第12話 ギン
翌日はよて亭の定休日だった。
ハカセからの忠告を素直に聞くことにして、アオは今日、外出せずにヒメと過ごすことに決める。食べ物に関しては、昨日パンと焼き菓子を買い置きしているし、ヒスイが分けてくれた魚のグリルもある。
(遺跡の本でも読むか……何か手がかりがあるかもしれないし)
とはいっても、一度読んだものなのだから全て情報としてインプット済みだ。ページを指定したら、図面や写真だって寸分の違いもなく脳裏に蘇る。
「アオ、今日はどこにもいかないの?」
「はい。今日はおうちでゆっくりしましょうか」
「えー」
ヒメは退屈なのだろう。ベッドの上に寝転んで足をぱたぱたと動かしている。これは本を読んでいるわけにはいかなさそうだ。我が家のお姫様は遊び相手を所望している。
(そのうちサンゴやルビィたちが来るかな……そしたらそれこそ読書どころではないな)
心の中でぼやいていると、耳の奥で通信音が鳴った。右手をかざすと通信画面が空中に表示される。ヒトにとっては見慣れた通信画面だが、ヒメにとってはもちろん初めてみるものだ。記憶にもないだろうし、記憶があっても恐らく見たことはないだろう。個人間で直接通信する技術が導入されたのはここ十数年だ。できる技術はずっと前からあったのだが、セキュリティ対策を考えるとコストがかかる。結局、ごく限られたヒト同士でのコミュニケーションツールとなっている。アオもよて亭の仲間としか通信コードを交換していない。
(しまった、これ。ハカセと交換しておけば……いや、ハカセはこれ、使わないか)
合理的と非合理的を分けるのには、ハカセなりの基準があるらしい。アオにはよくわからない。ただ、データを紙で残すことを好む彼は、電子コミュニケーションツールを必要とするとは思えなかった。
通信はシオンからのようだ。
基本的に同じ建物に住んでいるので用事があれば遠慮なく押しかけてくるのだ。だからこのツールは、買い出しを頼んだり、緊急で店に駆けつけて欲しい時など、そういった場合以外で使われるころはあまりない。
特にシオンが通信してくるのは珍しい。よて亭自体が休みなのだから店のことではないだろう。
【From:SHION 話がある】
シンプルすぎるメッセージだった。
【From:Ao 直接だとまずいことか?】
【From:SHION ルビィにきかれたくない。ギンのこと】
【From:Ao わかった。ヒメを連れてきたくないんだけど】
【From:SHION アオとスキルデータ取得に行くと言った。ヒメはルビィに任せていい】
【From:Ao 了解。】
シオンからの返信はそれ以上なかった。恐らく、しばらくしたらルビィが喜々としてやってくるに違いない。
(それにしても、ギンのこと、って。このタイミングで)
何か因果めいたものを感じるのは、ハカセの話が尾を引いているからだろうか。
ヒスイもハカセも、『天国』の何かを知っているのは間違いない。
ヒトが『天国』に行く理由は、永遠に近い時間を生きることに疲れたとか、そんな単純な理由ではなかったのだろうか。でも、確かにギンはあんなことになる少し前までは、普通によて亭で皆と一緒に笑い合っていたのだ。ヒスイとの夫婦喧嘩も、名物みたいなものだった。
楽器が弾けるアオを店に誘ってくれたのもギンだ。ジャンク街近くにある骨董屋の店先でギターを弾いていたアオを、彼が見つけた。同じ顔の二人が並んで演奏したら面白いだろうと言って。実際、サンゴが来るまでは客のリクエストでニンゲン時代の古い歌を奏でるのがよて亭の売りだったのだ。同じ顔の色違いだったアオとギンは兄弟のようだった。
サンゴがきて、ルビィとシオンがやってきて、ギンは皆の兄貴分だった。皆がヒスイとギンの弟で妹だった。血縁が意味をなくしたこの世界で、よて亭の仲間は家族も同然なのだ。
「アオ、どうかしたの?」
気づいたらヒメがすぐそばにいて、少し心配そうな顔でアオの顔を見上げている。
「いえ、大丈夫です。俺はこれから用事があるのででかけますよ」
「じゃあ、ヒメも行く」
「ヒメはお留守番です」
「やだ、行く!」
「かわりにルビィが遊んでくれます。それと、いい子でお留守番ができたらおやつをプレゼントします」
遊んでもらえるとわかったからか、それともおやつが効いたのか。ヒメはぷうっと頬を膨らませたものの、それ以上ついていくとごねることはしなかった。最初は思い通りになると物を放りなげていたのに、ずいぶんと聞き分けがよくなったものだ。よて亭の仲間に構い倒されて、心にも余裕ができたのかもしれない。
