第10話 大地の棺


キジカとスクーは森に来ていた

「いたかー?」

「まだ見つからないですー。おかしいな、前はこの辺りで見つけたのに……」


キジカはこの村へやってきた理由をスクーに説明していない。

はじめは何か役割を命じられてやってきたのだと彼女は思っていたけれど、いっこうに何かを始めることも無い。

友人たちから家出したのではないかと聞かされたスクーは、きっと自分たちには言えないくらいつらいことがあったのであろうと解釈して、そんなキジカを思いやって元気づけることにした。


まさか自分たちが話した怪談のせいで城の職場を放棄して、家出したなどとは爪の先ほども思っていない。

スクーだったら、近くに憧れのお姫さまがいるだけで心が喜びに染まる。お化けだろうが気にしなかったことであろう。


二人がやっているのは、森の中に落ちているおいしい果物を拾いに来たというわけではない。

キジカがやってくる前に、スクーが偶然森で見かけたかわいい動物を探しに来たのだ。カワイイは癒される。単純明快な女の子の理屈だ。


キジカとしては、見てかわいい動物よりも、食べておいしい動物を探しに来たかったけれど、少女があんまりにも一 生懸命彼女を誘うものだから、断り切れずに来てしまった。


スクーが見た動物の特徴は、白い、丸っこい、ふわふわ。


「風に飛ばされた洗濯物のパンツでも見間違えたんじゃないの?」

やる気の無いキジカは、未知の動物に否定的だ。スクーが探す動物の名前を彼女自身も知らない。鳥なのか獣なのかもはっきりしない。


「そんなのと見間違えませんよ。絶対に生きものでした。村育ちだから私、目は良いんです」

草の茂みをガサゴソと探っていたスクーがキジカに言い返した。


そう断言する少女につきあうことにしたキジカは、立ちあがり森の中心部へと歩き始めた。

「珍獣ならもっと森の奥の方にいるかもしれない」


子供の頃に、あまり森の奥へと入ってはいけないと親に言い聞かせられていたけれど、少女はもう自分は子供ではないし、キジカも一緒だから問題ないだろうと判断して、おいて行かれない様に後ろについて歩いた。




森の深い場所は昼でも薄暗い。

「キジカさん!ちょっとこっちに来て下さい」

別れて周囲を探索していたスクーが何かを発見しキジカを呼んだ。


「穴だ」

「穴ですよ。なんだかあやしいと思いませんか?」


穴だった。子供、いや小柄な大人でも通り抜けられそうな穴があいている。


「ネズミの巣穴にしては大きすぎますし、ヘビやクマの巣穴でもないです。

きっとこれですよ。私たちの探しているカワイイは!」

たしかに、スクーの言うとおり小動物が掘った穴に見えなくもない。

大き過ぎず、小さすぎず、人間の子供が興味の引かれそうな穴だった。


「おーい、でてこーい!」

スクーが子供っぽく穴に向かって叫んだ。


キジカは、もし本当にかわいい小動物の巣穴だったとしたら、人間の声に驚いて出てくるものも出てこないんじゃないだろうかとふと思ったけれど、なんか面倒だったので黙っていた。

この子が騒げば騒ぐほど、警戒して出てこないはずだ。


「わあ、出てきた!」


「えっ!嘘」


それは現実感のない、何かだ。

存在がうそっぽい。目の前にいる物体には生命としての強さがまったく感じられない。

自然界で生きていくのに必要なものが決定的に欠けている。これが赤ん坊ならば、大人の形があるはずだけれど、それが想像できない。

見た目は白っぽくて、もこもこしている。さわってみると、それなりに弾力があってうっすらと熱を帯びている。生きもので間違いないようだ。白いもこもこは毛ではないみたいだ。ふわふわしているが何であるかはっきりしない。

