第5話 そういうことは先に言え
親がふたりともハーフで、遺伝子的には日本人が半分のはずのユメは、容姿が完全に外国人だってことにコンプレックスを持っていて、日本語しかしゃべれなかったのに英語で話しかけられるもんだから、いっそのことギャップを埋めるためにっていうことで語学留学している。日本語がペラペラっていうか、日本語しかできなかったんだからあたりまえなんだが、そのことを感心されるのは、たぶん今でもかなりいやなことなんだろう。黒服から救ってくれた相手なのに島崎レナの顔を見ようともせず、完全にそっぽを向いてしまっている。
黒服のふたりは、逃げていってしまって、追っていった警官も帰ってこない。黒服が空港の警官に捕まって取調べを受けているのか、それともまだ逃げ回っているのか、どっちかわからないが、とにかく、もう現れないんじゃないかな。
島崎レナは、夢の中のようにオレの腕にからみついてきて、にこにこしてる。助けてもらった礼を、ちゃんと言いたいんだが、そのスキさえ与えてくれない。いっしょにいたオッサン――彼女のマネージャーさんらしい――は、周囲をきょろきょろ見回しながら、額に汗を浮かべている。
「レナちゃん、まずいって。ここは目が多いから。旅行客には日本人も多いようだし、キミはアメリカでも認知度上がってきてるんだから、写真撮ってネットにアップするようなのが、いるかもしれないんだよ!」
盗撮されてアップされるのを警戒してるらしい。昔ほどではないんだろうが、アイドルはやっぱり恋愛タブーってとこがあるからな。
「だってタムラさん、彼なのよ。ほら、言ったでしょ。ずっと夢に出てきてるわたしの彼氏。やっぱり実在してたんだわ」
彼女は夢の話を田村さんとかいうマネージャーさんにしているようだ。
「か、彼氏だなんて、大きな声で、困るよ。キミは今が一番大事なときなんだからね。もっと同性からの支持が高くなってきたら、恋の話もプラスになる場合があるけど、今はだめだよ、ダメ」
へぇ~、そういうもんなのか。と、オレが感心してる場合ではないな。
「あ、あの、助けてくれてありがとな。だけど、ゆっくり話していられないんだ。オレたちこれからメキシコ行きに乗り換えで、さっきのやつらとか、その仲間とかが戻ってくるとヤバいんだよ」
オレの腕にしがみつくようにして、こっちを見上げる彼女の顔との距離は、10センチもありゃしない。グラビアで見慣れた顔が目の前でにこにここっちを見てるとドギマギしてしまうじゃないか。
「あら、わたしたちもこれからメキシコよ。カンクンのリゾートでカレンダー撮影なの。一年中、水着姿のカレンダーって、どう思う?」
ど、どう思うかと訊かれても、カレンダーの論評なんてしたことないし。どうやら彼女自身は水着ばかりなのが不満らしいが。
「レナちゃん、そのことはちゃんと話したじゃないか。去年発売の今年のカレンダーはグラビアアイドルでベスト3に入ったんだから、今年も去年の路線でトップをねらうっていう方針に決定したんだってば。今度のドラマとか、二本目の映画とかで女優業が軌道に乗ったら、一年後のカレンダー撮影は、季節に合わせた衣装になるよ。着物とかワンピースとか。ま、夏はビキニだろうけどね」
田村さんは、彼女の機嫌をなだめようとしゃべりっぱなしだ。その間島崎レナはオレにくっついたままだ。これって、ユメは怒ってるんじゃないのかな。デレデレするな、とかって。
ユメのほうに目をやると、彼女はサングラスをちょっと下げて、青い瞳でオレをギン! とにらみつけると、軽蔑したような顔をして、プイっとそっぽを向き、カートカバンを引いてひとりでズンズン行ってしまった。
やっぱり、なんか怒ってるようだな。
島崎レナに日本語の件を言われたからだろうか?
