第10話 そこは素敵なところですか?
――ヒメが、『旧人類』の生き残り。
「へぇ……そうなんだ……って、えええ!?」
今度はアオが素っ頓狂な声を上げたので、ヒメは驚いてサンゴの方へと退避する。
しかし、アオも今この瞬間ばかりはヒメに構っていられなかった。
「冷凍睡眠ユニットって、ニンゲンがいなくなってからどんだけ経ったと思ってるんだよ、装置が生き残っているわけないだろ?」
実際、行き残っていたからあの時起動したのだが、そこまで考える余裕はなかった。どれだけ少なく見積もっても、二百年は経っているのだ。電力供給が生き続けていたことが奇跡というしかない。更に、そこに入っていたニンゲンの生命維持ができている可能性なんて――。
「なぁ、アオ。お嬢ちゃんがトイレに行ってるところ、見たか?」
「え? 入ってくとこは見たけど」
ハカセは急に突拍子もない話題の転換をした。アオも思わず素で答える。
「最中は?」
「見るかよ!! どいつもこいつも俺を幼女愛好家みたいに言いやがって」
「見とけよ、そこは。お前の女の趣味なんてクソどうでもいい。問題はトイレの使い方だよ。俺らにとってトイレは、飲食で摂取した物をエネルギー化した後の残骸を捨てる場所だが、きっとお嬢ちゃんにとっては違うぜ?」
言われてみれば、排出口から出して流すだけなのに時間がかかっていた気がする。ヒメは、少なくともフォークやスプーンの使い方などの生活記憶を失ってはいない。ニンゲンの時代からトイレの形状はかわっていないはずだから、わざわざトイレのことでアオを呼びつけることはなかった。
違和感があった様々なことが、「かもしれない」という楽観的な推測が、理由を見つけてアオの思考を混乱させる。情報の処理が追いついていない。
「だけど……そんな……なぁ?」
「だが、お前もその子が『旧人類』かもって思ったからここに来たんだろう?」
「そ、それはそうだけどさ……」
確かにヒメがニンゲンかもしれないと思っていた。
だけどいざこうやって、あっさりと肯定されてしまうと、急にどうすればいいかわからなくなる。ヒメがニンゲンなのが確定なら、ロマンなどと言っている場合じゃない。
この機械だらけの社会で、ニンゲンの彼女は成長し、老いていく。機械には無縁の怪我や病気にも悩まされる。『旧人類』研究者から狙われることだってあるだろう。
漠然としていた懸念が、急に現実となって肩に重くのしかかる。
ニンゲンがヒトになって克服した様々なものを、彼女はこれから独りで背負っていく。
――自分は、大変なものを『発掘』してしまった。
「なぁ、姉ちゃん。ニンゲンの時代が終わって約二百年。なぁ、何でニンゲンはヒトになったんだと思う?」
ハカセは動揺して硬直しているアオを放って、サンゴの方に話を振る。
「姉ちゃんじゃないわ、サンゴよ。そんなの、誰でも知ってるわ」
ヒメをなでてやりながら、彼女は少し感情的な声音でそう言って、ハカセを睨みつけた。
「隕石による未曾有の津波、海面上昇被害で壊滅したんでしょう? 生身のニンゲンの多くはシェルターに入ったけれど、目覚めてくる人間はいなかった。すでに機械化されていたヒトは耐衝撃防水シェルターに入るだけで良かったので、六割くらいは生き残った。新しく生まれたヒトだって真っ先に情報データを叩きこまれる、社会常識よ」
機械化はあくまで『旧人類』時代においては、自由意志で行う施術だった。地球上の全人口の三割もいなかったはずだ。しかし、三割の六割は生き残り、三割に含まれなかった昔ながらのニンゲンは絶滅した――とされている。災害の規模が当初の予定を上回っていたのか、冷凍睡眠シェルターでの避難は付け焼刃でしかなく、それでも一縷の望みにかけていたのか。とにかく、大隕石災害がある程度収束した頃には冷凍睡眠シェルターの多くは、復帰システムを使うこともなく海の藻屑となっていた。
ニンゲンは消えた。ヒトしか生き残れなかった。
生き延びることができたヒトビトは、まずはライフラインとして各所の電力供給システムを復帰、または新設し、次に部品工場を幾つも作った。百年ほどかけてゆっくりと整備されていって、今の安穏と停滞が支配する機械社会ができた。
