第11話 誰もいなくなった



サラハを気遣うセザリオは、このまま城の奥の安全な部屋で休むように言ったけれども、そうはいかない状況だった。城のある湖で正体不明の怪獣が休んでいたら、放ってはおけない。セザリオとよく会議している役人たちから説明を求められたサラハは、自分の体験したことをそのまま話せずに困った。


「暗殺用のナイフに毒薬がたっぷり塗ってあったから、滅多刺しにしてあげましたの、うふふ」

などと、どんなにお嬢様風に言ってみたとしても、普通のお姫様像から大きく脱線している。


本業は暗殺者で、代役のお姫様。それに魔法が使えることも伏せておかねばならない。それらのカードを伏せて説明して、相手を納得させる自信が無い!サラハには皆無だ!


「……リストに名前のあったとある研究者さんが、私の百万倍は詳しいと思います、よ? たしか名前は……。たいちゃん?」


「あの無用者リストですか!?」

セザリオから渡されて、酔っ払い貴族の手に渡り、各分野のスペシャリストの名前を集めたリストという捏造がなされたあのメモは、影では無用者リストと噂されていた真実が今、明らかになった。


「俺らはその無用者の相手をさせられていたのか、おい!」

と突っ込みたくなったけれど自分を抑えた。その発言もお姫様らしくない。


「……とにかく、地底湖の主について詳しく知りたければ歴史を調べている、たいちゃんに聞いてください。私の言葉よりもよっぽど詳しく説明してくれます」


最後にそれだけ言うと、役人たちに背を向けてサラハは部屋を出た。

扉の向こうでは、真面目な役人たちがたいちゃんって誰だ? とかなんとか騒いでいる。湖にいる怪獣の正体を彼らが把握するのは、面倒な歴史好きのはてしない話を聞き終えて、ぐったりした後だった。

貴重な歴史的資料だから是非とも生け捕りにして下さいとお願いされた。もちろん、彼らはそんな面倒かつ不可能な お願いを聞く気はない。この国の脅威は排除する。怪物も、敵の軍隊も。




敵の城攻めは翌朝から始まった。

騎兵に遅れて歩兵部隊が集まり、隊列が整っても正体不明の怪物がいる湖を越えて、軽々しく攻めてこなかったのは敵軍の将が皆臆病だからではなく、勇猛さと無謀な馬鹿を履き違えた連中ではないということだ。


秀でた部族の出身で、有能な若き指揮官、勇敢な戦士であり、貴重な魔法使いをあっさり食い殺された。警戒し過ぎるということはない。


湖は全部が全部深いわけではない。昨夜闇に紛れて調査した彼らはそれを知っている。いちばん浅いルートならば、岸から城まで歩いて渡れる。そのルートをたどればどんなに深い場所でも歩兵の胸下までの深さしかない。


岸から弓矢で援護しつつ、そこから攻める計画だった。


だがしかし、この計画には一つ問題がある。


それが、怪物の存在だ。

兵士の誰もが湖の中へ入りたがらない。どう考えても食われてしまう。


今回城攻めに現れた敵の魔法使いは四人。

一人は地底湖にいた主に食い殺された。だから、最初にあの怪獣を殺すことになった。砂の国の部族軍にとって、湖にいる怪獣は湖の城を守護しているように見えた。湖の城のセザリオ達にとって予想外の援軍となったのだ。


城内を指揮するセザリオ達はその効果をわかった上で作戦を立て直しているけれど、そんな全体のことをさっぱり見られてないサラハとキジカは、「……自分たちのせいで戦況が悪くなっちゃったらどうしよう」「逃げるか? 手伝ってやろうか?」などと、コソコソ相談していた。



黒い金属でできた檻の乗った馬車の荷台が運ばれてきた。

檻には暗幕が張られていて、中に何がいるのかわからない。

湖の城の塔からサラハとキジカが見下ろしていた。彼女たちの仕事は戦場に無い。暇だから文字通り高みの見物である。


「いったい中にはどんな猛獣が捕らわれているのだろう?」


「単なる野生の肉食獣にあれほど厳重な檻は必要あるまい。遠くから見ているので断言はできないが、あの檻には魔法が掛かっているぞ」

サラハの問いにキジカが答える。


怯える兵士の一人が、慌てた様子で檻の鍵を外した。


ぬっと出てきたのは、人の腕のように見えた。

ただし、その形は異常であった。

その肌の質感は生物のそれではない。金属でできた造り物の様な鈍い光沢がある。五本の指は鉤爪の様に鋭い。何よりも大きさが問題だ。腕一本が人間の身長よりも長い。窮屈そうに檻から頭を出して、ゆっくりと立ちあがった。