あれで、島崎レナに対して反感を抱いちゃったか。
で、オレが島崎レナのデレデレを放置しているのが気に食わないようだ。しかし、危ないところを助けてもらった恩人なんだから無碍にもできまい?
ユメはひとりで先に搭乗手続きを済ませてしまったらしい。
オレと島崎レナたちは、便が同じだとわかっていっしょに手続きをした。
そういうわけで、飛行機の中の座席は、三人掛けの座席の左端窓際にマネージャーの田村さん、真ん中に島崎レナで、通路側がオレになった。着席してみると、ユメはオレの四列前の席に座っていた。
飛行機がゆっくりと動き出して滑走路へ向かい始めると、飛行機に乗り込むまで、自分のことをしゃべりっぱなしだった島崎レナが、質問に転じた。
「ねぇ、ねぇ、わたしのことばっかじゃなくてマコトさんのことも教えて? だって、わたしのことは雑誌とかにも載ってるんだし、知ってくれてるんでしょ? わたしは夢の中のマコトさんしか知らないんだもの。マコトさんの夢にもわたしが出てくるのよね?」
手すりとベルトがなけりゃ、べったり覆いかぶさってくるんじゃないかというほど、島崎レナはオレにくっついてきていた。通路側に身体をそらして避けるんだが、限界がある。
ええと、質問はなんだっけ? オレの夢に島崎レナが出てくるかって? ああ、夢にレナは、出てくるぞ。
「うん、ああ・・・・・・」
「うわぁ! やっぱりそうなんだ! 同じ夢を見てるんだ!」
いつもグラビアとかでしか見てない女の子が、目の前に、というかべったりくっついてきてるっていうのは、不思議な感じだ。感触はあるから現実なんだろうけど、妙に実感がない。常識的に考えたら、ありえない状況だものな。
「あ、いや。多分、微妙に違ったりするんじゃないかな」
「あ、そうよね。ほんとの夢っていうのがあって、すこしずつ違って見てるって話よね」
オレの視界のほとんどを島崎レナが占めている状態なので、どうしても彼女の姿が目に入る。う~ん、本物だよなあ。本物の島崎レナが『マコトさん』って呼びかけてきてるんだなあ。
本物って、グラビアのとおりのプロポーションでそのまんまの笑顔だ。写真に修正なんてかかってないんだな。夢でもそうだったけど、本物もそうなんだ。
ぞくっ!!
首筋あたりに異様な気配! 殺気?!
座席の前方に視線をやると、四列前の座席の背もたれからブロンドの頭がこっちを向いてはみ出してる。
ユメが恨めしそうに睨んでるんだ。
鼻から上をシートの背もたれの横から通路に出して、こっちを睨んでる。オレの上体は、迫ってくる島崎レナを避けて通路に反り出している状態だから、ユメの顔は正面に見える。
オレと目が合うと、ユメの頭は、つつつーーーと、シートの背もたれの縁を沿って上にあがっていく。ろくろ首のような動きだ。しかも睨んでるし。
背もたれの角までくると、進行方向を九十度変えて、上の辺に沿って横に動いていく。そしてシートの中央まで来たところで止まって、さらに強くこっちを睨んだかと思ったら、すっ! と頭を引っ込めてしまった。
ユメは身長が低いから、おそらく、上から頭を出していたときは、床に立ってるか、シートにひざをついていたんだろう。ベルトはどうしてたんだか。もう着用サインが出てるんだぞ。
頭を引っ込めた今は、ちゃんと前向いてベルトして座ってるのかな?
