第4話 ボーイミーツガール・・・・・・ズ
そこは、真っ暗な急勾配の滑り台だった。ユメと絡みながら、頭が下になったり上になったりしつつ、どんどんすべり落ちていく。真っ黒で壁も斜面も見えないんだが、どうやら直径1メートル半くらいの筒らしい。プールのスライダーみたいな感じなんだろう。
「このように、像の前に立たれただけで、その意図を読んだ像が地底都市への通路を開くしくみでございまして、入り方を気になさる必要はないのでございます」
ポポロムは、オレたちのやや後ろを飛んでついて来ているらしい。やつは、この暗闇でも壁が見えていてぶつからないように飛んでいられるんだろうか。
ポポロムに向かって、肝心なことを先に言え、と、怒鳴りたいが、しゃべると舌を噛みそうだ。
両手両足を突っ張って、なんとか転がるのを止めないと。
パイプ状の滑り台には、つかまる手すりなどはないようだが、突っ張った手足と壁の面とのまさつで姿勢を調整し、なんとか身体を安定させた。
でも、頭が下になってる。しかも、顔の前あたりにユメのお尻が乗っかっていて、ユメはまだ安定できずに動き回るので、そのお尻が何度も顔に押し付けられる。
「こ……こらっ、プ! ポポロム! この下はどうなって……! 最後は、安全な終わり方なんだろうな」
このスロープが永遠に続くわけはない。どこかで終わるはずだ。今、この瞬間に終わるかもしれない。でも、オレには終点は見えないからポポロムに訊くしかない。
「きゃあっ! こら! マコト! お尻触るなっ!」
突っ張っているオレの右手に、転がり続けているユメのお尻が当たったらしい。
「さわってねぇ! ……ップ!」
答えようとすると、今度は顔に当たった。
「おや、陛下。やはり足を下にしてお滑りになられるのが懸命かと。そのままでは頭を床にぶつけて止まることになりますよ」
どうやら終点にクッションがあるわけじゃなさそうだ。いつ終わるかもわからないから、身構えることもできない。まだ、もうちょっと続いてくれよ。右手と右足だけ突っ張るのをやめて、身体を回転させようと試みる。ユメの身体が大きく跳ね上がって、その拍子にうまくオレの身体が回った。
滑りながら跳ね上がったユメが落ちてきて、オレの腹あたりに跨る体勢になった。ユメの大きな胸が顔を挟み込んでポポロムが出てきた装飾具が額あたりに押し付けられる。
やわらかい胸が顔を包み込んで、鼻も口もふさがって息ができない。
「まもなく終点でございます、陛下」
ポポロムがめずらしく、的確なタイミングでアドバイスを出した。
今、足の先の方を見たら、ひょっとしたら出口が見えたのかもしれないが、ユメの胸のぷにゃぷにゃでオレの視界は完全にふさがれている。
唐突に斜面の角度が変わった。なだらかになり、ほぼ水平に近くなった感じだ。
世間一般の公園にある滑り台と同じなら、この先で途切れているはずだ。
途切れた瞬間に反応して足を下ろせば立てるはず。あ! だがそうしたらオレに乗っかってるユメは踏ん張ることもできずに前方にそのまま背中から飛んでいってしまうじゃないか!
とっさにユメの身体をぎゅっと抱きしめた。むき出しの背中を両手の手のひらで押さえたとき、滑り台の終点がきた。身体が宙に浮く。飛んでいるように感じたのは、実はほんの一瞬で、すぐに平らな面に足がつく。
勢いがついていて足がすべる。身体が前に向かって慣性で進もうとして、足より前にいってしまう。
ユメが飛んでいきそうになるのを必死に抱きとめて、両足の指で前のめりにならないように踏ん張る。
なんとか止まった。
今度の心配は、ユメの怒りだ。
抱きしめて、彼女の胸を顔に押し付けさせてたんだからな。
「っぷ。ユメが飛んでいっちまうと危ないから、抱きとめてたんだぞ! 決してへんなこと考えてたんじゃなくて、とっさに……」
ユメの胸から顔を離し、とりあえず言い訳をする。ユメの腰あたりを支えて、ゆっくり地面に降ろしてやる。地下深くだが明かりがあるらしく、ユメの顔が見える。
あれ?! ユメがいつの間にか黒髪ショートボブで黒い瞳に戻ってる!
