パートナー(2)

 ショッピングセンターの最上階である五階には、おもちゃ売り場や本屋などの店舗が吹き抜けを挟んで一列に並んでいた。吹き抜けからはガラス張りの壁を通して下の方にリンクが見えた。


 この階はリンク次に僕のお気に入りの場所だった。ここに上るとモミの木のてっぺんがすぐそこに見えた。僕はいつもここに来る度、モミの木が天井を突き破ったりしないんだろうかと半分心配しながら、半分楽しみにしていた。最初に見た時からほぼ天井に着きそうな勢いだったその木は、残念ながらこの日もまだ天井には到達していなかった。


 僕はガラスの壁に沿うように置かれている長椅子に腰を下ろした。リンクの様子がよく見えた。逆にリンクにいる時にはここからの視線を感じたことはなかった。ほぼ真上を見上げるようにしないと上の方の階は見えないのと、光の加減のせいかもしれない。

 僕はそこで六時半になるのを待った。焦っているとはいえ、闇雲やみくもに滑っても意味がないような気がした。しばらくここで待ってそれから観月理子を訪ねよう。


 果歩はいつも必ず六時半にはリンクを後にする。これは絶対だった。果歩の家はITベンチャーだ。両親ともが技術者で、昔二人で会社を立ち上げて軌道に乗せたらしい。ところが数年前におばさんがここでは自分の天才プログラマーとしての才能が出し切れないと言い出し、夢を追うと言って東京に出て行ってしまったらしい。それ以降連絡もないけれど、たまに人気の飲食店に出入りしたといって写メだけ送ってくると果歩が言っていた。そういうことがあってからおじさんは必ず仕事を七時に切り上げ、果歩と一緒に料理をするのだそうだ。仕事が忙しい日にはデリバリーになるのだそうだが、それでもスタッフも含めてみんなと楽しく食卓を囲むというルールになっているのだそうで、果歩は七時に家に帰りつくよう六時半には必ずリンクを引き上げるのだった。


 僕は六時半になると下に降りて、果歩がリンクを去ったのを確認して事務室を訪ねた。

 リンクの奥にある重い金属性の扉をノックして返事も待たずに開ける。そこにいたのは若い知らない男の人だった。

「あれ?」

 想定外だ。

「こんにちは。何か御用ですか」

 その人は作業中のパソコンから顔を上げた。

「あ、いえ。何でもないです」

 僕は慌てて後退りしてドアを閉めた。観月理子は氷に乗ってない時はいつもここにいるはずなのに。事務室の隣に続いている放送室の方に回ってみた。放送室にはリンクを見渡せるように大きく開かれた窓がある。そこから開けられた扉越しに事務室の中を覗いてみたけれども、やっぱり観月理子の姿はなかった。

 人が頼りにして来たのに、どうして今日に限っていない! 観月理子!

 今晩も落ち着いて眠れないのかと観月理子を恨みながらリンクを後にした僕が実際に彼女に会えたのは、それから三日も経った後のことだった。


 何日も五階に居座っていると知っている奴に出くわすこともあった。幸いそのうちの誰にも何をしているのかなどと声をかけられることはなかった。観月理子のことは昼間リンクサイドをふらちょろしているのを目撃はできたのに、夕方になると捕まえることができなかった。三日目にはさすがにあきらめて昼間に下に降りようかとも考えた。しかし果歩と顔を合わせることを思うと思い留まった。僕はなぜだかこの件を果歩に知られたくないと思っていた。


 果歩はこの間も僕をリンクに誘ってくれていた。けれど僕はあいまいなことを言ってかわし続けた。

 ある時果歩が見慣れないステップを練習し始めた。僕は吹き抜けのガラスに顔を寄せて見入ってしまった。珍しい方向に体を回転させるターンが連続で入っていて、慣れないせいか異常にぎくしゃくしていた。流れも悪く、お世辞にも上手いとは言えなかった。果歩に話しかける大学生が何人かいた。アドバイスでもしたつもりだったんだろうけれど、そのあと彼らがやって見せたターンは果歩よりよっぽどひどかった。


 そして流斗は……この間流斗が滑りに来ることはなかった。学校でも僕たちとコンタクトを取ることもなかった。

 アイスダンスのことをあきらめないと言っていたのに、一体どうするつもりだろう。

 僕は決して流斗の道をはばむような真似がしたいわけではなかった。彼のスケートへの想いは理解していた。それなのに僕は観月理子を一人で訪ねようとしていた。そのことに対して罪悪感がないわけではなかった。ただ僕は……ほんの少しの猶予ゆうよが欲しかった。


