第10話 過去編!


 そうだ!

 夢の中のオレはどうやって、谷を渡るんだろう?

 いま明晰夢に入れたら、この場を切り抜けるヒントが得られるかもしれない。

 夢で時間がたっても、こっちじゃ一秒ほどしかかからないんだから、すぐに戻ってこれるってことだし。

 だが、今まで、昼間に明晰夢に入るときは、あのソファーでオレが侍らせていた女の子たちの『香り』が必要だった。もう四人は居ない。

待てよ。あの夢に出てくる四人の女の子は、オレの好みで選んだんじゃなくて、現実世界でオレを夢に導いてくれることになる女の子を示す予言みたいなモノだったんじゃないかな。

 だからひょっとすると、こっちのユメは五人目の『香り』の持ち主かもしれない。

「おい、ユメ、ちょっと」

 オレはユメの肩をつかんで引き寄せた。

「え、何よ」

 頭のてっぺんに鼻を寄せてクンクンしてみる。

 う~ん。香りはないな。違うのかな。

 そうか、もうひとつの共通点。鼻の下が伸びるような状況だ。

 そう、思ったときにちょうどユメが上を見上げて目が合った。真っ青な目、ピンクのプルプルしそうな唇と丸顔の子供らしさを残したあごの先に見下ろせるのは、ブラに圧迫されてひしゃげた風船のように上向きに丸く飛び出している胸と胸が、押し合っている谷間だ。

 それを意識したら、自然と鼻の下が伸びてきて・・・・・・あの香りが、ぶわっと胸の谷間あたりから湧き上がってきた。


 夢の中もほぼ同じ場所だった。

 ユメとふたりで、洞窟を走ってきて、途中で洞窟が途切れてるとこだ。

 違うのは明るさだ。

 途切れている部分の方が、洞窟内よりもかなり明るい。

 夢の中は、まだ日没前で、洞窟の途切れた『試練の谷』は野外だったんだ!


 なんだかどこかで見たことがある情景だな。

 洞窟は断崖絶壁の真ん中に抜けていた。正面も絶壁だ。

 谷というよりも、まるで地面が裂けてできた隙間のようだ。穴から首を出して、まず下を見ると、霞んで底が見えない。軽く二、三百メートルはありそうだ。

 石を落としたって音がしないわけだな。

 上を向くと絶壁は百メートルほど上まで続いていて、ジャングルの緑がちょろちょろっと見えて、青空がその先に細い筋のように見えている。

 『谷』の幅は五十メートルほどで、向こう側には、こっちの洞窟のつづきらしい洞窟の穴がぽっかり開いている。だが、こっちの穴とあっちをつなぐような橋もなにもありゃしない。

 これって、行き止まりなんじゃないか?

「やっぱりこっちも行き止まり?」

 そう言って、ユメも穴から顔を出してオレと同じように上下左右を見る。ユメは金髪だ。オレと同時に、この夢に入ったんだ。

「こういうの映画であったわね」

 あ、そうか。映画で見たんだ。こういう橋がないとこで、たしか、実は橋があるんだけどカモフラージュしていて無いように見えてるっていうやつだ。

 映画のマネをして、しゃがんで足元の砂を手ですくって、谷に向かってばら撒いてみる。

 映画のとおりなら、見えなかった橋に砂がばら撒かれて見えるようになるはず。

 だが、オレが撒いた砂は無情にも谷底へ向かって落ちていった。

 これは映画のワンシーンじゃない。橋なんてないんだ。

「陛下、早くお渡りください。神殿は対岸に渡ってすぐでございます」

 ポポロムが急かす。

 そうだ、夢にはポポロムが居るんだ。

 対岸の洞穴を見てみると、穴のサイズはこちらと同じ幅も高さも五メートルほどだ。奥行きは三十メートルほどで行き止まりになってる。そして、行き止まりの左の壁に扉があるようだ。突き当たって左の扉を開けて進んだら神殿ってことなんだろう。

「ポポロム、オレはお前みたいに飛んだりできないんだよ。ここは渡れない」

「陛下がお進みになれば、道ができます」

 え?

「なに? だって道なんか見えないぞ」

「ですから、足を踏み出されないと、橋は出てきません」

 そんなことできるか!

