第14話 記憶の海の彼女

 ――死んだ。

 そう、思った。いくらヒトがパーツ交換で何とかなるといっても、さすがに頭に直撃したら死ぬ。

 本当の意味で『天国』にきてしまった。まったくもって、笑えない。

「ここは天国じゃないよ、アオ」

 誰かがそう言った気がした。

 それが誰かは思い出せなかった。よく知ってる気はした。

「まだこっちの天国には来ちゃダメよ」

(こっちのって、天国にいくつも種類あるのか?)

 答えようと思ったけれど、声は出なかった。当然か。死んだのだから。

 アオはぼんやりとそう考えて、そこでようやく気が付いた。

 死んでいるなら、こんな風に考えることはできないのではないか。考えるための機関が壊れているということなのだから。

「あのね、アオ」

 声は、少し名残惜しそうな声音で名前を呼び。

「今度のお姫様は、最後までアオのそばにいてくれるといいね」

 どういう意味かは問い返すいとまもなく。

(これは夢なのだろうか)

 記憶の断片の再上映でしかないはずの、ヒトの夢。

 だけどこれは何だろう。

 まるで、誰かの伝言をきいているかのような――

「……オ、アオ」

「うー……ん?」

 アオは薄く瞼を開け、何度かゆっくりと瞬きをする。頭がぼんやりとして、上手く働かない。視界もやけに狭い。

 夢の続き、ではないようだ。半分しかない視界が、うっすらと見知らぬ白い天井に焦点を合わせ。

「あ、起きたわ」

 気づくとヒスイとシオンが二人がアオを覗き込んでいた。それをかき分けるように、ルビィとヒメがバタバタと派手な足音を立てて近づいてくる。ヒメは瞳に涙をいっぱいためていた。

「アオ、大丈夫? あ、大丈夫じゃないんだった! え、ええと、痛いところは?」

 ルビィがあたふたと質問を並べ立て。

「アオ死んじゃいやだぁぁぁ!」

 ヒメが壊れたみたいにわんわんと声を上げて泣きだす。

 アオはしばらくぼんやりと辺りを見回す。天井や周りの風景から考えるに、ここは病院で、自分は今ベッドに寝かされている状態らしい。

「……とりあえず、状況説明して」

 一番正しく把握していそうなヒスイに話を振った。彼女は肩をすくめて涙目のヒメを抱えて、頭を撫でてやる。

「ビルの上に古い鉄材が保管されていたらしいんだけど、それが落ちてきたんだそうよ。それで、あんたがサンゴを庇って直撃したの。わかる?」

「ああ、何となく覚えてる……。うん、よく生きてた。完全に死んだって思った」

「で、その時に折れ曲がった鉄棒の先端が、あんたの目に当たって、ざっくりと刺さっちゃって」

「うわぁ、痛い! 聞くだけで痛い!」

「今は神経回線切ってあるから別に痛くないでしょ?」

「精神的に痛いよ!」

「ギリギリ重要回路を避けていたから、何とか生き延びたのよ」

「本当に間一髪だった……」

 きっとサンゴが緊急事態ということで、よて亭の皆に通信を送ったのだろう。定休日だったとはいえ、まさか全員で来るとは。

(それだけ心配かけた、ってことか)

 少しばかり反省した。ハカセがあれだけ不穏なことを言っていたのだから、もう少し警戒しておくべきだったのだ。

(大体、あんなビルの上から、重い鉄材が落ちてくるなんて不自然すぎる)

 割と楽観的なアオでも、それが異常な状況だということくらいわかった。ひたすら右往左往しているルビィと、それをなだめているシオンはともかく、ヒスイは恐らく、何かがあったと気づいているだろう。しかし彼女は、表面上は平静に見えた。

「他の怪我はパーツ交換や応急処置だけでどうにかなる範囲だったから良かったんだけど、目のパーツだけあんたが使っているのがなくって。取り寄せになるからしばらく片目しか使えないけど、我慢しなさいって話。一応近場の街に在庫がないか確認してるって」

 アオは自分の顔に手を当てる。確かに顔の右半分が包帯で覆われていた。視界が狭くなっている原因はこれだ。

「サンゴは無事だった? ここにいないみたいだけど」

「あの子は、足を少し怪我したのよ。それでもあんたが庇ったから、足首交換だけで済むって。でも、サンゴの足のパーツって特注しないとダメみたいでね。今、素材とか注文しているところよ。特急で仕上げてもらうっていってたわ」

