第2話

 劉は段ボールハウスの中で何度も寝返りを打ちながら眼を覚ました。やがて、仰向けになり目を開けると天井に拡がる黒い染みをぼんやり見つめた。炎に似たその染みの形が、いつも気になっていたからだ。

 劉は上半身を起こすと、枕の下から丸めた衣類に包んだ筆記本電脳(ノートパソコン)を取り出した。

 福祉の一環として、筆記本電脳が政府から無償配給になったのはもう随分前のことになる。信息化社会へ向けた国際互聯網絡(インターネット)の促進政策とともに、電脳盲(コンピューター音痴)や信息入手の貧富格差を是正しようというのが当初の目的だった。当然、前政権に対する戒めもあった。

 劉のような無業遊民(失業者)や弱勢群体(社会的弱者層)にも、福祉事務所に申請すれば筆記本電脳は容易に手に入れることができた。誰でもが、網民(国際互聯網絡利用者)となった。やがて、信息格差の均等化政策から通話料の支払いも免除されるようになった。そして、菜鳥(ネット初心者)の増加とともに、名目上の数字鴻溝(デジタルデバイド)は拡大した。

 劉は筆記本電脳を上網(インターネット接続)すると電子郵件(Eメール)をチェックした。そして、人才信息服務系統(人材情報サービスシステム)の新聞組(ニュースグループ)や雅虎(Yahoo)や「網人案内」の網頁を一通り眺めた。あるNGOが主催するその掲示板には最新の配給状況や日雇情報などが掲示されていた。劉は今日の配給信息を確かめた。そして、激光打印机(レーザープリンター)から打ち出した。

 寝床を畳むと、劉は段ボールハウスの上蓋を細めに開け外の様子を覗いた。紫外線の放出が緩まるこの時間、夕陽が軌道の向こうに沈みかけていた。劉は安心したように蓋を開け背伸びをした。そして、隣の段ボールハウスを見ると目を細めた。紫外線防御用のアルミ箔やソーラーパネルが張り詰められた上蓋が夕陽が反射していたからだ。その蓋は紐で括られておらず、中の住人はまだ寝ているようだった。

 劉は段ボールハウスを出ると、蓋を紐でくくった。隣の段ボールハウスの横に立つと、劉は蓋を開けた。

「薫陶、起きてるか?」

 俯いた薫陶の口から落ちた涎が筆記本電脳の鍵盤(キーボード)に滴り落ちていた。

「また、発作か」

 劉はうんざりしたように呟いた。薫陶の頭を劉は何度か叩いたが起きる様子はなかった。劉は薫陶を段ボールハウスから引き出すと、地べたに横たえた。

 薫陶は網虫(インターネットフリーク)で、玩家(ゲーマー)だった。そして、進食障碍(摂食障害)も起こしていた。人気最旺的遊戯站点(人気最高のゲームサイト)に上網し、電子計算机遊技(コンピューターゲーム)、特に仮想空間対戦遊技に凝って発作を起こす日常だ。劉と配給所へ行く以外、薫陶は段ボールハウスから出ることはなかった。終日、孤独症(ひきこもり)のまま薫陶に遊技に熱中した。この遊技に長時間没頭すると眩暈や車酔いに近い状態になったり倒叙(フラッシュバック)という断片的回想発作を起こすとされ、やがては心身に後遺症的な障害を引き起こす可能性も高いといわれた。そのため、政府からは長時間の使用は制限されていた。だが、薫陶は制限鍵(キー)を解除する方法を探り当てたらしかった。

「薫陶!」

 劉は薫陶の身体を何度も揺すった。だが、薫陶は目覚める気配もなかった。諦めたように劉は薫陶の横に胡座をかいた。遠くに見える軌道を見て劉は昔を思いやった。日輪のように燃え尽きたあの頃を。

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