう異常者達か。
知っていたさ。そういう奴がいるのは重々承知だ。
しかしまさか、こいつがそうだなんて。
「ちくしょう」
ミスを犯した。
最悪、俺が死ぬのはいい。
本音を言えば死にたくはないけれど、それでも、死と隣り合わせを覚悟の上で生きてきたんだ。
でも、あの子は違うだろ。
加子ちゃんは、違うだろうが。
「殺すなら俺を殺せ!!!!」
解決になってないのは分かっている。
だが、決死の覚悟で、命を捨てる覚悟で相対するチャンスさえあれば、今度こそその命必ず貰い受ける。
だが、男は笑って受け流した。
「はは、それじゃあ。僕は校庭で眠る君の大事な少女を殺してきますよ」
「くそが!!!!!!」
また幻術。
言いたいことを言って、消えやがった。
「死んで、たまるか」
幻術使い(マジッカー)。
そうだ。苛むのは魔素(マナ)だ。
空気中に混じった生気(オド)は関係ない。
「――ハァ、ハァ――ッ」
体が熱い。
魔素(マナ)が体の中に蔓延って潜伏しているのが良く分かる。
クソったれが、俺も魔術使い(マジッカー)の仲間入りか?
だが、もう何でもいい。
「行くぞ」
切れそうな音を聞きながら、俺は体内でより多くの生気(オド)を爆発させる。
刹那、俺は体感しようのない覚醒感とそれによる死の階段を踏みしめる幻覚を見た。
視界と脳の映像が強制的に二分化され、現実と死までの距離の両方がはっきりと分かる。
生と死が混合した世界で抗う俺は、それでも神速を持って校庭まで飛び抜ける。
そして――
「ああ、来たの。しぶといな」
男を発見した。
校庭には倒れた生徒が大勢いた。
その中の中心に加子ちゃんがいた。
男は意識のない加子ちゃんを無理やり立たせ、首に果物ナイフを突き付けていた。
「なーんて」
そして、次の瞬間。男は笑った。
「待っていた。こういうのはさ」
「待て」
数言を交わした時点で男は大袈裟にナイフを振り上げ、そして。
「はい、死んだ」
「やめろぉおおおおおおおお」
クソクソクソ!!!!!
言葉を発するんじゃなかった!!!!!
何が、待てだ!!!! 相手はそんな制止を聞くタマか?
どうして俺は、そこで更に一歩踏みしめなかった!!!!!
違うだろうが、何時まで平和ボケして、ぬるま湯浸かって寝ぼけてやがる!!!!!
感情じゃ何も解決しない。
理屈だ。
論理だ。
この展開を切りぬける、合理だ。
考える必要なんてねえだろうがよ!!!!!
「――――」
体内で生気(オド)を生成しろ。迅速にかつ的確に。そして救うのだ。この力が何のためにある。あるとしたらもうここしかない。だったら。
「ぁ」
何かが弾けた。
大切な何かが弾けた。
それは鼓動が。
エンジンの鼓動がうるさいだけ。
鳴り響く音とは対極的に、機能は衰えていく。
だんだんと、命が焼ける音が鎮まっていく。
ただ、熱い、体が痛烈に熱い。
それは命を捻出したほかあるまい。
俺の性質では、本来この力は使えない諸刃の剣。
――使い過ぎれば死ぬぞ。
それは、あの薬物を投与した瞬間に言われた言葉。
古い記憶。
陰であり、生気(オド)であり、殺人。
そう定められた俺には、陽であり、生気(オド)であり、活人の秘技は使えない。
もう馴染んだ今では古い記憶の話。
内側から瓦解し、新しく作り替えられていく感覚に耐え抜き、それで得た力は半端者としての自分だった。
陰の力も陽の力も使いこなせていない自分が生まれただけだった。
才能はなかった。それは未だ変わらない現実だ。
だけど、その力で俺は大切なものを護る力を得た。
ただの、ここにはいない誰か(ノーネーム)の無気力の落ちこぼれから、無音暗殺(サイレントキル)にまで至った。
「ぁ」
走馬灯が流れた。
意識が点滅する。
今、点灯している。
まだ時はそれほど進んでいない。
