第3話 3/11

「な、何これ〜⁉︎」

 背後で、里菜が叫んだ。目覚めたばかりらしく、パジャマ姿。黒くて艶々の髪もまだボサボサ。あとで解いて結ってあげなきゃ。

 私は階段の上段ギリギリに腰掛けて、突如出現した我が家のサファリパークを眺めていた。ネコ科の動物だけじゃない。カバやシマウマやキリン…どれも擬だけど、色々いる。

 幸いなことに、彼らは肉食では無かった。

 恐る恐る見下ろす里菜に

「多分大丈夫だけど、降りるのはやめようね?」

 そう言いながら、さっきからずっと繰り返している、蒸しケーキをちぎって投げる。今度は猿もどきが口でキャッチした。これらは階段を上がっては来ないけど、階段の下に集まって来たので、試しにあげたら気に入ったみたいで、大人しく私が投げるのを待っている。

「餌付けしたの?凄いね、お姉ちゃん」

 隣に座ったので、半分ちぎって渡してあげる。里菜はそれをもぐもぐと食べた。育ち盛りだ。お腹空いていたのね。

「うん。美味しい」

 半分ちぎったはずの蒸しケーキは既に元の姿に戻っているし、里菜にあげた分も食べても減らない。

「何で⁉︎」

 そう言いながら食べ続けている。

 何故なのかは分からないけど、慣れた。最初は「げ‼︎」って思ったけど、無くならないなら無くならない方が都合良いし。

「でも美味しい。お姉ちゃんの蒸しケーキ」

 里菜は不思議そうに食べ続けている。

「私の?」

「違うの?いつも作ってくれるのと」

 そうだっけ?私里菜にお菓子なんて作ってあげてた?

 今はそんな面倒な事するより美味しいお店探して食べに行っちゃうけど…って、今っていつよ?今って今じゃないの?

 隣を見てぎょっとした。さっきまで8歳くらいだった里菜が今は大人びて中学生くらいに見える。ますます可愛くなっていく。

「いつまでもここに座っていたらダメだ!」

 私は里菜の手を掴んで立ち上がる。でも、どうすれば良い?

 階段の下はダメ。2階の廊下を突っ切って部屋に駆け込む。カーテンを開けると、窓の外は…何ていうんだろう?メルヘンの世界。白とかピンクとかパステルカラーの街並み。その中をジェットコースターのレールみたいなのが張り巡らされてる。

「うわ〜可愛い♪里菜行ってみたい」

 メルヘンチックに毒々しいけど、どうやら里菜好みの世界らしい。

「ダメだよ!家に帰れなくなるかも!元の家に帰らなきゃ」

 私が腕を離さないので、里菜は暴れた。そうなの。この子顔は可愛いんだけど、かなりワガママだから。それから、ハッとして部屋の外を見る。廊下の窓!あそこから見える景色は、違和感無かった。確かに家の裏窓から見える景色だった。里菜を無理やり引っ張って裏窓にたどり着く。

「コレでしょ!」

 何も変哲もない雪山とその下に広がる田園風景がこんなに嬉しいなんて…

「行くよ!」

 窓によじ登り、そろりと乗り出す。

「え〜何でここから〜?」

 そう言いながら着いて来る。慣れたものだ。里菜は思い通りにいかなくて腹をたてると良く窓から屋根に出て親を困らせたのだ。皆里菜には甘いから。可愛いから。…迎えに行って宥めるのはいつも私だった。

「ほら!やっぱり!」

 いつもの空。これでなきゃ!

「で、どうするの?」

 里菜も気持ち良さそうに伸びをした。

「お父さんとお母さんを探そう」

 屋根を伝って庭の方に回る。

 いつもと変わらない芝生の庭。…いつもと…いつのいつもだろう。

 何だか分からない嫌な感じが付きまとう。

「お母さ〜ん」

 里菜が呼んだ。

「お父さ〜ん」

 私も呼んでみた。

「お父さんは仕事じゃない?」

 里菜が言う。

「お母さんは仕事じゃないの?」

 私が聞く。

「お母さんは仕事辞めたんだよ」

「あれ、そうだっけ?」

「そうよ。おばあちゃんが病気になって。お姉ちゃんはもう東京に行っちゃっていなかったじゃ無い」

 突然大人びた声に驚いて振り向くと、そこにいた里菜は高校生だった。高校生の里菜…あれっきり会っていない里菜。違う、会ったよね。大人になってから、一度…

 ダメだよ…顔も見たく無いの。こっちを見ないで!高校生の里菜は、姉の目から見ても惚れ惚れするくらい綺麗で…色々な人に声を掛けられ、私の自慢の妹だった。そして忘れていた。男の人は皆里菜に惹かれるって。