「そっか。もうちょっと早く動けていたら、サンゴも無傷で済んだかもしれなかったけど」

「じゅうぶんでしょ。自分の心配をしなさい。身体の半分くらいパーツ入れ替わっているから、なじむまで安静にしていなさいって」

 ヒスイの説明を聞きながら、まだぼんやりとしたままの頭の芯が休眠を欲するように明滅する。意識がぶつりぶつりと、不自然に途切れた。

「何かすごーく……眠いんだけど。これも身体が慣れてないせいかな」

「眼球パーツを片方だけ外した状態だから、過負荷が続いて身体機能が鈍るって言ってたわよ」

「あー、なるほど。つまり、俺はオーバーヒート中なわけだな」

 そういえば、体が無性に熱い。夏の日差しが強い日に、冷却が上手く行かなくて目を回している時の感覚に似ている。

「寝ていた方がいいわよ。無理すると、それこそ煙噴くかもしれないし」

「そうだね……。寝ておくかな」

 言っているそばから、アオの意識はゆっくりと闇へと引きずり込まれていた。

 何度かの明滅を繰り返して、視覚情報が遮断される。休眠司令が行きわたって、周囲の音も遮断される。

 音も光もない世界に落ちたその先、ゼロとイチでできた情報の海まで沈んでいく。


 沈んで、沈んで、深みに至り、澱む。

 記憶情報の断片が繋がりあって半端に復元され、意味を成さない視覚情報と音声情報を生成する。それが、ヒトの見る夢。そのはずだった。

 今までどうして気づかなかったのだろう。

 断片であっても情報は情報であり、それは記憶として記録された真実であることに。

 支離滅裂なシャッフルで構成された情報も、きちんとした順番に並び替えさえすれば、正しい記憶になるのだと。浮かびあがった情報が、不要なものだとは限らないことを。

 その時まで、アオは何も気づかずにいたのだ。



 その頃、病院裏にある古びたビルで、ギンは通信ウィンドゥで連絡を取り合っていた。『幽霊』のネットワークはカイセイの各所にある。今は連絡をとりあってこの病院の近くに仲間を集めている最中だ。

 『幽霊』は案外普通のヒトに混じって生きている。『生前』と顔や姿を変えて、ただ別人として街に溶け込んでいる者もいれば、ギンのように姿や名前を変えずに、普段は隠れて生きている者もいる。

 ギンも一体カイセイの街にどれほどの幽霊がいるのか、正確に把握しているわけではなかった。ただ、頻繁に連絡を取り合うのは五人ほどで、その五人にも連絡をとりあっている別の五人がいる。そういう風に枝分かれしたネットワークを伝って、顔も知らない誰かに協力を乞うのだ。

「いやしかしさ、完全に後手に回ってるじゃねえか。大丈夫かよ、ギンさんよぉ」

 悪態をつくその相手に、ギンも悪態で返した。

「まさか昨日の今日で、あの二人がまたあんたを訪ねるなんて思わないだろう。というか、あんたこそ、昨日の今日でもう張り込みされているのはどういうことだ?」

「まぁ、前から連中に目をつけられてたからな」

「他人事のように言うな。あと、その外見でその口調はやめろ」

 ギンは通信画面をクローズし、後ろに立つヒトへと目をやった。

 鮮やかすぎる、一度見たら忘れられなくなるような虹色の髪。豊満な胸部パーツにくびれた腰、白衣とスーツといういでたちのこの女性は、中身はハカセである。

「あらぁ、本当にいいのぉ? 外見の通りの口調でぇ……」

 甘い声でくねっとしなをつくるハカセ(女体)に、ギンは壮絶な気持ち悪さを覚えた。なまじ美人なだけに、髪の色のセンスの異常さと中身とのギャップに戦慄が走る。

「逃亡用に別の身体を持っているというのにも呆れたが、酷いセンスだな」

「アオの私服には負けるわよぉ」

「あいつは無頓着すぎてダサいだけだ。あんたの美的センスははっきり言うとヤバイ」

「失礼だな、オイ」

 女性のフリを放棄して素に戻ったハカセが、女性の身体なのも忘れたかのように埃だらけの床であぐらをかいた。

「アオは生きてんのか」

「死んではいない。大破したから、相当パーツを入れ替えているみたいだが。サンゴの方も多分、パーツは入れ替えてるだろうな。あいつ、特殊型のボディだから」

 アオとサンゴの怪我の状況については『幽霊』仲間から報告をしてもらっている。ヒメの無事も同様に。よて亭には仲間を数人配置していたから、連絡を受けたメンバーとヒメが病院にかけつけるまで、護衛をしてもらっていた。

 それだけに、ヒメにばかり注視してアオとサンゴ個人が狙われる可能性を失念していたのはギンの手落ちだったと言える。ヒメを連れていて、ハカセとコンタクトを取っていた時点でもっと警戒すべきだった。

 もしアオとサンゴが再起不能な状態になっていたら、記憶回路だけ抜き取られて情報を盗まれたかもしれない。破損した回路でも、記憶情報の一部を複製コピーすることは可能だ。

「次はこんなことはさせない。あいつらはちゃんと守る」

「それはいいけどよ。あいつらどうすんだ? 『天国』に来ちまうかもしれないぜ?」

 ハカセのその言葉は、ギンが最も懸念していることのひとつだった。

 サンゴはまだ、大丈夫かもしれない。ただ、アオはかなりの破損だったから、危険だ。

 ――ヒトが『天国』に行く条件を、彼らはまだ知らない。

 脳裏に浮かぶのは、恋人と別れた日のこと。あの日、ヒスイが平手打ちと共に放った言葉のこと。

「来ないでくれ……頼むから」

 どうするか、どうすればいいのかを、ギンだって知りはしない。

 ただ、彼らの日常が壊れないように祈ることしかできないのだ。

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