四本の足と長いしっぽ、丸っこい頭がある。その足のうち二本を使って人形のように立っていた。


「かわいい!」


白いぬいぐるみのような生物に、スクーが喜んだ。


白い謎生物は二本足でヨチヨチ歩き、スクーが手を叩いて歌うとそれに合わせてふらふらと踊っているようにも見えた。


「かーわーいーいー」


「そうか?」


「わからないんですか、この愛らしさが!ギュって抱きしめたくなる」


「母性本能ってやつか? これに?」


スクーは赤ちゃんに接するは母のように優しく白い生き物を抱きしめた。長いしっぽは穴の中へと続いている。


「すごーい、つるつるでふかふかしてる!たまらない!」


花丸笑顔で謎生物を抱きしめて頬擦りをしていたスクーの表情にわずかな焦りが浮かんできた。


「あれれ? どうしてかな? 離れてくれない?」


「どうした」


「この子、私の腕をはなしてくれないんです」


キジカも引き離そうとするが離れない。


さらに困ったことに、白い不思議な生き物は巣穴へ戻ろうとしているようだ。

ものすごい力で引っ張られた。

「助けて」


キジカはスクーの空いている方の手をつかんで引っ張る。しかし、そのキジカごとスクーを引きずり込んでいく。

キジカは片方の手で帯を解くと、近くの木の幹に向かって放った。帯の端はしっかりと巻きついた。


「痛い!痛い!痛い!」


白い生き物と、キジカの両側に引っ張られたスクーは痛みで悲鳴を挙げた。

このまま無理に耐えれば、スクーの肩の関節が外れてしまう。

キジカはしかたなく帯を緩める。

綱引きの片側が力を緩めたのだ。残った一方に勢い良く引きずられていった。

キジカが残した帯は、ピンと張って穴の中へと続いている。


その穴の向こう側は、とても、とても暗くて何も見えない。





白い霧の正体を突き止めた翌日。サラハはキジカの家出した村へと到着した。

白い霧のことを教えて安心させたかったし、今後のことを相談したいとも考えていた。

セザリオに許可をもらうために、また会議を中断させるのも悪い気がしたので黙って出てきた。

そのせいでより一層面倒なことになったのだ。


サラハが村に到着してすぐに、それまでサラハが馬に乗ってのんびりとやってきたのどかの田舎道をそれぞれ馬に乗った兵士たちがやってきた。


「サラハ姫さま!なぜここにいるのですか!」

先頭の兵士が焦るように言った。

「それはこちらのセリフです。私は城内の問題が解決したから、自分の侍女を呼び戻しに来ただけです。

そんなにあわてて、あなたたちこそなぜこの村に?」


「見張りの兵から、敵軍がこちらに向かってきているとの報告がありました。

このままではこの村も戦に巻き込まれます。我々は王子さまの命令で、この村の住人を城に避難させるために来ました。

姫さまも早く城へお戻りに」


サラハは兵士の言葉を遮った。

「ならばなおのこと急がねばなりません。私はキジカを探して連れ帰ります。

敵が向かってきているとは言っても、まだ村人を誘導できるくらいの時間があるのでしょ?

馬を駆れば城へはすぐに戻れます」


「それでは」と微笑んでサラハはキジカを探すため馬を走らせた。

兵士たちには時間が無い。サラハのことは心配だが、村人の誘導が彼らに課せられた任務だった。



サラハはキジカと一緒だった子供たちイルデーとツガから、キジカはスクーと共に森へ遊びに行ったことを聞いた。

「二人は大人たちに従って先に城へ行きなさい。私は二人を探して後から行きます」



森は探険済みだった。頭の中に大まかな地図もある。

だんだん奥へと探索範囲を広げるがまだ見つからない。

そして、サラハの予想した中で最悪に近い状況を見つけてしまった。


サラハにとっては見慣れたキジカの帯の端が木の幹に巻き付いていた。暗殺用の武器でもあるこの帯は通常の物よりも長く、丈夫に織られている。

その帯はピンと張っており、帯をたどっていくと反対側は穴の中へと続いていた。

穴の中に落ちたのだろうか、サラハにはその向こう側がどうなっているのか想像できない。無理に帯を引っ張り上げていいものなのか判断するためには、穴の中を確認する必要があった。


