第8話 停滞と惰性のネバーランド

 よて亭の営業は昼の部と夜の部があって、十五時から十七時の間は中休みとなる。アオは昼と夜で続けて出ることもあれば、どちらか片方にしか出ないこともあった。基本的にギターを弾く時以外は裏方だ。ギターだって、それがメインというわけではない。あくまでダンスのBGMだ。

 シオンが手品のスキルを買ってきたおかげで、ステージのバリエーションが増えた。ここ数日、試験的に夜の部のメインを任せてみているが、評判は上々。シオンも乗り気なようで、また違う手品のスキルデータを買ってくると言っていた。今度はヒスイが店の経費として出してくれるらしい

「俺も何か面白いデータを買ってくるべきか。楽器なら一通りできるんだけどな」

 何故、生活の足しになる場面の少ない楽器演奏スキルばかりを買ったのか、過去の自分に問いただそうにもすでに圧縮記憶情報の彼方だ。正直楽器演奏だけならば、生演奏にこだわらなければミュージックプレイヤーでもいいわけで、つまりアイデンティティがヤバイ。

 もやもや答えの出ない考えに捕らわれていると、サンゴがヒメの手を引っ張ってアオの元にやってきた。

 ヒメはよて亭のステージに立っていない者が、交代で面倒を見ることになっている。いつの間にかそういうルールになっていた。ルビィとシオンは夜の部に出るから、さっきまではヒメと一緒にいたのだろう。サンゴが世話を引き継いできたのだ。

「じゃ、いこっか、アオ」

「ああ、うん」

 ヒメの手を引いたまま、サンゴはさっさと裏口を開け放つ。長いピンク色の髪が、流れ込んだ外気にふわりと舞った。

「ねぇ、ヒメちゃんアイスクリーム食べにいこっか」

「あいすくりーむ?」

「冷たくて甘くておいしいの!」

「食べるっ!」

「アオがおごってくれるって」

「俺がか。食費で給料が圧迫されてる俺が払うのか」

 ツッコミをいれるとサンゴはフフッ、と軽く笑ってヒメと両手を繋ぎ輪を作りながらくるくると回った。実に楽しそうだ。こちらは財布が危機だというのに。

「んー、仕方ないお兄ちゃんだねー。それじゃあここはサンゴお姉ちゃんが買ってあげます。あ、アオの分は自腹でねっ」

「ああ、うん……」

 何やら釈然としない気持ちにさせられる。しかし、本当に食費は割と洒落になっていなかったので、ヒメの分を持ってもらえるのはありがたい。

 よて亭は、社員寮であるさしすせ荘のある丘をくだった所にあるが、そこからまたさらになだらかな坂をくだっていくと、繁華街へとたどりつく。そのままどんどんくだって海辺まで行けば港につくし、繁華街を横断していくとサルベージャーが根城にしているジャンク街へとたどりつく。繁華街までは乗るだけで目的地に運んでくれる自動運行トロッコがあったが、ヒメがはしゃいで悪目立ちしそうだったので徒歩で逝くことにする。

 目立たない方がいいのは確かだった。繁華街に近づけばそれだけジャンク街に以下づく。そしてジャンク街には、サルベージ業者が固まっている性質もあってか、『旧人類』の研究者も数多く出入りしている。彼らの利害は一致しているのだ。金にならないようなサルベージ品でも、研究者は高く買い取る。

(今はまだ、あの界隈にヒメを連れていくのは危険だしな)

 子役と言ってごまかしていられるうちはいい。研究者や『旧人類』を盲信している連中に見つかったら一大事だ。

 黒いために目立ちやすいヒメの髪は、くくってまとめて帽子に押し込んだ。サンゴの麦わら帽子は彼女には少し大きかったが、髪を入れることを考えたらこれでちょうどいいのかもしれない。

 繁華街まではヒメの歩幅に合わせてゆっくり歩いても、十五分ほど。途中アイスクリーム屋に寄って立ち食いをして、それからヒメのワンピースに仕立て直せそうなスカートを何枚か。これはサンゴが自分でお金を出して買った。

