第16話 僕の歌は君の歌
翌朝、アオは退院することになった。
運よく隣町でパーツの在庫が見つかったので、目を治せるのは明日になるらしい。
片目でギターを弾いていたら客に詮索されそうだったので、アオはよて亭の仕事は休んでヒメと家に帰ることにした。ヒメが離れたがらなかったので、昨晩は結局病院に泊まらせたのだ。アオとしても、そばにいる方が安心ではある。
ヒスイが従業員にきちんと保険をかけておいてくれたおかげで、治療費の大半は保険で賄えた。残りの分も、ひとまずヒスイが立て替えてくれた。ヒメの食事の件も含めて、しばらく彼女には頭があがらない。
「手伝いにいこっか? ヒメの遊び相手くらいしてあげられるし」
ルビィのありがたい申し出にも、アオは首を横に振って断った。
「いい。少しの間、そっとしておいてほしいんだ」
「具合悪いの? それならなおさらさぁ」
「いいんだ。お願いだから、さ」
心配そうにしているルビィは悪いと思いながらも、アオはかたくなに断ることしかできなかった。別に具合は悪くない。過負荷状態には若干慣れたのか、熱処理も今は問題なく働いている。少し視界が狭くなっているだけで、身体機能は正常だ。
今はどんな『ヒト』の顔も、まともに見られそうもない。
過負荷状態で眠っている間に見た長い夢のことを、アオは誰にも告げていなかった。朝になって、店に行く前に顔をだしてくれたヒスイにはもちろん、ヒメや他のみんなにも。
(ヒスイ姉さんなら……何か知っていたかもしれないけど)
ギンが天国に行った経緯について、みんなが知らないことも把握しているらしい彼女なら、あるいはアオの胸にわだかまっていることの答えを出せるのかもしれない。あるいは、ハカセでもいい。彼ならばきっと答えを出せる。
彼女に会いに行こうか、一瞬だけ考え込んですぐに振り切った。これ以上ヒスイに重荷を背負わせるわけにもいかない。ハカセにいたってはどこにいるかわからない。今にして思えば、不在だったわけではなく、住処を撤収した後だったのだろう。それを知らずに来たアオとサンゴが、逃げ道の少ないあの路地で狙われた。
うかつだった。ハカセがくれた身体強化のスキルがなければ、仲良く下敷きになっていたかもしれない。それこそ本当に『天国』行きだ。
「帰りますか『ヒメ』」
不安そうな顔をしたヒメの手を引く。
彼女は『アオのお姫様』ではない。年齢も、背格好も違う。『お姫様』は赤やピンクが好きだったけれど、『ヒメ』は青や水色が好きだという。
だけど、彼女が『人間』なのは確かだ。ハカセが言っていた通り、湖底でアオが見つけたあの部屋は、人間が災害から逃れるために作り上げた冷凍睡眠用シェルターだった。
『ヒト』は『人』ではない。限りなく人間に近く作られた、アンドロイドだ。
どうして今まで思い出せなかったのか。いつの間にか、世界中のアンドロイドが自分たちを『人』だと思い込むようになった。自分たちの主を『旧時代の人類』として、自分たちが今の人類なのだと偽った。
どうしてそんなことになったのか。
どうして今更真実を思い出したのか。
ただ、使命感だけが胸にやどる。何をしてでもヒメを守らなければいけない。彼女は何も知らない。この世界が機械のものになっていることも、自分がそもそも周りにたくさんいるどのヒトとも違う存在であることも。
「アオ、帰ろう」
いつもごねたりすねたりを繰り返していたヒメが、いやにすんなりと頷いた。
アオは握る小さな手に、そっと力をこめる。
■
家に帰るなり、旧人類関連の書物を引っ張り出した。紙の書物なんて役に立たないとヒトは言うが、曖昧な調べ物をする時はランダム検索が容易な紙媒体の方がいい。
いくつか選り抜いた中でも、旧時代の地図を復元して現在の地図と照らし合わせている書物を手にとって、アオはページをめくりはじめた。
ヒメを発見した例の湖底遺跡は、旧時代の地図では日本と呼ばれていた島国の北側に位置している。旧人類時代にアオが住んでいた場所とは遠く離れていた。