んなこと考えてると、島崎レナが、オレのあごを指先でひっぱって自分の方を向かせた。
「ねぇ、彼女のことが気になるの? 彼女、なあに? つきあってるふうには見えないけど、幼馴染み? いとこかなにか?」
そんなふうに見えるのか。
実は、現実では今日空港で会ったばかりなんだよな。まだ一時間も経ってない。
その前に夢で会ってるっていったって、その時間だって全部あわせて一時間くらいだ。
でも、なんだか、ずっと組んでたパートナーみたいな感じが、たしかにある。六千年前の兄妹だった記憶が、どっかにあるんだろうか。
「あ、いや。会ったばかりで」
「な~んだ、そうなんだ。彼女が『連れ』だなんていうから、心配しちゃったわ」
なにをどう心配したのか、島崎レナともまだ会ったばかりなんだし、夢で話したわけでもないんだが、オレに気があるってことか?
あ、そうか。風見先輩と同じなのなら、島崎レナの夢の中では、オレと彼女は親しく話もしてるんだ。彼女の夢とはつながってないから、オレが内容を知らないだけで。
「あなたって、夢のとおりね」
いや、だから、その夢知らないって。
「わたしのこと好きなくせに、ベタベタするとイヤがるのよね」
たしかに、グラビアとかで見て、笑顔がいいなあと思ってたわけだが、好きとかファンとかまではいかないぞ。うん、そうだ、そうだよな。
「根っからの冒険者で、ヒコーキ野郎で」
どういう夢だよ、それ。
「出資者(パトロン)貴族の娘であるわたしのことは、眼中にないぞ~って、あれ、ポーズなんでしょ?」
グラビア界のトップアイドルとかって、みんなこういう自己中で自信家なのかね。カメラマンとかにちやほやされてそうなっちゃうのか、元々そういう娘がなるものなのか。
まあ、今彼女がしてるのは夢の中の話だから、仕方ないのか?
オレはパイロットで冒険者っていう夢なのか。冒険のために貴族であるレナの父親から出資してもらってるという(だけの)関係で、彼女の片思いなんじゃないのかな、それって。『彼氏』だっていうのは、貴族のお嬢様の勝手な思い込みなんじゃないかと思うぞ。
う~ん。本当の夢との共通部分は、オレが冒険に出かけて、彼女がそれを見送るっていう立場だってとこなのか? 風見先輩にとってはオレはオレ様キャラのカリブの海賊だったけど、レナにとってはクールで女に興味がなさそうな冒険野郎ってことか。過去の同じ勇者様のことなのに、女の子側から見るとそれぞれ印象がちがうものなのかな。それともこっちがプレーボーイで、女の子によって対応を変えてるとかってことか?
「レナちゃん、くっつきすぎだよ」
マネージャーの田村さんが、あたりを気にしながら言う。
「だいじょうぶよ。日本じゃないんだし。カメラ小僧さんも居ないわよ」
レナはこっちを向いて笑いながら、マネージャーさんに返事する。
へぇ、案外性格もいいんだな。盗撮するカメラ小僧とかを侮辱するようなニュアンスは微塵も感じない。ファンの一種として大事にしてる、って雰囲気だ。
飛行機が離陸のための加速を始める。
ベルトしたまま上半身をオレのほうにのり出しているレナが、わざとらしく身体を押し付ける。
「きゃっ」
シートとレナに挟まれて・・・・・・、
ぎくり!!
また、悪寒が!
前方の座席の背もたれをつかんで、横から顔を出しながら、ユメが睨んでいる!
さっきとちがって、今度はユメもベルトをしているようだ。首だけで振り返っているらしく角度が窮屈っぽい。
それだけに、さっきより目が横目になって、迫力が増している。
おまえがさっさと搭乗手続きをひとりですませちまうから、こういう席の配置になったんだろ。
だいたい、島崎レナが言ってたとおり、ユメは現代では妹でも婚約者でもないし、彼女でもなんでもないんだから怒る意味がわかんないぜ。
と、オレが言いたげなことが表情で伝わったのか、ユメは口を尖らせてプイっと前を向いて首をひっこめてしまった。
まずかったかな。
いや、飛行機を降りた後のユメのご機嫌の心配よりも、今は島崎レナの猛烈アタックのほうが問題で、飛行機が加速すると、ますますレナが身体を押し付けてきて、レナの髪が鼻のあたりをくすぐる。
飛行機が離陸して、機首を上げて上昇しはじめると、レナの髪から例の香りがふわっと湧き上がる。
それを吸い込むと、また、す~っと気が遠くなって・・・・・・。
ととっ!