 ついに僕は観月理子を捕まえた。その日事務所の扉を開けると、そこには観月理子と例の男の人がいた。

「席を外しましょうか」

 僕が何日も観月理子を探していたのを知っていた彼は、明らかに僕を気遣ってくれていた。

「何言ってんの。今いなくなられちゃ困るんだよ。この式、ちゃんと動くようにしてくれないと」

 観月理子は彼のそんな配慮に気がついているのかいないのか、パソコンの前から去ろうとする彼を肩に手をかけて引き止めた。

「制覇君。この北大路君のことは何も気にしないで。ただの私の手足だと思ってちょうだい。あ、手足じゃまずいか。そう、頭は全部今このPCに向けられているから。気にしないで」


 部屋の中央には事務机が二つずつ向い合せに置かれていた。

 観月理子は北大路さんと呼ばれている人の向かいの机の前に、イスを二つ引き出した。促されてそこに座る。

「理子さん。そもそも僕もう時間終わるんですけど、これバイト代出るんでしょうね?」

「さあ、出るんでしょうかねえ」

 観月理子は、観月理子らしい頓珍漢とんちんかんな受け答えをした。

「聞いているのはこちらなんですが……」

 彼は観月理子の発言にイラついたり困ったりする様子もなく、おだやかなほほえみを浮かべていた。

「……まあいいです。ただ、このデータをこう分析するのは斬新ざんしんでいいと思うんですが、どこが元データでどこが結果だかぐちゃぐちゃで分からないんですけど」

 彼の口調はおだやかだったけれど、パソコンに映っているものがよほどひどいものなのだということは想像された。彼の机の整然さに比べてこちらの机の雑然さが目についた。

「あー、それはいいの、気にしないで。私はどこに何があるか全部覚えてるから。問題ない」

 観月理子は胸を張って答えていた。


 どうしてこの人はいつもこんなに我が道を行っているのだろう。こんな人に相談しようと思ってしまった自分もどうかしてるんじゃないかと思いながら、僕はその光景を見ていた。

「……そうですか。じゃ、ま、適当にやっときます」

 彼が作業を始めると、観月理子は僕の話を聞いてくれた。



「なるほど」

 と観月理子は言った。

「つまり、誰かと組んで試合に出たりしたいというわけではないけれど、アイスダンスの技術だけをなんとか上手く身につけたい、と」

「そう! そう! そうなんだよ!」


 観月理子の要約は、僕の話を聞いていなかっただろと言いたくなるほど、かけ離れた言葉となっていた。けれどもその要約に僕は全く異議がなかった。むしろ今の僕の気持ちをまさに的確に言い表してくれたという気すらした。何をどう説明すればいいのか混乱しながら、しかも状況や人名や事情も伏せたまましゃべりまくった僕の話から、よくぞそこにたどり着いてくれたものだと、ある意味僕は観月理子を見直した。


「最近シングルやってる子からもそういう話よく聞くんだよね。なんでもアイスダンスをすると滑りが良くなるとか何とかいう噂があるらしくって」

 オフィスチェアに足を組んでいた理子さんは、ボールペンを唇に当てたり離したりと数回繰り返した。

「少し時間をちょうだい。考えとく」

 考えとく、と言われたら、このあたりでは期待しない方が良い。しかし理子さんはこの辺の出身の人ではなかった。

 思い切って相談に来て良かった。解決方法をもらったわけではなかったけれど、数日間の緊張が理子さんのおかげですべて解けた気がした。


「それにしても制覇君はなんでそんなものに興味を持ったかね? やっぱ彼氏の影響?」

「は?」

 理子さんはボールペンを僕の方にピッと向けると楽しそうに言った。

「この前一緒に滑ってたじゃない」

「何だよそれ!」

 声を荒らげた僕を見て観月理子は手を叩いて喜んだ。

「制覇君、真面目。かわい~」

「理子さん。小学生からかっちゃいけませんよ」

 北大路さんが話に割り込んでくれた。いい人だということは分かるのだけれど、ひとこと言わなくてはならなかった。

「中学生です!」

「ああ、そうなんだ。ごめんね」

 北大路さんはとても恐縮したように謝った。


 次に僕は理子さんを追及しにかかった。

「そういえば、あんたなんで最近ここにいなかったんですか。僕、何回かこの時間に来たんですけど?」

 理子さんはいつものように偉そうな態度で言った。

「制覇君、君は労働基準法というものを知らないな? 朝から晩まで十何時間もぶっ通しで働いちゃいけないんだよ。そういう風に法律で決まってんの。知らないだろうなあ、しょせん中学生だもんね」

