第5話 第二ターニングポイント:無音暗殺(サイレントキル)

「ぅっ」


 視界がぐにゃりと歪んだ。

 螺旋を描くような異質さ。

 膝を地面に落とし、立っていられなくなる。

 毒か?

 いや、違う。

 常人よりも活性化された嗅覚。気付かないはずがないばかりか、もとより、その手の服用打消しの訓練は化せられてきた。

 ならばこれは何だ。

 分からない。

 分からないなら、もう正攻法しかない。

 服毒を打ち消そう。


「――――」


 激しい呼吸音で空が割れるような音がする。

 俺は俺の中を更に活性化させ、その正体を調査する。


「ぐっ、こいつは」


 なるほど。正体が分かった。

 俺が今相対している正体。



「幻術か」



 ――幻術使い。分類は魔術使い(マジッカー)に含まれる。特性上、空間自体に術を仕掛ける為、魔素(マナ)が空間に満たされる。そこにいるモノは幻術使いの仕組んだ通りに、物事の成否を問わず、知覚し、それを現実であると受け入れてしまう。



 万事休すか。

 このまま魔素(マナ)を吸収し続ける場合、生命維持の為吸わざるを得ない空気を保持することが出来ない場合、俺はここで死ぬ。

 刹那。意識を殺した。

 思考をまっさらにし、酸素の消費を極限まで抑えた休眠モード。

 体内で練り上げられた生気(オド)。同時に侵入した魔素(マナ)。足に熱い違和感を覚えながらも視覚を絶ち、感覚一本に頼り、この空間から脱出を図ろうとする。


「それは困りますねえ」


 声に反応し、神経に意識を張り直す。

 引いた熱が浮かび上がり、全身が鼓動する。


「逃げられないってことか」


 俺は目蓋を閉じたまま、その場に停止する。

 目を閉じたままでも分かる。

 気配が目の前にあることが。


「ええ、現実使い(ドラッカー)さん」

「現実使い(ドラッカー)か。あったな、そういうの」


 思わず反芻してしまう。そんな呼び名が古い記憶の片隅に存在したからだ。


「しっくりきませんか……では、こう呼びましょうか。斉藤一門暗殺者養成施設、《殺し名》、無音暗殺(サイレントキル)。今の名前は……斉藤桂一君でしたっけ。ははっ、俗世に染まった名前だなぁ。本当は名前なんてないくせに」

「…………」


 斉藤一門暗殺者養成施設。《殺し名》。無音暗殺(サイレントキル)。

 斉藤桂一君。

 俗世に染まった名前。

 本当は名前なんてないくせに。

 ないくせに。

 ないくせに――


「あぁ、そうだな。その通りだ」


 だからどうした。

 関係ない。

 関係ないのだ。

 今、関係があるとすればそれは、


「その名で呼んだな、幻術使い(マジッカー)」


 俺の過去を知った奴が、俺と命のやり取りを始めようとしていることくらいだ。


「おお、怖い怖い。こんなにも不利な状況でよくもまあそんな表情を浮かべられる」


 既に瞳は開け放たれた。

 目の前に居たのは、俺と同じ男子生徒だった。

 視たことがないのは当たり前だ。俺は入学してまもない。

 どういう経緯で俺の事を知ったのか。

 もはや、考慮の余地はない。

 俺は、冷えた声音で当たり前のように告げた。


「死ぬのは怖くない」


 男は瞳を少しだけ大きく開けた。


「ああ、そうですか。でも、震えていますよ」


 表情には少しばかりの嘲笑が含まれていた。

 だが、俺はそれに応じることなく、ただただ冷静に受け答えた。


「ああ、これか。これは――」

 

 ――この震えを忘れるな。

 どんな罪を負ったモノに対しても、生を渇望する権利だけは最後の一秒まで残されている。

 ――それは奪うとはどういうことなのか。

 この心を忘れるな。この震えを忘れるな。


「選んだ道の対価だ」


 また俺は人を殺す。

 どんな人間だろうと、この手で殺めてしまう事には変わりはない。

 この命の保障はとうに切れている。

 それは一人目を殺めた瞬間から、俺は誰に殺されても文句の言えない外法の存在だ。

 忘れるな。

 この震えは死に対する恐怖ではない。

 斉藤桂一という存在は、もうここにはいない。

 今、いるのは死を与える裁定者(最低者)としての自分。

 そして、


「出身、斉藤一門暗殺者養成施設。ここにはいない誰か(ノーネーム)」

「何ですか? その名前は……!」

「古い名前だ」


 全身の機能を100%まで活性化させる。

 体内で練り上げた生気(オド)を爆発させ、エンジンを起動させる。


「知っているか? 《殺し名》として広まってしまったが、無音暗殺(サイレントキル)なんて名乗りは一度だってしたことがないと」


 ――斉藤桂一には二つの性質がある。それは、陰であり、生気(オド)であり、殺人の元々のものだ。そして、もう一つ。陽であり、生気(オド)であり、活人の後天的に手に入れた性質だ。

 対極に位置する二つの性質。

 本来なら存在しないこの二つの性質を、斉藤桂一が使いこなしたとき、その名は出来あがった。


「無音暗殺(サイレントキル)」


 ――陽であり、生気(オド)であり、活人。


 それは今まで使っていた、活性の秘技。

 ここまででは、外的な破壊力は通常の何倍かに膨れ上がるだけで、音のない殺しなんてやってのけることは出来ない。

 そこに、暗殺決行の瞬間、俺は元々の性質をこの身に発現させる。

 

 ――陰であり、生気(オド)であり、殺人。


 相手の生気(オド)を体から強制的に奪い、霧散させる。

 そして、生気(オド)の力は、前後する二つの属性で大きく内容を違えてくる。

 陰であり、殺人の特徴。

 触れた個所を、極端に脆くする力。

 

 ――陽であり陰であり、生気(オド)であり、活人であり殺人。


 活性による物質的な破壊力と、目にも留まらぬ神速。

 脆性破壊という名の特殊的な破壊力。

 この複数の力が同時に合わさった時。


「     」


 この場に一つとして音は残らない。

 あるのはたった一つ。

 俺の中で鼓動を刻む、薄汚れたピンクの心臓だけ。

 そして、


「――取った」


 手の中でまだかすかな温もりを感じる、鼓動を失った心臓だけ。

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