座ってたはずが、いきなり歩いていて躓いてよろけてしまった。
夢の中だ。
場所は、どうやら街中の石畳の道。
右腕に妹姫がしがみついている。ユメ同様、背がちっこくて、胸は大ボリュームだ。黒髪なのは違うがな。
街には人影がない。
建物に生活臭もない。布が見当たらないんだ。カーテンや幌や洗濯物や、もろもろの街中にありそうな布ってものがない。無人で、石造りのつるつるした建物だ。
薄暗いな。何時だ? っていうか、街の上は空じゃなくて岩盤じゃないか!
高さは五十メートルぐらいだろうか。ゴツゴツした岩が上をふさいでる。
つまりここは地底都市?
誰か説明してくれよ。あ、そうだ、ポポロム。ポポロムはどうした?
見回しても、ポポロムは飛んでいない。
光源がどこかわからないが、夕暮れどきくらいの明るさの街は、し~んと静まり返っていてオレたちふたりの足音だけが響いている。
「ここ、どこよ?」
と、オレの二の腕あたりに頭をおしつけつつ歩いている妹姫が言った。
「地底都市だな。どれくらい来たのかよくわかんないけど」
って、え? なんで彼女がそんなこと訊くんだよ? 彼女はずっと歩いてきてたんだからわかってるはずだろ。
――金髪だ。
さっき夢に入ったばかりに見たときは黒髪だったのに、あちこち見回してる隙に、いつのまにか妹姫が金髪になってる。
ここに居るのはユメだ。
つまり、ユメも飛行機の中で寝ちまったんだな。
オレがこの明晰夢に入るときは、これまでの二回は寝てる時間が現実世界の一秒ほどだった。今回もそうなら、同時に寝てるユメは、さっきの離陸のとき、オレとほぼ同時に寝たってことだな。
口尖らせて前向いたとたんに寝たってことか?
まあ、オレも、あの香りで寝ちまうときは、時と場所を選んじゃいないんだが。でも、これまでのユメは、普通に夜寝てて夢を見てたんじゃないのか? オレと合流したからオレの夢の見方と同じになったんだろうか。
などと思いながら彼女の金髪頭を見下ろして歩いていると、ユメが上を見上げてきた。
真っ青な瞳と至近距離で目が合う。
目が合って数秒は、無表情な『あどけない』って表現できそうな顔だったのが、たちまち拗ね顔に変わって、しがみついていた腕をほどいてオレから離れて歩き出しす。
オレも寝てるってことに気がついて、怒っていたのを思い出したらしい。
「・・・・・・なによ! 飛行機の中で侍女とデレデレして鼻の下延ばしちゃって」
「おまえがさっさとひとりで搭乗手続きを済ませちゃうから離れ離れになっちまったんだろうが」
まずいな。火に油を注ぎ続けてるようなもんだぞ。だが、口がとまりそうにない。オレに落ち度があるわけじゃないのに、勝手に怒って拗ねてるユメに対して、オレは結構不満だったらしい。
「それに彼女はあっちじゃ侍女じゃないぞ。日本のグラビアアイドルだ。オレたちを助けてくれた恩人なんだし」
・・・・・・。
身構えたが、怒鳴り返してはこないようだ。
「・・・・・・別に。勝手にすればいいわよ。ワタシは妬いてるわけじゃないし。・・・・・・勘違いしないでよね・・・・・・」
なんだか威勢が悪い。ユメらしくないな。
いや、オレはまだ彼女のことをよく知ってるってわけじゃないんだったな。これが彼女らしい反応なのかもしれない。
気まずいな。きつく言い過ぎたかな。
ええと、話題は・・・・・・そうだ、ここがどこかって話。
「ポポロム! 居たら出て来い! どこに――」
「はあい! 陛下! ポポロムめ、参上いたしましてございます!」
オレが言い終わらないうちに、ポポロムが、ユメの胸のフロントホックあたりの宝石から飛び出して目の前に舞った。