それもそのはずで、アオがこの街に来たのは大体百年余り前のはずだ。すでに記憶が圧縮された後なので詳しくは思い出せないが、いくつか街を転々とした覚えはある。場所が一致しないのは当然だ。
(万が一、あそこが夢で見たのと同じシェルターでも、会えるわけがないんだけど……)
アオの『お姫様』は、コールドスリーパーにはならなかった。たとえ奇跡的に生き延びられたのだとしても、二百年近く経った今では、とっくの前に寿命で亡くなっているはずだ。それにハカセは、冷凍睡眠ユニットは一度に全て解除されると言っていた。あの部屋にはもう、生きている人間はいないだろう。
「アオ、痛いの?」
ヒメが心配そうに覗き込んで、まだ包帯でふさがれたままのアオの顔に触れる。
「別に痛くはないですよ」
「でも元気がないよ」
「そうですね、ちょっと疲れたんですよ。退屈ならギターでも弾きますか?」
「ううん、いい。アオ、一緒におやつ食べようよ」
ヒメがキッチンにむかってぱたぱたと駆けていくのを見送り、アオはやれやれと肩をすくめた。子供に気を使わせてどうする。情けないことこの上ない。
彼女の好きなココアでも淹れてあげようと立ち上がると、インターホンがなった。
アオは確認もせずに玄関まで歩いていく。多分、ルビィあたりがやっぱり心配になって様子を見にきたとか、そんなところだろう。
「だから少し疲れただけだから心配しな……あれ?」
完全にルビィだと思い込んで、玄関を開けるなり一方的に話しかけていたアオは、顔を上げると共に思わぬ人物の姿を見て首をかしげる。
「誰と勘違いしてんの、アオ」
腰に両手をあてて、不機嫌な顔でずいっと迫ってくる。ピンクの長い髪が、それに合わせてさらりと揺れた。
「サンゴ、どうしたんだ? あ、足は大丈夫?」
「足は今晩にはパーツ届くって。特注品だからそこから更に調整しないとだけど。今は代理パーツよ。無理しなければ普通に過ごせる」
「そっか、良かった。……って」
彼女はアオの隣をすり抜けて、返事を待たずに家に上がり込んでいく。
クッキーの袋を持ってきょとんとしているヒメには、悪いがしばらくダイニングに退避してもらうことになった。不満な顔をしていたものの、そこはかとなく空気を察したのか、大人しくリビングを出て行く。朝から妙に聞き分けがいいのは、アオが大けがをして色々と思う所があったのだろうか。
アオはサンゴにオレンジジュースを出して、自分はコーヒーを。ヒメはコーヒーを飲まないのだが、付き合いで飲食しているうちに自分用の飲み物が増えてしまったのだ。
「どうした? あ、目だったら明日には治るから大丈夫」
「うん、ヒスイ姉さんから聞いた。あと、ありがとう、助けてくれて」
「ま、これで俺も多少は頼りになるって実証されたかな」
ふふっ、とわざとらしく笑って見せたが、サンゴはいつもの快活な彼女らしくない様子で、じっとアオを見つめている。それは、アオを怪我させてしまった負い目とは別の種類のものに思えて、アオも神妙な顔になる。
しばらくの沈黙。
やがて、ぽつり、と。
「……アオって、さ。よて亭に来るずっと前のこと、覚えてる?」
サンゴが漏らした言葉の意味を理解すると共に、アオは一瞬動きを止めた。
まさか、そんな。サンゴが壊れたのは足だけだ。きっと違う意味のことだろう。思い出話をしたいだけだ。アオは自分にそう言い聞かせる。
「よく覚えてないって言っただろう」
「嘘ばっかり。めちゃくちゃ動揺してんじゃん」
アオの抵抗は無駄だったようだ。状況証拠がさらに重ねられる。
「……覚えてないのは本当。『あのこと』があってから、しばらくの記憶が飛んでいるみたいで」
それは、かまかけみたいなものだった。意味がわからないなら、普通に聞き返してくるだろう。そうであってほしかった。
だけど、意味がわかるのなら――。
「私も……災害の前後のことはよく覚えていない」
もう疑いようがない。サンゴも、この地球がこうなる前のことを思い出している。
――だけどどうして?