「いいよ。私がヒメちゃんに着せたいだけだし。アオのお財布の心配をしてあげる優しい同僚だから」

「ありがとう。自分で言わなければ最高だったな」

「もっとストレートに褒めて」

「サンゴ優しい。センスいい。かわいい」

「もっと崇めて」

「サンゴ様ありがとうございます。女神です」

 二人のやりとりに、ヒメはきょとんとした顔でアオを見上げる。

「サンゴは女神様なの」

「いいえ、これはただのノリというやつですよ」

「アオ、まだヒメちゃんに敬語になるのなおってないのね」

「何か敬語になっちゃうんだよ、自然に。何故かは俺も聞きたい」

 サンゴには普通に話せるというのに、ヒメを前にすると自然に丁寧語で言葉が出てくる。どうしてなのかは自分が一番知りたい。

「で、話って?」

「あー、そうね。あそこのカフェ入りましょ」

 サンゴが手近な喫茶店を指差した。なかなかヒトでにぎわっている。

 ヒメに関する話をするだけならよて亭で話す方が、事情が分かっているヒトしかいないのだから安心だ。それなのにわざわざ街にまできたのだから、サンゴはヒスイやルビィたちにはあまり聞かれたくない話をするのだと思っていたのだが。

「もっとこっそり話した方がいいんじゃないの?」

「アオ、こういうのはね、ある程度ヒトがいた方がいいのよ。他に客がわいわいしていたら、いちいち私たちの話に耳を傾けて記憶情報に残すようなヒト、いないでしょ」

「なるほど、そういうことか」

 アオはすんなりと納得した。静かな店を選べば、店員や他の客が変に興味を持って耳を澄ませ、それを記憶情報に残すかもしれない。微かにでも聞こえれば、聴力の精度はある程度あげられる。雑音に紛れていた方が情報としては残りづらい。

 完全個室が望めないなら、確かにサンゴの言うとおり、ある程度混みあっている店の方が合理的だろう。寮に戻れば良かったのかもしれないが、夜の部があるとはいえルビィたちが乱入してくる可能性はゼロではない。

「それにここ、ココアがあるのよ。女の子に人気なの。ヒメちゃんも気に入ると思う」

「充電ポートは?」

「あるから安心して」

 ざわつく店内に入り、ホールの右端の方にある席に陣取った。量産品のプラスチックチェアに腰掛ける。基本的には会話をする場所を取るためだけに使うような喫茶店なのだろう。味に期待することもなさそうだったので、アオは場所代かわりに充電ポートだけ使わせてもらうことにした。ヒメには人気だというココアを頼む。サンゴも同じくアイスのココアを。

 子供であるヒメが珍しいのか、少しの間視線を集めることになったが――それもほんの数分のことだった。視線がある間は適当に仕事の話をしてやりすごす。ヒメは、最初は店内をきょろきょろ見回していたものの、ココアが来るとすぐにそれに夢中になった。正直、仕事の話は興味もないのだろう。

 皆の興味がそれてきたあたりで、ようやくサンゴは本題に入る。

「あのさ、ヒスイ姉さんさ、この前ギンの話してたじゃない?」

「あ、ああ、うん」

 いきなりギンの話が来るとは思っていなかったので、アオは少し動揺した。これは確かによて亭の面子が来る場所では話しづらい。

「ギンって、ホントに『天国』に行ったのかなぁ?」

「ほんとに、ってさ。本人がそう宣言していったじゃないか」

 ギンは自分ではっきりと『天国』へいくと言って去ったのだ。あれだけ仲睦まじかった恋人のヒスイとの仲を清算してまで。それなのに今更、実は行かなかったということはあるまい。

「うん、そうなんだけどね。何かヒスイ姉さん、ギンのことで隠していることがあるんじゃないかなって。ギンが急に『天国』に行くって言いだした理由、きっと知ってるだろうし……」

 考えすぎたら、『天国』にいかなければならない。

 ヒスイは確かにそう言った。つまり要するに、ギンは『考えすぎてしまった』ということだ。問題はギンが『考えすぎてしまったこと』の正体が何か、だろう。

「そういえばギン、『天国』には行きたい、じゃなくて行かなくちゃならない時が来るんだって、そう言ってたな。今思えば、変な話だよな……」

 誰も『天国』に行くことを強要なんてしない。ある意味永遠の命を得ている今のヒトの社会。誰もが永遠に老いることがないネバーランド。

 意識を持った機械のヒトが、意識を持たない機械が管理する発電施設の恩恵にあやかりながら、漫然と自由に生きる世界。何でもできるし、ある意味何もできない。停滞と惰性、放蕩と享楽、まるで義務のように日々を謳歌するヒトビト。