「多分、滑り台の入り口の穴と同じなんだわ。陛下が神殿へ行こうとしたら道ができるわけね」

 おい、ユメ、おまえまでそんなことを!

「それを試せっていうのか?」

「落ちないように、わたしがベルトを持ってたらいい? もう追っ手が来ちゃうわよ」

 落ちないように持っていてもらって、それで一歩進もうとしても橋が出てこなかった場合に引き戻してもらっても、結局追っ手に追いつかれるだけか。落ちたほうがマシかもしれないわけだな。

 こりゃあ、つまり、勇気を出して足を踏み出せってことか。

 右足から行くか。

 え? どっちでも同じだろうって? ここはゲン担ぎしていいところだろうよ。オレは右足スタートが縁起いいんだ。柔道の試合でも右足から試合場に入ることにしてる。

 しかし、見た目は、どうみたって橋はないし、さっき砂が落ちていくところは見ちまってる。迷いが生じて、頭で進もうと思っても、足が出てくれない!

 そのとき、後方で女性の悲鳴がした。

 羽田ミドリが言ってた、時間稼ぎしてて彼女たちが殺された場面なんだ。

「はやく! 彼女たちが作ってくれた時間が無駄になるわ!」

 それはわかってるが、足が出ないんだ・・・・・・あ、いや! 動くぞ! 行ってやる!

 自分の右足の甲を見つめながら一歩踏み出す。足の下には谷しか見えない。橋はどうした? 重心移動しながら足を差し出したから、このまま足が橋につかなけりゃ、落ちるしかないぞ! こら! ポポロム!

 サクッ。

 サンダル履きの右足に硬い地面の感覚が先にあった。そして、足の裏から放射状に、青い石作りの橋が広がった。

 オレが落ちると思ったのか、ユメは必死になってオレのベルトを持って後ろに引き戻そうとしていた。

「ユメ! だいじょうぶだ! 橋があったぞ」

 まだ橋は現われている最中で、向こう岸までは届いていない。欄干がなく、幅は二メートルほど。端の幅三十センチほどのところは装飾が施されている。その間の百四十センチほどが、歩行用の幅らしい。材質がなにか、とか、何で支えられているか、とかを考えるのはよそう。

 後ろからは大勢の駆け足の音が聞えてくる。どんどん近づいてくる。

「ポポロム! この橋はユメも渡れるんだな?!」

「はい、陛下。陛下がお渡り終えられてから十四秒ほどの間は実体化したままでございます」

「どういうこと? 連れだけが通れるって言ってなかった?!」

「ですから、ごいっしょのタイミングにお渡りになられる方のみが渡りきれるという意味でございまして」

 五十メートルほどの橋だから、五十メートル走が七秒なら、オレが渡り切ってから七秒後にスタートしたって渡れるってことじゃないか!

「ユメ! 走るぞ!」

 オレは先に駆け出し、ユメも続く。ポポロムはオレといっしょに飛んでくる。

 谷はすごい横風だった。

「ああ、いやな予感がいたしますです。と申しますか、いやな場面を思い出してしまいました」

「なんだ? ポポロム、はっきり言え!」

 ワナかなにかでも待ってるのか?

 オレは橋を渡りきった。渡った先の洞窟の端で振り返り、ユメを見る。あと七、八メートルだ。彼女の後ろ、橋の向こう岸に追っ手の先陣がたどり着いた。かなりの勢いで走ってる。まだ、橋は向こう岸まで実体のままだ。

 そのとき、強い横風にあおられて、ユメが橋でころんでしまった!



「ユ! ユメ!!」

 ユメはなんとか橋の上に半身を残して転んで、落ちずにすんだ。しかし、早く渡らないと橋は消えてしまう。

 さらに向こう岸側に到達した兵士たちは橋に乗って走ってき始めた。

 オレがユメを抱き起こしに行こうとしたら、顔の前でポポロムが羽ばたいた。

「なりません! 陛下! 陛下がお戻りになれば、橋の実体化時間が伸びてしまいます! ここはポポロムめにおまかせください!」

「ポポロム!」

 向こう岸のあたりの橋が消え始めた。しかし、すでに橋には兵士が五人乗ってこっちに走ってくる。

 ポポロムは起き上がろうとしているユメの上を飛び過ぎて、先頭の兵士の前まで行くと、ホバリングして大きく口をあけ、炎を吐いた。

「うわっ!」

 炎を避けようとした兵士に後ろから走ってきた四人が次々に玉突き衝突し、三人目は勢い余って橋の横に飛び出して、橋の端に必死で摑まった。しかし、さっきオレが橋を駆け抜けたスピードで橋が消えていく。五人のところまで橋の消失が追ってきて、彼らは次々に谷底へ落ちていく。