遠くから見ても、それが大きいことが分かる。周りに立っている人間たちの軽く倍以上ある。

人間に近い形をしているのに、腕や足が不気味に長く、最大の違いは頭が二つあることだ。本来人間の首がある位置で二股 に分かれて、顔はボロ布でぐるぐる巻きにされている。身体も人形のような作り物みたいに見える。


「魔人だ」


「魔人?」

ポツリとつぶやいたキジカの言葉をサラハは繰り返した。


「私も詳しくは知らない。

先輩たちが噂しているのをこっそり聞いただけだから。双頭の魔人は、魔法使いが変身した姿だ。

もし仕事先で出会ったら、とにかく逃げろ。そう言っていた」


キジカは深刻そうにつぶやいているようだけれど、普段とあまり変わって無い気もする。



魔人の檻を隠していたのは、砂の部族軍の切り札だからである。

戦の初めにその切り札を切らねば、早々に勝負が決まってしまうと指揮官が判断したからだ。湖で休む怪獣は、どちらの味方でも無いと知らないからその決断をしてしまった。厄介な敵を増やすことになっていようとは敵軍の誰も思わなかった。


それだけ自分たちの大将が食い殺された印象が強かった。

今指揮をとっている指揮官は、元は補佐役の副官だった男で、急きょ代理で指揮を執ることになった。大将の風の弓の魔法使いが人望ある若い族長だったから、敵討を望む声を無視できないのである。


双頭の魔人は、小さな歩幅で歩み湖の中に踏み込んでいく。

水の中を進んでいるのに水面は恐ろしいほど静かで、魔人の歩いた足跡が湖底に刻まれていた。


魔人が鼻先に近づいても、怪獣は動かない。木の枝の様にえらを広げでじっとしている。

先に仕掛けたのは双頭の魔人の方だった。

高く、高く振り上げた腕で、何の技術も無く、力任せに怪獣の頭を殴った。水面が弾け、ド派手に水柱が上がった。


バケモノ同士のぶつかり合いが始まった。


そして、その一撃が人間同士の戦争の開始の合図ともなった。


砂の部族軍の戦士たちが城へ向けて駆けだした。

事前の作戦通りに湖のいちばん浅いルートを進む。湖の中では怪獣と魔人の戦いのせいで起きた波で荒れている。

ひざ下ほどしかない水位の場所を歩いていているのに、どの兵士も全身ずぶ濡れだ。

城の兵士たちもそれを黙って眺めているわけではない。

少しでも相手の勢いを削ろうと矢を次々と降らせる。互いの身を守るために集まり構えた盾と盾の隙間、兜の弱い部分、数で攻める矢は次々と兵士と射ぬく。足を射ぬかれた兵士が崩れ落ち、その血が湖の水を汚す。


傷を負いながらも先頭の兵士の集団が石垣にたどり着いた。


「遅い!」


兵士たちに向かって叫んだのは、この戦場にふさわしくない砂の国風のドレスを着た姫だった。

彼女の名はタルマ・ヴィスザン。砂の国のとある有力部族の娘。

ここ、湖の城には遊びに来ていた。タルマは魔物の骨を削って作った細い剣を帯びているだけで、防具は革の鎧すら身に着けていない。


気だるげに座っていた椅子から立ち上がると、ドレスの裾をなびかせながら走り出した。

湖の岸まで走ると、そこから跳んだ。

湖に向かって飛んだ彼女は、水に濡れることなく城へ向けて進む。湖を歩く兵士を跳び石がわりにしてぴょんぴょんと飛び跳ねる。あっという間に石垣までたどり着くと、次は石垣を軽々と駆け上っていく。平らな大地を走るみたいに壁を上って石垣の上までたどり着くと、上から兵士たちへ向かって縄を垂らしてやった。