ほどなくして、インターホンが鳴った。ドアを開けると、ルビィが「よっ」と片手をあげてニカッと笑う。
「お姫様のことはあたしに任せろっ」
「お、おう……」
若干不安が残る。すっかりルビィにも懐いたヒメが嬉しそうにしているので、問題ないだろうと納得した。暴走気味なのはともかく、ルビィは陽気な少女だ。付き合い方さえわかっていれば、話し相手としてはいうことなしだろう。
「シオン、玄関の外で待ってるよ。ちゃんと使えるデータ買って来てよね、ファッションセンスとか!」
「あー、はいはい、行ってくるよ」
ルビィに鍵を預けて、アオは部屋を出た。三階建てで、一つのフロアに二部屋しかないこの社員寮の隣は現在空き部屋だ。正確にはギンが住んでいた部屋で、今でもたまにヒスイは出入りしているようだった。そのギンの部屋と、アオの部屋のちょうど中間くらいの壁に背を預けて、シオンは立っていた。じっとギンの部屋の方を見ている。
「じゃ、行くか」
アオが声をかけると、シオンはギンの部屋から目を離す。黙ってうなずいて、先に歩きはじめた。普段から無口だが、ルビィがそばにいないと彼はますます喋らなくなる。作業も黙々とする方だ。手品もほぼサイレントショーである。
結局、スキルを購入できるデータショップに行くまで、シオンは一言も話さなかった。自動運行トロッコを使わなかったところを見ると、彼なりに話を切り出そうとしつつも、どうにもきっかけをつかめなかったのかもしれない。気にはなったものの、こちらから聞きだして言いものかもよくわからない。シオンがわざわざアオだけを呼びだしたのも気になるし、昨日のハカセの言葉が引っかかっていたからだ。
ハカセがヒメのことで、本来関係ないはずの『天国』に言及したことと、このタイミングでシオンがギンの話を切りだしたことが、頭の中で繋がりそうで繋がらない。もやもやともどかしい想いを抱えながら、徒歩二十分。二人は繁華街の片隅にあるデータショップにたどり着いた。
シオンは普通に紙幣を投入してデータ販売機を操作しはじめる。まだ切り出す気はないらしい。そしてまた新しい手品のスキルを買うらしい。確かに他のものに比べて安かった。
「アオも何か買う?」
「ファッションセンスはある?」
「ない」
「残念。じゃあ、持ち込みのでいいかな。ブース代だけ払うよ」
ハカセからもらったスキルをインストールするのにちょうどいい。アオはブースの使用料だけ払うことにした。ウィルスが検知されなければ、持ち込みのデータインストールもできるのだ。結構ザルなシステムである。市民法に反していなければグレーゾーンでも切り抜けられる。
「手持ちのデータあるの?」
「うん。もらいもので。護身術みたいなやつだってさ」
「ヒメを護る騎士にでもなるつもり?」
「シオンってたまに言動がメルヘンっていうか、妙に詩的になるな」
「そうでもないよ」
彼は真顔で淡々とそう答える。どこまでが冗談なのかいまいち読めない。
「ヒメのことでジャンク街に行くことあるかもしれないし。護身術くらいはできた方がいいと思ったんだよ。俺の素体でどこまで使えるかはともかくね」
元々、楽器演奏やこまごまとした雑務に向いている身体だ。サンゴのように運動能力が高くて身軽なわけではないし、シオンほどは器用でもない。屈強なボディに変えたらもう別人になってしまうし、今度は楽器演奏の適正が失われる。機械の身体もやはり、万能ではない。
「なるほど。わかった。行こう」
シオンが指差したのはインストールユニットの二人席だった。なるほど、これなら確かに誰かに見られることはない。
インストールブースにはリクライニング式の椅子が並んで設置されている。情報を取り扱う関係上プライバシーにも配慮されているから、回りの目や声も気にならない。
気になるとしたら、シオンがここまでした意図だが。
購入したデータのカードをリーダーに通すと、ケーブルを充電コネクタに挿して椅子に身を投げ出した。隣でシオンが同じように椅子にかけるのを確認する。
「それで……ギンが何だって」
「この前、ここで見かけた。手品のスキルを追加しにいった時に」
「……はぁ!?」
「アオ、声大きい」
「あ、ごめん……」
声のトーンを少し落として、アオはもう一度、今さっきシオンの口から放たれた信じがたいひとことを、脳内で再生した。
