第2話 起きたり寝たり


 オレが勇者って、夢の勇者様か? 宝の剣を抜くとかいう。

「す、すまない。実はオレ、財団の話って、いまさっきダチに聞いたばかりで、ほんとうは良く知らないんだ。どういうこと?」

「あんなにネットやテレビでやってるのに? 信じられないわねぇ」

「ここんとこ大会近くて柔道バカやってるからな」

 彼女はオレを上から下へと見回した。

「へぇ。それで細マッチョなんだ」

 こらこら、人の身体をズケズケと見るな。しかも、感心したっていうより、バカにしたような言い方だな。男の筋肉に恨みでもあるのか?

「こんどの大会は体重別だから、ダイエット中だ」

「ふ~ん。それにしても、夢だっていうのに暑いわね! ちょっと、この布、やっぱり脱ぐわ。ここじゃ、当たり前の格好みたいだしね。わたしだって海水浴に行ったらビキニで泳ぐもの。あ、でもやらしい目でジロジロ見ないでよ。約束!」

 オレの柔道や筋肉は、もう、どうでもいいらしい。

 身体に巻いた布を取ろうとした彼女の手をつかんだままだったので、離そうとすると、彼女のほうからつかんできた。

「ちょ! ちょっと待ってよ! 離さないでよ!」

「え?」

 彼女の目はマジだった。

「だって、あなたに手をつかまれてこのテラスへ来たときから、あなたの夢に入ったのよ。ひょっとして手を離したら、元の自分の夢に戻っちゃうかもしれないじゃない! そしたらここは高層ビルの窓の外よ! いくら夢だって落ちたくはないわ!」

 なるほど。可能性はある話なのかな。

 彼女はオレと手をつないだまま、片手で器用に布を取った。脱ぎ終わると、身体をねじったりしながら自分の衣装を値踏みするように見回す。

「ベリーダンスって、まあ、言えなくもないけど、ちょっと違うわね。どこの衣装なのかしら。この建物も、巨石で組んでいるけど、デザインはむしろ未来風かしらね」

 それはオレも感じていた。材質こそ石なんだけど、まるでSF映画に出てくる宇宙船か宇宙ステーションの中みたいなイメージだ。オレたちの格好が妙に浮いてる。

 そう思ったが、彼女にこの感想を言うのはまずそうだな。もう、格好の話には触れないようにしたほうがよさそうだ。そういえば、なんかの話題で話していたところだったけ。話をもどそう。

「で、さっきの話は? 財団の夢の話」

「あ、そうね。つまりね、六千年前の英雄がこの世の悪を退治したんだけど、再び世界に悪があふれ出す現代によみがえるんですって。その英雄と同じ時代を生きていた人々も同時によみがえっていて、繫がった夢を見るようになってきているっていうのが財団の主張。財団の人たちは、すでに夢で繫がっている人同士で、これからも約束の時を迎えて、どんどん夢で繫がる人が増えていくって言ってるわ。ただし、人によって、夢の完成度が違っていて、今の自分の生活によって脚色されている度合いの強弱があるって。でも、勇者様は、完全な夢を見るそうよ」

「完全な夢?」

 夢に、完全だの不完全だのあるんだろうか。そもそもどれも、不完全なんじゃないのか。

「そう。六千年前の戦いの夢と、現代の戦いのために剣の在りかを示す夢」

「戦いねぇ」

 オレはジャングルを見渡した。武器らしいものも城壁のような外敵から守るような設備も、見張りの兵士も見当たらない。つまり、戦争とかをやってるふうじゃないし、外敵がここを脅かしてる様子もない。

「平和そうだけど?」

「これはまだ、プロローグよ、多分。ほら、わたしが部屋に入ってすぐ言ったセリフ、『もう時間でしょ』って。これから始まるのよ。そして、わたしは彼女たちのことを『侍女』って呼んでたでしょ? 秘書の格好なのに。マンハッタンの重役室にはふさわしくないセリフだわ。この、あなたの夢のほうが本物って証拠よ」

 マンハッタンのビルが不完全な夢で、見たことも無いジャングルの都市と半裸のオレたちが完全な夢ってことか?

「で? どう始まるんだ?」

 その答えは、すぐにわかった。

 部屋から男がテラスに現れて呼びかけてきたからだ。

「陛下、お時間です。ご出立を。神の啓示が示されました。あさっての日が終わらぬうちに、到達せねばなりませんぞ」

 その男は、四十代くらいの痩せ型で、頭はつるつるで赤や緑でペイントしている。日本人じゃなさそうだ。もっともユメの例があるがな。

 オレを陛下って呼んだから、オレが王なら、こいつは宰相か神官ってとこかな。

「おい、あんた。あんたもこれが夢だってわかるか? 明晰夢見てるとこか? オレと話せる?」

 呼びかけてみた。

 返事はない。NPCかな?