地を這うように空いた、人がやっと通れるほどの大きさの穴へ服を土や草で汚して腐葉土でうごめく虫のようにくぐる必要はサラハにはない。

サラハの魔法ならば、地中に潜るのもたやすい。

ただ気をつけなければならないのはここがあの森の中だということだ。

夜中に探検したこの森の地下には、巨大な地下空間が広がり地底湖があるだけでなく、さらにそこには正体不明の主が存在しているのだ。

サラハの魔法なら、すぐにでも地の底はたどり着けるけれど、ここは慎重にゆっくりと帯をたどりながら潜っていく。暗い暗い地の底へ地の底へ。




その地下空間の明かりは穴の向こう側、外の日の光だけだ。

森はとても深く、茂った葉の隙間から日光が射す。わずかな光は地底のほんの一部をうっすらと照らすに過ぎない。

キジカが上を見上げたのは、そのわずかな光に揺らぎを感じたからだった。

魔法で変化したサラハの身体は外部の影響を受けないけれど、そこに確かに存在している。

光が変化したというより、それを受ける人間の感覚が魔法の存在を感じ取っているのかもしれない。

見上げたキジカの目に入ったサラハの姿は、魔法で歪んでいて向こう側が透けているため、闇に融けているかのようにも見えた。


「もう、限界だ。下で、受け止めてくれ」


サラハはキジカの言葉に従ってそのまま地底湖まで下りた。受け止めるには魔法を解かねばならない。

実体に戻ると、服に水がしみ込んで重く体に張り付いて行くのが気持ち悪かった。

キジカは下の様子を確認することなくそれを落とした。サラハを信用しているからそれができる。

サラハもそれに応えた。

宙吊りになっていたキジカがずっと片手で支えていたのは、気を失ったスクーだった。





穴の中に引きずり込まれた時に、一瞬だけキジカにはそれが見えた。

スクーの腕を引っ張る白いいきものの正体は、疑似餌だ。地底にいる巨大な生物の体の一部なのだ。白い生き物の尻尾のように見えたのは、本体とつながった部分だ。あれは舌の様な部位なのかもしれない。

赤ん坊のように保護欲をそそられる存在とはつまり、弱い存在。それを餌にして獲物を引きよせ、穴の中に引きずり込む。


戦闘をこなすサラハほどではないけれど、キジカもそれなりに鍛えてあるから簡単に手を離さない。

よって、ここにスクーを間に挟んだキジカと謎の地底生物との綱引きが発生した。

疑似餌は、あの穴を通り抜ける様な小さな動物を主な獲物にしていた。それほどの力はないのかもしれない。だからキジカとの引っ張り合いは続いている。


スクーが悲鳴を上げた。引っ張られ過ぎて限界が近い。

そして、痛みに耐えかねて気絶してしまった。

キジカの左手は帯をつかみ、右手はスクーの腕を握っている。



「このままだとまずいな」


キジカは口を開いた。

キジカがふっと息を吐くと、口の中から小さな刃物が飛び出し、白い生き物に刺さった。

口内に隠し持っていたこの小さな暗殺武器の刃は普段は収納されているけど、舌で操作するとその刃が飛び出す。それには、痺れ薬が仕込んであって刺さった相手に薬を注入する。

ちなみに慣れない訓練生は失敗して、自分の舌や口がしびれて、しばらくの間何もしゃべれなくなることがよくある。キジカも昔は苦手だった。


この白い謎生物に人間用の毒がどこまで効いたのかわからないけど、拘束が緩みスクーの腕から離れた。

それまで謎の生物と支え合っていた分のスクーの全体重をキジカ一人で支えなければならなくなった。

自重を片腕で支えているだけでもきついのに、さらに気を失った女の子一人分の重さが足される。

何とかぶら下がっていられるけど、長くは持ちそうになかった。


そこにサラハがやって来てくれたのだ。

どれほど時間が経過したのか。暗闇の中一人で耐えていたキジカにはきっと実際の時間よりも長く感じた。


地底湖の水面に浮かんでいるサラハとスクーに向かって話した。

「上に登ってから、帯に紐を接いで下ろすから、それにスクーを結わえつけてくれ。引き上げる」


「出来るだけ急げよ。この村に敵の軍隊が向かっているらしいからな」


「うん、わかった」


空いた右手をぷらぷらと振った後、両手で帯を登り、地上へと向かっていった。


地下空間の天井、空に開いた穴から漏れるわずかな明かりがプカプカと浮かぶサラハとスクーを照らす。

でも、それ以外の場所は真っ暗で、この地底湖の主ディーダーツガランツァガランザが何処にいるのか見えない。

あの白い疑似餌はきっと主の身体の一部だとサラハは考えていた。

痺れ薬に驚いて、少し離れてこちらの様子をうかがっているのかもしれない。


それにしても、あの穴は一体いつから開いているのだろうか。

この地底湖ができた時には無かったはずだ。


何年も何十年も前から開いているのだとすれば、犠牲となった動物の数はいったい何百、いや何千かもしれない。


動物だけか?

