第2話:胎動

 教室内の生徒の数はまだまばらだった。

 僕はそれとなく彼らの顔を値踏みし(値踏みの対象にはマリナも含まれている)、それから黒板に書かれた座席の位置を確認する。

 五十音順では、僕の苗字は後ろから数えた方が圧倒的に早い。

 窓際だ。しかも一番後ろ。ベスト・ポジションだ。

 僕は心の中で小さくガッツ・ポーズをする。

 それからマリナと、彼女の彼氏の席のチェック。

 二人は廊下側で前後の席。

 新学期なんだし、早々に席替えということもないだろう。

 上々な滑り出しだ。

 席の配置に満足すると、僕は意気揚々と窓際の席へと向かう。

 春の日差しや小鳥のさえずりが心地いい。これが勝利の味なのだろう。

 しかし僕の勝利はそれだけでは終わらなかった。

 なんと僕の隣の席に、ゲームの主人公のようなトゲトゲの髪型を、ヘア・スプレーでがちがちに固めたみたいな男が頬杖を突いて座っているではないか。

 サトルだ。こんなに面白い人間を僕は他に知らない。

 まったく帰宅部風情がなにをカッコつけているのか。

「サトル! サトルじゃないか!」

 僕はわざと大声で彼の名前を呼ぶ。

 彼が目立つことを酷く嫌う男であることはよく知っていた。

 サトルはギロリとこちらを睨む。「静かにしろ、馬鹿」

「まあそう気を張るなって」

 僕は鞄を机に掛け、席に座る。

「なあ、今日の髪型はどんなコンセプトなんだ? どんな層の女子に受けるんだ? 魔法使いとか、格闘家とかか?」

「やかましいぞロン毛」

「なあ、僕がもうちょい落ち着かせてやろうか? 言われたら気になってきただろ?」

 サトルは黙ったまま頬を赤らめる。

 まったくかわいいやつである。

「上手くやるからさ」

「……じゃあ、自然な感じで頼む」

「おうよ!」

 僕はサトルの後ろに回り込み、彼の髪型を適当に落ち着かせてやる。

 ぐちゃぐちゃにしてやろうかとも考えたが、新学期でそれをしてしまうとサトルのガラスのハートがもたないような気がしたのでさすがにやめた。

 サトルの髪をいじりながら、教室内の人間を見渡す。

 どいつもこいつも同じ顔だな、と僕は思った。これじゃあ去年の焼き直しで今年も終わってしまうんじゃないのか。

 そう考えると腹立たしくてならなかった。

「なあサトル。面白いことしたくないか」

「あぁ?」

「僕はさ、このままだとヤバい気がするんだ。だってこのメンツだぜ? 利口なお前にならわかるだろ」

 サトルは教室内の人間の顔を見渡す。

「お前の言いたいことはわかる」

「だろ?」

「しかし!」サトルは学ランのポケットからスマホを取り出し、俺にその画面を見せつける。「今の時代にはTWITTERがあるんだよ!」

「は?」

「TWITTERは優秀だ。ここにはアニメの崇高さを理解している人間が無数にいる。学校の連中と同じ現実の人間が文字を打っているとはとても思えないほどにな!」

「お前、そんなもん始めたらいよいよだろ……」

「馬鹿が。偏見で物を語るのか? それがオタクのすることかよ!」

 彼の瞳は一点の曇りもなくキラキラと輝いていた。


     ※


 サトルの過去のTWEETを遡りながら、僕は廊下を歩く。

 的外れなアニメ語りばかり。気持ち悪い。典型的なキモ・オタクだ。

 彼の痛々しいTWEETにうんざりした僕は、先程作ったばかりのプロフィール画面にとび、それをぼんやりと眺める。

 FOLLOW、FOLLOWERはサトルのみ。

「エロい女でもFOLLOWしとくか」

 僕は再びサトルのページへととび、彼のFOLLOW内にいた自撮り趣味のエロいJC、JK、JD、OLなどを片っ端からFOLLOWする。

 それから彼女らのTWEET履歴から似たような女をFOLLOWした。

「よし」僕はスマホをポケットにしまう。

 想像通りの退屈なツールだ、と僕は思った。そんなことよりこれからの作戦だ。面白い人間を探し、それらを詰め込める空き箱を探さなければならない。

 もちろんサトルにもそこの住人にならないかと申し出たが、彼はTWITTERがあるから大丈夫だとそれを断った。

 申し出の棄却に対して目立った感情の起伏は無かった。僕はサトルには絶大なる信頼を置いているのだ。彼は賢い男だ。きっと時間が彼を僕の所へと導いてくれる。

 箱の名前はどうしようか。部活と銘打つのは堅苦しくてつまらないが。

