第9話 自称博士のいうことには

 ――忘れるべきだ。

 今すぐ、ここでしたことは全てなかったことにして、日常に戻ればいいのだろう。恐らく、それが模範解答なのだ。

 ヒメのことは専門家に任せるなり、このままよて亭の皆でしばらく面倒を見るなりしていればいい。何も難しいことではない。

 今日はもう帰ろう。そして、眠って忘れよう。大丈夫だ、今日のことはいつの間にか忘れているだろう。圧縮されて記憶情報のブラックボックスにしまわれて、簡単に出てくることもなくなって、たまに夢に見るだけになる。その夢だってすぐに忘れる。

 日常に戻ろう。ヒメの正体がわからなくたって、アオたちも、ヒメ自身も生きていける。

 生きていけるのに。

「……ハカセの所に行こう」

「ハカセ?」

 サンゴが首を傾げる。今まで遺跡探索の趣味はいまいち理解されなかったから、言ったことがなかったかもしれない。アオだって、よて亭メンバーや常連以外の知り合いくらいいる。ハカセはその一人だ。

 パッとみた時に一番わかりやすい髪の色を元に名づけを行うことが多いヒトの中では、職業を名前にするのは珍しい。永続性がないからだ。スキルデータを買えば簡単に知識や技術が手に入るだけに、アオのようにずっとひとつの仕事に固執しているヒトは珍しいのだ。

 最も、髪の色だって植毛をやり直せばいいだけのことだから、簡単に変えられてしまうのだが。だから住処を変えるごとに髪色や名前を変えるヒトや、名前に影響しない範囲で変えるヒトが多い。

 もちろん、ハカセは「博士」であることに固執している、世間的には変人の部類の方だ。

「知り合いの『旧人類』研究者だよ。正確な名前が他にあるのかもしれないけど、知らない。自分でもハカセって名乗るし、周りもハカセって呼んでるのしかみたことないから」

「うーん、大丈夫なの? その人」

「変人だけど、過激なことはしない。少なくともジャンク街の奥地で変な宗教開いてるような連中とは違う。だからきっとヒメを会わせても大丈夫だ。本当はもっと状況が落ち着いてからにしようかと思っていたんだけど……もしかすると彼ならサンゴの疑問にも答えられるかもしれない」

 充電コネクタを引き抜いて、表示された金額のコインを充電ポートの支払い口に投入する。ココアの分の代金は、サンゴが自動給仕ロボに渡した。

「帰るの? アオ」

 ヒメの手を引くと、彼女の少し茶色がかった黒の目がアオを映す。

「違います。俺の……友達? のところにいきます」

「疑問形なんだ……」

 サンゴは若干、不安そうな顔をする。そんな顔をされても、アオ自身、彼を素直に友達と評していいのかわかりかねる。

「……悪い奴、じゃあないよ?」

 少なくとも、遺跡マニアなだけのアオよりはずっと頼りになる。この状況ならばなおのこよ。

「ならいいんだけど……」

 釈然としない顔で、それでもサンゴは帰るとは言わなかった。ヒメの手を引いて出口へと歩きだす。

 少し遅れてアオも後を追った――その時。

(……?)

 一瞬、誰かがこちらを見ていたような気がして、振り返る。特に誰とも目はあわなかった。みな、それぞれの席で談笑をしている。

(気にしすぎか)

 髪を帽子で隠しているとは言え、子供のヒメはどうしても目立つ。きっと、そのせいだろう。

 アオはそう思うことにして、再びサンゴたちを追う。

 喧騒の中、羽虫ほどの大きさをした機械が客の足元をすり抜け、三人が去った出口の方へと転がって行ったことに気づいた者はいなかった。



 ハカセの家は、繁華街の裏通りにある。

 多くの『旧人類』の研究者がサルベージャーと癒着して、港近くのジャンク街やその近辺を根城にしている中、ハカセは繁華街の真裏に住んでいる。繁華街の近くだから当然騒がしく、研究に没頭できないのではないかと思うのだが、彼が言うには「そんなものは周りの音を遮断すればいいだけだ」とのことだ。

「機械の身体は利便性重視だ。うるさければ聴覚をオフにするか、必要最低限までボリュームを絞る。それでどうにかなるのにわざわざ静かな場所にいくことはない」

 ……というのが彼の言い分らしい。利便性を追求するならばなおさら研究に関係あるジャンク街に行けばいいと思うのだが、どうにも他の研究者とはソリが合わないようだった。

 ハカセが住んでいるのは、表通りから一本入って、ヒトが二人も並んで歩けないような狭い路地に建つ、アパートやマンションというよりは雑居ビルと呼ぶべき建物だ。明らかに住居に適していると思えない。年代物のエレベーターで五階にあがり、奥の突き当りの部屋が根城である。

 ハカセの家にはインターホンが付いていない

 ドアではなく、ドアのすぐ隣の壁に据え付けれた古式ゆかしいアナログなドアノッカーを、回数に合わせて叩く。五回、七回、五回。ニンゲンの文化でいう所のハイクのリズム。

 しばらくしてから、ロックが外れる音がした。ドアが自動的にスライドして、近くのスピーカーから「入れ」と男の声が聞こえる。アナログとハイテクが中途半端に混在しているギミックに、サンゴがますます不安そうな顔をした。ちなみにヒメは面白いらしく、目を輝かせている。