「理子さんもつい最近知ったんですよね。それでオーナーに怒られたばっかりで」

「何言ってんの。私は知ってたからちゃんとタイムカード切ってたわよ。ここに来て以来ずっと定時だっつーの。それ以外の時間に私がここにいるのはただの趣味だって言ってんのに。あの人が、あんなに頭の固い人だとは思わなかったわ」

「四六時中リンクにいるあなたが定時だなんて言ったら、周囲の人間が驚くに決まってますよ。それくらいならいっそすべて趣味ということにしたらどうですか。遊んでばっかだし」

 北大路さんがふざけたようにそう言うと、観月理子はその場にあったファイルを手に北大路さんの頭を軽く叩いた。

「というわけで、僕が代わりにたまにアルバイトに入ることになったんですよ」

 北大路さんは笑いながら僕にそう言うと、パソコンの方を指さしながら席を立った。

「じゃ、理子さん。これ出来ましたんで上がらせてもらいます。そろそろ曲かけても良いですよね」

「はーい。お疲れ様ー」


 北大路さんが放送室の方へ消えると館内にかかっている曲が変わった。放送室の窓越しに曲に合わせて滑り出す人影が見えた。同じCDからクラシックだのポップスだの次々違う曲がかかった。どれも一~二分程度に短く編集されていた。

「お客さん減ってきたら、曲をかけさせてあげてんのよ」

 そう言いながら理子さんは北大路さんの座っていた机の方に回った。

「あ、レイアウトキレイになってる! いらないって言ったのに! しかも結局十分もオーバーせずに帰りやがって! 今度はもっと難しいこと頼んでやろ!」

「手伝ってもらっといて……。あんた、なかなか最低ですね……」

 窓の外では流れている曲が変わる度に、それに合わせて動いている人も変わった。


「あ。あの人、見たことあると思ったら」

 ふと北大路さんのことを思い出した。

「昔スケート教室で教えてもらったことあるんじゃない? 私の大学の後輩だよ。今度部長になるんだ」

 そう言うと理子さんは、「果歩すけもこの時間まで残れればもっと上手くなるんだけどねー」と続けた。


 理子さんは、果歩のことをたまに果歩すけと呼んだ。初めて会った時男の子と間違えたからだそうだ。白いスケート靴を持った性別不詳の美少年――美少年と言ってる時点で性別不詳には矛盾がある――が来たと思って萌えたのにサギだったと以前よく言っていた。そんな調子の人だから僕はずっと理子さんをなめていた。

 でもこの日僕は不思議なことに、目の前の観月理子という人に少し期待できるような気がし始めていた。



 それから三日も経たないうちに理子さんから連絡があった。前の三日は死ぬほど長く感じたのに今回はあっという間だった。僕は喜んでリンクに向かった。

 夕方遅くに事務室を尋ねると、その日そこにいたのは理子さんだけだった。


「選択肢は二つあるんだ」

 理子さんは人差し指を立てて説明を始めた。

「まず一つ目。今回の制覇君の要望には合っていないとは思うんだけど、知り合いの先生に頼まれたので一応伝えときます。大阪にアイスダンスのパートナーを探している女の子がいるんだって。この相手として名乗りを上げませんかっていうお話。といっても、会ってみないと採用されるかは分からないんだけどね。向こうとしては選手として一緒にやっていけるような人を求めてるらしくって、そういう人であれば、貸し切りとレッスンにかかる費用を全部持つと言ってくれている」

「え? てことは、ただで教えてもらえるってこと?」

「レッスンに関してはね。でも練習場所までの交通費なんかは当然自分持ちだし、試合に出るための遠征費なんかもかかってくるから、全然タダってわけにはいかないと思うよ。と言うかむしろ、練習時間も、かかるお金もハンパないと思う。あまりおすすめできる話じゃないよ。でも、そもそも試合に出るのが大前提な話だから、ちょっと制覇君が求めてるのとは条件違うんじゃないかな? と思ってます」

 僕は黙ってうなずいた。


「次に二つ目」

 理子さんは二本目の指を立てた。

「この前も言ったけど実は最近同じような要望をちょくちょく聞くんだわ。で、まあ私も色々考えたんだけど、アイスダンス用の時間を用意してもいいと思うんだ。指導者に関しては教えてくれそうな経験者を探してもいいし、たまには貸し切りを取ってちゃんとした先生に入ってもらうっていうのもアリだと思うんだよ。そういう時に靴がなければ、貸靴を融通したっていいし」

