第5話 公民館
「何だったんだ……いったい」
俺は壊れた窓から、猛スピードで飛び去る巨大な笹寿司を呆然と見送りながら呟いた。
だがまあ、ようやくある程度の事は分かってきた。
とはいえ、現実として受け入れるには、どうにも突飛すぎる。
彼等の言うことが全くの嘘っぱちではないことは、あの巨大笹寿司とおまつさんの能力を見れば分かる。何より俺は昨日、そのイーヴィルとかいう連中の手先を倒して……あれ? ってことは俺がリアルで『イナヅマン』だってのは、夢でも間違いでもないわけだよな……
だが、いまだに我が地域・腐杭県のサポートチームから連絡がないのは何故なんだ?
あいつら、認識が無いだのレベルが低いだの言いたい放題言ってくれたが、そんなもん、もともと説明されなかったんだから、分かるわけないだろ。
俺は猛然と腹が立ってきた。
おまつさんはたしかに俺好みの美人だが、その辺をきちっと理解させて、謝らせなければ気が済まない。
俺は通学用自転車に飛び乗ると、稲津町公民館、すなわちイナヅマンの本部基地へと向かった。
*** *** ***
「え? 何コレ……」
つぶやくなり、俺は自転車に跨ったままその場で固まった。人間、本当に驚いた時は、何も出来なくなるものらしい。
国道×××号線を横目に、田植えが終わったばかりの水田地帯を抜けてやって来た稲津集落。
そのほぼ中心部にそびえているはずの、無駄に立派な公民館は……瓦礫の山と化していたのだ。
その破壊の状況は凄まじかった。コンクリは微塵に砕かれ、鉄筋は巨大な手で引き千切ったようになっている。水飴のように融けてわだかまっているあれは、入り口の大きなガラスのなれの果てに違いない。
何かが爆発したクレーターのような穴まであった。
重機やなにかで単純に壊しただけではない。元がどんな建物だったか、いや建物であったかどうかさえもわからない有様だ。
突然、後ろから肩を叩かれて、俺は我に返った。
「堤君……来たのかね」
振り向くとそこには、見知った顔が立っていた。
企画打ち合わせからイベント作業まで、ずっとイナヅマンをプロデュースしてくれた公民館長だ。役所のOBらしいってことくらいしか知らないが、なにかと気を使ってくれる上に気前もいいので、年の離れた友人感覚で俺も気安く話させてもらっていた。
「館長。これは一体どういうコトなんです!?」
館長は哀しげに頭を振ると、思いがけないことを言いだした。
「残念だ。伊志河県に続き、この腐杭県までもヤツらの手に落ちようとは……」
「ヤツらって……あの、悪魔みたいな連中のこと、やっぱ館長も知ってたんスか!? どうして、ヒーローの俺にそのこと、教えてくれなかったんス!? それに、手に落ちたって……俺はまだ負けてません!! むしろ昨夜は……」
「いや。腐杭のヒーローは既に負けたんだ」
「だから!! イナヅマンはまだ――――」
「イナヅマンは当地のヒーローでは、ないんだ」
は? 俺は館長の目を見たまま凝固した。
何言ってんだこの人。俺はご当地ヒーローとして選ばれたはずで、ずっとそのつもりで活動してきた。そりゃ、本物だなんて思ったことはないが、昨日は変身もしたし、武器も使えた。
何より、おまつさんもササズシも、おれを
「違うんだ。本当のヒーローは別にいた。だが、彼等はあまりにも一般ウケしないヒーローだったから、君に表の顔をやってもらっていたんだ」
「表……?」
「これが、当地の真ヒーロー……ヘレンボイジャーだ」
うわあ。何コレ。
館長がスマホに映し出した画像を見て、俺は全身に鳥肌が立つのを抑えられなかった。
そこに映っていたのは……五体の怪人、いや怪物の姿だったのだ。濁ったような緑に、黄土色のストライプ。全身がぬめったように光り、目も鼻も耳もない。口と思しき部分からは透明な粘液を垂らし、五人とも這いずるような姿勢からこちらを向いて……。
あ? コイツら!?
暗がりだったから、ディテールはよく覚えていないが、あまりにも似ている。
「あの……コイツら……いえ、この方達ってもしかして……」
「分かっている。君が……いや、君達が昨夜倒したそうだね」
「まさか……彼等が本当のヒーロー?」
「そうだ。だが、気に病むことはない。あの時点で彼等は既に敗れ、ダークネスウェーブの尖兵と化していたのだから」
いやまあ、敵でも味方でも、キモイ事には変わりはないが。
申し訳程度に短い手足がついた、あまりに怪物じみたこの姿は……水田でよく見かけるヒルに雰囲気がよく似ていた。
「ヘレンボイジャー……ヘレンボって……まさか?」
ヘレンボ、とはこの辺の方言でヒルのことなのだ。
「そのまさかだ。吸血変神ヘレンボイジャー。彼等五人は、チスイビルの戦士だったのだ」
「どどっ……どうしてそんなもんをモチーフにッ!? デザイン変えればいいやないですかっ!?」
しかも吸血って……たしかにそんなもん、ヒーローとして表に出すことは出来ないだろう。
「そうか。君はまだ何も知らんのだったな。いいかね。何がモチーフになるかは、こちらで決めることは出来んのだ。ヤツらが
「へ? でも、俺のイナヅマンは……」
「たしかに君がデザインした。それは間違いないのだが、あの
「さ……サワガニ?」
サワガニってアレか? あの、山の方で谷川の石ひっくり返すといる、あの小さいカニのことか?