 でも、ちょっと視線がオレと彼女の間を行き来したような気がしたが。

 今は、眼球は動いていない。オレが歩み寄っても、オレが元いた場所を見ている。

「この人・・・・・・財団の代表者よ」

 オレと手をつないだまま、男をジロジロ舐めるように見定めたグラマー女が言った。

 ええい、いつまでもグラマー女って、呼びづらいな。

「おい・・・・・・っていうか、おまえのことなんて呼べばいいかな?」

「わたしはユメ。夢子っていうのが本名だけど、いまどき『子』ってのも、ってね」

 古風な名前には似つかわしくない洋風の顔をこっちに向けて、彼女――ユメ――が笑って言った。

「オレはマコトだ」

「へぇ。ユメとマコトね」

 おまえが先かよ。まあ、マコトとユメじゃ締まんないな。

「どうやら、今、夢が繫がってるのは、ユメとオレだけみたいだな」

 四人の侍女たちや、この神官だか財団代表だかは、たぶん繋がっていないんだろう。

「そうね。マコトは、日本でしょ? 昼? 化学準備室だっけ?」

「ああ、予鈴が鳴ってたときだったから、午後二時だ。『あさっての日が終わらぬうち』っていうのがオレの時間でっていうなら、二日半切ってるよな。どこへ行けばいいんだ?」

 もういちどジャングルを見回す。

「日本じゃないだろ、ここ」

 ユメが言っていた完全な夢っていうのは、六千年前の戦いの夢と、現代の戦いのために剣の在りかを示す夢だっていうことだ。夢は二つなのか? だったらこれはどっちの夢なんだろう。それとも、夢はひとつで、両方の性質を持ってるってことなのか? 過去の夢が剣の在りかも示すっていうことだろうか。

「この夢が六千年前の出来事の夢なら、これからそこへ行くんじゃないかしら。ここがスタート地点ね。なにか現代でも目印になるような山とか見えればいいんだけど」

 ユメが緑の地平線あたりを見回す。その彼女の真剣な横顔を見て、オレも同じように地平線に目をやる。

 そのとき、空とジャングルがフラッシュのように一瞬違う景色になった。

 違う景色と言っても、空とジャングルっていう組み合わせは同じだ。空の青さや雲の様子が異なり、ジャングルの木々が違うものの、地平線まで続くジャングルの景色には違いない。そして、そのジャングルに点々と、遺跡のような古い石の建造物が見えた。

「い、いまの見たか?!」

「ええ! 景色がかわったわ」

 見回していると、また、パパッと一瞬かわった。

 今度は心構えができていたので、遺跡の様子をよく見ることに成功した。

「いまのピラミッドみたいなの、世界遺産かなんかで見たことあるぞ」

「ええ。多分、マヤ遺跡のどれかだわ。メキシコかグアテマラあたりよ! ここ!」

 エジプトのピラミッドと違い、急勾配で大きな段々があり、面の真ん中に階段がついている。てっぺんはとがってなくて、家のようなものが載ってるピラミッドだ。

 そういえば、てっぺんの様子は今オレたちが居る建造物に似ている。ピラミッドはこの建物の模倣したものって感じだ。

「この場所の、この夢から六千年後の、――現代の景色か」

 オレたちが場所のヒントを欲しがったから、何かがオレたちに見せてくれた景色なんだろう。

「マコト、学校に居るんでしょ。目を覚まして、図書館かネットで世界遺産とかを調べなさいよ」

「って、なんでオレだよ。ユメは?」

「わたしは寝たばかりなのヨ! 時差があるの! サマータイムのオタワは今真夜中の一時よ」

と、言ってからユメは、

「あ!」

と小さく叫んだ。

「そうよ! 時差!」

 生まれてこのかた国外に出たことがないオレにはピンとこない話だ。

「ここがメキシコあたりなら、ここは零時なんじゃないかしら。だから丸々三日、七十二時間後が期限なのよ!」

「六千年前の夢にしちゃあ、時差まで考慮してくれてるっていうのは、気が利いてるな。それにこの景色は夜じゃなくて朝か昼だぜ」

 オレの言葉は、ちょっと懐疑的に聞こえたかもしれない。ユメはすこしムッとしたようだ。

「この時代にとっての一日のはじまりは日の出なんだわ。だから期限はあさっての日の出までってことかも。でもわたしたちの時代じゃ日のくぎりは零時でしょ。先週からのくりかえしの夢が予告編で、この夢がスタートなら、ちょうど三日ってなってるに違いないわよ」

