第3話

「行くぜ」鉄柵に座る俺に、手配師が言った。

 路肩に止めた古びたバンの前で手配師は立ち止まると、こちらを見て首を傾けた。扉が開くと黙ってバンに乗り込んだ。そこには薄汚い身なりをした男が二人。ガタイがいい禿頭の中年男と、茶髪の若造だ。手配師は運転席に座ると、助手席に置かれた段ボール箱をポンと叩いた。何のつもりだ。

 バンは裏道を抜け幹線道路に出た。車内では誰も無駄口さえ聞かなかった。バンは高速湾岸線に乗ると、向こうに夕陽が落ちかけているのが見えた。やがて、血溜まりのように溶けて消えていった。

 バンは高速を降り、倉庫街に入って行った。やがて、人気のない露地に入り止まった。フロントガラスから港の夜景が見えた。手配師は煙草に火を点け、そして、何かを待った。

 煙草の煙が車内に充満していった。何時間経ったのだろう。港に浮かぶ何かのライトが、フロントガラスを照らした。

「降りろ」ライトが何回か明滅すると、手配師が振り返った。バンを降りた手配師は助手席側に回るとドアを開け段ボール箱を抱えた。

 外に出ると、湿った潮の香りがした。車のライトがこちらを照らした。バンの隣にトラックが横付けされた。

「こっちだ」段ボール箱を抱えた手配師に続いた。

 岸壁に漁船が横付けされ、戸板が渡されていた。

「待っていろ」手配師は段ボール箱を抱え、注意深く戸板を渡って漁船の操舵室に入っていった。操舵室では、数人の人影が動いていた。数分後、手配師は手ぶらで戻ってきた。

「船倉から荷を揚げ、トラックに運び揚げろ」

 にわか荷役は一人ずつ戸板を踏み、船に入った。痩せぎすの東南アジア系と思える船員が、俺達を品定めするように窪んだ目を向けた。船員は船倉に空いた降り口を黙って指さした。俺達はその中に入った。

「なんか辛気臭い」先に入った禿頭が言った。

 薄暗い裸電球に照らされ、船倉には何箱も木箱が積み上げられていた。その横に別の船員が腕を組んで立っていた。船員は木箱を指さし、持って出るように手を振った。木箱の側面には特徴的な赤いラベル。そこには、二頭の獅子が玉を支えている図柄と意味不明の簡体字。

 俺達は一人づつ木箱を担いだ。右肩にずっしりとした重み。木箱の中身はかわからなかったが、何か粉を詰めたような感覚だ。荷物を担ぎ甲板に出ると、歩くたびに湾曲する戸板を注意深く渡りトラックに積み込んだ。それを飽きるくらい何度も繰り返した。

 作業が一通り終わると、船は岸壁から離れて行った。俺達は、乗ってきたバンに引き返した。

「終わったか?」ドアにもたれて、手配師が立っていた。皆、頷いた。

「日当だ」手配師は俺達に一枚ずつしわくちゃの裸の札を手渡した。そして、付け加えた。「今のは忘れろ。じゃあ、解散」

「解散って?連れ戻してくれるんじゃ?」俺は、わざと気弱そうな声を出してみせた。手配師は口を歪めると、ドアを開け乗り込んだ。

「勝手に帰れよ」そう言い放つとエンジンを掛け、手配師はバンをバックさせ路地を出ていった。俺達は黙ってそれを眺めているだけだった。

「ひでえな。こんな所で夜明かしかよ。やばいやつ、運んでやったのに」禿頭が言った。

「やばいって何だ?」茶髪が言った。

「ヘロインだろう。箱に貼ってあったラベルに『心が落ち着きます』とあった。半島から来たもんだ」禿頭は言った。

「ほんとか?」

「ああ。ここにいちゃ、まずいことになりそうだ。俺は行くぜ」禿頭は暗がりに姿を消した。  

 俺と茶髪は、気にすることもなく朝までそこに残ることにした。梱包用のパレットに横たわると、いつの間にか眠っていた。

 干からびて萎みかけた脳に、水滴でも垂らすかのように夢を見た。足の不自由な男が、駅の階段を車椅子を引きずりながら這い上がっていく。駅員や乗降客は、取り付く島もないとでもいうように男を遠巻きに見上げている。男は何かに取り憑かれたように這う。そして、這う。階段の角を右手で掴み、左手には車椅子。男は狂気じみた表情を浮かべている。だれも、男には近付かない。近付けない。いつも見るいつも見る夢は、そうやって萎んでいく。            

 岸壁に打ちつける波の音で目が覚めた。空が明るくなっていた。茶髪の姿はもうない。ズボンに手を入れ、カシャカシャとした札の感触を確かめた。そして、また浅い眠りに入った。  

 フォークリフトの荒い排気音で目が覚めた。ビクッとしてパレットから起きあがった。月曜日、世の中はもう働きはじめていた。無人の倉庫街も人気と車で熱が戻ってきたようだ。     

 倉庫街をぶらついて、途中、簡易食堂を覗いてみた。そこは、丼飯をかきこむ男達の熱気で溢れていた。誘われるように店に入り朝の定食やらを注文した。ズボンから札を出すと、おばちゃん、釣りを掌にきちんと載せてくれた。「ありがとう」とも。俺も、まだ捨てたものじゃない。こんな場所が本当は性に合っているのか。何か荷役の仕事もあるかもしれない。あの公園を引き払って、ここに戻ろうか。その時は、そう思ったわけだが・・・。  

 倉庫街を出ると、トラックが行き交う産業道路を歩き続けた。どこに向かうかは、電柱の広告看板に記された住所がわずかの頼りだ。この先にリサイクルショップがあるのか。中古の自転車でも手に入れて公園に戻ろうか。そう唐突に思った。店で首尾よく手頃な自転車を三千円也で手に入れた。もちろん、自転車盗と疑われぬよう領収書は捨てずにいた。


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