 三人が入ると、再びドアは閉まり施錠される。紙の束が大量に入った箱が積みあがっている廊下を抜けて研究室にはいると、見た目は中年期に足をひっかけていそうなくらいの男が、眠そうな顔で眼鏡を磨いていた。うす汚れた白衣に、よれたシャツ。髪の色は何を考えてその色をチョイスしたのか蛍光イエローで、ろくに手入れされていないことが丸わかりのボサボサぶり。長めの襟足だけをぞんざいに結んでいる

「ねぇ、アオ、本当に大丈夫?」

「……大丈夫、多分」

「ご挨拶だな、アオ。久々に顔を出したと思ったら、その子供はどういうことだ」

 眼鏡をかけてじろりとにらみつけるハカセに、ヒメが「ヒャッ」と声をあげてサンゴの後ろに隠れる。

「怖がらせないでくれるかな、ハカセ。この子のことは説明するから。それと、その眼鏡……意味あるのか?」

 ヒトの視力は目のパーツで決まる。不具合があれば、修理や交換をすればいい。もちろんお金がかかるが、ピント調整修理なんてそこまで高額なものではないのだ。

 メガネなんて、ニンゲン風のコーディネートをしたい一、部の変わった趣味のヒトしか使わないファッションアイテムだ。しかし、ハカセの見た目でファッションを気にしているとは思えない。さすがのアオも、ハカセよりはファッションセンスがマシな自信がある。

「博士といったら白衣に眼鏡なんだ。それがニンゲンのロマンってやつだよ」

 不機嫌そうな顔で言い放った自称博士に、サンゴは目を細めて渋い顔をする。

「納得したわ。確かにアオのオトモダチね」

「どういう意味だよ」

「ニンゲンの話になると急にロマン主義者になるところ」

 そこを突かれると痛い。アオはサンゴからそっと目をそらした。

「ロマン主義になるのは、まぁ、否定しないよ。でもこの合理的と非合理的が極限まで混在した奴と一緒くたにしないでほしいな」

「何言ってるんだ、お前」

 ハカセは紙束のひとつをとってバサバサとめくりながら、人の悪そうな笑みを浮かべる。恐る恐る顔を半分出していたヒメが、またサンゴの後ろにさっと隠れた。

「合理的を極めすぎると脇が甘くなるんだよ。ウィルスの心配がない紙媒体は最高だぞ。コピーでいくらでも増やせるのはデータと変わらん。かさばるのだけが難点だな」

「それ百回くらい聞いた。あと、インターホンくらいつけろ」

「アナログの方が一部のヒトだけを振り分けるにはいいんだよ」

(ドアは自動化してるくせに)

 単純に、自分が面倒なところだけを都合よく合理化しているだけなのだ。

 だが、このひねくれ者は、こんなどうしようもない性格のおかげで、ただの遺跡マニアでしかないアオとも付き合っていられる。発掘品の横流しもしない、『旧人類』の文化が好きでもニンゲン原理主義者ではないアオの存在は、他の『旧人類』研究者には煙たがられている。遺跡近くで鉢合わせようものなら、あからさまに睨みつけられることもあった。

 そんな中で、積極的な遺跡探索や『旧人類』遺産の回収を行わず、データを中心に研究しているハカセと出会えたのは幸運だったとも言える。アオが電子データの読書よりも紙媒体を好むのも、彼の影響だ。

「サンゴ、こんなんだけど、ニンゲンの知識でいうならハカセは間違いないヒトだから。……ヒメ、こっちにきてください。大丈夫です、このおじさんは怖くないですよ」

「誰がおじさんだ」

「どっからどうみてもおっさんだろ」

 悪態をつきあいながら、アオはサンゴの後ろにかくれたままのヒメに手招きをする。

 ヒメは少し逡巡していたが、それでもアオの言葉を信じる気にはなったらしい。とことこと近づいてきて、アオの足にギュッとしがみついた。

「子役ではないようだな」

 勘のいいハカセはもう気が付いていたようだ。

 それはそうだろう。アオがわざわざこんな場所に連れてくるなんて、遺跡がらみ以外でありえないからだ。よて亭の中でもヒスイの次に付き合いが長いサンゴだって、遺跡にはあまり興味を示してくれていなかったから連れてはこなかった。

 ハカセは研究者であると同時に、情報屋でもある。『旧人類』のことなら彼よりも詳しいヒトはそうそういないだろう。何よりも、彼は基本的に情報にしか興味がない。『旧人類』に過度な幻想を抱いていないヒトだからこそ、信用できる。

 アオは覚悟を決めて、ヒメを拾った経緯を話しはじめた。遺跡で拾ったこと、記憶がないこと、充電コネクタがなくて食事でエネルギーを補給していること。そして、見つけた時の状況。

「黒い……何ていうか、クジラを小さくしたようなフォルムで、真っ黒な装置の中にいたんだよ。俺が間違って装置を起動させてしまったみたいで、そしたらこの子が出てきた」

「はぁ!? 装置が起動しただぁ!?」

 突然ハカセが大声を上げたので、ヒメが悲鳴をあげて、ますますアオの足にしがみつく。ハカセは「わりぃ」とばつの悪そうな顔をして、蛍光イエローの眩しい髪をガシガシとかきむしった。

「アオ、お前、俺のとこにきて正解だ。そのお嬢ちゃん、他の『旧人類』学者のとこにいってたらぶんどられてたぞ」

「ってことは……」

「もしかして?」

 アオとサンゴが顔を見合わせる。見つけた時の状況を説明しただけで、何がわかるというのだろう。だけど、この状況でハカセがこう言うのは、つまり。

「そのお嬢ちゃんは間違いなく、正真正銘の『旧人類』だ。アオ、お前が起動させたのは冷凍睡眠ユニットの解除システムだよ」

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