 そうかな。う~ん、もっともらしいかもしれないな。オレが化学準備室で寝たときに、ちょうど二時のチャイムが鳴ってたっていうのは、なんだかそれっぽいなぁ。

「とにかく、あなた一回起きちゃいなさいよ! 起きて、あの景色がどこか、そしてあなたがちゃんと期限までに来られるかどうか調べるのよ!」

「んなこと言ったって、どうやりゃ起きるんだよ」

「ウダウダ言ってる間に努力してごらんなさい! しっかりしなさいよ! 人類を救う勇者様なんでしょ?」

 そんなこと言われてもなあ。でも、何かしないと、ユメは許してくれなさそうだなあ。しかたないなあ。

 目を閉じて、集中してみる。

 起きろ、起きろ、起きろ、オキロ!

 目を開けてみる、と、テラスとジャングルをバックに、青い瞳のユメがこっちを見ていた。

「ダメ?」

 う~ん。

「そういえば、オレが起きちゃったら、ここから消えるんじゃないかな? おまえ、摩天楼からまっさかさまじゃないの?」

 ユメの顔色が目に見えて変わった。

「そ、そうだったわ! こっち来なさいよ!」

 ユメがオレの手を引いて部屋へ戻る。途中で、テラスに立ったままの神官っぽい財団代表者の横を通るとき、ユメがその顔を観察していた。男は微動だにせず、オレに話しかけたときのまま、ジャングルのほうを見ている。

「マコトは、財団の言ってること信じられる?」

 テラスから部屋に戻ったところで、ユメが言った。あの男がNPCかどうか疑っているのか、男に聞こえないように声をひそめている。

「いや、オレはほとんど知らないから。おまえは信じてないのか?」

 つられて、オレの声も自然と小さめになった。

「ええ、なんか胡散臭いの。もちろん、荒唐無稽な話だからっていうのもあったけど、こうして夢が繫がってたりすることが本当だってわかっても、財団の目的とかが、怪しげに見えちゃうのよね。勇者を探してサポートするって言って、情報提供者に賞金出すっていうとこは、まだいいとして、なんで勇者本人にも莫大な賞金を出すなんていうのか」

「え? 賞金出るのか?」

 オレがもらえるってこと?

 軽口を言ったオレをユメがにらんだ。部屋に戻って、摩天楼落下は免れると思ったからか、振りほどくようにオレとつないでいた手を離す。

「まさか賞金がほしいって言うんじゃないでしょうねぇ」

「いや、だから、知らないって」

「ここが、マヤかなにかの関係ってことなら、勇者とか英雄とか崇め奉られたあげくに、生贄にされちゃうのかもしれないんだからね!」

 言うことを言ってから、ユメはあたりを見回し、自分の身体を見下ろした。

「だいじょうぶみたいね。マンハッタンじゃないわ」

 もう、手をつなぐ必要はないらしい。ちょっと残念かもな。

「さ! ほら、起きて起きて」

 困ったなあ、そう言われても・・・・・・。

 部屋の中を見回すと、四人の美女はソファーの定位置に戻っている。

 いつもはあの真ん中に座っているとこにユメが現れて目が覚めるんだよな。

 ソファーの方へ行こうとすると、ユメがふくれっつらになった。

「こらこら、なに色気付いてんのよ!」

「ちがうって! いつもならあそこに座ったあとで、おまえがやってきたとこで目が覚めるんだよ」

「その場面はもう終わったでしょ」

 まあ、そのとおりなんだが。起き方がわからないんだから、なんでも試すしかないだろう。

 という理由付けをすることにして、四人の真ん中に座る。ユメが両手の甲を腰に当ててナナメに見下ろしている。

「ふ~ん。ほんと、うちのクラスメイトたちじゃなくて日本人だわね」

 だまって集中させてくれるつもりはないらしい。ユメがしゃべり続ける。

「この四人のうち二人は芸能人で、あとはあなたの学校の先輩とクラスメイトですって? あなたの先輩やクラスメイトって、どんだけレベル高いのよ。四人ともモデルみたいじゃないの。いったい、どの二人が一般人だっていうの?」

