第15話 ブラックボックス≒パンドラボックス

「お姫様、それは、ちょっと困ります」

 眉を八の字にして首を傾けたアオに、お姫様は長い髪を指でいじりまわしながらふくれっ面を作った。

「アオと一緒がいいの!」

「だから、それは無理なんです」

 腰の辺りにしがみついて完全にレジスタンスと化したお姫様に、アオは頭を抱えた。アオとしてもできることならずっとそばにいたいのだ。ただし、今は状況がそれを許さない。

 どうやったらわかってもらえるのか、考えても妙案は思い浮かばない。正直に言えば、アオとしても引き離されることに完全に納得したわけではないから、余計に。

 どうしよう、と。

 少しうなだれたところで、アオは唐突に、我に返った。

(あれ? お姫様、って……)

 彼女はヒメではなかった。声も、背格好も違う。

 それなら、近しい間柄としか思えない、このしがみついてくる少女は誰なのか。

(ああ、そうか。これは夢だ)

 何度か、この少女が出てくる夢を見た気がする。情報の海に沈み、こうやって眠った時に不意に浮かび上がる断片でしかなくなった。それくらい遠い過去に、恐らく出会っていたのであろう少女。

「わがままを言ってはいけません」

 アオはゆっくりと、しがみつくお姫様をひきはがしにかかる。

「最終期限までにはあと半日ありますから、それまでは一緒ですよ」

 夢の中のアオは、現在のアオが覚えていないことを、一生懸命彼女に語っている。本当に良い家柄の子供なのだろう。『お姫様』と呼んでも差し支えないくらい、上品なワンピースに身を包んでいる。ワンピースは赤とピンクで、アオはここで女の子といえば赤かピンクだというイメージをつけていたのかと、一人納得した。とはいっても、この少女が着ている服は、アオが選んだものとは似ても似つかない。センスのなさは自前だったようだ。

 彼女は今、アオの腕の中で大きな瞳いっぱいに涙をためている。

「人間とアンドロイドは、眠るところが少し違うんですよ。目が覚めたらまた一緒にいられます」

(アンドロイド?)

 アオにはよく意味がわからなかった。

 アンドロイドというものは大抵、自立機械の中でも単調な思考しかできない元始的なタイプのヒト型ロボットを指す。機械化されているヒトと外見的にそう変わらない物もあるが、根本的には別の物だ。今となっては、ほとんど製造されていない。紛らわしいし、作業用の自立機械ならそれぞれ最適なフォルムをしたロボットを作る方が効率的だからだ。

「俺はお姫様のためにあるんです。目を覚ます時には必ずお側にいるようにしますよ」

 それなのに――過去の自分の口ぶりはまるで『自分がアンドロイドである』かのようだ。

「落ち着くまでここにいますよ。そうだ、お姫様の好きな曲を弾きますよ。ギターを持ってきたんです。あれなら電源もいりませんから」

 壁沿いに据えられた硬い椅子に座り、少女の前でギターを奏で始める。

 軽やかなそのメロディーは、どこか懐かしい響きだった。これが過去の記憶なら当然だ。記憶ライブラリを深く潜れば、この曲の譜面が刻まれたデータがあるだろう。

 知らないようで知っているその曲を聴いていた少女が、顔をあげる。もう泣いてはいなかった。

「それじゃないのがいい」

「何がいいですか」

「アオの好きなのでいいよ」

「お姫様がお好きな曲が、俺の好きな曲ですよ。前にも言いましたよね」

 できるだけ穏やかな声で諭すように言い聞かせるアオを、彼女はにらみつけた。

「うそつき」

 一度は泣き止んだはずの彼女の瞳に、再びあふれ出た粒がアオのコートに落ちる。

 膝から降りて、向かい合わせに立って、叫ぶ。

「うそつき、私の好きな曲なんて、覚えていないくせに!」

「お姫様……?」

「私は、アオが一番楽しそうに弾いてる曲を選んでいただけ。別に、その曲が特別に好きだったわけじゃないもの」

 彼女の言葉に、アオは困惑した。夢の中のアオと、夢を見ている方のアオと、過去の混乱と現在の混乱がないまぜになる。

 前にも、夢の中で彼女に同じことを言われた気がする。

(俺は、何て答えた? 彼女は何て……?)

 答えは、すぐに出た。

「私は……私のために曲を弾いてくれるアオが好きだっただけだもの」

 それが、彼女の答えだった。彼女には特別に好きな曲なんてなかった。好きな存在が、そこにあっただけだ。

「……そうですね。ごめんなさい。俺は、貴方の――」

 自分が告げたはずのその答えは、最後まで聞けなかった。けたたましい警報が鳴り響き、緊急事態を告げる放送が部屋中に響き渡る。

 その時になって、アオは今まで自分がどこにいたのかを把握した。

 壁を縦横無尽に這うパイプと、それにつながっている黒々とした得体の知れない大きなカプセル。スイッチが無数についた操作盤が入口近くにある。それは『今のアオ』も見たことがある光景だった。ヒメを拾ったあの場所だ。もちろん、あの場所そのものではないだろう。ただ、同じ用途の部屋であることは確かだ。