 その提案は、今と比べてあまり変化がないような話だと思った。勿体ぶって、色々考えただなんて言う必要もないような……。


「そんなんで、上手くなれるのかな」

 思わずそうつぶやくと、逆に問われた。

「なんで上手くなれないと思うの?」

「え? そりゃ、だって……」

 僕は少し考えた。

「あんたの言ってる方法は、ぱっとしないよ。指導者も『経験者』ってなんだよ? プロなんだか素人なんだかよく分かんないよ。結局今と同じで各自自己流でやるってことなんだろ? やっぱ一つ目の提案みたいにちゃんとしたプロの先生に習うのとじゃ……」

 そこまで言って、僕は流斗の言葉を思い出した。

 自分流にやってたって絶対だめだ。ちゃんと先生につかないと。


 理子さんはしばらく僕の次の言葉を待っていたが、そのうち静かに口を開いた。

「制覇君の言いたいことは分かるよ。指導者面なんかは一つ目の方が確かに聞こえがいいよね。でもね、人って本当に伸びようと思ったら人に教えてもらってるだけじゃだめなんだよ。自分から学ぼうとしてるかどうかの方がずっと重要だから」

 理子さんは僕の肩に手を置いた。

「制覇君は先生に教えてもらったこともないのにダブルが跳べるようになったよね。それは跳べるようになりたいという強い思いがあった上で、どうやったら跳べるかを自分から観察したり考えたりしたからできたことだよ。待っていても誰かが跳べるようにしてくれることはない。そういう環境だからこそかえっていいってこともあるんだよ」


 僕が理子さんに相談したいと思ったのは、こういう事を言ってくれそうな気がしていたからかも知れない。観月理子という人は、いつも頓珍漢で、一般人離れしていて、変わったことを口にする。それも自信満々で、偉そうに。そんな観月理子から出た言葉は、流斗を知ってしまったことで自信を失いかけていた僕の過去を思いっきり肯定してくれた。そしてそれはただの過去の肯定に留まらず、未来への可能性も示していた。


「ここで練習するだけでも、他で先生に教わっているような奴に敵うと思う?」

「敵うかどうかは先生じゃない。本人の問題だよ。ただ本当に上手くなろうと思ったら、技術に関する正しい知識をどこかしらから入手することは必要だろうね。かつての制覇君の進歩において、果歩という存在が無視できないように。果歩は制覇君にとって、先生ではないけれども観察の対象となる良質な見本であったから」

 正直、この人自身にはスケートを指導する能力は無いだろうと想像された。だけどこの人は、人を上達させるには何がどう必要かを分析して、ビジョンを描く能力は持っているのかも知れない。


 理子さんはにこやかに、真面目に、そして力強く言った。

「どうだろう。試行錯誤しながらにはなるけれども、このリンクで一緒に考えながらやってみない? やるんであれば、ちゃんと良い情報が得られるように私も努力するから。こういうなんにも無い所からのスタートって、結構面白いしやりがいあるよ。案外いい結果も出るかもしれない。制覇君は選手としてやっていきたいわけじゃないんでしょ? だとしたら、この二つ目の提案の方が断然おすすめ。経験したことすべてが制覇君のためになるから。生きていく上でも本当に役に立つ力になるから」

 理子さんの話は、なぜだかスケートから離れて生き方の話にまで発展していた。


 僕が口を開こうとすると、続けてこうも言った。

「それから一つ目の話だけど、活動拠点は主に大阪だからここから電車で三十~四十分はかかると思うんだ。そんな所まで通うなんて時間がもったいないとしか言えないよ。その時間ここで遊んでいる方がずっと価値がある。制覇君がダブルを跳べるだけの基礎力を持てたのも、ここで縦横無尽じゅうおうむじんにしっかり遊んできたからでもあるからね」

 その後も僕がしゃべろうとする度に、ここでなら貸靴の都合もつけてあげられるだとかなんとか、理子さんの話はなんやかんやと続いた。ついに僕は理子さんの言葉をさえぎって言った。


「つまり選択肢は、一つなんだな?」

 しかし理子さんははっきりとそれを否定した。

「何言ってんの、制覇君。人の話聞いてたの? 言ったでしょ、選択肢は二つだって」

 だけどそれは明らかに形だけだった。彼女は最後にこう締めくくった。

「ただし私のオススメは圧倒的に、後者よ!」


 申し訳ないことに、僕は即決で前者を選択した。

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