「なんだ、お前。なんでまた宝石の中にもどってたんだ?」
「それはその・・・・・・」
おや? 歯切れが悪い。ポポロムらしくないぞ。
あ、そうか。
「さては、過去のオレに怒られて宝石に入っていろって言われたんだな?」
「それはその、物事の捉え方によりますれば、そのように言えなくもないことではございますが、わたくしといたしましては、陛下と妹姫さまのお邪魔をせぬようにと、進んで竜の涙に戻っておりました、とも捉えられるような事態でございまして」
図星らしい。過去では勇者が妹姫にプロポーズしてラブラブ、っていう場面のはずだから、そんなことお構いなしにしゃべり続けたであろうポポロムは、邪魔者扱いされたってところだろうな。
「まあ、いいから。オレは宝石に入ってろなんて言わないよ。で、ここがどういう場所だか解説してくれないか?」
「陛下! 陛下! おお、なんとお優しいお言葉! ポポロムめは幸せ者にございまする~!」
よほど酷く叱られたらしいな、これは。
「泣くなよ、それより説明を、だなあ――」
「六千年後に生まれ変わった陛下は、まるで別人のようにお優しい。あ! いえ! 決して、この時代の陛下が冷たいお方だと不平を申しておるのではありませんで! その~、優しさの表現にもいろいろとございまして、この時代の陛下は、きびしさをまとった優しさでございまして、時として、それがそのときには辛く感じられることがあるというだけでございます。それはわたくしめに問題があるのでございまして――」
放っておくと、このことで一日中しゃべっていそうだな。
「ポポロム! 説明が先だ!」
やっといったん黙った。
「はい、陛下。ご質問は『ここがどういう場所か』でございましたね。ご説明いたします」
どうやら、説明が始まるらしい。
とりあえず歩いていた方向に歩き続けながら聞くことにした。
「ここは陛下のご先祖がお住みになっていた地底都市でございます」
「オレの、っつーか陛下の祖先は地底人かい」
「この先にございます神殿の神を崇め、神殿を守ってきた民、というわけでございまして、神殿が地底にありましたので、それにしたがって住まいも地底だったのでございます。外の世界では、陛下のご先祖様たちを慕って近くに住み着く者が町を造るようになりまして、やがてご先祖様たちは地上でその者たちと暮らすようになり、この都市から引っ越しておしまいになったのです」
あたりの建物を見回す。二階建てか三階建てが多いが、ずっと街が続いているようだ。人口数十万の都市だったんじゃないだろうか。六千年前よりも、さらに昔にここに住んでいたわけか。石壁らしいけど、見た目つるつるのすべすべの壁で、隙間もなくぴっちりと組まれてる。
現代建築でも難しいんじゃないかな。超古代文明? それとも宇宙人か何かかもな。
「だだっぴろい都市なんだなあ。神殿まで、あと二日も歩くのか?」
夢の中じゃ、出発してまだ一日目の夕方あたりのはずだ。
「そんなにかかったら間に合わないではありませんか」
「なんでだ? 期限は三日間だろ?」
「なにをおっしゃいます! 今宵の日没まででございまして、もうさほど時間はございません」
なに? 話があってないぞ。
「だって、神官ははっきり言ったわ『あさっての日が終わらないうちに』って」
ユメが怒ってるのをやめて会話に参加してきた。まあ、そうだよな、死活問題だ。旅が無駄になるかどうかの瀬戸際。
「ああ! テラスでの大神官の言葉でございますね。あれは過去のものとは異なっておりましたので、おそらくお二人同様未来の時代で夢を見ていたのでございましょう」
ポポロムも宝石の中で聞いてたんだな。って話じゃなく、やばいんじゃないか?!