時間の進みが遅く感じる。
まだ間に合う。
俺は、懐に手を突っ込んだ。
最後の手段だ。
これだけは使わないでいようと思った手段。
俺はそれに手をかけ――
「ぐぅ! ……?」
そのとき、男の呻き声と共に、カラン、と小気味いい音がした。
ぼんやりとした視界の解像度を上げる。
男の手にはナイフが刺さっていた。
男は振り返る。
後方には、燕尾服を着た老人がゆっくりとこちらに向かって歩いていた。
「……そうか」
全てがはっきりとした瞬間だった。
あの幻術は、この男の視たことのある物(経験)で構成されている。
実力はそれなりだったのに、殺気はショボイ。行動は単調。
それはこの男の戦闘経験のなさの表れだった。
想像力のなさとも言い換えられるが、にしても酷過ぎる。
本物はもっと出来る。
鋭い殺気がビンビンと伝わってくる。
一体100万程する人形をまるで使い捨てるように使えたのもこういうカラクリか。
「やれ」
「言われなくとも」
「!」
もう、活性の秘技は使えない。
だが、十分だった。
男がこれから加子ちゃんを殺すまでの時間。
例え、神速で動くことが出来ずとも、これなら間に合う。
「――あーあ、失敗か。なら、せめて。一緒に死のうや、斉藤桂一」
右手から強引に抜かれたナイフ。
加子ちゃんの拘束が解かれ、地面に落ちた。
男は笑っていた。
諦めが感じられる笑みだった。
そして、次の瞬間。
「うぉおおおぁあああああああああああああ」
裂帛の気合と声を発して、男は成っていない動きで俺に接近した。
「――――」
陰であり、生気(オド)であり、殺人。
「ぐはぁ……」
心臓を掴み取る事は出来なかったが、胸を貫通し、心臓を穿った。
「負けか……やっぱり、負けたか」
男は、へへっ、と笑みを溢し、清々しく負けを宣言した。
「ああ、そうだな」
「ああ、そうだな……って、酷くねえか? おい。俺が勝つかもしれなかっただろうが。よ……」
「お前、変わった奴だな。どれが本物だ」
「どれもこれも。変な事訊くなよ。分かっているだろ、生きるってことは仮面を被る事だってことを」
「そうだな。その通りだ」
俺は表面的にこの男を理解した。
悪を執行するために、過剰なまでに悪を演じる。
事情があったのだろう。
背景は知らないが、死の間際に本質は顕れる。
何て、矛盾。
その幻術はもしかしたら、他人を欺くためのものではなくて、他人に夢を見せるためのものだったのかもな。
「そういう事だ」
男は口から鮮血を吐き出した。
もうまもなく死ぬ。
男もそれを理解しているだろう。
最期の言葉だ。
男は、俺の肩に手をかけ、耳元で言った。
「あとは頼んだ」
何を頼まれたかは分からない。
俺を殺そうとしたことや、加子ちゃんを殺そうとしたこと。
未遂に終わったが、許されることではない。
どんなに同情しようとその一線だけは変わらない。
変わらないが。
「ああ、了解した」
きっと、その頼まれごとに罪はない。
罪はこの男一人のもので終わり、罰はもう終わったのだから。
だから、俺は自分のエゴでこんな言葉を送った。
「安心して逝け」
「……。へっ。お前って、実は……いい、奴か?」
何て、的はずれな最期の言葉。
俺は、思わず言ってしまった。
辛くなると分かっていたのに、まるで友達に語りかけるように、身近な人間に語りかけるように、斉藤桂一の言葉を発してしまった。
「実はじゃなくて、すげえ良い奴だ」
「へぇ……そっか、お前、そういう、奴……」
だったのか。
力が失われ、地面にバタリと倒れた。
名も知らぬ、背景も知らぬ男。
だが、俺は出会い方が違ったら、もしかしたら……。
「いや、よそう」
考えるだけで嫌になる想像だ。
「来世でな」
希望だけを胸に抱いて、俺はこの男の事を忘れ始める。