どういうことだ?
しかも、なにより面食らうのは……笑顔だ?
にっこり笑って、オレの首にしがみついてきた。
げげ! キスしようとしてる!
いくらカナダへの留学生っていったって、日本人なら日本の風習くらい覚えてろよ! 日本人は恋人でもなきゃキスなんてそうそうするもんじゃないぞ。
顔を左右にそらして、なんとか避けるが、ユメのやわらかい唇が、ほっぺとか口の端とかに当たる。
オレがユメを守ろうとしたことをわかってくれて、感謝の印なんだろうか?
「おにいさま。わたしと結婚する気になってくださってうれしいわ。ウフフッ」
え? あ、『おにいさま』ってことは、これはユメじゃない。ユメは起きちまったんだ。これはNPCの妹姫だ。
な~んだ。
あ、いや。残念とかじゃなく、納得っていう意味だぞ。
黒髪黒目のショートボブは妹姫なんだ。生まれ変わりのユメは夢の中でも金髪碧眼で巻き毛なわけだ。
石のテラスつきの部屋で手をつないで夢がつながったときから見えていたのはユメの姿で、ユメが目を覚ましたから、今見えてるのは妹姫の姿ってわけか。
妹姫は、身体をぴったりくっつけてきて、隙あらば、キスの雨を降らせようという構えだ。
なんとかかわそうと、あたりの様子を見るように首を回す。
そこは洞窟の行き止まりで、むき出しの岩の壁と天井だったが、足元だけ四畳半ほどの広さの四角い平らな面があった。オレたちが降りてきた滑り台の終点らしい黒い楕円形が、異次元に開いた穴のように、その上に浮かんで見えていた。ポポロムはその横でパタパタ飛んでいる。
光源が何かわからないが、あたりはたいまつで照らされてるくらいの明るさはあった。いや、たいまつの明かりがどれくらいかなんて知らないが、RPGでよくある洞窟の明るさだってことだ。
右手に洞窟がつづいている。あちらに行くしかないようだ。
とりあえず迷わなくて済むってことだな。
「ポポロム、この入り口、塞いでおかないとやつらが追ってくるんじゃないのか?」
「それはご安心を。やつらは鍵の言葉を知っていても、正式な儀式を行わなければ入ってこれません。まあ、35分は先でございましょう」
ポポロムの声は日本語に聞こえるが、多分ユメのときと同じで、しゃべってるのは別の言語なんだろう。アバウトな話のくせに35分っていう半端な数字なのは、言語が違うからだろうな。7分くらいが一単位の時間が5つ分とかなんだろう。欧米の人が『1マイル』とアバウトな距離を言ったのを直訳したら『1.6キロ』と細かい距離を言ったように聞こえるのと同じようなもんなんだろう。
「もっともそのまま陛下がそこに立っておられると、入り口は開いたまんまでございます。まず、その場所をお離れください」
また、大事な話を後にしやがったな。さっさと四畳半ほどの平らなところを離れると、上に浮かんでいた黒い楕円形の穴が消えた。オレの存在が入り口を開くカギになってるということなのか。ポポロムの話のとおりなら、やつらがこの入り口を開くには儀式の時間が必要だってことか。
「おそらく、入り口の神像の前で待ち伏せていたのでございましょう。数ある神像のうち、陛下があの神像にたどり着いたのは、ウマの体力を心配なされた陛下が、手近なところで地下へ入ろうとなさったからで、たまたまということでございましょうから、ほかの神像でも待ち伏せがあったのでございましょう。とすれば、やつらは、あの人数で追ってくるのではなく、この入り口から陛下がお入りなったことを、ほかの地上のものたちに知らせて、この先地下で襲ってくるつもりでございましょうな」
くわしい解説ありがとうよ。っていうか、おまえ、それを経験して知ってるんだろ? このあとやつらが呼んできた仲間たちに襲われるわけだ。
それにしても、ユメはまだカナダでの朝じゃないだろうに、一人だけ起きられると残ったほうはたまらないな。旅の出発のときは、逆の立場で、ユメが残されたわけか。ユメの不満ももっともだなあと、自分がその立場になってよく理解できた。オレの場合は、まだポポロムが話し相手にいるからマシなわけだし。
あ、起きるっていえば、オレだって、旅行会社でいつまでも寝てられないぞ。
「おい、ポポロム。これ、どうやったら目が覚めるんだ?」
「さあ。 わたくしめは眠りっぱなしでございますので、まったく起き方は想像もつきません」
こいつ、六千年も眠りっぱなしなのか?