 なにが気に食わないのか、ネチネチと機嫌悪そうにオレを睨んで言う。

 その、ちくちく突き刺さるような視線は無視して、四人を見回す。

 須藤エリは、やっぱりNPCのようだ。色っぽい顔つきで、こっちにゆっくりとすり寄ってくる。顔を近づけてきて、いまにも唇が触れそうなとこで微笑んでいる。

 よく、こういう場面で鼻の下を伸ばすって言うが、本当に伸びるもんなんだな。自分じゃそうしてるつもりがないのに、勝手に鼻の下の筋肉が伸びてしまう。

 傍から見るとみっともない顔になってるだろうな。気を落ち着けたらなおるんだろうか。

 息を深く吸い込むと、あの香りがした。化学準備室で眠気を誘った香りだ。

 肺の中に香りを含んだ空気が充満するのを感じて、リラックスしてから目を開けると、須藤エリの顔が間近に迫っていた。

 夢じゃなくて現実の彼女のほうだ。



「ねぇ、どうなの?」

 鐘がまだ鳴っている。午後の授業の予鈴だ。ここは化学準備室。

 つまり、オレが寝てから長くても数秒。須藤エリの様子からすると、一秒も経ってないってことなんじゃないだろうか。

 そういえば、ほんの短時間に長い夢を見るって聞いたことがある。夢を見てるときのほうが頭の回転が早いって理由だったかな。

「いや、オレは同じ夢は見てないと思う」

 須藤エリがどういう夢を見ているのかは興味ある。

 ユメはマンハッタンのビジネスマンのオレを見てたっていうが、須藤エリはどんなオレを見てたんだろう? 訊きたいのはヤマヤマだが、そうすればこっちも夢のことを話さなきゃいけなくなるしな。

 にじりよってくるエリを避けるために、体勢がどんどん海老反りになってくるんだが、そこに覆いかぶさるようにエリがさらに迫ってくる。

 オレが困ってるだけのように見えたからか、こっちの表情を覗き込んでいたエリは、ふいに興味を失ったように、オレから離れた。

「なら、いいわ」

 あ、そういえば、あの香りはもうしていないようだ。

 なんだったんだろう?

 とにかく、今は化学の準備を済ませて、化学が終わって休み時間になったら図書館で世界遺産を調べなきゃ。カナダにいるというユメに、もう一度夢の中で会って報告するために。

 実在・・・・・・するんだよな? 彼女。


 化学の授業が終わった午後三時前、とにかく情報が検索できそうな図書室へ行った。

 休憩時間は十分しかない。

 パソコンで検索しなきゃいけないかもしれないので、そういうことに強いタカシを連れて行った。

 タカシには詳しいことは説明してないのだが、めったに図書室に行ったりしないオレが図書室へ行こうと言い出したことのほうに興味を持ったらしく積極的についてきた。

「ジャングルの真ん中のマヤかなにかの遺跡ねぇ」

 学校の図書館には、ほとんど使われていない情報検索用のパソコンが二台ある。ガチガチにガードがかかっていて、遊びごとには使えない端末なので生徒には人気が無い。

 まじめなことを調べるためだけのパソコンなんて、あってもなあ。

 ただし、今回の場合は、ちょうど良い機能のパソコンかな。

「こんなのか?」

 検索を始めて一分もしないうちに、もう、なにか見つけたらしい。

 ムダにでかい23インチワイドのディスプレイには、地平線までつづくジャングルの写真が映っていた。ところどころ石の建造物が頭を覗かせている。

 たしかに似ている。

「これはティカル遺跡。グアテマラにあるってさ」

 ちょっと違う気がするなあ。

 どこが、ってことはないんだが。

 振り返ってオレの様子を見て察したのか、タカシはさらに検索する。

「こいつも、ジャングルの中だぞ。チチェン・イツァだってさ」

 建築物の形は、もう、夢の中で見たのとそっくりだ。

 しかし、『ここじゃない』とオレの中のなにかが言ってる。

 タカシがさらに検索する。

「これはカラクムル遺跡だってさ。あんまり観光地化していないジャングルの奥地だって」

 さっきまでの遺跡と、ぱっと見は変わりない。だが、さっきまでのが『違う』と思ったのと同じように、オレの中の何かが『ここだ』と言っていた。

「どこだ、それ」

「え? ああ、国は、メキシコだな。ユカタン半島の真ん中へん」

 すまん、メキシコがアメリカの南というのは漠然とわかるが、ユカタン半島というのがメキシコのどのへんだか皆目わからん。

 この写真は似てる。

 あの、景色が変わったときの、現代の様子らしい景色に、写真そのものが似てる。

 で、ここかどうかの決め手は、というと・・・・・・そうだ! 時間。時差だ、時差。

 さっきユメと夢で会ってた時間はこっちの午後二時。その時間が現地の真夜中の零時じゃなきゃおかしいんじゃないかな。

「そこって、時差は何時間だ?」

「日本とのか? ええっと、待て待て」

 かちゃかちゃキーボードをたたき始めた。

「カンペチェ州だな。時差は十五時間」

 十五? それじゃ合わない。

「十四時間じゃないのか?」

「ああ。日本は協定世界時でプラス九時間だ。十四時間差ならマイナス五時間の場所だろ。メキシコはマイナス六から八。ユカタン半島のほかの国はグアテマラはマイナス六で、ベリーズが・・・・・・やっぱりマイナス六だな。つまりカラクムル遺跡があるあたりはマイナス六。十五時間差だよ」

 日本の午後二時は昨日の二十三時。そこから『あさっての日が終わるまで』じゃあ、四十九時間しかない。

 ほとんどサギじゃないか。

 一時間ずれてりゃなぁ。

 まてよ、一時間ずれっていうの、なんか、ひっかかる。ユメが何か言ってたことだ。それが、ひっかかっているんだ。なんだっけ。

 そうだ! サマータイム!