そうやって、ずっと生きてきた。
例えなるなら、噂で聞いた、女の恋愛のように。
リセットボタン付きでいて、リセットボタンを押せる環境。
それが俺だ。
なら、今回も。
「あれ? おかしいな」
何時までも滞留する死の気配。
消えて行かない。
罪の意識は出来るだけ奥底にしまい込んで、今日も俺は生きていく。
そうやって、そうやって、何度も何度も何度も何度も。
繰り返してきたはずだ。子供のころから。
それが今、上手くできなくなっている。
「ははっ。おかしな奴」
何、泣いてやがる。
馬鹿野郎が。
それは最初の殺しで終えたはずの儀式だろうが。
これからはもう泣かないと誓ったはずだろうが。
「ああ、そうか」
俺はもう暗殺者じゃなくなっていたんだな。
殺す技術もある。戦う技術だってある。
けれど、心だけはもうあの頃の俺とは違ったモノになってしまったんだな。
「本当に平和ボケのぬるま湯につかり過ぎて、ああ、駄目だ、俺」
きつい。苦しい。
こんなことはもうたくさんだ。
何で俺だったのか。繰り返された問いが、あの頃よりも強く心に刻み込まれる。
ああ、こんなこと考えたらあいつらに失礼だ。
俺の家族でいてくれるあいつらに失礼だ。
冒涜だろう。
初めから間違っていたという思いに基づいた俺の人生に対する非難、批判。
それは、あいつらに出会わなければよかったと同じ意味を指す。
存在の否定。
俺の人生を否定すると言う事は、俺だけではなく、他の何かまで否定してしまう事になる。
それはいけないことだと思う。
俺を思ってくれた奴が、絶対いたはずなんだ。
その思いを踏み躙る事はしたくない。
だというのに、どうしてこんなにも心が痛いのだろうか。
俺は確かに斉藤桂一だけど、これは誰の心なのだろうか。
誰が、俺をこの世に産み落としてくれたのだろうか。
「死ねば、助かるのに……」
「それは何の解決にもなりませんぞ」
「だよな。知ってる。言ってみただけだ。いいだろ? こんなときくらい弱音はいたって。久しぶりなんだよ。善処しろ。視なかったふり、聞かなかったふりをしろ、いやしてくれ」
そして、もうこんな弱音を吐かないことを心に誓う事にした。
忘れていたのだ。
こんな俺でも死ねば悲しむ人がいる。悲しまなかったとして、知り合いの死に心が動くことは知っている。
もしも、自分の周りの人達を慮ろうと思うなら、自分の存在を過大評価してもいけないし、過小評価することも許されない。
人間は、自分の人に対する影響力のなさを理解すると同時に、自分の存在が消えた時に発揮する影響力の大きさを理解しなければならない。
「…………」
燕尾服を着た老人は目蓋を閉じた。
「分かりました」
目を開けた老人は続けてこう言った。
「加子様を助けてくださり、ありがとうございました」
「そうか。お前、加子ちゃんのお付きのものか?」
老人は頷いた。
「あの男は我々が追っていたものです。無事、かたを付けることが出来ました」
「そうかい。そりゃ、良かった」
「加子様をこれからもよろしくお願いします」
「それはゴミ処理係としてか?」
「とんでもない。御友人としてですよ。性格に少し難がありそうですが、杞憂でした」
「…………」
「おっと、これは失言。視なかったこと、聞かなかったことですね。約束は守りますよ」
ほっほっほと、軽快に笑う老人に俺はげんなりした。
俺は加子ちゃんを連れて保健室に向った。
ベッドに寝かせた後、俺も回復を図るために、保健室のベッドで眠った。
その後、どうなったかと言えば、学校は今日も通常通り機能し、昼休み終わりのチャイムが鳴ったってことだな。
俺はそのチャイムの音で目覚めた。
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