「うむ。サワガニーを立花君が複製し、君のデザインしたスーツに、その機能を付加した。だから大した攻撃力は持たないし、防御力も無いに等しい。無力、というわけではないが、実際に戦ったりしたら殺されるだろうから、君には黙っておいたのだ」
主人公のはずの俺が完全に蚊帳の外だった理由が、これでようやく理解出来た。主人公は他にいたわけだ。そして俺は、偽物ってわけではないが、本来のヒーローじゃない脇役ってワケだ。
「ででで……でも……昨夜の俺の攻撃力は、すごかったッスよ? 本当のヒーローを倒せちゃったわけで……何でなんです?」
「そうだ。ヘレンボイジャーは全滅した。君の攻撃を受け、ただのチスイビルに戻ってしまったのだ。そして、イーヴィルの群れに襲われた本部基地もこの有様だ……」
館長は跪き、悔しそうに瓦礫の山を見渡した。
それにしてもチスイビル……って……あのどう見ても怪人にしか見えない“本物のヒーロー”達は、もともと人間ですらなかったらしい。
「ヘレンボイジャー達は、敗北の瞬間、君に……イナヅマンにすべてを託したのだ。」
「……託した?」
「そうだ。イーヴィルの総攻撃を受け、敗北し、ヤツらに操られるしかない、と分かった時、ヘレンボイジャー達は、悪に利用されるよりは、と自分たちのもつヒーローの光、ブライトネスパワーをすべて、君の
「……じゃあ……あいつら、自分のパワーで自分たちを……」
「そういうことになる……な。敵の手先として生き延びるより、君という希望を残したかったのだろう」
「どうしてこんなコトになっちまったんです? いきなり二県のヒーローが負けちまうなんて」
「分からん。だが、これまでヒーローが負けた例は数多くあるが、大抵の場合は隣地区のヒーローやサブヒーローがフォローして
「その隣県がやられてんでしょ? じゃあ、反対側の偽婦県か翅蛾県のヒーローにでも助けを……あ!! そうだ。おまつさん、知ってます?」
「トシイエイザーのヒロインだな。彼女がどうした?」
「昨夜ウチに来て、助けてくれって……襲ってたのがヘレンボイジャーだったんスよ。で、俺、イナヅマンに変身して助けたんスけど、朝になったら、別のご当地ヒーローんとこに行くって飛び出しちまって……」
「バカな。彼女一人でだと? 何で止めなかったんだ」
「でも、ササズシとかって、めちゃ強い
「ほう、トシイエイザーの
俺は顔の前で全力で手を振った。
「冗談じゃないッスよ。何で俺があんなクソ生意気な女を助けに……」
「彼女が死んでも……かまわないかね?」
「……死? まさか……」
俺は言葉を詰まらせた。
脳裏におまつさんの姿が蘇る。
たしかに口が悪く、高飛車で、人の話を聞かないイヤな女だった……だが、死ぬってどういうことだ……そういえば、倒された伊志河県のトシイエイザーとかっておまつさんの相棒は……死んだってコトなのか?
もしかして、あの高飛車な態度も……恐怖を誤魔化すため、精一杯虚勢を張っていたんじゃないのか。
大切な
肝心の俺は頼りにならず、やめるとか言い出す始末。
そして、あの時、こぼれ落ちた……涙。
「腐杭と伊志河、両地区のヒーローがいなくなった今、君達が力を合わせる以外に、この地方を守る方法は……ない」
「あいつが言ってたように、よその県のヤツに助けてもらえないんスか?」
「現状、まったく連絡の付かない地区が複数ある。連絡がついたところも戦闘中とのことだ。おそらく日本全国がヤツらの一斉攻撃を受けたのだろう。地域は地域で守るしかないんだ。それに、のこのこ助けを求めに行っても、敵に操られているヒーローに騙し討ちで殺されてしまうかも知れん」
「殺す……って、いったいヤツら何なんです? 何の目的でこの世界を侵略してくるんスか!?」
「ヤツら……ダークネスウェーブのイーヴィルが、この世界を侵略してくる理由……それはな、人間を食うためだ」
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