それがこの世界の歴史だ。誰も疑ったりはしていない。
「……今はその認識でいい。あながち間違ってもいない」
ハカセはサンゴの言葉を否定することはなく、そのまま続ける。
「冷凍睡眠シェルターは大半が破壊されて残っていない、残っていても残骸だけだ。そう考えられていた。だが、実際には公表されていないだけで、シェルターと冷凍睡眠ユニット、それと……中にいたニンゲンが見つかった例がある」
「えっ?」
実例があると聞くと、さすがにサンゴも少し動揺をしたようだ。助けを求めるようにアオを見るが、アオとしても何とも言いようがない。混乱しているのは同じだ。
ハカセはデスクの収納ボックスから、紙束の一つを選びとった。少し考えてから、それをサンゴではなくアオに渡す。
「読め。結構グロいから、そっちの姉ちゃんは自己責任でな」
「俺はいいのかよ」
ぼやきながら、紙をめくる。後ろから覗きこんでいたサンゴが「キャッ」と高く短い悲鳴をあげて、数歩後退した。
写真があったのだ。黒い、楕円球体のユニットの上部が開いている装置。その中で、腐食して溶けて、骨が露出した状態で干からびた『ニンゲン』の遺体が横たわっている。
「そのお嬢ちゃんは、そうとう運が良かったな。普通は見つかってもこうだぜ」
あの、部屋中に敷き詰められていた装置。あの中には全てニンゲンが詰まっていて、そして、中にはこんな風に変貌したニンゲンの残骸が詰まっていたんだろうか。
そう考えてみると、頭の奥にノイズが走るような気持ちになった。
冷凍睡眠ユニットの群れが、今のあの場所に敷き詰められている。
シェルターが開いて地面に大きく穴が空いた形になっているのに、あれから噂になってもいない。だからアオが行って以来、あの湖に近づいたヒトはいないのだろう。
それが良かったのか、悪かったのかは判断できない。だが――。
「あの……俺が見つけた遺跡にはもっとたくさんの装置があったんだけど、もしかしたらもっといたんじゃないのか? ひょっとしたらヒメの家族もいたかもしれない」
「それは諦めな」
きっぱりと斬り捨てられる。
「研究結果が出てる。冷凍睡眠ユニットは、解除する時は一斉だ。その子のユニットしか開かなかったんだったら、他のユニットはもう死んでるだろう」
「そ、そうか……」
何だか気が抜けてしまって、アオは床にへたり込んだ。
もうどうすればいいのかわからない。ヒメはニンゲンで、ニンゲンの生き残りは彼女だけで……これから彼女をどうやって育てて、守っていけばよいのだろう。少なくとも盲信的な旧人類学者に渡せば、ヒメの未来は閉ざされる。
「とりあえず、俺がアドバイスできんのはそのお嬢ちゃんはなるべく街中にはつれてくんな、ってとこだな。子供は目立つ。メシのこともあるからお前んとこの店に連れて行くのは仕方ねえだろうけど、くれぐれも客に見せるなよ。噂になったらニンゲン大好き野郎共が推しかけてくるぜぇ」
「わかった……」
アオはただ茫洋としてうなずく。泥のように疲れた。頭の中で情報がまだ錯そうしている。処理で動作が鈍っている自覚もあった。どうしようもない。
「アオ、元気ないの?」
ヒメがアオの髪をくしゃくしゃと撫でる。癒されるが、彼女が悩みの主要因でもあるので、少しだけ苦笑いをしてしまった。
「大丈夫ですよ。俺は元気です。ちょっと疲れただけですよ」
「私も疲れたわ……何か頭がパンクしそう。結局ヒメちゃんが本当にニンゲンっぽいってことがわかっただけで、特に疑問に対する答え、出てないよね」
サンゴが大げさにため息をついて、近くの段ボール箱にのしかかる。がらどっしゃん。微妙なバランスで乗っていたらしい。サンゴと一緒に段ボール箱の山が崩れていく。
「あー! 何してんだ!」
「え? 大丈夫、サンゴ?」
「だ、大丈夫だけ……ど、ひぎゃぁぁぁ!」
よて亭の看板舞姫ともあろうものが、女子力を亜空間に投げだした悲鳴である。
悲鳴の原因は、段ボールと一緒に倒れ込んできたあるもののせいだった。様々な色の人口毛を植毛して作り上げた、一度見たらまず忘れられないであろう独特のレインボーカラーの髪。豊満な二十代半ばくらいのセクシーな女性の身体……をしたヒトの死体。