もしかすると、この森に子供がむやみに近づかぬようにする掟が村にあるかもしれない。

サラハは無事に助かったら、少し調べてみようと考えて時間を潰した。


やがて、穴からスルスルと紐が垂れ下がってきた。

濡れているスクーを縛り付ける。スクーは気を失ったままだったので、簡単には外れないようにしなければ、途中で落ちてしまっては大変危険だ。

しっかりと縛った後、紐を強く五回引っ張った。縛り終えたサインだ。


濡れて重くなったスクーをキジカが地上で引っ張り上げている。

水面から出て、やがて穴の近くまで上がった。




地上のキジカは気を失ったままのスクーを地底から出すために、紐を引っ張り上げていた。

穴から顔色の良い彼女の顔が出てきて、木漏れ日に照らされるのを見てやっと安心できた。

服は地底湖の水で濡れて、穴から這い出たために泥で汚れている。


「おい。おい、大丈夫か」

キジカが軽くスクーの頬を叩くと、ゆっくりと目を開けた。


「あれ、私……どうしたんですか? あっ! イタタタタ……」

手をついて起き上がろうとしたスクーが声を上げる。白い生き物につかまれていた左腕が痛んだ。


「……急いで村へ戻るぞ。悪いが、ゆっくりと手当てしながら説明している時間はない」

キジカの言葉にスクーは緊張した。




キジカとスクーは、サラハだけを地底湖に残して先に村へ帰ってしまった。


なぜならば、お姫さまとその侍女という関係を悪用して、常日頃からキジカに無理難題を押し付けていたサラハ。表 では清楚なお姫様でも、裏では立場を笠に着て我がままし放題。

キジカには千載一遇、復讐のチャンスが巡ってきたのだ!

今までの積もり積もった恨みの数々。セザリオ王子に媚を売り、デレデレするサラハへの嫉妬!べ、別にあんたのことなんて、何とも思ってないんだからね!

なによりも、食べ物の恨みは恐ろしい!

やった方はすぐに忘れても、やられた方は絶対に忘れない。好物を最後まで残しておいてから食べる癖のあるキジカの皿から、サラハは何度奪い取ったことだろう。

月夜ばかりと思うなよ。復讐はたとえ何も生み出さなくても、必ず成し遂げなければならない!


なんてわけではもちろんない。

サラハは一人で行動する時の方が、魔法が思う存分使えるのだ。とっておきの手である魔法を他人に見られたくなかった。それに、敵軍が向かってきているというのに、村人たちの前でお姫さまの演技をしている気分でも無い。