 目が回る。そうよ、私熱があるんだもの。

 ♪何しとんのや♪

 突然歌声がした。違う。遠くでずっと聞こえていた。大好きな声。思わず周囲を見渡し、光が漏れる空間を見つけた。

 そして…♪今すぐ飛び込め♪

 はい…

 何の躊躇も無かった。屋根から庭へ…私は光の中に飛び込んだ。

「お姉ちゃん!」

 大人になった里菜の声が聞こえた。


「私をここに連れてきたのは、お父さんだったの?」

 頭が痛いの…丸まって、父の腕に抱かれて、私は階段の途中にいた。こんな記憶あったかな?

 階下はサファリパークじゃなくて、昔のままの家。薄暗くて、冷ややかだけど懐かしい家。光の中に落ちたと思ったら、父の腕の中にいた。父は何も言わずに笑っている。あの光は、お父さんだったんだね。だって、お父さん光っているもの。凄く、安心する光だもの。

 この家を出て、東京で暮らして、大学のサークルで彼氏が出来て。私は大学の休みを利用して、サークルの仲間を連れて帰省した。里菜はいち早く察した。

「あなたがお姉ちゃんの彼氏でしょ?」

 そう言ってにっこり微笑みかけた。それだけで十分だった。

 東京に戻ると、彼はもう付き合えないと言った。

「里菜ちゃんだ好きなんだ」

 そう苦しそうに告白した彼を私はどんな目で見ていたかな…

 里菜の頬を引っ叩いたら、おばあちゃんにつかみ掛かられた。

「あなたは昔から可愛げの無い!母親そっくりね!」

 知ってる。小さい頃から、あなたにそう言われて育ったもの。

「あなたは要らない子」「言う事聞かないなら出て行きなさい」「里菜と同じおやつが欲しいならお願いしなさい」

 あなたがそう言い聞かせながら私を育てたんじゃ無い。母が仕事に行っている間。

 だから、何でも自分でやった。おやつも自分で作った。買ってきたお菓子をあなたは里菜にしかあげなかったから。

 母もね、心底困り果てたように

「あなたはどうしてそう問題を起こすの…」

 そう言ったのよ。問題を起こすのは、いつも私なの。悪いのはいつも私なの。

「言えなかったの…いつもおばあちゃんに何を言われているか。言ったらお母さんが困ると思ったから」

 父に頭を撫でられて気持ち良かった。冷んやりと冷やされている感じ。

「でも、言わなくても分かってくれてると思ったの」

 だって母親なんだから。でも違った。ああ、そうなんだ…そうだよね…知っていた。私は要らない子だから。誰かが私を好きになることなんて、無いんだ。知っていたよ…だって、私は自分が嫌いだもの。里菜みたいに出来ない。空気を読めない。上手に振る舞えない。誰かに好かれようと努力できない。誰かに自分を分かってもらうのは、怖い…