『予定よりもかなり早く危険区域に達しています』

 混乱の悲鳴と怒号の中で、アオの耳が緊急放送の焦った声を受信する。

『落ち着いてください! 退避シェルター内の方は早急にカプセルに入ってください!』

「お姫様、早く! もう無理です!」

「嫌よ!」

「わがままを言っている場合じゃないです! 俺たちと一緒に海に沈むおつもりですか!」

 勢いに任せてまくしたてたところで、アオはしまった、とばかりに手で口をふさぐ。じっとりと睨み付けてくる少女に、彼は言い訳を考えるようにあたふたと辺りを見回す。

各所でカプセルのふたが空いて、服を脱いだ人間たちが押し込められていく。

 その中で、少女は微動だにせず立っていた。

「私、アオが思っているほど子供じゃないの。アンドロイドは何の救いもなく沈んでいくのに、私たちは生き延びるの? 生き延びられるなら、家族を見捨ててもいいの?」

「お姫様、俺たちだって、ただ海に流されるわけじゃないんです。きちんと水の入り込まない部屋に保管されるはずです。全て終わった後に人間の皆さんが助けに来てくださいますから」

「嘘よ。人間たちはカプセルから出た後のことなんて、なーんも考えてないわ。パパも使用人も、アオのことは諦めなさいというの。同じ型のアンドロイドくらいいくらでも買ってやる、って。そんなの、私のアオじゃないもん!」

 ぺたん、と床に座り込んだ彼女が声をあげて泣き出した。

 アオは何と声をかけていいかわからず、自分も膝をついて、彼女の半身を抱きしめる。

 再び警報が響き渡った。

『接近中。あと一時間で、衝突します。あと十分でカプセルが起動します。避難がまだの方は急いでください!』

 放送の声を聞きながら、アオはもう一度少女を引き離した。

「時間がありません」

「嫌」

「俺はお姫様のものです。お姫様のためだけに存在します。お姫様がいなければ、意味がありません。生き残って、そして一緒に俺が楽器を演奏するのを聞いてください。古い映画のギターに憧れた貴方のために、何度でも奏でます。だから――」

「ねえ、アオ。貴方が私のために存在するなら、もう二度と会えなくなった時、貴方は誰のためにギターを弾くの?」

「お姫様、お願いですから」

「答えて。人間が目を覚ますのは多分、ずっと先の話。でもアンドロイドはそうじゃないんでしょう? 私がいなくなっても、それでもあなたは存在できるの?」

(――その答えを、多分俺は知っている)

 答えにつまる『過去のアオ』に変わって、『今のアオ』がそう思う。

 知っているけど、認めたくない。理解したくない。このまま意識を閉ざしてしまいたい。早くこの夢から逃れたい。

 いや、違う。これは夢じゃない。記憶だ。情報の断片が無作為に拾い上げられて形成したにしては、意味が通り過ぎている。違う。夢だ。夢に決まっている。

 ぐるぐると、アオの頭の中では情報の波が渦巻いている。

 そして、何度目かの警報と、放送が響く。

『タイムオーバーです! カプセルを閉鎖してください!』

 途端、部屋中から湧き上がる悲鳴と怒声。

間に合わなかった人々の嘆きの声。

 目の前にいる少女は、悲嘆にくれることなど忘れたかのように、目元の涙をぬぐって立ち上がる。

「ねぇ、ギターを弾いて?」

 いつも通りに、微笑んで囁いた。

「私だけのために、弾いて。私は貴方のお姫様なんだから」

「   」

 アオはその時、恐らく『お姫様』だった彼女の名前を、呼んで――。


 ぶつん、と。そこで場面はホワイトアウトした。

 その後のことは、よくわからない。

 思い出せないのではない、実際にその後からしばらくの部分が、意図的に削除された形跡がある。もしかすると少女が何かしら、そういう処置を加えたのかもしれないし、あまりにも酷い心的外傷を負うとプログラムが該当部分を削除することがあるから、そのせいなのかもしれない。

 『アンドロイド』は、そういう風にできている。『人間』とは違ってそういう部分だけは、極めて都合よくできているから。

 だからアオは、彼女のことを記憶情報の奥深くに沈めた。恐らくはプログラムに刻まれた本能によって。それを覚えていたら、動けなくなることを察知して。

 あの日――地球に隕石が降った。地震と大洪水によってほとんどの国が海底に沈んだ。

 人間たちがシェルターの冷凍睡眠ユニットに押し込められたあの時。カプセルのかわりに密閉された部屋に押し込められたアンドロイドは、皮肉なことに人間よりもずっと多くが生き延びてしまったのだろう。何せ、致命的な損傷を負わない限り、電力さえ確保できれば彼らには飲食も睡眠もいらなかったのだから。

 だけど、機械には主が必要だ。主がいなければ、存在意義がない。

 そういう風にできていた。

 彼らの自我は人間という存在に頼りきっていた。

 存在を認めてくれる主を世界単位で失った機械たちが、その後どうなったのか――。

(――俺は、知っている)


 意識が覚醒する。白い天井は、今は闇の中に沈んでいた。夜なのだ。

「思い……だした」

 呟いた声は空々しく、誰もいない部屋に溶けて消えた。



 むかしむかし、この世界に大きなながれ星がおちました。

 ながれ星はうみにおちたので、大きななみが世界中の国をのみこみました。

 人々はうみのそこでずっとねむって、なみがひくのをまちました。

 だけどなみがひいても、人々はねむったままでした。

 はこにしまわれていた人形は、人々よりも先にあらしが去ったのをしりました。

 人形は人々がおきるのをまちました。ずっとまちつづけているうちに、そのことをわすれました。

 いつしか、世界は人形のものになりました。

 どこをさがしても人がいないので、人形たちは自分を人だと思うしかなかったのです。

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