「サマータイムってのはどうなんだ?」

「あ、ああ、そうか。ええと、待て待て。メキシコは、サマータイムあるぞ。カンペチェ州は今の時期、マイナス五になるから、時差は十四時間だ。おまえ、よくわかったな」

 やっぱり、ぴったりなんだ。じゃあ、ここか? カラクムル遺跡?

「その遺跡に、あさってまでに行けるかな?」

「はあ?!」

 図書室でタカシが大きな声を上げた。まわりのあまり好意的でない視線がオレたちに集中した。

 図書室には、今の時期、短縮時間割になってる三年生が結構いる。オレたち二年は六時間目が残っているが、受験生の三年生は五時間目で終わって、図書室で受験勉強やってる人もいるわけだ。

「土日に海外旅行か? 何? 遺跡探訪にめざめたの?」

 タカシは怒ったりあきれたりしてるんじゃなくて、オレがどうしてそんなことを言い出したのか興味があるようだった。

「あ、いや、ちょっと、知り合いと会うんだ」

「はあ? ますますわかんない話だな。オヤジさんの関係かい?」

 オレのオヤジは海外特派員をやっている。今はアメリカ住まいだ。かあさんはついていっちまって、オレは高校に通うために家に残って自炊生活している。オヤジには、おまえも来い、とか言われたが、英語が赤点ぎりぎりの身としては、アメリカの高校で勉強したいとはとても思えない。

 幸い、そこそこモノになって打ち込んでいる柔道をこっちの道場で続けるっていう理由があったので、かあさんを説得して、ひとりで日本に残ることになった。

 ひとりで生活っていう自由さにもあこがれてたんだが、まあ、痛感しているのは自由さじゃなくて不便さの方だ。

「ま、そんな感じかもな」

 話をぼかしたが、タカシはパソコンに向かって、検索を続けてくれた。

「カンクンっていうとこにでかい空港があって、まあまあ遺跡の近くだが・・・・・・日本からの直行便は空席がないな。アメリカ経由ならいくらでもありそうだ。日本の航空会社じゃないが」

「げ、高いな」

 画面表示に出ている航空券の金額は、生活費をけちって溜め込んだ貯金をぜんぶ放出しろと言ってる値段だ。

「これ、片道だぞ。それに、クレジットカードとか持っておかないと面倒そうなこと書いてる。ビザは、観光なら不要。あ、まてまて。アメリカで乗り換えの場合、電子渡航認証システムの認証を取得しなきゃならないってさ」

 タカシが言ってる言葉は、オレにとっちゃまるで宇宙語だ。

「つまり? どういうことだ?」

「本当に行くつもりなら、旅行会社の窓口へ行って、さらにオヤジさんに相談することをおすすめするよ」

 そういうことか。なんとなく納得。

 しかし、ただの夢で、ユメだって実在してないかもしれないのに、本当に行かなきゃいけない話かは疑問だ。

 六時限目の数学の授業の予鈴が鳴った。

「やべ。おい、マコト、教室に戻ろう」

 タカシはパソコンの画面を元に戻して立ち上がった。

 オレはまだ考えていた。世界を救う、とかいう使命感じゃないが、ずっと見てる夢のことが気になってしかたない、っていうのはある。決して、あのブロンドのグラマー女にイカれちまったわけじゃないぞ。

「オレ、フケるわ。気分悪くなって帰ったってことで、頼む」

 タカシは何かを察してくれたようで止めたりはしなかった。だが、心配してくれているらしい。

「・・・・・・う~ん、まあ、いいけど。旅行会社より、病院へ行ったほうがいいぞ。夢に取り憑かれてるんなら。あの、財団に相談しに行くってのでもいいかもな」

 ユメの勘に乗っかるなら、財団っていう選択肢はパスだ。賞金よサヨウナラ。



 カバンは教室だったが、戻ると抜けにくくなるから、図書室から直接校門へ向かった。駅前に旅行会社があったな。

 柔道の試合以外では、授業をサボって早退っていう体験ははじめてで、ちょっと罪悪感もあって、後ろが気になった。そのせいか、後ろに人の気配があることが敏感に感じとれたんだ。図書室を出たところから、玄関の下駄箱と、そして校門までの校庭へと、ずっと後ろから誰かついてくる気配があった。

 校門を出て駅方面へ曲がるときに、ななめ上のカーブミラーで後方をちらっと見る。長い黒髪の女子高生がついてきてる。

 風見先輩だ!