いや、そんなこたぁ今はいいや。目を覚ますことに関してはポポロムは当てにならないようだから、自分で考えよう。
ええと、学校で目覚めたときは、たしか、侍女たちのとこで須藤エリが迫ってきて、例の香りを感じたときに目が覚めたんだ。
妹姫でも香りがするのかな?
これは、別に邪な動機じゃないぞ!
目を覚ますためだ。うん、それだけだからな。
妹姫は、まだラブラブモードのようだ。こっちから避けないかぎり、勝手に擦り寄ってくる。
顔が近付いてくる。
ユメとそっくりなので、変な感じだが、この娘は別人だぞ。起きるためなんだ。
目を閉じて、精神を落ちつけて……目を閉じたら無防備だからキスされるのかな? 想像しただけで、頬が焼けるように熱くなった。
あわてて目を開けようとしたとき……あの香りに包まれた。
はっ、と気づくと体勢が変わっていた。
旅行会社の休憩席で半分立ち上がった体勢でのけぞってるオレに、覆いかぶさるように迫ってきているのは、妹姫じゃなくて学園のマドンナ、風見先輩だ。サラサラの長い黒髪が触手のようにオレにまとわりついてくる。まとわりつく、というと不快な感じがする表現だが、この黒髪は、触ると愛撫されているようなゾワゾワ感が・・・・・っていうのも不快な感じの言い回しだなあ。とにかく、誘惑されてるようなヤバイ感じがするのは確かで、思わず腰が引けてしまう。
今度もこっちでは、一秒も経っちゃいないらしい。
「か、風見先輩。オ、オレ、カリブの海賊じゃ、ないっス」
なんとか発したその言葉が、まるで彼女にかかった催眠術を解くキーワードだったかのように、風見先輩は正気に戻った。科学準備室の須藤エリのときと同じだ。
「夢でも?」
さっきまでのような甘い口調ではなくなっていた。
「は、はい……夢でも」
「……そう。そうなの……ゴメンなさいね」
風見先輩はあっさりとオレから離れて、クルリと向きを変えると、なにもなかったように旅行会社の出口の自動ドアをくぐって出て行った。
危機からの脱出か、それとも、役得を逃したのか。簡単に普通に戻るんだったら、もうちょっと後でもよかったかもしれない、と思うのは男子として当然なんじゃないかなあ。
微妙なところだが、まあいいや。
とにかく望みどおり目を覚ますことができたんだから、メキシコ行きの手配のために、さっきの窓口の人に事情を話して、家へ一度戻らなくちゃな。神棚の下の引き出しだっけか。
不思議なことに、一度家に戻って再訪問し手続きを済ませて旅行会社から帰った晩も、成田からヒューストン空港への飛行機の中でも、眠ったんだが夢は見なかった。
いや、普通の夢は見たような気がするが、よく覚えていないっていう、普通の眠りだったんだ。
あの夢が病気かなにかなんだったら、治ったってことになるんだろうな。
目が覚めるたびに不安になってくる。あの夢は、夢だったんじゃないだろうかって。
あ、夢は夢か。つまり、ただのよくできた夢なんじゃないかってことだ。
何事も無く、飛行機はヒューストンに到着した。
航空券はカンクンまで買っちまってるし、ヒューストンまで来ちまったんだぞ。いまさら、ただの夢でしたで済むかよ。
勇者様って話もなけりゃ、ユメも実在しないとしたら、何しにこんなとこまで来てるんだ、オレ。
ユメとは、ちゃんと待ち合わせしたわけじゃない。ヒューストンで午後二時に会おうって約束だけだ。
だだっ広いヒューストン空港のどこで会うっていうんだ。
こっちの乗り換えの便を伝えているが、むこうがどの便でカナダから来るのかは聞いていない。
たとえ聞いていても、異国の空港でユメが降りてくるところを待ち構えるなんていう芸当はできなかっただろうけどさ。
会えるかどうかは、ユメまかせだな。
英語の案内図によると、この空港、ターミナルがAからEまで五つもあるらしい。そもそも名前はヒューストン空港じゃなくて昔の大統領の名前みたいだが、あの旅行会社の窓口さん大丈夫なのか?