サラハ一人ならば魔法で簡単にここから出られる。

キジカはそれをわかっている。




一人残されて水面に浮かぶサラハの背後、真っ暗闇の中から巨大な怪物が静かに近づいていた。

外敵の気配に対して勘の鋭いサラハでさえ気づくのが遅れた。


呼吸から心臓の鼓動まで、自身のすべての動きを遅らせて、一人になるのをゆっくりと待ち構えていたのだ。


暗闇世界の住人、地底湖の主が感じ取ったのは、においだ。


一人目の子供は美味そうだった。


二人目の人間は不味そうだった。

これはキジカが臭いというわけではなく、彼女が身につけている病死に偽装するための毒や薬の瓶から漏れ出るわずかなにおいのせいだろう。

その上痺れ薬まで刺された。主の感覚からすれば、あれは毒虫だ。


そして三人目、それがサラハだった。水面に落ちてから、上を見上げてその場から動かない。


地底湖の主にとってこれはご馳走に思えた。



サラハの浮かんでいた水面の周囲が急に凹んだ。水面に深い影が映る。

飲み込まれたのだ。サラハは水ごと丸呑みにされる。

地底湖の主、ディーダーツガランツァガランザに。




キジカとスクーは森を抜け、村へと戻った。

「早く湖の城へ向かおう。村人のほとんどは徒歩で、女子供に老人や病人もいる。とっとと移動しないと敵兵になぶり殺しにされるぞ」

キジカは遅れてきたというのに、その場を仕切るようなことを偉そうに叫んだ。


「しかし、入れ違いで姫さまが貴様らを探しに森へ向かったのだぞ。

ただ待つだけならまだしも、我が身かわいさに見捨てるつもりか!少しは姫さまに申し訳ないと思わないのか!」

兵士の一人が怒って声を上げた。


「サラハ様のことなら心配無用。

いえ、むしろ急がなければ我々だけが敵の只中に取り残されることになります」

キジカの声には、何か説得力があった。兵士たちにも彼女しか知らない何かがあるのではないかと思わせる自信を感じた。そして、村人たちは湖の城へ向かって歩きだしたのだった




地底湖の主は、自分の本能の範疇を越えた現実が理解できなかった。

卵から孵ったばかりの頃は獲物を逃すことも多々あったけれど、こうして狩りの技術を身につけてからはそんなことはない。疑似餌でおびき寄せるのに失敗はしても、自分の湖に落ちた獲物を逃すなんてありえない。

