第2話 今宵の月のように

 わたしがエレファントカシマシの「今宵の月のように」を初めて聴いたのは、ネットで見つけたPVの動画で。夕闇の中、電車が走る鉄橋、草が靡く土手、風に吹かれて歌うボーカルの宮本浩次。わたしは冒頭の4行でこの歌に引き込まれた。


「くだらねえと 呟いて 醒めたツラして歩く


いつの日か 輝くだろう 溢れる 熱い涙


'いつまでも 続くのか' 吐き捨てて 寝ころんだ


俺もまた 輝くだろう 今宵の月のように」


決してつながることのないはずの1行目と2行目、そして3行目と4行目。


それを、宮本浩次は、つなげている。どの行も宮本にとっては、真実。本気。


わたしは一瞬でこのバンドの虜になってしまった。


わたしは、何不自由なく暮らしてきた。経済的にも、家族の愛情の面からも。


けれども、わたし自身がその境遇に足枷をするかのように、心沈む瞬間が日常のあちこちにある。


わたしは、「養女」なのだ。


わたしの実の両親は、養女である現在のわたしの立場から見れば、おじとおばである、と中学に入学する時、育ての両親から告げられた。今の父親の妹がわたしの実の母親。わたしを生んだ時に体調を崩し、そのまま亡くなった。実の父は男手でわたしを育てることを泣く泣く諦め、子供が授からなかった今の両親が養子としてわたしを育てることになったのだ。祖母も、両親も、わたしを本当に自分たちの孫、子供として育ててくれた。


本当のことを伝えるとき、家族はみな、相当悩んだようだ。ただ、中学という、大人へ一歩一歩近づいていく段階で、わたしの人間的な成長を考えると、伝えるべきだという結論となったらしい。わたしも事実を知って悩んだ。わたしなりにどうすればいいか、と考えた結論が、学校の勉強をしっかりとやることだった。ここまで自分によくしてくれる祖母と両親にできるだけ迷惑をかけたくない、という思いだ。客観的に見ても、頑張った、と思う。中学3年を通じてわたしは常に5番以内の成績を取り、地元でも有数の進学校に合格した。高校でも10番以内をキープしてきた。祖母も、両親も、大学進学を勧めてくれる。


でも、それでいいのだろうか。


わたしは、ふっと、とても寂しくなる瞬間、エレファントカシマシの曲を聴くようになった。学校の補講で遅くなり暗くなって自転車で家に帰るとき、満月でも、三日月でも、ほとんど線のような形でも、月の見える時は、頭の中で「今宵の月のように」を鳴らして、思わず涙が滲むことがある。

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