「私に感謝しなさい!愚図兵士ども」


そう大声で自分の手柄をアピールしつつも、自分に向かってきた城の守備兵を次々斬り殺す。

彼女もまた、魔法を使う貴族だった。


垂らされた縄から砂の部族の兵士たちが登ってきた。縄梯子を担いで登ってきた兵士がそれをさらに垂らし、そこからまた別の兵が登ってくるので兵士の数はどんどん増える。


「もう終わりなの?城攻めってのも、簡単過ぎてつまらないわね~」


「待て、待て、待て!」

そう言って現れたのは、重厚な鎧を着込んだ二人の戦士たちだった。一番位の高そうな先頭に立った男が名乗りを上げる。

「我こそは、偉大なる森の王国の貴族にして……」


「ハイハイ、どうせ私に瞬殺されるような男は、いちいち名前を名乗らないでさっさとかかっていらっしゃい。

あんたの後ろにもう一人いるのよ。いちいち名前を言わなくちゃならないなんてどれだけ私を待たせるの? もしかし てあんたら馬鹿なの? 暇なの?」


男は最後まで名前を言わせてもらえなかった。わがままなタルマ姫に戦場の礼儀は無視される。


「魔法使い同士の一騎打ちは戦場の楽しみ、戦場の花……。同じ砂の国の娘だというのに、こっちは礼儀を知らん。

嫁いできたのがあの娘で良かった。もしコレだったら楽しい酒が飲めそうにない。つまらん!

あと、我々は暇じゃない!酒宴は貴族同士の意思疎通に必要不可欠なのだ。

それでは、こちらは二人でお相手する。さっさと終わらせよう」


男たちはそれぞれ自分の武器を構えた。それに応えてタルマも自分の剣を鞘から抜いた。


「へぇー、あんたらも魔法が使えるの?でも残念。

私の魔法は、とっても速いんだから!」


彼女の魔法は高速移動だ。単純だからこそ強い。

その気になれば身体が水に沈むよりも早く走って湖渡れるのに、そうしなかったのは自分の服が濡れるのが嫌だったからだ。

対戦相手から見れば、タルマが突然消えたかのようにしか見えない。もうすでに鋭い骨の剣が相手を切り裂いた後なのだ。

しかし、彼らは違った。


「一瞬で終わらせるんじゃなかったのか?」


タルマの剣は目の前の二人を斬り殺しているはずだった。それなのに、二人はまだ生きてニヤニヤ笑いながら立っている。


「何でまだ生きてんのよ!とっとと死ねや!」

すばやく背後に回り込んで袈裟懸けに斬りつけた。今度はしっかりと観察する。

普通の鎧であれば、魔物の骨の剣ならば鎧ごと斬ることができる。しかし、彼らの鎧には刃がとおらない。


次は一旦離れて間合いを取り、助走で勢いをつけて二人まとめて突き殺そうとした。それでも鎧を貫くことができない。剣先は鎧に弾かれた。


さらに、鎧の隙間から剣先を刺し込んで殺そうとするも、やっぱり斬れない。


タルマはさらに速度を上げて、嵐のように全身を滅多切りにした。高速移動の風と、刃がぶつかる火花と音が広がった。




一方その頃、湖では勝敗が決まろうとしていた。

怪物も魔人も傷だらけで、周囲も滅茶苦茶に壊れている。湖底は踏み荒らされて泥と血で水は濁り、壊された舟の木片や巻き込まれた兵士の遺体が浮かんで漂っている。


このままいけば、最後に生きているのは怪獣ディーダーツガランツァガランザになるはずだ。

水中は怪獣の方が有利で、さらに魔人は戦い方が強引過ぎた。何も考えずに暴れ回るだけだ。人間の兵士が相手ならそれでよかったのだろうが、ただ相手に向かって力でぶつかっていくだけでは怪獣には勝てない。


しっぽの強力な一撃をくらった魔人は水柱を上げながら倒れた。






タルマはあれから斬り続けた。斬って、斬って、斬りまくった。

それでも、目の前の鎧の二人組を殺すことができない。


二人が使っている魔法の正体は怪力だ。

この魔法には兜に隠れた顔に仕掛けがある。自分の顔に青と水色で特殊な化粧を施して発動させる。

身につけている鎧は、常人ならば重たすぎて、身に付けただけで骨が砕けてしまうほど途轍もなく重い。

そのかわり、防御力は歩く要塞並みになれる。振り回している武器もとにかく重い。この重さを怪力で振り回すのだから、かすっただけでも相手に致命傷を与えられる。


ただ、お互いに相性が悪い。

どんなに素早く動こうとも鉄壁の守りを崩せるほどの力はなく、どれほど威力があっても速すぎる相手に攻撃を当てられない。

どちらにも決定打はなく、ただ時間だけが過ぎている。


「つまんない」


タルマはパッと後ろに跳んで二人と距離を取った。


「あっちの方が断然、おもしろそう。なので、」


タルマの視線は城の外、湖の怪獣の方を見ていた。


「たいくつなおじさんたち、さよなら」

タルマは茶化すように深々と頭を下げると、ぴょんと湖へと飛び下りた。




湖では得意気に怪獣が吠えていた。

向かって来る一人の人間に気が付いたのは、彼女に斬りつけられた後だった。卑怯な不意打ちだが、そもそも動物の世界に礼儀は必要ない。タルマは水面に浮かぶ木片の上に立った。