ディーダーツガランツァガランザの口の中にサラハはいなかった。


サラハは魔法で地底湖の主の口の中から抜け出ていた。

今は魔法を解いた状態で、ナイフを使って地下空間の壁面に張り付いている。

「水面に落ちた羽虫のもがく振動を感知して、獲物を捕らえる生き物がいると言うが、あの化け物もその類か?」

地底湖の主が、消えたサラハを探してゆっくりと泳ぎ出した。

スポットライトのように日光の漏れて鈍く照らされた水面に、ディーダーツガランツァガランザの姿が見えた。


それはドラゴンではなく、巨大な魚でもない。

鱗のないぬめぬめとしたぶ厚い皮膚の蜥蜴の様な生き物だった。

蜥蜴とは違って木の枝の様なエラがあり、おそらく両生類の一種だろう。


主は頭を持ち上げて、光へ向かって吠えた。

その声は、暗い洞窟の奥底で何十人もの男女がただ救いを求めてうめく声が、風に乗って不気味に響く、背骨の芯が凍えるような声だった。


主は地底湖の壁を崩し始めた。

頭と顎で掘った土を前足で上手にかき出す。ボロボロと崩れていく。

長年水に浸かり脆くなっていた。


「……これはマズイな」

このままでは主が外へ出てしまう。

一番に襲われるのはまず間違いなく避難中の村人たちだ。そこにはキジカもいるのだ。

一部が崩れ出すと、ドミノ倒しが始まるように崩壊が広がって行く。ついには天井に亀裂が入りだした。


サラハは主の注意を引くために、固く封をされていた鞘から抜いたナイフを投げつけた。


「……毒は嫌いか?」


前に太ももに結わえつけられていた物とは違い、これは強烈だ。


人間相手の毒がどれほど通用するだろう。人間の致死量程度ではこの巨大な怪物を殺せはしない。足りない。とどかない。

それでも毒は毒だ。野生動物だってそれをもって殺し合う。

効かないはずはない。


さらに、主の背中に刺さったナイフめがけて石をぶつけ傷口を広げた。

刃が体内をえぐるように動いた。毒が塗り広げられる。


「……この痛みは気に入ったか?」


主はまた吠えた。怒りの感情が芽生えたかのようだ。


主の注意はサラハへ向かう。


それでも壁の崩壊は止まらない。地下空間は埋まってしまうことだろう。

サラハが魔法を使えば生き埋めになることはない。そして、この怪物も瓦礫に埋もれようと生き残り必ず外へと這い出るだろう。


自由になった怪物が一番に襲うのは、サラハだ。

目障りな毒虫をまずは叩き潰す!エサを食うのはその後だ。


サラハには難しい状況となった。

ただ魔法を使って移動して城に向かうだけならば、村人たちの列を軽く追い越して、馬に乗った兵士たちより先にたどり着くのも難しくない。

だがそういうわけにはいかない。


村人は敵が来る前に場内に入らなければ敵軍に殺される。

サラハは村人より遅く、敵軍よりも早く城へ戻らなければならない。

村人よりも先に戻った場合、主が村人たちを襲うことになる。


できるだけ時間を稼がねば…………。




「ちょっと休憩しましょうか」

村人たちは徒歩だ。病人や老人は馬車で移動しているが、それでも疲れはたまる。

どれほど急いでいても、途中途中で休む必要があった。

兵士たちに命令を出したセザリオは、こうした休憩も含めて十分間に合うと計算して命令を出している。

つい先日戦場に立った兵士たちには焦る気持ちもあるけれど、戦争と程遠い生活をしている村人たちはそれを理解で きていない。

パニックになられるよりはましだと兵士たちは割り切って行動していた。


「お茶が美味い……」

キジカは木陰で村の世話好きなおばちゃんからもらったお茶をのんびりと飲んでゆったりしていた。

村から湖の城までの道のりのまだ半分。

「おばちゃん、おかわり~」




サラハは戦っていた。

「キジカ達は今どのあたりにいるかな?」

休み休み進む彼らの移動距離は、まだ全体の半分なのでまだまだ時間稼ぎをしなくてはならないと知らないサラハは 戦っていた。

キジカがのんびり休憩している事実を知れば激怒することだろう。


地下空間の天井は一部が崩れた。

崩れ落ちた土砂が坂の様に崩れ、その坂を登って地底に封印されていた怪物ディーダーツガランツァガランザは幾年月ぶりか外の世界に解放された。


時間稼ぎが目的のサラハは、当分地面の下にいてもらいたかったけれど、あの怪物を真正面から抑え込む力はサラハにはない。


数ある暗殺武器はどれも怪物を殺すには威力が足りない。

「……人間なら脆いのに。簡単に壊せるのに」



毒のある武器は使い尽くした。残りの武器には何の毒も無い。

毒の刃が突き刺さるたびに苦しむ反応をするけれど、動きは全く鈍らず、いっこうに死ぬ気配すらない。

ユマヤのように破壊力のある武器が使いこなせれば、もっと深い傷を負わせられるかもしれない。しかし、サラハにはそんな武器も力もなかった。


魔法も使い続けるわけにはいかない。

サラハが本気になって逃げると、この怪物から逃げきってしまうからだ。

近付き過ぎず、離れすぎず、時には魔法を使って一定の距離を保つ。安全な間合いで武器を使って攻撃して、挑発する。


はじめは村に怪物を引き入れて、残された家畜でも襲わせて時間を稼ごうかとも思ったが、歓迎された時のことを思い出したサラハは別の手段を選んだ。


サラハは怪物を引き連れて川を下っていた。

上流にある大岩を押しのけながら怪物は怒りにまかせて進む。


そして、サラハは目的の場所から飛び降りた。


そこは滝だった。


怪物それに釣られて滝つぼへと落ちていった。

巨大な水柱が滝の轟音にかき消えた。



「ば~か」

見えなくなった怪物へ楽しそうな笑顔で言葉を贈った。単純な罠にはまった相手へ、心からの言葉が漏れ出た。

サラハは滝つぼには落ちずに、すぐ側の枝につかまってぶら下がっていた。

「これでもう城に戻っても大丈夫だろう!」

水洗トイレのレバーを倒した時のように、スッキリ気分爽快だった。




安心したサラハは魔法を使ってそこから一気に湖の城の近くまで移動した。

真っ直ぐ城の中へと向かうと、勘の良い連中に魔法を悟られるかもしれないと警戒している。だからこうしてわざわざ歩いて城へと向かっていた。

「俺の計画、いや、わたしって完璧じゃないかと思っていたけど、よく考えると敵軍迫る中一人徒歩で帰って来るお姫様ってどうなの? 服も水浸しだし?

