第19話 人工呼吸

 小鮎ちゃんとコウは、二人っきりの家族だった。

 両親はイーヴィルに殺された。

 二人がヒーローの光を得たのは、その時らしい。

 イーヴィルの人的被害は、公表されていないだけで毎年かなりの数に上っているのだという。

 交通事故、行方不明、猟奇殺人、異常犯罪、水難事故、天災……様々な名目で発表されている事件、事故の多くが、イーヴィルによるものなのだ。たしかに、今回の枇杷湖の異常水位だって、俺も事情を知らなければ、ただの自然現象だと思っていただろう。

 それにしても、最近のこうした異常事件の件数は多すぎる。もし、ご当地ヒーローが活躍していなければ、とっくにイーヴィルの天下になっているっていう話も納得できた。


「私の光は、すごく小さいんです。お兄ちゃんの光の十分の一もないの」


「私のも小さい。ここなんだけど……よく分かんないよね?」


 おまつさんが見せてくれたのは、右手の甲だった。

 真っ白な肌に、まるで小さな水滴が凝ったようなそれは、ピンクウミニン=アメノが見せてくれた光に比べると、たしかに格段に小さい。

 とはいえ、その光すら持たない俺に比べれば、二人ともヒーローの素質充分ってコトになるのであろう。


「そそ……それはそうと……ライ・チャージャー、どうやって手に入れたんです?」


 俺は、おまつさんとの距離の近さにどぎまぎしていることを悟られないよう、わざとつっけんどんに話を逸らした。


「あなたを介抱した時に落ちたのを、拾って持っていたの。あなたや立花博士に、すぐ返さなかったのに他意はないわ。忘れてただけよ」


「……介抱?」


「驚いたわよ。フナズシ五号機がすべてを引きずって水面を走ってきた時はね。それどころかあなた、息が止まってたんだから。あ…………そうだ。まだ、御礼言ってなかったね……助けてくれて、ありがとう」


 おお……おまつさんに御礼言われたよ。でも、息が止まってたって!? なんだよそりゃ?


「息が!? じゃあ、俺、死んでた!?」


「いえ、心肺停止ってヤツ。大変だったのよ。人工呼吸ですぐに息を吹き返したから良かったけど」


 人工……ってまさか!?


「言ってなかったっけ? 私の本職は医療系の学生だから、そういうの得意なのよ」


 おまつさんはそう言いながら、ふいっと視線を横へ逸らした。非常灯の明かりの下で、かすかに赤く染まる頬……

 え? え? その人工呼吸って、ま……まさか。

 くそ。記憶が無いのがこんなに悔しいとは。


「ヘンな目で見ないで」


 冷たい視線と声が、投げつけられた。

 俺はぼうっとおまつさんを見つめてしまっていたらしい。ふくらみかけていた気持ちが、穴の空いた風船のようにしぼんでいく。


「す……すみません」


「……で? どうやって盗み出したらいい? イナヅマンシステムが伊志河と腐杭の県警と消防に配備される予定なのは知ってる。なんとかそのライ・チャージャーで呼び出せない?」


 下から睨み付けるような目のままで、ずい。と顔を近づけてきたおまつさん。

 う……ヤバ過ぎる。こっち側、暗がりでよかった。顔が真っ赤になっているとこ、見られちまうからな。

 しかしこのひと、どうやら俺が、ライ・チャージャーでなんとかできると思っているらしい。

 てっきり何か他に考えがあると思ったんだが……まあ、腐杭の事情は全く分からないだろうし、仕方ないかな。


「ダメです。たしかにライ・チャージャーがあれば、どこでも雷鎧を呼び出せるけど、たぶん俺の使ってた一つだけだし、俺の個人登録はもう抹消されているかも知れない……」


「そうか、個人登録。トシイエイザー様の武神装とは違うんだね……でも、それでも……彼等を助け出すためには、私がイナヅマンになるしかないの……分かった。じゃあ、あなたの雷鎧ライ・アーマーを私にちょうだい」