こんなに広くて人が多い場所じゃあ、オレが午後二時前の成田発ヒューストン着って便から降りるところか、午後四時前にヒューストン発カンクン行きの便に乗るところでユメが待っていてくれないと、会える道理がないぞ。
ターミナルの高い天井を見上げ、ぐるりとあたりを見回す。
今、見えてる人間だけで、千人は居るんじゃないかなぁ。
この中からユメをみつけられるのか? あっちがこっちをみつけてくれる可能性のほうが高いか? 日系人らしいのや日本の観光客っぽいのも居て、あんまり目立たないと思うぞ、オレ。
ユメが夢の中で見たオレはタキシード着た実業家姿か、半裸の勇者様なわけで、ジーパン姿の今のオレじゃない。彼女が顔を覚えてくれてりゃあいいが、ユメの夢に出てきたオレの顔が本物どおりなら、だな。ユメと妹姫は髪型や髪の色だけじゃなくて顔つきもちょっとだけちがうような気がする。オレはユメから、どう見えていたんだろう。今のオレを見て、夢で会ったマコトだってわかってくれるのかな。
それもこれも、彼女が実在してるとしての話だ。いや、ここまできたら、そこんところは信じるしかないんだが。
とりあえず、ユメは日本語が話せるんだから、ここで日本語で大声で呼びかけたら、彼女が聞きとってくれるかもしれないな。
なんて言おうか。
名前を呼ぶか? ユメ~って? 『You may!』って叫んでると勘違いされそうじゃないか? ええと、どういう意味になっちまうんだっけ。わかんないが、この叫び方はあまりよくないようだな。じゃ、こっちの名前を叫ぶかな? マコトだ、ここにいるぞ~って。
そうだな。それが無難か。
息を大きく吸い込んで、自分の名前を叫ぼうとした瞬間、後ろからドスンと人がぶつかってきて、思わずよろけて、ためこんでた息をぜんぶ噴き出してしまった。
「プハッ!」
なにがあったのかとふりかえってみると、だれもいない。
いや、いた! 下だ。
オレより頭一つ低いところに、黒いショートボブの頭があった。
大きなサングラスで顔を隠し、コートの襟で顔を隠してるワリには目立つ真っ赤な唇。黒のショートコートを着ていて、コート越しにも大きな胸が、その存在を主張している。
ユメだ!
本物だ! ほんとに居たんだ!
「ユメか?! おまえ、なんで黒髪なんだよ!」
「シャラップ!」
黒いレース地の手袋をした小さな手で、口元を隠すような気取ったポーズをとりつつ、オレの方はわざと見ないでユメが言った。
黙れって?
「こっちを見ないの! 他人のフリをしなさい!」
今度は日本語だ。
語気は強いが、周りに聞こえないようなヒソヒソ話用の声だ。
いったい、なんなんだよ。
腰を曲げて、ユメの顔の前に顔を持っていってサングラス越しに覗き込もうとすると、ユメはさらに顔をそらす。
「見ないで、って言ってるでしょう!」
うわ! なんて裾が短いワンピースを着てるんだ。真っ赤でドレスみたいなやつ。黒いコートもミニなのに、それよりも短い。で、そのミニから伸びてる足は、黒い網柄のタイツに包まれてる。ふくらはぎからふとももにかけて、なにやら花のような模様がタトゥーのようにあって、やけに色っぽいタイツだ。
とどめは黒光りするハイヒールなんだけど、それを履いててもオレより頭一つ以上低いんだな。
こういうファッションが流行りなのか? 色気が売りのアイドルのステージ衣装みたいじゃないか? オタワだっけか? そういう流行なのか?