向かってきた小さな人間に対して、怪獣は強力なしっぽの一撃をくらわせようとした。


「おそい」

タルマは、しなる丸太のようなしっぽの先端をバッサリと斬り落とした。

魔法との相性だけでなく、サラハに毒をありったけ射ち込まれ、魔人との戦いで体力を使い果たしていたせいもある。タルマは鎧の魔法使いとの戦いの不満をぶつけるように、動かなくなるまで斬り付けた。

怪獣はゆっくりとタルマの足元の水中へと沈んでいく。

城を攻めている砂の国の部族軍の歓声が上がった。


「これくらい、私の手にかかればチョロイもんよ」


彼女がしゃべっている途中から、兵士たちの歓声が別の声に変わった。水面に深い影が映る。


「はぁ? 後ろ? 何言っているのよ?」


タルマはゆっくりと浮かび上がってくる大きな口を開けた怪獣に気が付かないまま一飲みにされた。


戦場の空気が一変する。

また魔法使いが飲まれたのだ。あれほどにぎやかで、勢いのあった砂の国の兵士たちの動きも止まる。

これで、湖の城の防衛兵へ戦いの流れが戻ってくるかもしれない。


しかし、湖の怪獣の動きがぴたりと止まったままだ。動かないでいると、首からトゲのようなものが生えた。

そのトゲが円を描くように首を一周する。


怪獣の首が斬り落とされ、中から飲み込まれたはずのタルマが出てきた。


「サイアク。よだれ? ベトベトするし」


彼女は湖の中に飛び込んだ。再び湧き上がる歓声。


戦場の流れが決まったように見えた。城を守る森の国の兵士たちも、もう敵の兵士に止めを刺すことをせずに、下の湖に落とすのが精一杯のように見える。

向こう岸で戦況を見守っていた砂の部族軍の兵士たちが、次々と城へ向けて進みだした。

自分たちは勝利したのだ。戦利品を得るなら早い者勝ちだ。皆そう考えていた。指揮官も無理に止めようとしない。

魔法使いの勝利とは、この世界の戦場でそれほどの意味がある出来事なのだ。

サラハ達は遠くからこの現象を見つつ、自分たちにも戦場の決断をしなければならなくなったかと思っていた。

湖を渡るルートを一度に進める人数は限られている。でも、もう怪獣は討ちとられていた。矢を放つ兵士もいない。

なので、多少水位が深かろうと兵士たちは湖に飛び込んだ。跳ね橋が下ろされて、城門が開いてからではもう遅いと考えていた。馬に乗った指揮官たちも、馬に乗ったまま湖の中に入った。