遺跡を見て回るのが趣味で、ヒメの一件もあったアオが思い出すのは、まだ自然な流れといえる。思い出すきっかけはたくさんあったのだから。
だけどサンゴは、そこまで『旧人類』に興味はなかったはずだ。ヒメにかまっていたのはサンゴだけじゃない。
何がきっかけだったのか。
原因を考えて、そして行き着いた。
(そうだ……ギンの時も、今にして思えば心当たりがある)
ギンが『天国』に行く少し前、彼はささやかな怪我をした。ジャンク街から古いベースを買ってきて、音を出せるか試してみていたのだ。音量調節が壊れていたのか、思いの外大きな音がでてしまったようで、耳のパーツがおかしくなってしまったとぼやいていた。
演奏家なのに耳が不調なのではどうしようもない。すぐに治るようにパーツを交換してもらいにいっていた。
あまりにもささいなできごとだったので、『天国』のこととはまるで繋がっていないように思えていたけれど――それからだ。ギンの様子がおかしくなったのは。
そしてサンゴは今回の事故で足を怪我して、パーツ交換している。アオはもちろん、言わずもがなだ。いなくなったというサンゴの相方も、確か怪我をした後に姿を消したのではなかったか。
「故障が原因で昔のことを思い出しているのか……?」
「あ、やっぱそうなんだ」
サンゴも同じ結論に達し、だからこそアオのところにやってきたのだ。パーツ交換を行ったアオなら、同じ事態になっているかもしれない、と。
もちろん、パーツ交換なんて日常的に行われているわけで、全員が全員こんな風になるわけではないだろう。ただ、きっかけがこれであることは状況的に疑いようもない。ギンはたまたまだったのかもしれないが、少なくともアオとサンゴは、ヒメと話して少なからずニンゲンに対しての疑念を持っていたから、なおさらだ。
「さすがに私たちが本当はヒトなんかじゃないって、そんなこと言えなかったし……、もしかしたら変な夢だったのかって思ったんだ。それで、アオが何も知らないなら、ただの夢ってことで忘れようと……思っ……」
彼女の言葉が途中で途切れる。膝の上でぎゅっと握られた掌。
アオはそっと彼女の髪を撫でる。人間にはありえないサンゴやアオの髪の色。人間そっくりに作られていたアンドロイドは、肌の良く見える所に型番を表示するか、一目で人間ではないと思われる特徴を有するデザインにすることを規定されていた。髪の色を人間にはありえない色にするのが主流で、それは今のヒト社会でも形を変えて受け継がれている。
昨日まで信じていた世界は、もうここにはない。ここは『新人類』の社会ではない。ニンゲンを失って、ニンゲンのマネをしている哀れな機械の社会だ。
アオは一息つくと、部屋の片隅に置いていたギターを手に取る。
昨晩見た夢のおかげで、ひとつ思い出したことがあったからだ。
片目が見えないので弾きづらいが、弦の位置はきちんと記憶している――記録されている。だから弾きづらく感じるだけで、動作はいつもと同じだ。よどみない。
いつもよて亭で弾いているような陽気な曲ではない、静かなバラード。
「それ、なんて曲?」
「ユア・ソング。昔のこの国のタイトルでいうなら『僕の歌は君の歌』だよ」
昔、アオはよくせがまれてこの曲を『お姫様』に演奏してあげていた。
彼女がこの曲を好きなのだと思っていた。彼女はこの曲を弾くアオが好きなのだと言った。貴方のための歌。何とも皮肉で運命的なタイトルだ。
「それ……よて亭では弾いたことないよね」
「これで踊っても盛り上がらないだろう? ……というか、俺も今日までは忘れていたし」
「……そっか」
サンゴは神妙な顔でオレンジジュースを飲み干すと、コップをテーブルに置いた。何から話せばいいのかわからないのだろう。アオももちろんそうなのだが、きっかけがなければずっと二人で気まずく黙り込んでしまうことになる。
だから、アオは『昔話』をすることにした。
「……サンゴ、俺のご主人の話をしようか。小さな女の子だった。初めて会った時はヒメよりもずっと小さかったよ。俺は子守のできるオルゴールみたいなものだったんだ。昼間は肩車をしながら散歩をしたりして、庭で彼女の好きな曲を弾いてあげる。古い映画にでていたギター弾きの青年が彼女の初恋で、ピアノやバイオリンだってあったのに、何故かギターばっかり弾かせるんだ。そのくせに『お姫様』扱いしないと怒るんだよ。何でお姫様のお相手がギター弾きなんだよって、今なら思うけどさ。俺がヒメに敬語になっちゃうのって、その時のクセかもね」
「だからヒメちゃんの名前、すんなり出てきたのね」
「多分、ね」
昨日まで忘れていたことが信じられないくらい、鮮やかに思い出せる。
アオの『お姫様』は、いつも一緒にいた。肩車をねだるような年齢を越えても、膝の上で絵本を読む年齢を越えても、すぐ隣にいた。
だけど、世界は終わってしまった。大きすぎる流れ星が、何もかも変えてしまった。
「ねぇ、アオ。さっきの曲、もっかい聞かせて」
「いいよ」
僕の歌は君の歌。
本当にそうだったのだ。アオの歌は彼女の歌だった。歌が好きだった。だから音楽のスキルばかり覚えさせられて納品された。
『お姫様』のための演奏家。それがアオという名前のアンドロイドだ。
この歌の詞を思い出す。口ずさむのはいつも彼女で、自分で歌ったことはないけれど。
何ももっていない青年が、唯一プレゼントできるもの、それがこの歌。
確かそういった歌詞だった。
(今だって、俺は『お姫様』に、歌しかあげられないけれど)
だけど、この曲のことを思い出せたことだけは、唯一の福音のように思えた。
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