ヒトの脳は記憶回路だ。ピンクの柔らかい細胞だった頃と違って、一度記録したものが曖昧に書き換わったりはしない。ましてやそれがつい最近のことで、見た相手が知り合いならば、曖昧になることはないだろう。
間違いない。彼は確かに「ギンを見た」と言っている。『天国』で死を迎えたはずのヒトを。
だけど、心の片隅で納得していた。
死ぬために行くのに、目的があるような素振りだったギン。恋人が死地に行くのを止めなかったヒスイ。『天国』がまるで実在する場所のように語ったハカセ。
もし『天国』が死ぬことをぼかした表現にしたわけではなくて、本当にそう呼ばれる場所が、何かがあるのだとしたら。
「僕も近くではっきりと見たわけじゃないけど……多分、ギンも持ち込みしてた」
「持ち込み……何のデータだったんだろう」
「わからない、けど……アオみたいに、身体強化系のスキルだったのかも」
「どうしてそう思う?」
「知識系のスキルだったら、持込みする必要がないから」
「ああ、それは一理ある」
ジャンク街は多少危険をともなうが、カイセイは平和な町なのだ。身体強化系のスキルは基本的に売っていない。力仕事をするヒトは最初から専用の素体を用意するし、あまりにも力が必要なことは、自律意思を持たない専用ロボが行う。必要とされていないのだから、売っているわけがない。趣味にすらならないから。
だから持ち込みされるデータは、ごく一部のものに限られるのだ。
ギンは何らかの目的で『天国』に行った。それには危険がともなうので、一時的に街に戻ってスキルデータをインストールしていった、と考えるのが自然だろう。案外カイセイの街のすぐ近くに潜んでいるのかもしれない。
「しかし、それだと『天国』っていうのはずいぶん危ないところだな」
機械化されたヒトの社会では、危険な場所というのそれほど多くない。過度な欲望を持つこともなく、淡々と働いて淡々と日々を謳歌する。だからごく一部を除き攻撃的なヒトはいない。物理で暴力に走る事態になっているのなら、それは『病気』と認識される。感情回路の不具合だ。『天国』は病人の巣窟だとでもいうのだろうか。
「アオ、これは僕の勝手な推測だけど」
シオンは椅子に座って天井を見つめたまま、小さな声でささやくようにつぶやいた。
「ヒスイ姉さん、ギンがまだ生きてること、知っていると思う」
「……奇遇だな、俺もそう思うよ」
ヒスイは「考えすぎるとギンみたいになる」と言った。
ハカセは「天国はいいところじゃない」と言った。
ヒスイとハカセは面識がないはずだ。おそらくギンだってハカセのことは知らない。少なくとも、ギンもアオの趣味に関しては「物好きなやつ」と評価していた。遺跡に興味はなかったのだ
ギンとヒメ。繋がるはずのないものが、昨日からずっとアオの思考にひっかかっている。ノイズとなってクリアな思考を邪魔してしまう。
(ハカセに『天国』のことについて、もっと聞いておけばよかった)
ちょうど、ヒメはルビィに預けているところだ。昨日のこともあるからサンゴには一応連絡を入れて、この後出向いてみてもいいかもしれない。
「教えてくれてありがとう、シオン」
「ううん。ヒスイ姉さんには言っていいかわからないし、ルビィはこういう隠し事にむかないから」
「そうだろうなぁ」
別にルビィが言いふらすとは思っていない。ただ、彼女の性格的に、ヒスイに相談しようと強硬に主張することは予測できる。
ルビィは意外に心配性だ。ヒメのことも初対面で病院だなんだと大騒ぎしていた。好き勝手自由に生きているようで、彼女は本来世話好きの優しい子だった。
ちょうどそこで、ほぼ二人同時にスキルインストール完了の表示が出た。自動的にコネクタが外れて収納される。ボディのパーツを変えていないので「強くなった」などという気分には全くならないのだが、もしものことがあった時の保険が手に入ったという安心感はある。ハカセの合理的と非合理的の基準はかなり謎だが、少なくとも彼は無意味だと考えていることはしないのだ。アオにこのデータを渡そうと思った、確かな根拠があるのだろう。
「ギンのこと……気を付けてみるよ。ヒメのこともあるから、積極的に探すってことはしばらく無理だろうけど」
「うん、そうだね」
シオンは珍しく、少しだけ寂しそうな顔をして頷いた。
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