第5話  男と女と少女

 陸幕長直々のラジオ放送だった。但し、陸幕長の「声」を聞いたことのない者にとっては、ただの奇妙なアナウンサーのニュース放送にしか聞こえなかった。

「……こちらは、名乗る必要もないだろう。作戦は失敗に終わった。きみがまたぎとして余生を過ごしていたのかと思っていた。だが、不審な点がひとつあった。狙撃兵として雇われたまたぎの男は、全身傷だらけだったという。伝説のガンナーは全ての敵が接近する前に狙撃を成功させていた。身体に傷が付くことなどありえないのだ。

 きみも元軍人なら事情は色々想像するだろう。全てを踏まえた上で、命を賭けてくれるなら我々の許へきてくれ。きみならこんな非常時には必ずラジオを聞いていると信じる」


 渋谷の道化の男は黙ってカーラジオの放送に耳を傾けていた。やがて放送が終わると、胸元のペンダントに手を伸ばし、そっと中を開いた。中には二十歳前後の女性の写真が……。

 男の口が小さく「かすみ……」と話しかける形に動く。

「お前と、オレの子は……」

 男は項垂れ、数秒唇を噛んだ。


「おじさんっ!」

 背後に、いつかの青いオーバーオールの少女が。

 男は背を向けたまま。

 少女は叫ぶ。

「……パパッ!」

 そう呼ばれて……男が意外そうな顔で振り向き、視線を合わせる。見下ろす形で。身長差は一メートル以上。父親が幼い娘を見下ろす体勢。娘は泣いていた。両目から涙をこぼし、両手で涙を拭う。

「パパ! ひどいことばっかり言ってゴメンなさい! でも、あたし……逃げて欲しくなかった! パパに〝戦ってほしかったから!〟。だから……」

 全てを悟った男。この少女は――。

 長身で片目が痣の男はゆっくりと少女に歩み寄る。ブーツの足音を響かせ……少女の頭に片手をポンと載せる。

「……ああ。すまなかったな、今まで。格好悪いパパで。でも、ここからだ」

 白い歯を見せて笑って見せる。

 男は手を退け、歩み去る。もう振り返らない。辺りが金色の光に包まれた。少女の姿が消え、二十歳前後の女性の姿が。

 男は振り返らずとも見えていた。

 女性は優しく微笑んで男を見送った。


 しばらく後、街中で乗り捨てられていたジープを駆りつつ、男は独りごちる。

「天才的なまたぎの男、そいつの噂は聞いたことはあった。あるいは――ひょっとしたら、お前にも世界は救えていたのかも知れない。

 だがお前の目にはカネしか見えていない。それは本当の標的ではない。標的が見えない男には、狙撃は務まらない――」


     ○


センター街で〝ただ独りの男〟。……最初からここには生きている人間は、男一人だけだったのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る