9話 グングニル
僕が生まれて初めて目にしたもの。
それはきらきら輝く、
廷臣や親衛隊の騎士たちは、普通の人間は、生まれた時のことなどそうそう覚えておりません、と言う。
人間は、赤子という形でこの世に生まれる。
その赤子はとても弱弱しく、一人で歩くことも食べることもできず、記憶など容易に蓄積できないものなのだそうだ。
でも僕は。そんな脆弱なものとしては、生まれ出なかった。
『陛下は生まれた直後から、一人でお歩きになれました』
『言葉も流暢に喋られて』
『さすがは、帝国の現人神。我々とは違います』
廷臣たちは、そう誉めそやす。
『陛下は、生まれながらに皇帝機に選ばれた方』
『努力せねば戦乙女の機霊を得られぬ我々とは、違います』
親衛隊の騎士たちも然り。
そうだろう。僕は他の者とは違う。
僕は、皇帝。
「特殊」で、「特別」。
生まれて初めてまぶたを開いた時のことを、僕はしっかり覚えている。
あの時から。この身の丈はほとんど変わっていない。
僕は、生まれながらに完全だった。
『お目覚めになられましたか、我が主』
まばゆい
日輪のアルゲントラウムは、すでにわが背に埋まっていた。
『ご誕生、おめでとうございます』
普通の人間たちは、生まれた時は全くの無知。家庭教師や学校などで知識や技を学ばねばならぬ。
だが僕は、そんなことをする必要はなかった。
言葉も一般常識も。
この島都市と赤い大陸の歴史も。帝国の仕組みも。
必要な情報はすべて、生まれながらに持って生まれた。
だって僕は、完全なる者だから。
ゆえに僕はその時驚きもせず、流暢な帝国語で金髪の少女に答えた。
にっこりと微笑を浮かべて。
『ありがとう』
なのになんだ? このピンクのスカートをはいた赤毛少年は。
――『いやいやいやいや、お飾りの人形だろ?』
嘘だ……!
みんな、僕の前にひれ伏すのに。誰よりも特別だと褒めるのに。
僕はちゃんとアルの言う通りにして、帝国に君臨している。
五十代一千年。
今まで四十九人の皇帝たちと共に生きてきた、アルゲントラウム。
彼女が、僕にすべてを教えてくれる。
皇帝は、どうするべきかを。
『陛下は、人間と同じものを食べてはいけません』
特に
皇帝たる者の食事も、やはり特別なものだ。
食卓に供されるのは、白いアムリタと白いパン。この二種類だけ。
だからシング技師に供されたパンは食すふりをして衣のポケットにねじこんだ。
あの甘い泥水だけは……においに抗えず飲んでしまったが。
『陛下が外に出られるお時間は、一日一刻までです』
自然光の下に出るのは極力避けるべし。神なる者の肌に、自然光は甚だ悪影響を及ぼす。長く浴びれば、神性が損なわれる。
『陛下は、普通の人間と同じようであってはいけないのです』
普通の人間のようにふるまうと、僕の『特別さ』が失われる。
『政は、廷臣たちに。戦は、騎士たちに委ねられますよう』
わざわざ僕自らが、出て行く必要はない。僕は皆を見守るだけでよいと、アルは言う。
普通の人間は、おのが遺伝子のもととなり、生み出した者に育てられる。
でも、僕にそんなものは必要ない。
たしかに、廷臣たちが見せてくれた帝国民の現状報告映像を見て、そんなものがいたらいいなと思ったことはある。
幸せそうに幼子を抱いている母親。子供たちと楽しげに遊ぶ父親。
一度、同じものが手に入らないだろうかと、アルに聞いてみたら。
ぎゅっと手を握られ、即答された。
『陛下には、私がおります』
にっこり、微笑まれながら。
『私は、陛下の守護者。陛下の教育者。陛下の母。陛下の恋人。陛下にとって、ありとあらゆるもの』
誕生の棺から目覚めて五年。僕らはずっと一緒だった。
たぶん、死ぬまで僕らは離れないだろう。
僕とアルゲントラウム。輝ける皇帝と、その守護者。
そう。
僕は、特別だ。
だから……
『人形だろ?』
黙れ赤毛。違う。絶対違う。
違う。
違う。
違う――
僕は、特別、なんだ――!!
『ロッテ! 接触バリアがもたない!! 下の熱玉が熱すぎる!』
「りっ……離脱! 離脱だミッくん! 頭上の敵が一掃された!」
『了解!』
「う……うあああああああああ!!」
背中が焼ける……。
すさまじい熱と光を放熱する僕を掴んで、むかつく赤毛少年が空を飛ぶのを、親衛隊が見つけてくれた。
迎えに来てくれたのだと、思った。
だってあの白銀の翼の騎士たちとは、謁見の間でよく会っていたから。
『陛下は、私たちとは違います』
礼をとり、にっこり顔で言上する金髪の乙女たち。
みんな、僕のことを敬愛してるはずだ。
なのに。なぜ?
なぜ――
「僕を地に落としたのは誰だ!」
降り注いでくる、蒼い光。騎士たちはなぜ、
僕を人形呼ばわりしたやつが僕を守るなんて。
アホウドリサイズの機霊は思ったより強かったが、こんな奴に守られるべき僕とアルじゃない!
