第11話 『天国』と『幽霊』

 アオたちが去った後。

 書類に埋もれた部屋の中で、ハカセは深いため息をひとつ。

「ああ、また息も吐いていないのにため息だ。ヒトは合理性を求めてこの姿になったとかうそぶく癖に、非合理的にニンゲンのマネばかりするようにできてやがる」

 いらいらとした様子で、彼は靴のかかとを床に擦り付けた。ゴリゴリと固いものがつぶれる音がする。散らばった小さな機械の残骸が彼の靴の裏から剥がれ落ちた。

「もう嗅ぎつけてやがる。こりゃ、アオの見つけたっていう遺跡も調べが済んでいるんだろうな」

 踏みつぶしたのは超小型の偵察機だ。恐らく、アオたちを追って入り込んだのだろう。あのニンゲンの少女を街に出さないようにと釘を刺しておいたのだが、完全に手遅れだ。すでに勘付かれている。

 アオの職場は人の出入りが激しいし、済んでいる場所も社員寮で従業員がほぼ常駐している。今日話した内容を考えれば、アオもヒメを一人で留守番させるような真似はしないだろう。恐らくすぐに手を出しはしないだろうが、早めに彼女を見つからない場所へ退避させた方がいい。

 ハカセにはアオにそこまでしてやる義理はない。が、生きているニンゲンを拝めたことに関しては研究者として多大な感謝をしたいところだ。いけすかない連中に、貴重なニンゲンを渡すくらいなら、アオを幇助するほうがよほどいい。

「しかし、実際に生きたニンゲンがいたってんなら、探せば他にも見つかるかもな。なぁ、どう思うよ、アオのそっくりさんよ」

 ハカセが振り返ると、そこにはアオとそっくり同じ顔をした青年が立っている。違うのは紫がかった銀色の髪と、ファッションセンスくらいのものだ。といっても、アオが無頓着すぎるだけで、彼も洗練された格好をしているわけではない。サルベージャーが好んで着るような、実用的な作業服を身にまとっていた。

「そっくりさん、じゃない。同じ顔をしているのなんて、別に珍しくもないさ」

 アオのそっくりさん――ギンは、少しだけ気まずそうに髪をがしがしとかきむしる。ニンゲンじみたため息をつくと、肩をすくめてみせた。

「だが驚いた、あんたがアオと知り合いだったとは。アオの奴は遺跡マニアだが、旧人類学者とはあまり仲が良くないみたいだったからな」

「知りあい歴はあんたより長いぜ。っていうか、あのサルベージャー共と結託してる妄想学者共と一緒にすんな」

「妄想学者、とはな。まぁ、否定はしない。俺もあいつらは嫌いだ」

 ギンは書類の山が積み重なった箱に、勝手に腰を下ろした。

 普段ならば書類がしわになるからやめろと言いたいところだが、今日ばかりは許した。どうせすぐに処分をしなければならないものだからだ。注意をするかわりに、話題を変えることにした。

「あんたこそ、馴染みの顔なら名乗り出てやれば良かったんじゃないのか? あいつら、身内から天国行きが出てさぞ凹んでいただろうによ」

 ギンは『天国』に行った。だから公的には、すでに死んだことになっているはずだ。彼の配偶者であったヒスイがきちんと届出をだしていれば、カイセイの住民登録も抹消されているはずだ。

 『天国』行きをしたヒトは、基本的に届け出を出されたら存在抹消者として、処理される。個体番号が削除されるから、途中で気を変えて生き延びたとしても、社会的に死ぬ。もちろん、本人の申請と存続証明が受理されれば住民権は復権できるのだが、多くはそんなことはしない。

 普通に死ぬか、死んだことにして密かに生き続けるかだ。

 ギンのように、『天国』行きをしたまま生き続ける一部のヒトは、『幽霊(ゴースト)』を名乗っている。『幽霊』には『幽霊』のコミュニティが、きちんと機能しているのだ。死にきれなかった者たちが生きるべき場所が。

「アオたちと会うわけにはいかないさ。俺のやってることに巻き込みたくはない。そのためにけじめだってつけてきた」

「そうかい。だが、アオとあの嬢ちゃんはとんでもないもんを拾ってきた。嫌でもこれから巻き込まれるぜ?」

 揶揄するようなハカセの言葉にも、彼は答えない。

 数日前、つい最近、湖で発見された遺跡のことで、『ニンゲン』信者ではない研究者の見解を知りたいと訪ねてきたのがこの男だった。馴染みの顔と同じ素体なことに驚いた。アオから、職場に同じ素体を使った先輩がいるとは聞いていたからだ。同じ素体そのものは珍しくなくても、髪以外に特にカスタマイズされていない素体が二人揃っていることは珍しい。ハカセは彼が誰かのか、すぐにわかった。

 必要以上の詮索はしていない。だから、今になってギンが彼らと知り合いであることに、さも驚いたようなフリをする。

「アオたちのことは、俺が仲間と連絡をとって何とかする。少なくとも、店には手出しさせない」

「おう、そうしときな。あんたも俺も、なじみの顔が被害こうむるのは見たかねえだろ」

「そうだな」

 店の方は、ギンがどうにかするという言質が取れた。後顧の憂いが一つ減ったとなれば、ハカセにはまずやらなければならないことがある。

「さて、と。ここは気にいってたんだが……根城を変えなきゃならねえな」

 もう一度、非合理的なため息をつきながら、ハカセは女性素体を担ぎ上げた。この場所は知られている。つまりここは破棄する必要があるということだ。

「次はどこに行くかねぇ。拠点はいくつかあるけど、ここほど便利じゃねえんだよな」

「この大量の紙束はどうするんだ。持っていくのは非合理の極みだぞ」

 呆れたように言うギンに、ハカセは鼻で笑った。

「ただの紙じゃねえよ、安心しな」

 ハカセがデスクを蹴り飛ばす。五・七・五のリズム。

「わっ!? 何だ!?」

 ギンが異変に気づいて立ち上がった。

 膨大な量の紙の束は、無人の城の中でつぎつぎと黒く変色、劣化して保管されていた箱ごと崩れ去っていく。先ほどまでギンが座っていた箱もしかりだ。

「処分が面倒なのが紙媒体の難点だな。また新しく特殊用紙と印刷をしなきゃならんと思うと、少しばかりは電子のありがたみがわかるってもんだ」

 虹色の髪の女性素体を抱えたまま、ハカセはぼやく。しかし、彼はそれでも紙媒体というロマンを捨てる気はない。そういう意味では、やはりハカセはアオと似たもの同士である。

「ゴミ処理をするビルの業者に同情しておく」

 ギンは崩れゆく紙束を眺めながら、ハカセのロマンを淡泊にそう評した。

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