第2話  終わる世界

 東京の街が大パニックに陥っていた。

 ここ渋谷でも交通の大渋滞が起こり誰もが我先にとこの街を〝脱出〟しようとしていた。

 鳴り響く車のクラクションの音、怒声、罵声、叫びながら逃げる人々……。

 だが渋谷センター街でただ独り、逃げない男がいた。

 この混乱などに興味は無く、街角のゴミ捨て場からファストフード店の売れ残りを漁る男。

「うん、個人的には捨ててあるハンバーガーでもテリヤキが一番好きだね。綺麗な売れ残りが大量に捨ててあるよ。これで今日も食いっぱぐれなしっ」

 男は二十代ほどだが総白髪の男。長身で右目の瞼に大きな痣がある。右目は閉じっぱなしで、胸にペンダントをぶら下げている。

 十二月の寒さに耐えるためか元々なのか、長身にトレンチコートを羽織り、革製のブーツを履いている。ホームレスだ。

「おじさん、東京に隕石が落ちてくるんだって」

 男の声に答える声が。包装紙に包まれた清潔なハンバーガーを受け取った少女。舌足らずな声で、年齢は五歳前後か。長い綺麗な黒髪。だが学校にはいっていないようだ。青いオーバーオールを着たこの少女もホームレスか。

 男は振り返らずに答える。

「そうらしいね。北か南に逃げるのが賢明だろうね」

 男はハンバーガーを貪り、腰を下ろして一息吐く。

 少女が心配げに言う。

「捨ててあるハンバーガーなんか食べ続けてたら病気になるかもよ?」

「だろうね。自由でいるなら同時に自由でいるための代償も払わなくてはならない。危険に晒されるということだが、その覚悟はある」

 少女は苛立ち気味に、遥か年上の男に抗議する。

「覚悟ができてる? 〝とうの昔に諦めた〟って言わないで、なにカッコつけてんの?」

 辛辣な少女を――男は睨んだりはしなかった。ただ嘆息し、アスファルトに座り街の店の外壁に背を預ける。片目で見上げて、宵闇の空に流れ星が見えた。

「……隕石群か。今、大気圏で燃え尽きてるぐらいの大きさのは問題無し。よっぽどデカイのが落ちてくるんだろうなぁ」

「何をひとごとみたいに」

 少女がむくれて文句を言う。

「なんとかできないの、おじさん! 第三次世界大戦を一人で終わらせた伝説の人が、隕石を狙撃して破壊するってうわさが流れてるけど。それを信じられない人がみんな逃げてる」

 男は乾いた笑い声を上げる。

「落ちてくる隕石をどうにか出来る人間なんていないさ。地上から百キロ以上の所で破壊しなくちゃ破片が大気圏で燃え尽きることはない。アンチ・マテリアルライフルの弾も高度百キロ以上の物体までは届かないし、破壊出来ないんじゃないかな。どうにもならないよ」

 少女は男を睨み付ける。

「どうにもできなかったら、どうなるの?」

 渋谷センター街を通る人はもう殆どいない。ほぼ全ての人が市街地から逃げ、電車や自動車で郊外へ。

 だが、まだ大通りから喧噪が聞こえる。

 喧噪の中、男は穏やかに答えた。

「自衛軍にどうにも出来なければ、米軍が助けてくれても無駄だ。米軍が核ミサイルを使用したところで隕石の勢いを殺せるかってーと、焼け石に水だろうね。核ミサイルが隕石に〝刺さって〟爆発でもすれば話は別だ。だが、超高速の隕石に跳ね返されるとか弾き飛ばされるのがオチだよ」

 少女は不満げに尋ねる。

「だから、おじさんの分かってるそのオチは、どういうオチなのよ」

「かつて地球を支配していた恐竜たちも、隕石の落下が原因で絶滅したという説が有力だ。だから驕り高ぶった我々人類の時代もこれで……」

 少女は途中でもう背を向けていた。だが男に首だけで振り返る。五歳前後の少女が、大きな両の目に涙を溜め、およそ子どもらしくない言葉を吐く。

「ふざけんな! 死ぬのがあんただけならまだしも、六十億人死ぬって、平然とかたってんじゃねーよ!」

 少女はどこへともなく走り去った。

 男は親指に付いたソースを舐め取り、眉を寄せる。

「あの娘は……何故僕に絡む? 僕に何か期待しているのか」

 項垂れ、独りごちる彼。

「僕が全速力で逃げてもオレの嫁のところには帰れないんだからさ……」

 吐き捨てて立ち上がる。身長百八十センチ超の長身、大きな痣で塞がれた右目は閉じっぱなし。

 エンジンがかかったまま乗り捨てられた乗用車に近付き、窓に肘打ちを叩き込む。武道経験者の訓練された動きで、車の窓が木っ端微塵に砕け散る。ドアのロックを外してドアを開け、カーステレオをつける。

 緊急放送では、明日の夕刻から夜にかけての時刻に東京に隕石が落下すること。米軍は避難したため自衛軍が〝善処する〟予定であること。東京都民は速やかに都内から都外へ避難すること――が繰り返し告げられていた。

 男が車の屋根に拳を叩き降ろす。

「都民の避難命令は当然として、米軍の避難……。総理官邸の地下シェルターは使う可能性があるが、要は〝もう諦めた〟ってこと……。諦めたこと。それについては、僕も他人のことは言えない」

 喧噪は続き、パトカーや救急車のサイレンの音が時折響いた。まだ犯罪者や病人や怪我人がいるらしい。だが、やがてそういう人々すらも都内からいなくなるのは確かだった。

 宵闇の空に無数の流れ星が煌めいていた。



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