それに、念には念を入れて城から離れた場所で魔法を解いたけれど、少し遠すぎたかな?」


ぽたぽたと水滴を落としながら歩いていた。

ここから湖の城は見えるけれど、濡れたドレスを着て歩くとまだまだ遠くに感じる。それに、毒の暗殺武器は地底湖の主を挑発するのに使いきったけれど、まだ他の武器を隠し持っているから、ただでさえ普通のドレスよりも重い。


木々を抜け、城の人影が見えるほどの距離に近づいた。普段は岸から中央の浮島にある城に跳ね橋が掛かっている。

城の人々がサラハの姿に気づいたようだ。

サラハには手を振っているように見えたので、歩きながら優雅な仕草で手を振り返した。


一歩、一歩、近づくにつれて、彼らが何かを叫んでいる声が聞こえてきた。しかし、地鳴りがうるさくてなんといっているのか聞き取れない。


「うん? 地鳴り?」


サラハが後ろを振り返ると、今まさに騎馬の軍勢が丘を下りてくるのが見えた。

サラハは笑顔の凍りついたまま、自分のドレスの裾を裂いた。長いと邪魔になる。


サラハは走った。


大きく腕を振って、跳ぶような走りは優雅さとは別の美しさがあるようにも見える。

でも、走っている本人に、それを見ている城の人々もそんな冷静に観察している心の余裕はない。

サラハが跳ね橋に到着するか否かの距離に差し掛かった頃、ついに敵の弓矢が放たれだした。

走る馬に乗って遠距離から攻撃しているというのに、矢は放物線を描かずにほぼまっすぐに飛んできた。


「魔法だ!」と誰かが叫んだ。

ゆっくりと上がっていく跳ね橋を駆け抜けながら、サラハは振り向きもせずに矢を避けた。

兵士や村人貴族に関係なく歓声が上がる。


魔法の矢を避けたのは相手も予想外だった。遊びで射殺そうとしたから外してしまったのだと、半ば自分に言い聞か せるように心の中で言い訳をする。次は外すまい。魔弾の射手が二射目を矢につがえて構えようとした時だった。


サラハが歩いてきた方角で林の木々が爆発した。

土埃の中から出てきたのは、滝から落ちたはずのディーダーツガランツァガランザだ。木や岩をかわすことなく真っ直ぐにサラハのもとへ向かってきている。


「滝落としで流れて行ったはずなのに、何でお前がここにいる!」

サラハは、まるで不死身の怪物に付きまとわれる自分の不幸を嘆く。


そのサラハよりも、湖の城にいる者たちや攻めてきた騎兵たちの方が驚いているに違いない。

戦場に正体不明の怪獣が突然現れたのだ。


怪獣には自分の進行方向にいる騎兵たちが邪魔だった。自分の周りをチラチラと横切るのが目障りだ。

怪獣は大きく口を開くと、そのままの体勢で跳び込んで地面に自分の胴体を擦りながら滑り込む。

大きな口に騎兵が馬ごと飲み込まれた。魔法の矢を使おうとしていたから回避が遅れたのかもしれない。


騎馬の軍隊の勢いが弱まった。その隙をサラハは逃さなかった。

跳ね橋は完全に上がった。サラハはなんとか間に合ったのだ。


獲物を食えて満足したからだろうか、怪獣はほかの騎兵たちには目もくれず、水を求めて湖へと進む。

そして、湖の中に入るとそれまでの大暴走が嘘のようにとても静かになった。




サラハは肩で息をしながら地面にへたり込んでいた。


「サラハ!」

叫んだのはキジカだった。

急いでサラハに駆け寄って、普段無表情な彼女なりに比較的心配そうな表情で、ずぶ濡れサラハを抱きしめようとした。


「サラハ!!」

そのキジカに追いついて弾き飛ばし、先にサラハを抱きしめたのは鎧を着込み、戦支度をしたセザリオだった。


「サラハ!ああ、なんてことだ、こんなにずぶ濡れで!」

そう言ってセザリオは自分の豪華なマントを外してそっとサラハにかけてあげた。


まるで舞台演劇の一場面の様な二人の様子を見ていた周囲の人間たちは、敵の軍勢がすぐ側に迫っていることも忘れて拍手喝采で二人の愛を祝福したのだった。




セザリオに突き飛ばされて、人々の輪から外れた隅っこで地面に惨めったらしく這いつくばった無表情のキジカを除いて…………。

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