 父がそっと手を添えて、私の体を起こす。

「ダメだよ、動いたら頭が痛いんだもん」

 でも優しく支えられて顔を上げる。階段の壁…母が描いた絵がかかっていた。私の子供時代ずっと。

「知ってる…」

 そこにあったのは産まれたばかりの里菜を見下ろす家族の絵。でもその中心にいるのは私だった。私が主役の絵。知ってる。でもそれは、里菜が赤ちゃんの時の事。

 里菜が生まれたから私が要らなくなったなんて思ってない。思いたくない。でも愛される子なのは里菜だ。それも知ってる。

 父が優しく頭を撫でる。そんな事されても、許したくないんだもの。嫌な自分でいいのよ…後悔なんてしないもの。胸がチクリと痛んだ。

「お姉ちゃ〜ん!」

 どこかで里菜が叫んだ。

「まだ、屋根の上にいるのかな…?」

 でも声は庭の方から聞こえた。

「まさか落ちてないよね?」

 不安になって立ち上がる。父はふっといなくなった。

 何だか気持ちがざわざわする。

 玄関の引き戸が開く音。

「昼前には帰ってくるから」

 母が家の中に声を掛ける。

「お母さん⁉︎」

 思わず玄関に向かって走る。

 寒い。庭の隅には雪が残っている。

「雪⁉︎何月よ今」

 ちらりと壁に掛けられたカレンダーに目をやると、3月の文字が目に入った。

「さっきは夏だったじゃない…」

 と思いながら庭に出る。

 あれ、外は寒くない…

「ほら、ここにも水あげて」

 庭の畑に死んだ祖母がいた。

「ここは何が成るの?」

 あれは…小学生の私だ。

「そこからここまではナスだよ」

「いっぱいだね〜」

「いっぱい漬物にしてあげるから」

 あんなおばあちゃんの笑顔見たことあったかな…

「里菜はお味噌の!」

 小さな里菜…

「分かってる。理子手伝ってよ」

「良いよ〜」

 こんな記憶…無い。でも、あったかも知れない。大ッ嫌いに隠れて忘れていた…あったのかも知れない…

 台所には小さい頃から立っていた。祖母や母のお手伝いをしていた。

「お姉ちゃん、肉じゃが作って!」

「自分で作りなさいよ!私部活で疲れてるの」

「だって里菜作り方習ってないもん!」

 風に乗って聞こえてきた会話。

 料理も裁縫も母に教わった。

 里菜には、私が教えた…

 私が小さい頃は家にいた母も、祖母に里菜を預けて働き出したから忙しくて…

 そうだ、

「お母さん⁉︎里菜〜」

 叫んで庭を見渡す。外は急に寒くなってきた。

 3月なのにこんなに雪が残っているなんて珍しい…いや何年も前に一度あった。確か…そう考えてゾッとした。

「今日は…何日…?」

 3月…何日⁉︎

 あぁ、そうなんだ…確認しなくても分かった。今日は、3/11…

 だから、私はここにいるんだ。

 間に合う?急いで家に戻ろうとした途端、がくんと力が抜けた。頭がズキズキする。何で⁉︎どうしてここで風邪ひきに戻る?そんなこと関係無い!頭が割れたって、戻らなきゃ…そう思った時

「お姉ちゃん‼︎」

 里菜に悲鳴に近い声で呼ばれた。

 こんな時に‼︎と思って振り向く。

「何してるの⁉︎」

 屋根に逃げ出した里菜を説得すると、それを待っていたように渋々を装いながら車庫から降りてくる。きまりが悪い時はさらに車に籠城したりもする。いたずらでいじってさすがに怒られたりもしたけど、更に面倒臭くなるのを避けたくて大体は許される。

 里菜は、車庫の前のポストのある壁の前で立ち往生している。エンジンをかけてそのまま降りたのか、車庫の前の坂を車がジリジリと里菜に迫っている。逃げ場が無いのだ。

「里菜!逃げて!」

 叫んだけれど、里菜は悲鳴を上げて動けない。

 だって…お父さんが…今なら、間に合うかも知れないのに!

 でも…私は里菜に向かって駆け出した。

「私免許持っていないんだからね!」

 どうやったら、車って止まるのよ!視界がぼやけてよく見えないし!

 ごめんね、ごめんね、お父さん!