彼女が見るなと言ってるのに、じろじろ見続けてると、はじめて彼女がこっちを向いた。
というか、怖い顔で睨んでいた。
はいはい。他人のフリだったっけか。
彼女の言うとおり、彼女に背を向けて、天井を見回しながら口笛を吹く。
「そこまでわざとらしくするもんじゃないわよ・・・・・・」
背中合わせに立ったまま、ユメがグチるように言った。
「どういうことだ、ユメ。なんでブロンドじゃないんだよ」
振り返らないようにひそひそしゃべるっていうのも難しいな。
だだっ広いフロアの真ん中で、行きかう旅行客の中で、背中合わせに立ってるっていうのは、他人のフリっていうより旅先で喧嘩したカップルみたいなんじゃないかな? 立ち止まってスマホや旅券を確認している人や、立ち話している人たちはほかにもいるが、オレたちみたいに背中合わせにヒソヒソ話しているのはいないよな、当然。
「あなたを驚かそうと思って用意してたウィッグなんだけど、この空港についたら、カナダからのブロンド娘を張っている黒服がいるじゃないの。あわてて変装したわけよ」
黒服?
言われて見回すと、あ、いた。メン・イン・ブラックかどっかのSPみたいな、黒の上下にサングラスの二人組が、きょろきょろあたりを見回しながらターミナルの中を走り回ってる。ブロンドの若い女性の前に回りこんでは顔を確かめてるようだ。
「何やってるんだ? あれ」
人探し? 知ってる顔のブロンド女性を探しているってことになるのか?
「あの二人に見覚えない?」
見覚えと言われても、あいつらサングラスかけてるし――あ! また、あのフラッシュバックだ。ジャングルの遺跡を見てたときのように、今見ているふたりの姿と、夢の中でのやつらの姿が、パパッと切り替わって見えた。
「地下への入り口で待ち伏せてたやつらの中にいたやつか・・・・・・」
神像の近くで待ち伏せしていたやつらだ。
「あなたも見えた? 便利よね。でも、やつらもわたしたちを見たら、ああいうふうに夢の中の姿がダブって見えるんじゃないかって、思わない?」
それはそうだな。
しかも、六千年前は妨害する側だったやつらなんだから、現代でもあまり味方だと期待しないほうがよさそうだ。
「やつら、どうしてここで待ち伏せてるんだ?」
「あなたがベラベラだれかれかまわずしゃべったんでなければ――」
そんなことしてないって。
「あのときの神官よ。財団の代表者。あのテラスで、あいつ、実は寝てたんだわ」
寝てたから聞かれた、っていうのもへんな話だが、つまり、あの夢の中でNPCとしてじゃなく、現代の財団の代表者が意識を持っていたってことだ。NPCのフリをしてふたりの会話を盗み聞きしたんだ。
こりゃあ、完全に財団は敵だな。あの時代でも、あの神官は敵ってことか?
「あいつの前で何を話したか覚えてる?」
と、ユメが言った。夢の中のことだが現実みたいにちゃんと覚えてる、と言いたいところなんだが、どの場面でどんな会話をしたかまで、現実でもちゃんと覚えていられるもんじゃないぞ。
「って言われても、夢だしなあ」
と、夢のせいにすることにした。
「ん! もう! だめね! あのときわたしたち遺跡を見て、マヤだって言ってたでしょう? そして、ユメとマコトだって名前を教え合った。時差の話をして、あなたが日本の学生でわたしがオタワだって言ったんだわ」
そう言われると、そうだったような気がする。
「よく覚えてるなあ」
ユメのほうがあのユメで長くすごしたはずだが、そのユメの冒頭部分をよくそこまで細かく覚えているもんだ。
「そのあとは部屋に戻って神官とは離れた場所で話したし、ヒューストンでこの時間に待ち合わせるって話はジャングルの中で話したから聞かれてないはず。だからやつら、多分、カナダと日本から、メキシコかグアテマラへ向かう便を手分けして見張ってるのよ」
ジャングルの待ち伏せのときのように、可能性がある場所と時間に片っ端から待ち伏せてるってことか。あのふたりを見ただけで、そこまで考えられるなんて、記憶力もいいし、頭も切れるんだな、ユメは。なんか、オレひとりバカみたいじゃないか?
