第9話
九
署を出ると、あてもなく歩きながら考え始めた。ヒロシの父親は本当に事故だったのか。携帯電話をゴミ箱に捨てた、あの女。事故の前後に、ヒロシの父親と会ったはずだ。あの女を見つければ、何かわかるかもしれない。だが、どうやって?懐に手を入れ、ヒロシから預かった財布に触れた。このまま、どこかにフケてしまえば簡単なのだが。それは自分をもっと貧しい人間にしてしまうだろう。
宅配便の看板を掲げた米屋に入った。段ボール箱を貰い、ランドセルをしまい封をした。伝票に住所を書こうと、財布から離婚届の切れっ端を取り出そうとした。その時、何かのカードが財布から落ちた。カードを拾うと、そこには 『出張マッサージ?女教師専科』とあった。米屋の主人も興味深そうに、そのカードを見つめていた。そそくさとカードを財布にしまった。
その店の近くで、女が現れるのを待った。そして、例の白ブラウスの女を捕まえた。
「ちょっといい?」カードを女に示した。
「それが?」怪訝そうに女は言った。
「このカードの持ち主のこと、知りたいんだ」右手で女の二の腕を掴んだ。
「なにすんのよ!なんなの、あんた?」女はこの手を振りきろうとした。女に向き直ると、左手に挟んだ札一枚を見せた。
「ちょっと情報くれないか?」右手を離した。女は何もなかったように札を抜き取るとバッグにねじ込んだ。
「ゴミ箱に放り込んだの、あいつの携帯電話?」
「処分してくれって言うから。ほんとは公園の噴水池に投げ込めって言われたんだけど」
「手抜きしてゴミ箱に放り込んだんだ。そのおかげで、眠れなくなったんだ」
その夜、カプセルホテルに入った。なかなか寝付くことができない。寝床が柔らかすぎた。カプセルの夜空は四、五十センチの高見でしかなく、勿論星は瞬かない。
遅い朝、乾燥した冷気で目が覚めた。いつもは、硬いベンチの上で、ジドっとした寝汗と自分自身が醸し出す中年独特の脂の匂いで目を覚ますのに。
カプセルを出ると、朝からコンビニへ。いつもにはないことだ。懐の財布に、確かに手をふれた。そこに奴がいた。あの若造だ。こいつに聞くのが手っ取り早い。
「朝の買いだしか?」若造の背中を叩いた。
「てめえ!」若造は演技で気色ばんだ。
「お使いか?その注文主に会いたいんだ」
黙って若造が店の外に出ると、ついていった。
看板も出ていないビルの階段を、若造は上がっていった。下から階段を見上げた。若造は三階のフロアーを左に折れた。三階の奥の部屋。硝子戸には金融会社らしいのか、金文字で社名の看板。ドアを開けた。若造が俺を見ると、何もなかったように奥に消えた。
「何かご用で?」デスクに座る男は中国訛だ。
俺は頷いた。男は席を立つと、手前のソファを指さした。ソファに座るとその部屋を見渡した。神棚、刀剣の飾り物、酒樽、いかにもという部屋だ。それと違和感のある『福』の字が逆さになったペナントが壁にあった。
「おたくの若者が番してる部屋のことなんだ」
「あなたは、どういう関係?」
「そこの住人と、ちょっとした知り合いで」
「あの部屋、抵当に入っていてね。あんなことになったんで我々が管理を引き継いだ」
「管理というのは、不法占拠ということか?」
「あなた、人聞き悪いことを言いますね。借用書ありますよ。あの男、保険にも入っていなかったし。借金返せなければ、マンション、物納する条項もね」
「その借用書、見せてくれ」
「いいでしょう。シュウ」
あの若造が現れると、用意でもしていたようにデスクからファイルと抜き取った。
「シャチョー、どうぞ」
シャチョーと呼ばれた男は、腰を浮かせるとデスク越しにファイルを取った。そして、一枚の紙を抜くと俺の目の前に差し出した。
「納得した?」
「ああ」ソファから立ち上がった。
「嗅ぎ回らない方、いいよ」男は借用書を収めると、ファイルをデスクに放り投げた。
「そのつもりはないさ。警察も事故と断定したようだし」
「あんなマンション、人の命と引き替えにはならんでしょう?その残された住人の方によろしく」
とぼとぼと階段を下りた。一階の出入り口からはネオンの灯りが漏れていた。
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