 この世界で『天国』は、あまりに永い人生に疲れたヒトが望んでいく場所だ。行かなければいけない強迫観念にかられるような場所ではない。

 本当は『天国』などないのだから。そこは終着点であり、虚無。何もないことが救いになったヒトの憧憬こそが『天国』だ。

「ねぇ、ギンの言う『天国』って、私達が思ってるのと違うんじゃない?」

 それについては、正直に言えばアオも少しは考えていた。

 世のヒトビトが考える『天国』と、ギンが言った『天国』似て非なるものだとすれば。ギンは何かしら目的があって『天国』に行った可能性もある。だからヒスイは、殴りはしたけれど、ギンが行くのを許したのだ。

「でも、どうしてギンの話だったんだろう? あの時、俺は何でヒメに話しかける時に敬語になってしまうんだろうって、そんな話をしていて……」

 アオが無意識にヒメに敬語で話してしまうことが、どうしてヒスイの中でギンに繋がったのか。思えばそれも不思議なところだった。ヒスイはヒメを初めて店に連れて行った時も、落ち着いていたように思う。サンゴやルビィが散々「夢見すぎ」と豪語していたのに、ヒスイはそんなことも言わなかった。

 シオンはあの性格だから、恐らく疑問に思っていてもアオに詰め寄ることはない。だけどヒスイはそうじゃない。少なくとも、恋人が姿を消すとわかったら、迷わず一発殴るヒトだ。アオが寝言を言っていると感じたらばっさり斬り捨てるだろう。

 あの時アオが語ったことは、それくらいに荒唐無稽なことだった。ヒメを見つけた場所や、充電コネクタの不在など、もちろんある程度の根拠はあったのだが、あの状況でそれをすんなり納得しろというのは無理があっただろう。

 ヒスイは何故、受け入れられたのだろうか。

「あのね、アオ……私、あのあともう一つ、気になることができて」

 サンゴはアイスココアの氷をストローでからからとかき混ぜながら、言おうか言うまいか悩んでいる様子でじっとアオを見つめる。

「言いなよ。俺は信じるから。ヒメが来て以来、俺は大抵のことは信じられる自信があるよ」

「うん……そう、ヒメちゃんを見てて思ったの」

 突然名前を出されて、ヒメが驚いて目をくりくりと丸くする。サンゴは少しだけ頬を緩めて、彼女の頬を指でそっと撫でた。

「アオも、私も……ルビィやシオンもだけど、子役なんて知り合いにいなくて、少なくとも、多分数十年以上は子供と接する機会なんてなかったはず。不思議だよね。私達、誰一人として、ヒメちゃんとどういう風に接するかどうかなんて迷わなかった。子供の扱いなんて、私達どこで覚えて来たのかな?」

「俺はめちゃくちゃすねられたけど」

「それはアオのセンスが悪かったせいで、子供の面倒をみきれてなかったわけじゃないでしょう?」

 確かに、奇妙と言えば、奇妙だった。

 この世界に子供がほとんどいなくなってどれくらい経つかわからない。

 機械化された人類は、赤ちゃんや幼児期を経ることなく、いきなり十五歳以上の外見で生まれてくることができる。愛し合った二人が子供を作るなら、様々なリスクを伴う妊娠や出産をすることもなく、弱くてもろい子供時代を必死に育てあげることもなく、二人の顔や体の要素を含むパーツを用意してもらって、好みの性格基本データをインストールする。そうやって現代のヒトは生まれてくるのだ。

 子供の世話をしたことがあるヒトが、今のこの社会でどれほどいるだろう。

「私……怖くなってきたんだ。確かにこういうことを考えすぎると、ギンみたいになっちゃうのかもしれない。この世界が何か、ニセモノみたいにみえてくるの」

 そう呟いたサンゴの瞳は、何故か『天国』に行く前のギンと似て見えた。

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