 先輩って言っても、おれにとっては同じ学校って以外になにも接点があるわけじゃなく、彼女にあこがれている一、二年の男子生徒が彼女を呼ぶときにつけてる呼び名のようなものを、オレも使ってるってだけだ。

 去年と今年の学園祭でミスコンに優勝した彼女は、学園のマドンナと呼ばれてアイドル扱い。高校生にして、大人の魅力をあふれさせつつ、どことなく幼さも残した長い黒髪の和風美女だ。

 三年生だから、彼女はもう授業は終わって、多分、図書室で調べ物でもしたあとに帰るところなんだろうな、ということに、普通ならなる。

 しかし、今は普通じゃない。あの夢に出てきてる風見先輩が、タイミングよくオレのあとをついて学校を出てくるていうのは、偶然にしちゃあ、できすぎていないか?

 ちょっとドキドキしつつ駅前へ向かい、人ごみを抜けて駅前のデパートに入る。

 地階に旅行店の窓口がある。

 窓口のきれいなおねえさんは、学生服のオレにメキシコに急いで行く場合のことを聞かれても、ひやかしとは思わなかったのか、ちゃんと応対してくれた。

 おおむね、タカシが調べてくれたとおりだった。

 カラクムル遺跡ってとこがあるメキシコのカンペチェ州へ行くのに、メキシコへの直行便には、もう空きがない。したがって、アメリカ経由で、メキシコシティかカンクンの国際空港に行くことになる。パスポートがあれば、メキシコに観光に行くのにビザは不要だが、アメリカ経由だから電子渡航認証システムの認証っていうのが必要で、手続きに二日ほど余裕を見なきゃいけないかもってことだ。

 で、手続き代行を進めるなら、保護者の方の同意を取ってください、ときた。

 ううむ、行けるかどうかってとこまでは確かめないとな、夢でユメに状況を話すにしても。

 『親に連絡してみるから』と言って、窓口を一度離れて、店内のツアー情報を閲覧するシャレたテーブル席に座り、携帯を取り出す。店はデパートの売り場へ向いた側が全面ガラス張りで、JR駅と地下鉄を行き来する人が歩いているのが見える。向こうからも丸見えだ。

 正面の壁には、テレビ画面がたくさん埋め込んであって、今放送されている番組が映っていた。そのテレビの声は聞こえないが、旅行会社の店内にもテレビがどこかにあるらしく、放送の声はそっちから聞こえてくる。

 あの、財団の代表が、外国のテレビ番組のキャスターと向き合って座って、真剣な顔でなにか言っている。画面の右上には『LIVE』の文字が。生中継ってことだ。

 聞こえてくるのは、英語じゃない外国語だ。スペイン語かポルトガル語か、いずれにせよオレの知らない言葉。

 やがて、日本語の同時通訳の声が聞こえてきた。

『わたしたちが・・・・・・この、緊急の・・・・・・・この重要な緊急の声明を全世界に配信しているのは、時が来たからです。人類にとって、深刻な・・・・・・重大な危機が迫っています。救えるのは彼だけです。われわれ財団は、彼をサポートしたい。でも、まだ、彼がどこの誰なのかわかっていません』

 携帯の画面とテレビ画面を見ながら、オヤジの番号を呼び出してコールする。携帯を耳に当てると、視線はテレビ画面に集中することになる。

 あの神官だ。まちがいない。オレの夢に出ていた男。

『われわれ財団のメンバーは、彼のように完全な夢を見られませんが、多くのメンバーの夢の情報を総合すると、真実が見えてきます。たくさんのメンバーの夢の、共通する部分だけを取り出して・・・・・・正しい情報を得る方法です。それによると、彼はすでに神からの啓示を受け取っています。そうして、運命の旅に出なければならない時計が・・・・・・その時計が動き始めています。残された時間は、そう多くありません。彼にも、われわれ財団にも、そして、人類にとっても』