「じゃ、あいつがワルなら嘘をついたってのかもしれないってことか?」
「いえ、ほかの部分は過去と同じ言い回しでございましたので、あの折の神官は言葉どおり神の啓示を伝えておりましたのでしょう。過去においては『今日の日が沈まないうちに』でございましたが」
やはりポポロムも竜の涙の中で聞いてたわけだな、あのとき。
「そういえばわたしも、最初のセリフは自分でもよくわかってないけど自然に口から出てたわ。彼もそういうことだったのね」
「過去では一日で現代では三日が期限なわけか。アバウトな神様だな」
もっとも、現代でも一日って言われていたら、到底間に合わなかったわけだが。過去はスタートが近くの都市だったが、現代は地球の反対側なんだから。
「バチが当たるわよ。それにこの時代は日が沈むまでだから、まる一日じゃなくて十二時間くらいってことよ」
「じゃあ、もうすぐタイムリミットだろ。歩いて行ったので大丈夫なのかよ?」
「はい、間もなく都市部と神殿がある聖地の境となる『感謝の壁』と『試練の谷』でございます」
言われて前方の建物の向こうに眼を凝らすと、二、三百メートル先に垂直の岩壁がうっすらと見える。この大空洞の端らしい。あれが『感謝の壁』かな?
「そういうわけで、時間的には歩いても間に合うのでございますが――」
ん? なんか引っかかる言い回しだ。例によって緊急性がある重要な話を後回しにしてたんじゃないだろうな。
「歩いていて良いのかという点に関しましては、もうそろそろ走られたほうがよろしいかと存じます」
「なぜだ?!」
訊き返しながら、ユメの手をつかんでともかく走り出す。
もう手遅れかもしれないが――。
「追っ手がそろそろ迫っておりまして、まもなく襲ってまいります頃合いでございますれば――」
「何度も言うが『先に言え!』」
無人の都市の大通りらしい石畳の道を走っていると、なまあたたかい風が吹いた気がした。
それを合図に、前方の左右の建物から、なにか黒い『もや』のようなものがたちあがる。それは、一軒一軒の建物の上で、逆さまになったしずくのようなかたちにまとまり、やがてそのしずくから手と頭のようなものが生えて人のような形に変わっていく。
あくまで根っこの部分は各家にくっついたまま、人型の黒いもやのしずくは、空を飛ぶ幽霊かなにかのように、こっちに向かって身体を伸ばしてくる。数は十匹くらいだろうか。
「やだ! なによ! あれ! おばけ?!」
ユメが叫ぶ。たしかに、なんかのアンデッド系モンスターだろう。
「はい。あれは、かつてこの家々に住んでいた者たちの悪意が家にしみついたものでございまして、術者の呪文で、ああして呼び出すことが可能なのでございます。術者の命令をきくようにできておりまして、触る者の生気を吸い取ってしまうのでございます」
時速二十キロくらいで、その化け物が迫ってくる。のんびりしたポポロムの解説が終わったころには、最初の一匹が頭の上をかすめていってまた襲ってこようと旋回するところだった。
つづいて三匹が同時に迫ってくる。
どうやら幽霊っぽい動きで、急旋回や急激な方向転換などはなさそうだ。そう信じるのはヤバイが、動きをよく見てユメの手を引いて避け続ける。
『感謝の壁』の方向から襲ってきた『悪意』たちは、オレたちが避けると、左右に別れて大きく旋回し、再び同じ方向から襲ってくる。
オレたちに触って生気を吸い取るのが目的じゃなく、先へ進むのを妨害するのが目的らしい。
オレたちが進んできた方向から、数十人の集団が早足で迫ってきているのが見えた。横に広がっていて、中央あたりにいるのがスキンヘッドの神官だ。まわりのザコどもは例の武器を持ってる。