 もっと会いに来れば良かった。もっと話せば良かった。自分だけかわいそうだと思っていたの。誰の人生も一度きりで、だから生きるのが下手くそなのが当たり前なんて、思いもしなかった。初めての人生だもん。慣れてて上手に生きられる人なんて居ないんだって。教えてくれた人がいるのよ…

 頭の中であの人の歌が流れていた。

 車はギリギリ、15センチ手前。下手くそな私でも止められて、泣きじゃくる里菜を引っ張り出して抱きしめて、ただ、ただ、泣き続けた。

 暗い家の中。階段の絵は外されて。階段の下の部屋に父の遺体が寝かされていた。

 階段の中ほどで、首を吊って死んでいた。

 分かっている。起きたことは変えられない。私は絶対に間に合わなかっただろうし。助けられなかったんだろうし。これからも一生後悔して生きるの。

 あの日以来実家に帰らなかった。もっと会えば良かった。もっと話せば良かった。悩んでいるのが自分だけなんて、思わなければ良かった。愛されなくて良いなんて思わなければ良かった。父はきっと、今も私を抱きしめているし、優しい目で見守っている。立ち止まっていちゃいけない。

 悲しみとともに生きる。確かにそこにいる。だから、その手をもう決して離さない。時々、迷うけど。笑える方に少しずつ…

「お姉ちゃん!」

 何度か目の里菜の呼ぶ声が、♪目醒めよ♪と被った。

 何だかリアルに聞こえた。

「すごい熱じゃないの!」

 頭に何か冷たいものが置かれてビクッとなる。

 何?何?今度は何なの?

 恐る恐る目を開けると、そこに、里菜がいた。

「あんた…老けた?」

 思わず言うと鬼の形相に変わった。

「はぁ?お互いにね⁉︎久しぶりですから!」

 確かに…父の葬式で会って以来会っていなかった。同じ町内に住んでいるのに。

「何か変な夢見て、気になって来てみたら、うんうんうなされているからビックリしたわよ」

 一児の母になってたくましくなった里菜は今は料理もする。下手くそなおかゆを脇に置き、

「水分を取って!」

 と、ペットボトルを差し出す。

「変な夢って?」

 一口飲んでから聞くと

「なんか、実家の外がパステルカラーの遊園地になっていて、そこに行きたいのに、お姉ちゃんがダメって言って、なぜか屋根に登ったんだけど、あんた急にフラフラして落ちたのよ」

 ビックリした。そう言いながら薬やらプリンやら並べていく。ずいぶん用意が良い。そう言うと、嫌な感じがしたので、実家の母に電話したら、何回掛けてもお姉ちゃんから返事がないと心配していて、見てきてと言われたのだそうだ。

「ありがとう」

 そんな言葉が出たのは、熱のせいかも知れない。

「お母さんの引っ越し終わったってよ」

 だからあんな夢見たのかな…と里菜はため息をついた。

 あの日、束の間の外出から帰宅して階段の中ほどにぶら下がった父の遺体を発見した母は、あの家に住むのを拒み、すべての法要を済ませて家を出ることになった。あの家は来月取り壊される。

「そっか…」

 私を、私たちを呼んだのは、父じゃない。あの家なんだ。

 誰のことも、誰の気持ちも全部見て来たのはあの家なんだ。私を、抱きしめていたのはあの家なんだね…

 熱が下がったら、最後に一度会いに行こう。

 幸せな記憶も、泣いたことも、笑ったことも、傷ついたことも全部、あそこにある。ちゃんと確かめてこよう。

「あ、じゃあ、階段の壁に翔の絵が飾ってあるから持って来てくれる?」

 里菜の息子の小学校2年生の翔くんが、階段が寂しいから…と学校で賞をもらった絵を飾ったらしい。

「あの子、絵うまいのよ。去年の夏休みに家族で行った動物公園の絵なんだけどね」

「あぁ、なんか見なくても分かる」

 私はそう答えて、何だか安心してもう一度眠りに落ちていく。

 起きたら、吉野君に連絡しよう。会いたいと言ってみよう。失敗してもきっとあの人の歌が助けてくれるから、大丈夫。男と女なんてうまくいかなくて当たり前

。それでも惹かれるんだもん。仕方ないじゃない。

「こんなうるさい歌聞きながらよく眠れるね。だから頭痛くなるんじゃないの?」

 そんな声が聞こえた。

 うるさい!これがないと私はもう生きられない体なの!


 ヘビーメタルを聞きながら、私はもう一度幸せな夢を見る。



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3/11の憂鬱 〜発熱3日目の妄想 ヘビーメタルを聞きながら〜 月島 @bloom

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