 大きな話だな。マジかよ。

 携帯から聞こえてくる呼び出し音は十回目くらいになった。やっとオヤジが出た。

『おお、マコト。なんだ? こんな時間に』

 眠そうな声だ。あ、そうか、時差があるんだっけ。向こうは真夜中か。

「あ、すまん、オヤジ。寝てた?」

『う~ん、まあ似たようなもんだな。晩酌中だ。で、どうした、おまえから電話なんて初めてだな』

 そのことはすまないと思うよ、オヤジ。親に逐一日常生活を報告するような几帳面な息子でなくて悪かったな。と、心では反省する。

「ちょっと確認したいんだ」

『なんだ、困ったことでもあるのか?』

「オレが、今からメキシコに行きたいっていったら、すぐに行けるかどうかの確認中なんだよ」

『どうした? 柔道の国際試合にでも出るのか?』

 いや、今のオレはそこまでは強くない。今度の大会で優勝でもすれば別だが。

「いや・・・・・・なんていうか。夢の話なんだ。へんな夢見てて、マヤの遺跡に、すぐに行かなきゃいけないような」

 なんて説明したらいいんだ? 色っぽい格好の女の子がいっぱい出てくる夢でブロンド娘に言われて調べてるって?

『・・・・・・おまえ、ひょっとして夢の勇者様か?』

 さすがにジャーナリストのオヤジは情報通だな。

「わかんない。かもしれないってとこかもな」

『マヤだったか・・・・・・。神棚の下の引き出しにおまえのパスポートとクレジットカードの家族カードがある。本当に勇者様なら、独占取材を条件にスポンサーになってやるぞ。だから、財団はやめとけ。あそこには連絡するな。ヤバそうな話がかなりにじみ出てる。力が強いらしく表にはまだ出ないがな』

 オヤジもユメと同じようなことを言ってる。しかもジャーナリストとしての情報らしい。こりゃあ、メキシコへ行くために財団に駆け込むっていうのはナシだな。

「金もなんだけど、手続きがいるらしいんだ。間に合うかどうかわかんないんだけど。メキシコへの直通便はもう空いてなくて、アメリカ経由になるんで、電子渡航なんちゃらっていう手続きがいるらしい。で、親の同意がいるとか。今、旅行会社の窓口で」

『ああ、ESTAか。いらんいらん。お前は不要だぞ』

「え?」

 意外な話だった。

『さっきの引き出しにビザもある。おまえは報道関係者の家族ってことでアメリカのIビザを取ってあるんだ。こっちにいっしょに来たいって言ったら来られるようにな。アメリカのビザがあるからメキシコは入国オッケーだ。メキシコへ行くならとっとと航空券予約をしな』

 なんて都合のいい話なんだ。つまり、ナニか? オレは行けと言われてから思い立っても、ちゃんとカラクムル遺跡に行ける条件の日本人だったってことか? 

「じゃ、行こうと思えば行けるんだな?」

『ああ、行け行け。行って人類を救ってこい。ほんでもって、独占取材だ。メキシコ土産はいらんぞ』

「ムスコの心配はしないのかよ。危険だからやめとけ~とか」

『心配? おまえのか? ははは』

 笑うとこか? クソオヤジめ。

『それにしてもマヤとはな。剣っていうキーワードからはかけ離れた場所だな』

 オヤジにとって、勇者の舞台がマヤっていうのはよっぽど意外だったらしい。

「どういうことだ?」

『マヤをはじめとするメゾアメリカ文明は鉄器を持たない。石の文明だ。財団が言ってる伝説がウソなのか、それとも財団が誰かに欺かれているのか。おもしろい話じゃないか。あ、そうそう、おまえスペイン語は話せまい?』

 息子の学歴ぐらいわかってるだろう。そんな教育は受けてないよ。

「英語がしゃべれる連れは居るかもしれない」

 ユメが実在する女の子で、いっしょに行くなら、そういうことになる。

『英語か。おい、まさかガールフレンドじゃないだろうな。・・・・・・まあいい。パスポートといっしょに入ってる端末を持っていけ。翻訳機だ。言語を選択して日本語をしゃべれば、その言語で繰り返す。逆に相手にゆっくりしゃべってもらえば、日本語に訳してくりかえしてくれる。時間は倍かかるが、日常会話はオッケーだ』