追ってきてるわりにはなんで走ってないのかと思ったら、やつらの最後尾では、女性が四人二の腕を掴まれて追い立てるように進まされている。その速度にあわせてるんだ。
ヒラヒラのヴェールのようなものをなびかせているその女性たちは、例の四人の侍女たちだ。
「……人質か?」
襲ってくる『悪意』たちを避けながら、オレが言うと、ポポロムもひょいひょい『悪意』を避けながら解説してくれた。
「彼女たちは地底都市や神殿で陛下に準ずる権限を持っておりますから、鍵がわりにつれてこられたのでしょう。神官たちは地底都市の民の末裔ではございませんから、地下では権限なしでございますから」
もういちど、ひょいと『悪意』を避けて、
「もちろん、人質にするつもりでもございましょう。陛下が彼女たちを見捨てておしまいにならないことは明白でございますから」
と付け足した。
NPCなのかもしれない。しかし、彼女たちが現代の彼女たちで、今眠っているところだとしたらさすがに助けないとな。っていっても、こんな多勢に無勢じゃ、どうするんだ? 陛下にゃ味方の軍隊は居ないのかよ。
神官が三十メートルほど先で立ち止まり、両手をあげた。右手に持った杖から、なにやらおどろおどろしいオーラが放たれる。
オレたちに向かって襲ってきていた『悪意』たちは、『感謝の壁』への道をふさぐように整列し、浮かんだままゆっくりこっちに迫ってくる。
「神官が持っておりますのは『邪心の杖』でございます。あれで『悪意』たちを思うがままに操っているのでございます」
「ああ、見りゃあだいたいわかる」
とりあえず上空から襲われることはなくなったので、神官たちの方に向き直る。そうするとうしろから『悪意』たちが迫ってくる構図になるわけで、距離を保つためにゆっくり神官たちの方へ歩いていくことになる。
左右の建物は隙間なく立ち並んでいて、逃げ込む路地は神官がいる地点までいかない限りない。途中の建物の石の扉は、鍵がかかってるだろうか? 建物に入って裏口がなければ袋のねずみだしな。
ユメはオレのうしろにぴったりくっついてきている。
頭の上ではパタパタとポポロムが羽ばたいてる羽音がする。
「なんか手はないのか? 勇者様なのに武器らしい武器も持ってないじゃないか。 あっちが使ってる『なんとかの杖』みたいな能力がある『なんたらの腕輪』とかつけてないのか?」
「陛下は生身で十分あの者たちよりも強うございますから。ほら、今まさに、射程距離にあの者たちが全員納まるところではございませんか?」
なんの射程距離だよ! と聞き返す前に神官のセリフがあった。
「陛下、お命をいただくとまでは申しません。『栓』をお抜きになるのはやめていただけませんか?」
「それでお前に何の得があるんだよ!」
とりあえずあたりさわりのない言葉を返す。
神官がNPCなら、オレが何を言ったとしても、六千年前の陛下のセリフに置き換わって伝わっていて、話はかみ合わないはずだ。だから神官に返事なんて不要なんだろうがな。
小声の早口でポポロムに訊く。
「おい、ポポロム。何の射程だ? オレにわかるように言ってくれ」
「もうちょっとでございますれば、今一歩前へ進まれませんと」
だから、説明を先にしてくれよ!
「なにをコソコソ話しておられるのです? 陛下。 陛下が栓をお抜きになれば、この世界に充満している悪意が抜けていってしまいます。戦乱は収まり、争いは消え、千年の至福が訪れてしまいます。苦しみがなければ、神にすがる者は減り、神殿に参る者も減ってしまいます。『わたしの』信者が減ってしまうのです」
なに? んじゃあ、この神官は、自分の宗教の信者が減るのがいやで戦乱や争いが続くようにしたいっていうのか?