 なるほど、どうやらトシイエイザーの武装アーマーは、アイテムさえあればすべての装備を呼び出せるシステムのようだ。

 しかし、おまつさんのこの焦りようはまずい。それほどおまつさんを知っているワケじゃないけど、らしくない。このひとはこんな考え無しじゃないはずだ。


「……ちょっと待ってくださいおまつさん。そんなに慌てないで。落ち着いて」


「こんなコトをしている間にも、トシイエイザー様が人殺しになっちゃっているかも知れないの!! そうなったら、たとえ助け出しても、彼は自分で自分を許さない。落ち着いていられる状況じゃないのよ!!」


 う……おまつさんがこんなに必死なのは、やっぱアイツのためか。

 ちくしょう。

 だったら尚更、ほいほい雷鎧を渡してたまるか。


「それでも落ち着いてください!! 分からないんですか!? もし、おまつさんや小鮎さんまで操られるようなことになったら、誰も助からないんですよ!?」


「……イナヅマンさんの言う通りです。おまつさん、落ち着いて作戦を立てましょう?」


 か細い声で俺に同調してくれたのは、ひっそりと立っていた小鮎ちゃんだった。

 その声は小さいが、しっかりとした意見を持っている。

 うん。この子は強い。強い心を持っている。自分一人を犠牲にして、ウミニンジャー達を助けようとしたんだもんな。


「配備されるシステムは五基だって聞きました……でも、運用には換えのパーツが少なくともその数倍は必要になる。おそらくそれは、腐杭の立花製作所にあるんじゃないでしょうか」


「そうか……それを盗み出せば――」


「盗み出すのは却下です」


 俺はおまつさんの言葉を遮り、敢えて厳しい目を向けた。


「え?」


「イナヅマンシステムは機械的な装置なんですよ? 戦闘で壊れたら、その後どうします? その辺の工場で直せるモンじゃない。自分たちで直すなんて論外です。立花のおやっさんを説得して、仲間になってもらいましょう。俺達のエンジニアとして」


「俺達……って? あなた……一緒に戦ってくれるの?」


「女性二人を戦場に行かせて、一人で平和な日常に帰れるほど、俺、神経太くないんスよ。それに、イナヅマンは俺なんです。みっともなくても、弱くても」


 俺はまだ痛む体を引きずって、ベッドから起き上がった。



***    ***    ***    ***



「そんな理由で君達に、貴重なイナヅマンシステムを貸し与えることはできんな」


 立花(おやっ)さんの反応は冷たかった。予想通り、といえば予想通り。

 まあ、そうだろうなあ。ダメ元とは思っていたけど。

 病院を抜け出した俺達は、おまつさんが呼び寄せたササズシに乗って、そのまま腐杭に辿り着いたのだ。

 むろん俺は、朝になってから訪問することを主張したのだが、焦るおまつさんを抑えきれなかった。引きずられるようにして稲津町に着いた俺達は、深夜の立花製作所の門を叩いたのだ。

 誰もいないかと思っていたが、雷鎧、サバズシの製造元である立花製作所には、深夜だというのに煌々と明かりが灯っていた。

 なんだかいつもよりがらんとした様子の工場で、立花おやっさんは一人、俺の使っていた雷鎧のメンテナンスをしていたようだった。


「イーヴィルの活動が表面化してしまった今、ヒーローはもはや公的な業務だ。兄弟やパートナーを助けるためなんぞと、個人的な理由で貸し出せるとでも思っていたのか? このシステム開発と製造に、どれだけ金が掛けられているか君らは知るまい。それに堤君、君はいいのか? こんな無計画な戦いに参加すれば、今度こそ死ぬことになるぞ? その女の子達もろともな」


 そう言われてしまってはどうしようもない。

 既にヒーローでもない俺が、ライ・チャージャーを返しに来た、というから会ってくれただけのこと。まさか、おまつさんと小鮎ちゃんがくっついて来るなど、想定外だったに違いない。