 なにからなにまで準備オッケーっていう状況は、もう、運命的だな。

「わかった。じゃあ、あとで報告する。かあさんにヨロシク」

『それは普段から電話するやつが言うセリフだ。何かないと連絡してこないやつから連絡があった、じゃあ、かえってかあさんが何かあったんだと心配するだろうが』

 そうだな。


 さて、とりあえず調べはついた。カナダで寝ているユメに夢の中で報告だ。

 どこかで寝ないとな。

 オヤジと電話で話している間、ずっと視線は外のテレビ画面に向けていたんだが、画面の横に立ってる制服姿の女子高生がこっちを見ているのに気がついた。

 風見先輩だ。

 あきらかにオレを見ている。いつからあそこに立ってたんだろう。

 オレと視線を合わせたまま、風見先輩がこっちに歩いてくる。

 どういうことだ? 先輩とは知り合いでもなんでもないぞ。こっちが一方的に知ってる校内の有名人だっていうだけで。

 やっぱり須藤エリみたいに、夢でオレを見てるっていうんだろうか。

 店の入り口から、彼女が入ってきた。カウンターじゃなくて、オレの方へ向かってくる。

 こんなに近くで風見先輩を見たのは初めてじゃないかな。あ、ここんとこ夢ではくっついてるか。

 ほんものは、初めてってことだ。

「鵜筒・・・・・・マコトくんよね」

 まっすぐな黒髪が、小首をかしげると肩からサラサラと胸にこぼれた。

 黒い瞳がこっちを見つめている。オレの身体を見回したりとかはしない。目を見て話すっていうのが彼女のスタイルってことらしい。

 美人がこうだと、男のほうは腰が引けるよな。

 とりまきは多いけど彼氏はいないっていううわさも頷ける。

 オレが風見先輩のことを『いいな』って思ってるのは、この凛としたとこだ。黒髪の和風美人なんだけど、男に媚びたとこを感じさせない内に秘めた強さみたいなのが、にじみ出る感じ。

 夢の中では、そういう強い女性ぶりはどっかへいっちまったように色っぽい表情で迫ってくるけど、今はそういう色気は発散させていない。ただし、迫ってくる迫力みたいなのはある。

「あなたも、夢を見るの? わたしが出てくる?」

 やっぱりその話か。

 でも、先輩の言葉には『毎回あんたなんかが夢に出てきて迷惑』みたいなストーカーに対する軽蔑のようなニュアンスは感じられなかった。ちょっと頬がピンクに染まっているようでもある。

 困ってはいるみたいだが、あんまり悪い意味ではないようだ。

 店の中にはほかにも人がいる。オレはまわりの反応を見回した。幸い、彼女の『夢』とかいう言葉を聞いていた人はいないようだ。テレビに注目している人も何人かはいた。財団の声明を聞いているようだ。

 風見先輩もおれの様子から、まわりをすこしは気にしたようだ。

 テレビの音声が聞こえる。

『勇者本人、または、それと思われる人物の関係者でもかまいません。すぐに財団までご連絡ください。繫がった夢をご覧になっている方はたくさんいらっしゃるはずです。世界が、危機にさらされています。救えるのは勇者だけです。われわれ財団は、全力で勇者を支援します』

 風見先輩とオレはテレビの画面を見ていた。

 先輩が見ている夢はどんな夢なんだろうか。ユメが見ていたのはマンハッタンのビジネスマンと秘書って夢だったな。先輩の反応からすると、あんまり悪い夢ってことでもなさそうだ。ひょっとしたら、夢の中ではいちゃいちゃしてる間柄なのかもしれない。

 気になって聞いてみた。

「先輩の夢に出てくるオレって、どんなのですか?」

 この訊き方で通じたらしい。

「カリブの海賊・・・・・・」

 カリブってとこが、メキシコの遺跡にすこしは近いってことになるのかな。

「先輩は?」

「あなた、夢ではわたしを名前で呼ぶわ。わたしは港の女で、あなたはいつものように宝を求めてわたしを残して海へ出て行く場面なの」

 なんとなく、オレの夢の場面を暗示させる内容ではある。そうすると須藤エリのも、聞かなかったけどそういう類の夢なんだろうか。

「あなたは、あの財団の言ってること信じる? あなた、勇者様なんじゃないの?」

 先輩が一歩近づいた。手を伸ばせば触れられる距離だ。

「夢の中のオレ様ぶりはどこへいったの? 本物はそんなものなの?」

 いや、そんな。夢の責任は取れないし。

 先輩がまた一歩近づいた。興奮してるのか、胸が上下してる。息がかかりそうな距離になった。

「ねぇ。夢の中みたいに、言わないの?」

 なんて言ってるか知らないんですけど~。

「『おまえはオレの言うこと聞いて待ってればいいんだ』って」

 言ってない言ってない。そもそもオレの夢じゃ、先輩と会話してないし。

 先輩って、実は、男からそういうふうに所有物みたいに扱われるのを望んでいるタイプだったんだろうか。

 先輩が眉を八の字にしながら、さらににじり寄ってきた。もう、先輩の胸が触れそうなほど近い。それで、オレを見上げるものだから、こっちは見下ろすことになって、見上げてくる先輩の顔のアップと、そして、あの香りが。

 どういうことだ? この香りって本当に現実のものなのかな? なにかの象徴のような刺激で、架空のモノなんじゃないだろうか・・・・・・。

 気が遠く・・・・・・な・・・・・・。

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