「ロン毛に眼鏡! カンカンだー!」

 物思いに耽っていると、前方から幼児のように無邪気な声がした。

「よう! カナじゃないか!」

「そう! カナカナちゃんだよー!」

 カナは小動物のようにぴょんぴょんと跳ね、それにつられてショート・カットの髪がふわふわと揺れた。部活柄、肌が茶色く日に焼けている。

「ねえねえ、何やってんの?」

 カナが僕の右腕に抱き付く。彼女に胸が無いのが心底残念だった。

「悪い奴らに復讐する算段を立ててるんだ。今はその本拠地を探してる」

「何それ何それ? 正義の味方?」

「馬鹿だな。悪を倒す奴ってのは、大抵悪者なんだよ」

「カンカンはバッドマンになるの?」

「妙な車には乗りたくないな」

「本拠地はどんなところがご所望なの?」

「空き教室でもあればいいんだけどなぁ」

「三階にあったよね!」

「下級生の階は勘弁だな。二階には無いのか?」

「んー、どうだろねー」

 僕は彼女を腕に絡ませたまま、二階の教室を吟味していく。

 視聴覚室、美術室、理科室。

 どれもその域に達していないといった感じだ。

「駄目なの?」カナが僕の顔を覗き込む。

「鍵が掛かっちまいそうだからなあ」

 二階は三階より幾分か広く造られてはいたが、残る教室はあと僅か。

 駄目だ。二年目の高校生活も、きっと奴らに笑われ続ける日々なのだろう。

「鍵ねぇ」カナは呟く。「やっぱ同好会だとかで申請して、堂々とやるしかないんじゃない?」

「あぁ」

 僕は相槌程度の返事をする。悪いが、それは余計なお世話なのだ。

「被服室かぁ」僕は次に現れた教室の文字を読み上げる。

「あ、カンカン知ってる? 家庭科の先生、私の叔母さんなんだよ?」

「ほう」

「つい何年か前は家庭科部ってのがあったんだって。聞いたことないでしょ? 今の時代はお洋服もお料理も出来合いのもので十分だからね」

「それは哀しい話だなあ」僕は迫真の演技でそう答える。ここだ。「よしっ、俺らで家庭科部を復興させてやろう! 温もりを忘れた哀れな地球人たちに、文明の始祖の力強さを見せつけてやるのだッ!」

「険しい時代の奔流にあえて真っ向から逆らうわけだね! キャー! かっこいいよぉ! カンカンのロックな生き様最高ううううう!」

「そうだろう、そうだろう」

「そうと決まれば叔母さんに鍵借りてくるよおおおお!」

 カナは僕の返事を待たずして、陸上部仕込みの猛スピードで階段を下っていった。(元気な奴だな……)

 彼女の影を見送ってから、僕は吹き溜まりの今後についてを考える。

 まぁ、とりあえずは僕やサトルみたいなはみ出し者を集めて、心安らげる自由な場所を作ろう。そして残り二年、ただただ楽しく高校生活を送るのだ。

 それだけでいい。それだけで正しい人の在り方を奴らに示すことができる。

 僕はおもむろに被服室の扉に手を掛ける。

「ん?」

 扉は僕の指先を受け入れ、僅かにスライドする。

「随分不用心だな」

 僕は何の気なしに扉を一気に開ける。すると部屋の奥から突風が吹き荒れ、僕のインテリ気取りのロング・ヘアーをぼろぼろに乱していった。

 風を両腕で防いでいると、視界の端で桜が舞っているのが見えた。

(窓が開いているのか?)

 まったくどれだけ不用心なのか。

 僕は気持ちを落ち着かせて室内へと入り、窓の方を注意深く確認する。

 突風で真っ白いカーテンがばさばさと吹き流しのように暴れている。

 背後でスライド式のドアがバチンと音を立てて閉まった。

 何事だ?

 その瞬間、強烈な吐き気が僕を襲い、思わず嗚咽が漏れる。

 眩暈が起こり、足元がおぼつかなくなる。

 呼吸が荒くなり、全身から汗が噴き出る。

 おかしい。何かが巣食っている。ここは人の住める場所じゃないのか?

 背中に汗が伝う。ワイシャツが濡れ、生き物の匂いを発生させる。

 何だ。何をしくじった。もしかしてヤバいのか?

 線香の匂いが鼻を突いた。

 僕は額から汗を垂らしながら、ゆっくりと窓の方を見る。

 頬を汗の粒が伝う。視界が涙で濡れ、ぐらぐらと揺れる。

 カーテンがしばらく妙な挙動を見せ、やがて勢いよく開いた。

 青空と桜をバックに、そこには幽霊が立っていた。

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