 だがこの二人の覚悟も並大抵ではないことを、俺は知っている。

 門前払いを食ったからと言って引き下がるとは思えない。立花おやっさんの協力が得られなければ、当初の計画通り、盗み出すという行動に出るに違いなかった。

 ただ、明らかに筋が通っているのは立花おやっさんだ。とりあえず、ここは了解した振りをして引くしかない。


「そうですね。分かりました。たしかに仰る通りだと思います。たった三人でヤツらに戦いを挑んでも、勝てる見込みは薄いですから――」


「イナヅマン!? 何を言い出すの!?」


 俺の言葉を遮って、おまつさんが怒りの声を上げる。ちょっと待ってってば。最初に会った時から思ってはいたけど、ホント直情型だなあこのひと

 盗み出すにせよ、ここで疑われたり、怒らせたりしたら、警備が強化されて後で忍び込みにくくなるかもってのが分かんないかなあ。


「諦めましょう、おまつさん。立花おやっさんが味方に付いてくれなければ、アーマーの修理が出来ない。とてもヤツらと戦えませんよ……」


 そこまで言って、ふと、俺はおかしなことに気がついた。

 あれ? なんでこの人、今ここに……立花製作所にいるんだ? それに閑散としたこの雰囲気……。


立花おやっさん……消防や警察に納入されたイナヅマンシステム……立ち上げや整備は、誰がすることになってるんです?」


「む……? どういう意味だ?」


「だって、おかしいですよね? 納入は済んだんでしょ? 納入指導や初期点検なら現場でするだろうし……指令コンピュータにしても……」


 カマを掛けた物言いをしながら、俺は疑念が確信に変わっていくのを感じていた。

 もしかしてこの人……外されたんじゃないか?


立花おやっさんは、あくまで民間工場の社長のはず、ですよね? 影でヒーローの組織から支援はしてもらっていても。雷鎧は銃刀法違反だって、ご自分でもおっしゃっていたし、ヒーロー活動だからこそお目こぼしに預かっていた、違いますか?」


「……堤君、何が言いたいんだ?」


「もともと違法な業務だったのに、このままだと、消防や警察に属する機関に技術を奪われて、終わりってコトになるんじゃないんですか? でも、俺達が無理やりシステムを奪っていったってことにすれば、言い訳も立つし、継続して戦闘データも蓄積できるんじゃ?」


「私の正体を……知っているってワケか?」


「知りませんよ。単なる推測です。でも、当たっていたみたいですね?」


「何よ!? どういうコト?!」


 おまつさんが話について行けなくなって声を上げた。

 小鮎ちゃんも目を白黒させている。


雷鎧イナヅマンシステム……空間を歪曲し、素人を無敵超人に変える。相当なオーバーテクノロジーだと思いませんか? 他のヒーロー達は、程度の差はあれヒーローの光の力で強化された肉体と、たぶん境界面ボーダーから供給される魔法的な力で戦っているのに……イナヅマンだけは妙に科学的だ。おそらく、立花おやっさんは――――」


「そうだ。私は……いや、我々は過去にこの科学力で地球侵略を企てていた、異世界人だ。イーヴィルとは別のな」


「い!? 異世界人!? わ……我々!?」


 思わず叫んだ俺の声は、裏返っていた。

 いやいやいや、そこまで予想はしてなかったから。

 てっきり、天才発明家でその発明があまりにも凄くて軍事転用出来そうなぐらいだったから、特許もとれずに腐っていたところを、ヒーロー協会ってのに声を掛けられたのかと……

 目を白黒させている俺をよそに、立花おやっさんの告白は続く。


「私だけではないのだ。稲津町の住人、その約八割が異世界からの移植者、イナヅ人だ。『イナヅ』は我々の言葉で「聖なる故郷」を指す。当時の我々には地球を凌ぐ科学力はあったが、ヒーローの使う不思議な力を分析しきれなくてな……腐杭、伊志河、そして砥山県のご当地ヒーロー達に侵略を阻止され、次元断層を起こされて帰れなくなったのだよ。イーヴィル防衛のための技術協力を前提に、県庁に認めてもらい新しく造った集落、それが腐杭市稲津町なのだ」


 そういうことだったのか。

 それでようやく、異常なほどの科学力も、稲津町住民達の不思議な協力体制も、公民館が拠点だったことも納得できた。


「君の言う通り、私達の技術の殆どは、腐杭と伊志河、両県庁に奪われた。だが、君達が遊撃隊的に活動を始めてくれれば、我々は再び戦闘データを蓄積できる」


「利害が……一致しましたね」


「だが、一方で君にさっき言ったことも本心だ。個人的な理由で、たった三人で戦いを挑むなど、無謀もいいところだ。お勧めは出来ない。それに……」


「分かりますよ。イーヴィルを倒した暁には……イナヅ人は地球侵略を再開するつもりなんですね?」


 今更戦闘データの蓄積を必要とする理由は、そのくらいしかないよな。



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