「わあ~!」

「ひぃ~っ!」

 ユメにも消失が追いつきそうだ。

 仕方が無い、橋がもう一度実体化しても、ユメを落とさないためなら! オレが谷に踏み出そうとしたら、ポポロムが強い口調でとどめた。

「陛下! ポポロムめをお信じください!! 必ずや妹姫様をお助けいたします!!」

 間一髪、橋がユメの足元から消える瞬間に、ユメの両肩をポポロムが両足で掴んだ。

 ポポロムが必死に羽ばたいて、ユメを持ち上げる。

「ふむむむむむぅ! 姫様! ダイエットなさいませ~」

 無茶だ! いくらユメが小柄でも、ポポロムはハンドボール二個分サイズの頭と身体の二頭身キャラで、羽ときたら、ユメの手よりも小さい。

 オレが谷に踏み出そうとすると、ふたたび、

「なりませぬぅぅぅぅ! ポポロムをお信じくださいませぇぇぇぇ!」

 宙に浮いたユメの身体は、ガクンと五十センチほど落ちたかと思うと、すぐにポポロムが立て直して高度を上げる。

 もうすこしだ!

 ユメが右手をこっちに伸ばす。オレも両手を差し出す。

「がんばれ! ポポロム! あと少し!!」

「わかって・・・・・・おりますとも!! ふんむぅぅ!!」

 届いた!

 ユメの右手をしっかり両手で掴まえた!

「陛下! お届けしましたぞ! 使命を、お果たしくださいませ・・・・・・」

 ユメの体重がいきなり、オレの両手にかかった。ポポロムの羽ばたきが止まったんだ。

「ポポロム!」

 ポポロムはゆっくり目を閉じながら、足をユメの肩から離して、谷底へ向かって落ちていく。もう意識がないようだ。

 ユメの身体をなんとか抱き上げて、洞窟に引き上げ、四つんばいになって、谷底を覗き込む。

「ポポロムー!!」

 返事はない。飛んでいる姿も見えない。

「ポポロム!」

 隣にユメも来て、谷底を覗き込む。

「・・・・・・バカドラゴン、なんて無茶するのよ!」

 泣き出すユメの両肩を抱いて揺すりながら、なにか、はげましを言わなくちゃと考える。

「大丈夫、大丈夫だ。ポポロムは死んじゃいない。ほら、寝てるんだよ。な? 寝ただけだ」

「・・・・・・そ、そうね。死んだんじゃないわよね」

「ああ。さあ、行かなくちゃ。栓を抜くんだ」

 神殿の門はもうすぐだ。洞窟の突き当たりの左側の壁に、石の柱にはさまれた両開きの石の扉があった。

 とても人力で開きそうな扉じゃないが、なんとかなるのか? あれって。

 扉に向かう前に、もう一度『試練の谷』の向こう岸を振り返った。

 あっちの洞窟の端に、数十人の兵士が立ち往生してる。弓や投げやりのような飛び道具はないようで、こちらを攻撃できないらしい。あとの障害は、扉だけか。

 そう思って、向き直ろうとした視界の隅に、兵士をかけわけて前に進み出てきた神官の姿が見えた。

 彼は、手に持った杖を振り上げるところだった。

 そのことに気付いて、もういちど神官の方を向いた瞬間、神官が杖をこっちに向けて振り下ろし、その先から、どす黒い炎の球が飛び出して、こっちへ向かって飛んできた。

 やばい! 直撃する!

 そう思った瞬間、オレの前に飛び出す影があった。

 ユメ!