「不忠にも反乱を起こしたのか? ならば制裁あるのみ!」
そういえば。親衛隊は普段から、注意ばかりしてきた。
『陛下、極力、飛翔はお控えを』
『陛下、アルゲントラウムの顕現は抑えてくださりませ』
『陛下の御ためです』
なぜ僕は戦場に降りて戦えない?
なぜ普通にアルと飛ぶことができない?
決められた時間。なぜたった一刻だけしか外に出られないんだ?
『Welle・Wahrnehmung……』
「アル……! 目覚めてくれたのか?」
背中が熱い。何かがじわじわと出てくる。
この感触は、まごうことなくアルゲントラウム。
きっと自己修復が終わったんだ。
顕現……する――!
『……Mareisunir……』
「アル?! 違う僕は、マレイスニールじゃ、ないっ」
アルゲントラウムは、僕の名前を忘れている。僕のことを初代皇帝だと認識しているようだ……。
『ich spürte……Die schwarz Maschine Geister im Nexus Colonia……』
言葉がおかしい。いつもの共通語じゃない。古代語だろうか。一体何を言っている?
僕の背中から、光の柱がどうっと空へと立ち昇った。
そのすさまじい波動で、この場から離脱しかけていた赤毛少年が後押しされるように吹き飛ばされていく。
「うがあああ! 熱玉少年! ぱねえことするんじゃねえええ!」
『ロッテー! ま……も……るー!!』
イケメン機霊にしがみつかれた赤毛少年が、はるか視界のかなたへ飛んでいくのを、僕自身も背中の光に押し上げられながら見つめた。
頭上にいるのは黒い奴一騎。こいつが、僕を攻撃した帝国の騎士どもを蹴散らした。
僕の黄金の翼が激しくはばたく。
みるみる、黒いコウモリのような翼を生やした少年に近づく――
「テル……?!」
「おおっ。アムル! お前の機霊、復活したみたいだなっ」
テルが嬉しそうに笑う。
左肩にいる異様な機霊。漆黒の少女も僕を見てにやっとする。
テルが、僕を助けてくれた?
「しっかしまぶしいぜ。さすが黄金級だなぁ」
「テル……」
黒髪少年の機霊は変な機体だ。国籍の標識も信号も見えない。
「テル、ありが……」
礼を言おうとした僕は、勢いあまってテルの腕の中に飛び込んで。
思わず奴の胸をひっつかんだ。
その瞬間。
『Reparatur Wert achtundachtzig Prozent
Stellen Sie sicher, dass es ein Krieg möglich Bereich
sofort, Krieg……Start!』
左肩にぼやけて顕現しているアルゲントラウムが、勝手に僕の翼を最大展開させて。
「アル!?」
僕の頭上にて武器顕現を開始した。
『Laden Sie die Gungnir……Ladebeginn……Countdown!』
「なっ!? アルやめろ!!」
『zehn・neun・acht・sieben・sechs・fünf……』
「う? なななな?! 翼から槍が出てきたー? なんか数えてるぞこれっ?!」
『業主! 相距!』
アルには、僕の声が聞こえないのか?
危機を察して、テルと黒い機霊が僕から離れていく。
「アムル! そいつをどうにかして止めろー!」
必死の形相で叫びながら。
「極力動かすな! でないとお前っ……」
テルも騎士たちと同じことを?
アルを戦わせるな?
たしかに標的がテルになってしまっているから、止めないといけないが……
『でないとお前っ……』
僕? 僕がどうしたっていうんだ?
僕は特別だ。帝国皇帝。現人神。
アルを使えるのは、僕だけ――。
「やめろアル!」
『Mareisunir……Ich werde Sie schützen!』
「アル!!」
自動修復中ということもあるのかもしれない。
でも僕の声が、全然聞こえないなんてそんな……。
我が頭上にみるみる形成されていく光の槍。これはどこかで見たことがある。
そうだ謁見の間の……天井に描かれた高祖帝の姿。
「だめだアル! その槍は破壊力が強すぎる!」
『Injektion!!』
「うわああああ! こっちくる! でけえええ!!」
逃げるテルめがけて、アルが勝手に放った槍が飛ぶ。
「テル! 避けろ!!」
お願いだ。当たらないでくれ。頼むから。頼むから。
あいつは僕を助けてくれたんだ。僕を……
おのれの親衛隊に攻撃された僕を……
テルの黒い機霊がものすごい速さで旋回して。
太い光の槍をぎりぎりのところでかわした。
「ああ……よかっ……」
ホッとしたのもつかの間。
「あう?!」
僕は我が口を押さえて身を二つに折った。
全身を襲う、恐ろしい疲労感。そして……
「ぐふっ……!」
僕は胸にこみ上げてきた熱の塊のようなものを、抑えきれずに吐き出した。
口の間からどろどろと、熱いものが出てくる。
うめき声と一緒に。
それは。おびただしくも大量の。
真紅の血。
「なにこれ……」
――「アムル!! アムル大丈夫かー!!」
真っ赤に染まった両手を見て愕然とする僕に。
テルが必死に叫んでいた。
「アムル、アルゲントラウムを使うなーっ。でないと、おまえ……おまえ命を吸われてっ……」
その声は。黒い機霊が放つ紫の風に乗ってきた。
「死んじまうぞおおおおっ!!」
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