「やだ、やだ何これ!」
「俺だ」
「はぁ!?」
ハカセが立ち上がり、虹色の髪の女性素体を引っ張り上げる。
「これは俺の着替え用だ。データ入れ替えだけで性別も変わる便利な世の中だな。そういえばアオと会った時はこっちの身体だったか」
「中身がオッサンでがっかりだったよ」
「現代のヒトにおっさんもクソもあるか。かつてのニンゲンの基準で言えば、どいつもこいつもジジイとババアだよ。俺がおっさんになったり姉ちゃんになったりするのは些細な問題だ」
「些細じゃない。全然些細じゃない!」
段ボールの中から這い出してきたサンゴが、むすっとした顔でヒメの手を取った。
これは完全に不機嫌モードだ。
「帰ろう、アオ」
「サンゴの疑問に答えはまだ出てないけど」
「また今度!」
ぷりぷりと怒りながら、ヒメと一緒に勝手に出て行ってしまう。アオはため息まじりで、それを追いかける。出入り口のそばで振り返ると、ハカセは抱えた女性素体の手を持ち上げてバイバイと振ってみせる。
「相談事ならのってやるぜ。お嬢ちゃんのことで困ったら聞きな」
「頼りにはしてるよ。うん」
「あと、これは餞別だ」
黒くて小さな何かを投げられて、アオは慌てて空中でキャッチする。掌を覗いてみると、それは記録チップだった。
「何のデータ?」
若干うろんな眼差しを送りつつ尋ねると、彼はにっと笑って親指を突き立てる。
「表じゃ手に入らないスキルデータだよ。インストールしときゃ役に立つかもしれないぜ」
「俺を壊す気か!」
思わず投げ返しそうになったが、ハカセはすぐに真剣な顔になって、追い払うかのように手の甲を振る。
「今日はもう帰れ。ウィルスとかは入ってねえよ。単なる身体強化系スキルだ。表のデータ屋じゃお上品なスキルしか売ってねえだろが。お前みたいな凡庸な素体でもギリギリ無理なく動かせるように調整してる。お嬢ちゃんのためにも持っておきな、護身用だ」
ヒメのことを引き合いに出されると断るわけにもいかない。それに、確かにニンゲンであるヒメは色々と危うい立場にあるから、何かしら役に立つことがあるかもしれなかった。アオの持っているのは音楽スキルばかりだ。実に荒事の役に立たない。
「わかった、もらっとく。じゃあな」
踵をかえし、サンゴたちが待っている廊下へと歩いていく、その背中に。
「あと……一応忠告しておくけど、『天国』はそんなにいい場所じゃないからな。行こうなんて思うなよ」
ハカセのそんな言葉が降ってきて、しかし真意を問い返す間もなく、ドアはスライドして閉じられた。今のはどういう意味だと問いただしたいところだが、きっと今日はもう扉を開けてはくれないに違いない。
サンゴとアオとで、顔を見合わせる。ヒメの話ばかりしていたから、ハカセにはギンのことやヒメの世話をしている時に感じた違和感のことは説明していない。
いくら博士が情報通で勘が良かったとしても、アオとサンゴの個人的な会話を推測することなんてできやしないだろうし、そもそも彼はギンとは顔見知りではない。
それなのに『天国』の話を持ち出したのは何故だろう。
(ニンゲンと『天国』に関わりがある……とか? まさかな)
わけのわからない不安にかられて、アオはヒメの頭をくしゃくしゃと撫でる。彼女はなにやら不思議そうな顔をして、アオを見つめていた。
「どうしましたか?」
「ねぇ、アオ。『てんごく』って、どんな場所?」
その疑問に、どう答えれば良かったのか。答えは出なかった。
かつてサンゴに言ったように、適当に『素晴らしい所』なんて答えることはできなくて。終わった後の何もない世界だと答えることすら、本当のことではない気がして。
「行ったことがないですから、俺にもわからないですね」
悩んだ末にそう答えた。
「そっかぁ」
ヒメは素直に納得してくれたようだ。
だけど、何故だろうか。彼女がいつになく寂しそうに見えたのだ。
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