電脳病毒

翳間 皓

第1話

 この段ボールハウス一帯を覆う廃線軌道は、誰言うとなく世紀末路線と呼ばれていた。水は枯れひび割れた汚泥が詰まった運河を跨ぎ、その軌道は二俣に分岐していた。運河の中州には軌道を支える柱が立ち並び、その支柱の間には木造棚屋(バラック)が積み重なっていた。枯れ蔦が絡まってその、ひしめくように立ち並ぶ木造棚屋。どれもが釘子戸(立ち退き拒否世帯)だ。

 最後の火車(列車)がこの軌道を通過していったのは数年前、黄昏に近い夕方だった。火車は、ほの白く光る宣伝映像を車両の側面に映しながらゆっくりと進んでいった。燃え上がる日輪の映像。やがて、日輪は焔に変わり火車の側面に燃え移ると火車全体を包み込んだ。火車は火の粉を散らし焔の尾を引きながら劉の目の前を通り過ぎた。

 火車はあの時代の幕を引くかのように、夕暮れの光の中へ溶け出していった。火車の行く先には朽ちた高層高楼(ビルディング)群が朧気に霞んでいた。以前はウルトラモダン(超現代的)な高楼にも、今はひとつとして明かりの灯った窓は見えない。

 その燃え上がりながら小さくなっていく火車を見送りながら、劉は思い起こしていた。こんなことになった、その発端を。

 夕方、軌道の両側に飲み屋街に橙色の明かりが灯り始めた。劉は三無人員(不法滞在者)が集う一軒の飲み屋に入った。あの男と会ったという老人に話を聞くために。その老人は酒精依頼(アルコール依存症)だったのだが。昔どこかで聞いたことのある、偶像歌星(アイドル歌手)の歌が流れていた。

「あの男、最初は段ボールハウスの俺達をただ眺めていた。そのうち、声を掛けてきて、俺達の身の上話を聞き始めたんだ。いや、男の方が俺達の身の上を言い当てたっていうのが正しいのか。その通りなんだよ。奴はどこから仕込んだのか俺の素性を知ってるじゃないか。俺がどこで生まれて、何をやってきたか。行方不明だった、この俺のことを」

「行方不明?じゃあ、尋親網(尋ね人ネットワーク)に登録されてたんでしょうか?」

「なんだね、その尋親網て?」

「人身売買事件の被害者の行方を捜す網頁(ホームページ)なんですが。被害者が写真付で数据庫(データベース)化されている」

 この国の農村部では婦女子の人身売買が後を絶たなかった。子供や女性は農村部では家系を絶やさないため、性産業における需要も多かった。子供は数千元で取引されていたという。

「人身売買?網頁?なんのことやら。俺は勝手に家を出たんだよ。民工潮(出稼ぎ)の流れさ。誰も捜しはしないよ。藍印戸口(出稼ぎ者向の準都市市民資格)も持っていたし」

「では、人口普査(国勢調査)には?」

「人口普査?いつのことだ?」

「計算機両千年(Y2K)問題の年だから、2000年の千禧年(ミレニアム)」

「人口普査なんか協力した覚えもないな。別にヤバイことはやっちゃいないから、戸籍警(戸籍警察)の電網信息(情報)には登録されてないはずなんだが。なんで俺達の過去を知っているのか誰も不思議に思ったさ。なかには男の話は全てでっち上げだってしばっくれる奴や、過去を認めたくない奴なんか暴力に出ることもあった。何故、奴がそんなことをしているのか、誰にもわからなかった」

「その男、自分のことは何か言ってましたか?」

 劉は尋ねた。

「ああ、昔、古典劇の演員(アクター)をしていたとか。回流(出稼ぎ者のUターン起業家)になるつもりだったとか」

「名前は?」

「徐なにがし、とか言ったかな」

「徐・・・」

 あれから何年経つのだろうと、その時、劉は思った。

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