「で、これからどうする?」
背中合わせのまま立ち話してるのも不自然だから、やつらから目をつけられない場所に移動しなきゃ。
「やつらにみつからないように、メキシコ行きに乗るのよ! 離れた席に座るようにしましょ」
ちょっと残念な話だな。せっかく逢えたのに。オレが何と答えたらいいか考えてモタモタしていると、ユメは続けて言う。
「わかった? ここからわざと別々に行きましょう」
そして、言い終わるよりも早く、彼女は大きな旅行カバンを片手で引き、カツカツと秘書っぽい足音を立てながら歩き出していた。
スーツ姿なら、それも似合うかもしれないが、真っ赤なミニドレス着てるときの歩き方じゃないんじゃないか? ほらほら、なんか周りの視線を集めてるし。
って、やばい! 例のメン・イン・ブラックのふたりも彼女の方を見たぞ!
ひとりが彼女を指差した! やはりやつらもフラッシュバックが見えたのかもしれない。
黒服のふたりは、旅行客たちの間を縫って、彼女に向かって走っている。かなり確信持って彼女を追っているようだ。どうやら、もう、ブロンドかどうかなんかじゃなく、フラッシュバックで彼女が妹姫だってわかってしまったんだ。
あれこれ考える前に、オレもユメを追って走り出していた。
走り出してから考える。
どうするんだ、オレ。
ユメをつれて走って逃げるか?
でもここはまだメキシコじゃない。この空港で、飛行機に乗らなきゃいけないし、搭乗手続きも待ってる。手続きの列に並ばなきゃいけないんだから、この場を逃げ切っても、また追いつかれるのは確実だ。
ええい! とにかく、ここで彼女が捕まっちゃだめじゃないか! あのふたりが、夢の中では、あの神官の手先で勇者を妨害する敵だとして、現代でも同じように、あの神官が代表者やってる財団の一味で、財団がオヤジが言ってたとおりワルなら、つかまったらユメは無事じゃすまないぞ。
やつらの方が、先にユメのところにたどり着いた。
ユメの前後をはさむように立ちふさがる。ユメは、前をふさがれたのに気付いて振り返って逃げようとして、後ろのやつを見つけ、立ちすくんでいる。
ユメが意を決したように、眉を逆八の字にして、カバンの取っ手を握りしめ、ふたたび前を向こうとしたときにオレがユメの側にたどり着いた。
両手を広げて、とりあえずユメと前方の黒服の間に入ってユメを庇うポーズを取る。
ユメはオレが来なかったら、何をするつもりだったんだろう。ひょっとして、旅行カバンで殴りかかるつもりだったんじゃないだろうか。
黒服は、オレの登場に驚いていた。サングラスで表情はわからないが、身構えて少しひるんだようだった。
多分、フラッシュバックで勇者のオレがダブって見えたんだ。
勇者を前にした一般兵士の感覚に戻ってひるんだんだろうが、それは一瞬だった。
なにしろ、あの夢ではオレと同じぐらいだったふたりの体格は、現代ではあきらかに重量級で、柔道の大会を控えて軽量級から軽軽量級にダイエット中のオレよりは、ふたまわりほど大きかった。
「バカじゃないの?! あなたまで来ちゃって、どうするのよ!」
ユメは頭っからオレのことを非難した。
「ふたり揃って行かなきゃ意味ないだろ!」
いっしょに行くって言い出したのはユメじゃないか。
「なに言ってんのよ。あなたさえ行ければいいのよ!」
そりゃ、そうかもしれないが、ほっとけないだろ。
肩越しに言い合っていると、前のやつが口の端で笑いながら迫ってきた。後ろのやつも迫ってくる気配がある。
体格差に油断しているところがチャンスだ。ひとりなら、なんとか!