ん? 会話が成立してるんじゃないか? ホーリーエンパイア財団の代表は寝てるのか? 言ってることは六千年前の神官なのに。
むむう。こいつ、起きてるのか寝てるのかわかんないなあ。NPCか、それとも財団の代表の意識があるのか。
「もう、悪意に取り付かれて正気ではないようでございますね」
ポポロムが神妙そうに言った。
なるほど、神官の身体からは、あの『悪意』たちが家から出てきたときのような黒いもやが立ち上っている。
会話がかみ合ったのはたまたまか? それとも『悪意』に操られているせいなのか?
いや、そんなことより今は――、
「おい、ポポロム。ちゃんと戦い方を説明しろ。何の射程なんだ?」
神官の横には、抵抗するように身をよじる侍女たちが、それぞれ男に腕を掴まれて並ばされている。そして、神官や侍女たちとオレたちの間には兵士たちがフリーキックからゴールを守るサッカー選手のように壁を作って並んでいた。
兵士たちの身体からも、黒いもやが立ち上っているようだ。
神官が杖を振って兵士たちに命じる。
「行け! 陛下は生かして捕らえよ。姫は抵抗すれば殺せ!」
兵たちが武器を構えてじりじりラインを上げてくる。オレの背中からは『悪意』が迫る気配がある。
姫は殺せだって? いくら夢の中でもユメを殺されてたまるものか!
「もうすこしでございますよ~陛下。ささ、構えて。お構えになってください」
どんな構えか知らないんだよ!
「陛下! 今です! 『勇者の光波』でございます!」
だから、名前言われてもわかんないんだってば!
「なんでもいいからやりかたを細かく教えろ!」
「はい、陛下! まず、右の腰のあたりに両手を持っていって手首を合わせます」
こうなったら、ポポロムが頼りだ。言われたとおりにする。
「手のひらを、はばたくコンドルの羽のように広げて敵に向け、腰を落とした体勢から手首を合わせたまま、手のひらを勢いよく前方に押し出すのでございます!」
ちょっとまて~! それって、格闘ゲームの飛び道具の『波○拳』とか、某有名アニメの『かめ○め波』とかいうポーズじゃないのか?
「どうなさいました?! 陛下、早くなさいませんと!」
ああ、わかった、わかった! 恥ずかしいとか言ってられないんだったな!
腰を落として、それっぽく『気』をためるようなつもりになる。
あ、向かってくる相手がひるんだ! こいつら、陛下の必殺技を知ってるんだ!
「臆するな! 全員で一度にかかれ!」
と後方で杖を振るう神官は、ひとりだけ横へ進んで路地へ逃れようという腹らしい。卑怯者め!
「ハ~ッ!!」
なにが起こるかわからないが、両手を前方に向けて押し出した。狙いとかはどうやってつけるかわからないが、これだけ敵が密集してりゃ誰かに当たるだろ!
手が雷の塊みたいな電撃に押し返された。それは発射の反動で、雷は前方へ飛び出していたんだ。しかも、その軌道ときたら極悪非道だ。狙いもしないのに、前方の男たちに向かって五筋に枝分かれして、胸や顔に当たり、さらに突き抜けて蛇のようにそれぞれがコースを変えて次の獲物を貫いてさらにほかのやつを貫く。
二秒ほど続いた電撃が止んだとき、オレたちに向かってきてたやつらは、バタバタとその場に倒れた。プスプス焦げたようなにおいが漂う。
四人の侍女を掴まえてたやつらも崩れ落ちるように倒れたが、侍女たちは無事らしい。
神官は、ぎりぎりのところで、横道に逃げ込んだな。倒れてる中にはいない。
神官が逃げたからか、操られていた建物の『悪意』たちも消え去って、もとの街の姿に戻っていた。
「おみごと!」
ポポロムはいい気なもんだ。
「こんな必殺技があるんなら早く教えておけよ」
「一日一回かぎりでございますから」
おいおい。つまりこの旅では、これでおしまいってことか?
「・・・・・・それも先に言えよ・・・・・・」
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