ほとんどの兵士が湖に入ったのを確認すると、セザリオは弓矢を構えてぞっとするほど冷たく命令する。

「……いくぞ、作戦開始だ」


湖の古城に展開されている魔法陣は、光り輝き重なる円が回転し、派手な轟音を立てることも無く、ただ静かにその力をセザリオに集めている。


矢は水面に向かって放たれた。


この世界の王族や位の高い貴族、それに高位の軍人は魔法が使える。

支配階級が自分たちの権力を守るために独占している知識、それが魔法だ。

炎を起こす魔法や、風を操る魔法、戦況を決定付けるほどの威力がある魔法であることが多い。


城を攻めてきたすべての兵士を殺してしまうほどの強力な魔法だ。相手が軍隊であろうと、そのすべてを終わらせられる。


前もって準備しておいた作戦通り、殲滅戦が始まった。

向こう岸に残ったわずかな兵士を片付けるのだ。橋が降りて城門が開き、一斉に騎士の乗った馬たちが駆け出した。


国さえ破壊できるほどの強力な魔法を放ったセザリオには、細かく戦場を指揮できるだけの体力は残っていない。

でも、その必要もあるまい。勝敗は決した。セザリオの軍が勝ったのだ。


城の周囲には、すべての凍りついた世界が広がっていた。




砂の部族軍の敗北が決まった時、彼はすべてを見捨てて自分だけが逃げていた。


風の弓の魔法を使うワガンダ大将が食い殺されて、彼にその役目が回ってきた。

副将だった彼の名前はダジバ・ユラソワという。


ワガンダとは指揮官としての方針が合わないところもあるが、大将として部下の尊敬を集める彼を認めていた。

この城攻めでは自分の役目を全うして経験と手柄を得てから、次は自分が大将として別の戦場の指揮を執るのだと考えていた。

それなのに、突然自分に大将の役目が回ってきたのだ。


合戦前の遊びだか何だか知らないが、指揮官が最前線にでて他の兵士を鼓舞する必要があったのかと彼の死を冷めた目で見ていた。

それでも、風の矢の魔法が使えなくなるのは痛かった。

超長距離狙撃ができる魔法があればわざわざ城を落とさなくても、上手くすれば城主を殺せるのだ。


魔法使いといえば、勝手について来た高速斬りの魔法を使うとある砂の部族の姫タルマ・ヴィスザンはダジバの命令など聞きはしない。彼女は自分が遊びたいだけなのだ。

砂の国は血族からなる複数の部族たちが集まり、その族長たちの中から選ばれた一人の者が代表となり治める国だ。部族同士の関係にも強弱が存在する。


得体のしれない怪物の情報は全く聞かされていない。

ダジバ・ユラソワにとっても切り札であったが、怪物には怪物をぶつける以外の方法を思いつかない。

ダジバの使う魔法は、相手の心を乱して支配する魔法だ。自分の指揮する兵士たちに事前に魔法をかけておけば、死さえ恐れない軍団に変えられる。

彼は、偶然手に入れた魔人の心を支配した。完全に自由に操ることは出来なかったけれど、単純な命令ならば従わせることができた。魔法使いには精神に対する魔法は効きづらいことが多い。魔人を操るには大量の魔力を使わねばならず、残念ながら他の人間を狂戦士へと変える魔法を使う余裕はなくなった。

勝つために利用できるものは何でも使う。兵士たちの感情も利用して、この戦いは弔い合戦だと彼らを焚き付けた。

今回は細かな作戦に従う冷静さよりも戦場の勢いを重視した。


結局、湖の怪物を倒したのは高速切りのタルマ姫であったが、ダジバにはどうでも良かった。

城攻めが成功すれば、それがすべて彼の評価となるのだから。


後方で指揮をしていたダジバでさえ勝利を確信したころ、それは起きた。

突然に湖全体がガチガチに凍り付いたのだ。

水の中にいた者たちどころか、湖の周辺で水に濡れていた者たちも凍りついた。


城門が開き、森の国の騎士たちが攻め込んできた。


兵士たちは自分たちの状況が飲み込めていなかった。

勝っていたはずなのに、一瞬で状況が一変したのだ。このままでは生き残ることすら難しい。


混乱した兵士をまとめようとしている時間すら無い。ダジバ・ユラソワは荷物を載せておいた自分の馬に飛び乗り、 一人で戦場から逃げた。万が一の可能性に備えて逃げる準備もしてあった。



戦場から離れ、一人馬に乗ってののどかな田舎道を進む。

このままいけば、兵士たちは全滅だろう。敗戦の責任はすべてワガンダに押し付ければよい。そもそも、開始早々に死ぬあいつが悪いのだとダジバ・ユラソワは考えていた。


あれほどの魔法使いの情報を手土産にすれば、これまでの実績と合わせて、自分はまだ再起は可能だと彼は計算する。この失敗の経験を生かせば、次は確実に城を攻め落とし勝てる準備をするつもりであった。精神支配の魔法を使えば、代わりの駒はいくらでも作り出せる。

もう彼の頭の中は、次の戦争のことしか考えていない。


「……逃がさないよ」


ダジバは自分が声の主に鈍器のようなもので殴られたことがわかるまでしばらく時間がかかった。


「おまえみたいな人間は敵として生かしておくと、ろくなことにならない」


殴られて馬から落ちたのもすぐにはわからなかった。逃亡兵だとわからない様に途中で鎧兜を脱ぎ捨てていた。頭を触るとヌルッとした感触がある。細かい砂利の道に赤黒い血が落ちて、わずかな色だけ残しすぐに地面に吸い込まれていく。


「……他人の命は何とも思わないのに、自分だけは特別なのか?」


悲鳴を上げる間すら無く終わった。



サラハは塔の上でずっと戦場を観察していた。指揮官らしき男がすべてを見捨てて自分だけ逃げる様子を見つけたのは、単なる偶然だった。見失わないように、すぐさま追いかけた。



仕事を終えたサラハは、魔法を使って誰にも知られないように湖の古城へと帰った。





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