前のヤツがオレにつかみかかろうとするタイミングを計って、懐に飛び込んで体をねじる。
払い腰!
ワザは身体が勝手に選んでいた。ユメに当てないように横方向に向けて投げる。黒服のでかい図体が宙を舞ってぐるりとさかさまになり、両足が上を向いて伸びたまま、背中から硬い床に落ちる。
硬いもの同士がぶつかる音がした。
こいつ、受身取れなかったんじゃねぇか? こんな床のとこで受身も取れずじゃ、大怪我するぞ。
敵の身を案じてる場合じゃない。もうひとりを睨むと、驚いているようだが、すぐに身構えた。
もう油断は期待できない。
「ユメ! 走れ!」
ユメの手を引いて、前方へ走ろうとする。後のことは後で考えるとして、今はとにかく逃げるんだ。
しかし、二歩も進まないうちにユメとオレの腕が伸びきって、足が止まってしまった。ユメが反対の手で持っているカバンを、後ろの黒服が両手で押さえて睨んでる。
「ユメ! カバンを放せ!」
「だめよ! パスポートはこの中なの!」
そんなものいいから、と言えるものじゃないな、パスポートは。仕方ない、後ろのやつもなんとか投げ飛ばすしかないな。現代で柔道やってるやつじゃなきゃいいが。体格差ありすぎだぞ。
カバンを押さえているやつの横で、さっき投げ飛ばしたやつが、上体を起こして首を振ってるのが見えた。大怪我じゃなかったらしい。丈夫そうな体格のおかげだな。さあ、形勢はどんどん不利になりつつある。
そのとき、大声コンテストで優勝しそうなほどの声量で、黄色い悲鳴が上がった。
「きゃ~~~~~~~~っ!!」
ユメじゃない。離れた横の方からの声だ。
「おまわりさ~ん! 暴漢よ! あのひとたち旅行者を襲ってる!」
若い女の甲高い声。日本語で叫んでる。
そしておそらくそれを英語に同時通訳している大人の男の声がする。
声の方向を見ると、若い女性がこっちを指差していて、そのとなりのオッサンが通訳して大声出しているんだ。
その声に呼ばれてか、制服の警官らしいのがふたり走ってくる。
黒服たちはそれを見て、ふたりで顔を見合わせ、この場を逃げ出すことにしたようだ。
やつらはユメのカバンから手を離して、警官と逆の方向に駆け出した。
警官は、オレたちの横を駆け抜けて、ふたりを追っていく。
オレたちを救ってくれた声の主の方をふたたび振り返ると、こっちに歩いてきてるところだった。
ほとんど脚が付け根までむき出しのホットパンツに、薄手のゆるゆるTシャツ。むき出しの両肩を日差しから守ってくれそうなほど大きなピンクの麦わら帽子。
その女性は薄い色のサングラスをかけてる。近くに来ると、レンズが透けて顔が見える。その笑顔には見覚えが・・・・・・。
なんと、グラビアアイドルの島崎レナじゃないか! 夢の中の侍女のひとりだ。
「あら! やっぱりあなたマコトさんじゃない! ほんとにいたのね!」
彼女はオレの首に抱きついてきた。
上半身をオレに、ぎゅっと押し付けてから、オレの首の後ろで手を組んだまま身体を離し、オレを見つめながら微笑んでいる。
「なんて偶然? 運命かしら? それともわたしに会いにここまで来てくれたの?」
どうやら彼女も、夢でオレを知ってるらしい。
「ちょっと、ちょっと。女性連れの男に、なになれなれしくしてるのよ。たすけてくれたことはありがたいけど」
ユメが怒ってるようだ。首だけ回してユメの方を見ると、黒髪のかつらを取って、ブロンドの髪を振って整えながら、自分のほうがグラマーだってことを誇示するように胸を張って、島崎レナを睨んでる。
「あら、日本語ペラペラなんだ」
島崎レナが、オレの首にまわした腕をほどきもせず、ユメを見下ろしながら言った言葉は、おそらく、最悪の応えだった。
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