おはようカンカン

@kashikomugi

第1話:薄暗い朝

 最高な夢を見ていた気がする。

 晴れ渡った空の下、最高に可愛い女子と手を繋ぎ、最高にイケてる男たちを従えて、最高に気持ちの良い無数の嫉妬の眼差しを受けていたような気がする。

 

 僕は薄暗い部屋の天井を見つめている。片手を伸ばし、物思いにふける。

 おかしい。ついさっきまで最高の気分だったはずなのに。

 

 僕は両手を見つめ、そこに夢の感覚の残り香を探す。

 しかし感覚は時間の経過とともに無慈悲にも薄れていく。

 当然である。それらのビジョンは馬鹿デカいアニメ・ソングによって切り裂かれ、さきほど夢であったことが証明されたのだから。

 だからこれ以上、そのことについて考えたところで意味はないのだ。

 

 上体を起こし、ベッドの脇に視線を落せば、そこにはアニメのキャラがプリントされた長い抱き枕が転がっている。

 わざとらしくも温もりのない笑顔に僕は苛立つ。

(夢の中の彼女の方が何倍もマシじゃないか……)

 彼女の顔に唾でも吐いてやろうかと思ったが、それはできなかった。

 僕はそんな悪態すらつけない人間なのだ。

 そう、現実はこちら。どう足掻いてもこちらなのだ。

 

 ぼやけた視界のまましばらく部屋の中を睨みつけていると、遂には壁に掛けてある制服が僕の視線を釘付けにする。

 去年と同じ制服だ。

 憎たらしい黒。

 そこからは一年分のありとあらゆる情念がしみとなって浮き出ている。

 最悪だ。これは始まりの証明。

 もう戻れない。消えてしまいたい。

 僕は頭を抱え、ベッドの上でしばらく悶えていた。


     ※


 鬱陶しい春の陽ざしを浴びながら、僕は学校手前の坂道を登る。

 当然、その身は吐き気のする黒い制服で覆われている。

 悪態をつくことはできない。

 結局、僕にはベッドの上で悶え苦しむことしかできないということだ。 

 今だって、もうこれ以上学校に近寄りたくはない。

 しかしなぜか足は動く。

 僕はいつからおもちゃの兵隊になったのだろう。


「おっはよー! カンカン!」

 甲高い声が背後から僕の寝起きの頭をつんざく。

 無視して歩き続けていると、次は肩を思い切り叩かれた。

「イッテェなあ……」

 絞り出したような悪態をついていると、マリナの横顔が間髪入れずに僕の視界へと割り込んできた。

 彼女の大きく澄んだ瞳が僕の目の奥を覗き込む。

 桜が舞い、彼女の長い黒髪が風でぱらぱらと乱れていく。

 僕にとって、それらは鬱陶しいことでしかなかった。

「んん? 眼鏡変えた?」

「変えてねえよ」

 僕の反応に満足したのか、顔を引っ込め、彼女は僕の隣を歩きはじめる。

「そっか。でも髪は切った方が良いと思うよ?」

「余計なお世話なんだよ」

「余計じゃないよ。なんかインテリぶってる感じで生意気なんだよねー。眼鏡のせいかもだけど」

「絡むなよ。新学期初日から殴られなきゃいけないのか俺は」

「だから、それを回避するためにもイメ・チェンは必要だと思うのよ。コンタクトにして、髪型も爽やかにするの! そしたら暗い感じしないでしょ? カンカンは元々明るいんだから!」

「自分の彼氏の真似してくれってか?」

「そんなこと言ってないじゃん」

 彼女の声から明らかな苛つきが感じられる。

 ざまあみろだ。

「まあ、どうでもいいさ。要は今年お前らと同じクラスにならなきゃいいわけだからな。5クラスもあるんだ。そうそう上手くはいかないはずだぜ」

 僕は肩に強い衝撃を感じる。

 マリナが思い切り僕の肩を殴ったのだ。

 しかし身構えておいたがために、僕は大した痛みを感じることはなかった。

 幼馴染の対処法くらいは憶えておかないとな。

「あんた、そんなんだと絶対後悔することになるよ」

「うるせえ、気持ち悪いんだよ」

 僕の心からの言葉に彼女は顔を真っ赤にすると、僕を置いてすたすたと早足で校門へと向かって行った。

 

 彼女の後姿に舌打ちをしてから、僕はゆっくりと心を落ち着かせる。

 僕は正しいことをした。

 間違ってなんか無い。

 悪いのはあいつらなのだから。

 細く息を吐いてから校門を抜け、玄関の前まで歩いていく。

 玄関にはクラス分けの大きな紙が貼り出されていた。

 僕とマリナとその彼氏の名前は、同じ場所に記されていた。

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