 炎の球は彼女の腹に直撃した。

「きゃああっ!」

 ユメの身体が大きく弾かれて、こっちに飛ばされる。彼女の上半身を後ろから抱きかかえて、引きずるように石の柱の影まで連れて行き、神官から身を隠す。

「ユメ!」

 抱き上げた彼女は、ぐったりしている。医者じゃなくてもわかる。助かりそうに無い傷だ。

 うっすらと目を開けて、青い瞳がこっちを見た。

「ごめん、マコト。ここまでみたい」

「いいから、はやく起きろ」

 このままユメが夢の中にいたら・・・・・・死んでしまうまでここに居ることになる。それが現実のユメにどんな影響を及ぼすかはわからないが、身体に影響なくても、死ぬのを体験するなんてかわいそうだ。

「うん・・・・・・現実で・・・・・・」

 ユメが目を閉じた。なんとか起きたのか? ユメ。

 そして、ユメの身体が小刻みに震え、金髪は黒髪に変化した。

 彼女は目を閉じたまま言った。

「おにいさま・・・・・・の、花嫁に、なりたかっ・・・・・・」

 最後まで言葉は続かなかった。これは、ユメじゃなくて、妹姫の死に際のセリフなんだ。ユメの目覚めは間に合ったようだ。

 彼女は二度と目を開けない。千切れるような痛みが胸を襲う。

 辛い。

 しかし、これがもしユメだったときのことを想像するくらいなら・・・・・・。妹姫にはすまないが、やはりオレにとっては妹姫は現実味のない過去の人で、ユメこそが現実だ。

 胸の痛みよりも、安堵感が勝っていることに、罪悪を感じながら、そんな自分を必死に正当化しようとしている自分がいた。

 ちくしょう!

 石の柱から顔を出し、神官を見ると、ヤツは杖を腰にしまって、まわりの兵士たちの首を次々と左右の手で掴んでいた。神官に掴まれた男から、黒い『悪意』のもやが神官の腕を伝わって神官の身体へ吸収されていく。『悪意』を吸収された兵士は掴まれた手が離れると力なくその場に崩れ落ちる。

 そうやって十人ほどの兵士がその場に倒れ、神官の身体は黒いもやに色濃く包まれた。

 何をするつもりだ?

 ヤツは数歩下がって、谷に向かって走り出した。

 いったい何をするつもりなんだ?

 ヤツは、向こう岸の洞窟の端を蹴ってジャンプした。

 五十メートルジャンプするつもりか?!

 空中で、足をバタバタさせながら、両手の平を大きく広げ、歌舞伎役者の見得のようなポーズを取りながら、放物線を描いて・・・・・・。

 こっちの端に両足で着地した。

 まずい! 早く栓を抜かなきゃ!

 扉の真ん中に両手の絵が刻まれている。ここを押せっていうのか?

 胸の高さの絵に両手を合わせて、扉を押す。

 う、動いた!

 だが、この動きは・・・・・・。

 押して開くドアじゃない。自動扉だ。オレの両手が鍵になって開き始めたが、開く速度はひどく遅い。いくら手で押しても、その速さは速くならない。

 神官が迫ってくる気配がある。

 早く開け!

 ちらりとヤツの方を見ると、もう二メートルくらいまで近寄っていた。そのとき、扉の隙間がオレの身体の幅ほどになり、なんとか中に飛び込めた。

 中は十メートル四方ほどの部屋だ。ドアも、入ってきた以外の扉もなく、神像も祭壇もない。なにもない倉庫のような部屋。

 ただ一箇所、扉の対面の壁の下の方だけ、むき出しの岩になっている部分があり、そこに、長さ三十センチほどの木切れが刺さっている。

 あんなチャチなものが、世界を救う『栓』なのか?

 迷ってはいられない。とにかくそいつに向かって走る。

 部屋の真ん中あたりまで来たとき、背中に大きな衝撃が走った。

 足が宙に浮いて、前のめりに二メートルほど吹き飛ばされた。

 ユメがやられた炎の球だ。撃たれちまった。

 身体をひねって上体を起こし、扉を見ると、杖を構えた神官が悠々と入って来ていた。

「陛下、かくなるうえはお命頂戴いたします・・・・・・」

 言いかけていた神官の表情が変わった。そして口調も。

「小僧、手間をかけさせてくれたじゃないか。だがこれまでだ。夢でも現実でも、お前に剣は渡さんぞ」

 これは、財団の代表だ。

「何の部屋だ? ここは。宝剣の在り処を示すものでもあるのかな?」

 そうか。やつは『栓』のことを知らない。オレが剣を抜くんだと思ってるんだ。

 チャンスだ。『栓』まで行ければ。

「すべての人間が平和を望んでいると思ったら、おおまちがいだぞ、小僧。人間とは、もともとワルで、戦いを好むものなのさ。この世は悪意に満ちているほうが正しい姿なのさ」

 ヤバい。背中の傷の具合は見えないが、両足が言うことを聞かない。

 まだ『栓』は二メートルほど後方だ。振り返ると怪しまれるから、ヤツを睨み続ける。

 そういえば、やつの炎の球にやられると二メートルほど吹っ飛ぶんだったな。

 オレは両手の手首を合わせて、腰に寄せて手のひらで翼の形を作る。

 神官なら、こいつが一日一回と知ってるかもしれないが、代表は知るまい。そして、もし、兵士たちのように、そのワザの恐怖だけを魂が記憶していたとしたら・・・・・・。

 とにかく、やつは、オレになにかされると思った。そして、自分の杖が飛び道具を発することも覚えていてくれたらしい。

 近寄っていた足を止めて、ヤツは腰に挿していた杖を取り出し、振り上げると、オレに向かって振り下ろした。

 炎の球が飛び出す。

 向かって来る球を上体を起こしてわざと胸で受ける!

「ぐわぁっ!」

 衝撃で身体が宙に浮き、二メートルくらい飛ばされた。

 胸は焼けただれ、口から血の塊が噴出す。

 致命傷だな。だが、目的は果たしたぞ。

 最後の力を振り絞って、オレがやったことは、ヤツに向かって『不適な笑い』ってやつを浮かべてやることと、身体をひねって右手を後ろに伸ばすことだった。

 右手の平が木切れに触れた。

「や! やめろおぉぉぉぉお!」

 おそらく、すべてを思い出したヤツが駆け寄ってくる気配があるが、どうでもいい。

 木切れをしっかり握ると、木切れが金色に光り輝いた。

 なるほど、このシーンを覚えていて、ヤツは宝剣だと勘違いしたんだ。

 肘を曲げると、あっけないくらい簡単に、そいつは岩から抜けた。

 神官、いや、代表の身体が、覆いかぶさっていたが、ヤツの手は間に合わなかった。

 木切れの抜けた穴に向かって、黒いもやが吸い込まれはじめていた。

 それはどんどん勢いを増す。

「うおぉぉぉぉぉ!」

 代表が両手で自分の首を絞めている。口から飛び出す大きな黒い塊を留めようとしているらしい。そうしてる間にも、ヤツの身体からどんどん黒いもやが染み出してきて穴に吸い込まれていく。

 そしてついに、ヤツの喉から大きな黒い塊が飛び出して、穴に吸い込まれていった。

 扉からはどんどん黒いモヤが流れ込んでくる。

 六千年溜まりに溜まった世界中の『悪意』が、この部屋に流れ込んでいるんだ。

 気が遠くなっていく。

 やり遂げたぞ。

 死ぬのかな? それとも・・・・・・。

 あの香りだ。そうか、この木切れの香りだ。・・・・・・それを覚えてたんだな。彼女たちは、この木切れにオレを導いてくれたから、この香りをまとって・・・・・・。


 先に目をさましていたユメが、なみだ目で言った。

「彼女は? ・・・・・・死んじゃったの?」

 オレたちは、さっき眠りに入ったときと同じポーズで、洞窟の縁に立っていた。

「・・・・・・ああ、陛下もな。栓は抜いたが悪意と刺し違えだ」

 おそらくあれが、過去にも起きたとおりの結末なんだろう。

「アンハッピーエンドだったのね。六千年前のわたしたち」

 彼女の青い瞳から、涙が溢れ出した。

 ふたりは末永くしあわせに暮らしました・・・・・・なんていう話じゃなかったのはショックだった。

 洞窟の後方から軍靴の音が近づいてくる。状況は待っちゃくれない。

「いくぞ、ユメ! 覚悟はいいな!?」

「ええ、もちろんよ。いっしょに踏み出しましょう!」

 今度こそ、あんな結末にはさせないぞ!

 オレたちは同じ思いで手をとりあって、真っ暗な『試練の谷』にむかって、同時に一歩踏み出した。

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